【国宝に指定? 神社の刀の写真】
まずは、情報のあった鹿児島市喜入にある宮坂神社に向かいました。住宅街の奥にある、460年あまりの歴史を誇る神社です。境内を進んだ先に見つけたのは説明板。
“名刀は大正8年3月に国宝に指定”と書いてあります。
神社の役員に話を聞いてみました。
飾られていたのは、地元・喜入の刀工、一平安代が300年あまり前の江戸時代に奉納したとされる、およそ80センチの太刀の写真だけ。戦後、当時の連合国軍に没収され、その後、所在が分かっていないというのです。
宮坂神社役員
吉村俊一さん
【地元の名刀工 一平安代とは】
誰か刀の行方を知る人はいないのか?地元の公民館を訪れてみました。
担当の永田清文さんは、「とても有名な刀鍛冶で江戸時代に喜入にいた」と話しながら、郷土誌を見せてくれました。
一平安代は全国に名をはせた名刀工。祖先から代々、刀をつくり、数々の名刀を残してきました。地元には墓も残され、いまも線香が絶えないと言います。永田さんによると、子孫の玉置家以外の人も、よくお参りにきて線香をあげにくるそうです。
一平安代の腕は、当時の将軍・徳川吉宗に認められたほど。全国の刀工を江戸に集めて刀を作らせた際には、3人の1人に選ばれました。
永田清文さん
【安代の刀が県内に】
これ以上、地元に手がかりはないのか。そんなとき鹿児島市の黎明館に一平安代のほかの刀が残っているという情報が。
県の有形文化財にも指定されているその刀を特別に見せてもらいました。
一葉葵の紋と一平安代の名。今も色あせない一平安代の刀です。刀の茎と呼ばれる、ふだんは見えない部分に刻まれた一枚の葵の葉は、将軍・吉宗に認められた証です。
切原勇人 学芸課長
【終戦後の没収 そして奇跡の帰還】
さらに終戦当時に連合国軍に没収されて行方が分からなくなった刀は、県内にほかにもあることがわかりました。
その一つがなんと、現在、国宝に指定されている「太刀 銘 国宗」だというのです。
島津家に伝来し照国神社に奉納されていたこの刀。同じように没収されながら、なぜ鹿児島の地に帰ってくることができたのかというと、そこには1人のアメリカ人の功績がありました。
愛刀家、ウォルター・アメス・コンプトンさんです。現地で偶然見つけた刀を入手。のちにそれが国宝の「国宗」と分かり、昭和38年に日本に返還したのです。
切原勇人 学芸課長
国宗のように一平安代の刀も、いつか地元に帰ってくる日が来るのでは。切原学芸課長は、期待を寄せています。
切原勇人 学芸課長
【国宝だった安代の刀 手がかりは】
郷土誌には、アメリカに返還を求める動きがあったという記述も書かれていましたが、今回の取材で詳細を知る人にはたどりつけませんでした。
なお、黎明館によりますと、戦前、今の「重要文化財」がなかったころは、県内の5つの刀が国宝に指定されていたということです。そして戦後にほとんどが「重要文化財」に指定され、「国宗」のみが国宝となりました。
一平安代の刀については行方が分からず、現在はどちらにも指定されていないという状況です。
NHKでは今後も、一平安代の刀や行方不明の刀について、取材を続けていきます。何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。
宮坂神社役員
吉村俊一さん