ページの本文へ

かごしまWEB特集

  1. NHK鹿児島
  2. かごしまWEB特集
  3. 8・6水害|土石流で父失い 遺族「30年思いは変わらない」

8・6水害|土石流で父失い 遺族「30年思いは変わらない」

  • 2023年08月04日

死者、行方不明者が49人にのぼった30年前の「8・6水害」。鹿児島市の花倉病院では、土石流でこの水害としては最も多い15人が犠牲になりました。この場所で父を亡くした遺族は、「土石流の怖さを多くの人に知ってほしい」と語りました。
                           (鹿児島放送局 記者 熊谷直哉) 

30年前になにが

田中美代子さんと鶴田誓男さんのきょうだいです。
あの日、土石流に襲われ廃墟となった花倉病院。入院していた父の勇さんは、かえらぬ人となりました。

翌日、テレビで報じられた現場の状況。薩摩川内市にいた美代子さんは、勇さんの姿がないか、血眼になって探したといいます。

美代子さん

土にまみれててこの辺りも土になっていまして、いろんな方が一生懸命掘り起こしていたり、担架で運んだりというのを見ましたね。一生懸命探しました。ひょっとしたらこの担架なのかな。それか別のところで生きてたらいいけど。

誓男さんは鹿児島市で暮らしていました。小学5年の息子と捜索に向かいましたが、なかなか現場にたどりつきませんでした。

誓男さん

通行止めでバリケードがしてあって。通行止めだったからここに車を止めさせてもらってここから走って行った。

病院は200メートル先。泥だらけの道を向かう途中、不安が募っていったといいます。

誓男さん

そこの病院の50メートルぐらい前から土砂が入って歩けなかったですね。病院は土だらけになっていて、もうだめかもねと思いながら、電話でうちの嫁にもうだめかもしれないので、葬式の準備をしとけと言って。

泥まみれになりながら、なんとかたどりついた誓男さん。ただ、土砂は勇さんが入院していた2階まで
覆い尽くしていました。

誓男さん

まっすぐ走ってきて、親父がいた病室は埋まってましたよ。坂道を下から上がって、土手を裏から病院に入ってという感じですね。

”厳しさと優しさ”併せ持つ父

勇さんは土砂の中から変わり果てた姿で見つかりました。どのくらいの時間探し続けたか、誓男さんは思い出すことができません。
 

誓男さん

病院の1階で見つかったんだけど、顔はぐしゃぐしゃで残念だったですよ。泣きながらでしたよ。大変でしたよその時は。

畳職人をしながら、家族のために工事現場でも働いていた勇さん。

42歳のころ倒れて半身不随になり、10年以上入院していました。職人かたぎで、厳しさと優しさを併せ持っていたといいます。

誓男さん

どんな親だったかな。元気のいい、畳職人だったですからね。元気をだせ、元気をだせと言って。

美代子さんは入院しながらも家族のことを気にかけていた姿が忘れられないといいます。

美代子さん

私の子どもを連れてきたことがあって、来たかってこれてよかったねじいちゃんずっと待ってたぞって言って。敷き布団の下からぺっちゃんこになったパンをお前にとってたんだぞと言ってくれたんですよ。そんな優しい父親でした。

毎年訪れる現場

2人はそれから毎年欠かさずに現場の花倉病院跡地を訪れて、花と線香、それに勇さんが好きだったタバコを手向けています。

美代子さん

忘れないですね。なんとも言えない思いがこみ上げてきますね。

誓男さん

8月になれば思い出すね。ここへ来て線香をあげて桜島見ながら泣いて。

 

この悲しみを2度と繰り返してはいけない。訪れるたび心に浮かぶのは、その思いです。

誓男さん

少しでも水害とかというのを考えてくれたら。若い人がこのようなところを水が走ってくるというのをあまり考えた事がないんじゃないですかね。

美代子さん

水をあまく見たらだめ。水は本当に怖いです。雨が降ったりするときはどこにどういう避難をしたらいいか、かねてから考えてもらいたい。

取材を終えて

今回、取材を受けてくださった理由を聞いたところ、「30年という節目を前に『この水害を絶対に忘れてほしくない』という思いが強かった」と答えが返ってきました。取材中、2人が涙を流しながら勇さんの話をしてくださる姿からは、突然父を失うことになった深い悲しみが、30年たっても続いているのだということを実感しました。「忘れてほしくない」という2人の思いを、まず自分自身が心にとめて、災害の教訓を伝える活動を続けていきたいと思います。

  • 熊谷直哉

    NHK鹿児島放送局 記者

    熊谷直哉

    2020年入局 京都府出身 事件事故や経済を担当 首都圏局での営業部門を経て去年から鹿児島局記者。

ページトップに戻る