鹿児島に現れた日本競歩界の新星 大山藍 わずか1年で世界2位
- 2022年09月05日
鹿児島に日本競歩界の新星が現れました。この夏の年代別の世界選手権で銀メダルを獲得した、鹿児島女子高校2年の大山藍選手です。競歩を始めてわずか1年あまりで立った世界の表彰台。急成長の先に目指すのは―。
(鹿児島局記者 松尾誠悟)
初めての世界 僅差の銀に涙
ことし8月、コロンビアのカリで行われた年代別の陸上世界選手権。鹿児島女子高校2年の大山藍選手は、初めての世界の舞台で堂々と戦いました。女子1万メートル競歩に出場して銀メダルを獲得したのです。先頭を歩いたものの、ゴール寸前でメキシコの選手にかわされるというレース展開。その差はわずか0.09秒でした。僅差で金メダルを逃し、ゴール後はトラックに倒れ込んで涙を流しました。
(大山藍 選手)
「最初は納得がいかず、とても悔しかったです。レース後は涙が止まらず、最後は過呼吸になってしまい医務室に運ばれたほどでした。でも、自分の小さな体で張り合うことができ、銀メダルを獲得することができたので、本当によかったと思っています」
競歩を始めたきっかけはけが
大山選手は実は競歩を始めてからわずか1年あまりです。もともと中長距離の選手でしたが、高校に入ってすぐに、すねのあたりが炎症を起こすシンスプリントという症状を左足に発症。当分の間、走ることができなくなりました。そんなとき、髙山克司監督から「競歩をしてみないか」と誘われ転向したのです。
自転車並みの速さで歩く競歩。常にどちらかの足を地面につけることや、接地したときにひざを曲げてはいけないことなど厳しいルールがあります。大山選手も当初は戸惑ったといいます。
(大山藍 選手)
「歩き方のコツを、すぐにコツをつかむことができなくて、やめたいと思うときもありました…。それでも、コツをつかんで歩けるようになってからは、少しずつ楽しいという気持ちに変わっていきました」
美しいフォーム 大きなストライド
1メートル51センチと小柄な体で世界と渡りあえる速さの秘密は、フォームの美しさにあります。腕を振っても上体のブレが少ないことで、速いリズムで歩くことが可能に。さらに、小柄ながらストライドが広く、大きな脚さばきも持ち味です。終盤になってもフォームを乱すことなく歩く粘り強さも持ち合わせています。
(大山藍選手)
「腕振りとかも結構大事なんですけど、それ以外でも体幹とかを鍛えたりすることが自分的には大事なのかなと。その結果、私は身長が小さくてもストライドがある歩きができるのかなと思っています」
“自分がふさわしいのかな…”
ことしに入ってからの急成長は止まるところを知りません。2月に兵庫県神戸市で開かれた年代別の選抜競歩大会で、女子5キロに出場して初めての日本一に。4月に石川県輪島市で開かれた全日本競歩でも女子10キロで大学生をおさえて優勝しました。髙山克司監督は、さらなる活躍に期待しています。
(髙山克司 監督)
「ピッチがいいですよね。身長の高い選手とストライドが変わらない。リズムがいいというのが彼女の持っているところで、簡単に1年ほどではできません。今の練習で1万メートルも歩いているので伸びしろは十分にあると思います」
一方の大山選手。日本一をとっても、世界選手権の代表になっても、現実だと思えなかったといいますが、世界で銀メダルを獲得したことで、ようやく実感がわいてきたと話します。
(大山藍 選手)
「世界選手権に出るのは、高校総体とかで優勝したことがある人のほうが自分よりもふさわしいんじゃないかと思うこともありました。レベルがあっているのか、不安もありました。でも、実際に世界選手権に出て銀メダルをとって実感がわきました。これからも日本を背負えるように頑張りたいと思えました」
オリンピックも視野に
初めての海外では食事に苦しんだという大山選手。「お肉が固くておいしくなかったんです」と話す一方、帰国後すぐに食べたお母さんのからあげと豚汁が「おいしかった」と笑顔で語ってくれました。
世界選手権を終え、次なる目標は10月の栃木国体、そして高校生活最初で最後となる高校総体での優勝です。そして、さらなる先の世界も見据えています。
「可能性があるならオリンピックに向けて頑張っていきたい。少しでも夢に近づけるように、けがなく頑張っていきたいです」と話す大山選手。けがでめぐりあった競歩の世界で無限の可能性を秘めながら、その挑戦はまだ始まったばかりです。
大山藍選手(おおやま・あい)。2005年、鹿児島市生まれ。小学校までバレーボールで、中学から陸上を始めた。鹿児島女子高校の卒業生には、東京オリンピックの陸上女子400メートルリレーに出場した鶴田玲美選手がいる。