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鹿児島大空襲 火の海となった街 胸に刺さる祖母との別れ

  • 2022年08月12日

ことしもまもなく終戦の日を迎えます。鹿児島市は太平洋戦争末期に8回にわたる空襲をうけ、なかでも昭和20年6月17日の鹿児島大空襲では、2316人が犠牲になりました。当時、12歳だった男性が火の海と化した当時の状況と、いまも胸に刺さる祖母との別れについて話してくれました。

(鹿児島局記者 古河美香)

空襲当時 自宅に祖母と2人

鹿児島市に住む西山十九男さん(89歳)は、現在のJR鹿児島中央駅の近くで育ちました。空襲があったあの日、病弱だった母親と小さな兄弟たちはすでに避難していて、父親もその見舞いに疎開先に向かっていました。

そして深夜11時ごろ、家に残っていた長男の西山さんと祖母が眠っていると、「空襲、空襲」という大きな声が聞こえてきました。2人はすぐに着替えて、自宅の前にあった防空ごうに入りました。しかし祖母は、大事な荷物をとろうと、再び自宅の中に入り、西山さんも、その後を追いました。ところが、すでに周囲は火の手が上がり、危険を感じた西山さんは、頭が真っ白になったといいます。

西山十九男さん

「早く逃げないと大変だ、助からないと思いましたから、そのままぱーっと走り出していました。もう無我夢中というか、必死で、とにかく逃げなくちゃ、もうどうにもならないという気持ちでした」

”おばあちゃんっ子”だったのに

必死に走って、自宅から1キロ以上離れた、現在の鹿児島市武岡にあった大きな防空ごうにたどりつきました。そのとき、燃えあがる市街地を振り返って、祖母を自宅に置いたまま逃げてきてしまったことに気づきました。祖母は、病気がちだった母親に代わって、幼稚園の遠足や学校の参観日に来てくれました。西山さんもみずから「おばあちゃんっ子」だったと振り返ります。

西山十九男さん

「山に近づいたときにおばあちゃんのことを考えました。そして、しまった!おばあちゃんと一緒だったんだと思い出しました。やっとわれに返ったという感じです」

1人で逃げ、悔やむあの日

一生懸命走って逃げ、疲れ切ったのか、防空ごうではずっと寝てしまったという西山さん。翌朝、祖母のことが心配で急いで自宅のほうに探しに戻りました。すると途中で「十九男さんじゃないか」という近所の人の声が聞こえました。

その人は「十九男さんのおばあちゃんが、自宅から少し離れた小さな防空ごうで死んでいる」と言いました。

西山十九男さん

「私はしまった、最悪の時が来たと思い、ふらつきながら、その防空ごうに行きました。そしたら、おばあちゃんが、前に伏せて死んでいました。私はそれを見てショックで涙も声も出ませんでした。しかし、自分の家の防空ごうの上に戻ったとき、大きな声で泣き叫びました」

名前を呼びながら探してくれた祖母

近所の人は、祖母の最後の様子を西山さんに教えてくれました。

「家がどんどん焼けていく最中に、『十九男や、十九男や』と私の名前を呼びながら、3回ぐらい行ったり来たりしましたよ、と。おばあちゃんが最後の最後まで自分の命のことを考えずに、私を一生懸命探してくれた、そのおばあちゃんの気持ちを思うとき、やっぱり今でも涙が出ますね」

”戦争だけはだめだよ”

西山さんは、鹿児島市内の学校を訪れ、当時の自分と同じ年くらいの子どもたちに、戦争の悲惨さを伝える活動を続けてきました。ウクライナへのロシア軍の侵攻などで、平和のもろさを世界が目の当たりにするなか、いま改めて戦争だけはだめだと伝えたいといいます。

戦争の悲惨さを伝える西山さん

西山十九男さん

「どんなことがあっても戦争だけはやめなくちゃいけない。攻撃するほうも、される方も死者が出ます。戦争は絶対だめだよ。善悪は抜きにして、戦争だけはやめなさいねと言いたいですね」。

取材を終えて

77年前の出来事を、西山さんは鮮明に覚えていました。そして、病気がちだった母親に代わって育ててくれた祖母のことは、心の中でずっと生きているとも話していました。ウクライナ情勢については「1日でも早くやめてもらいたい」と強く語っていました。当時12歳が見た惨状は想像を絶するものだと思います。
空襲を経験した人たちが年々、高齢化し、直接話を聞ける機会が減ってきています。「生きている間は戦争はだめだよと言い続けます」と力強く話していた西山さんや空襲を経験した人たちの貴重な証言に、戦争を知らない私たちはしっかりと耳を傾け、想像力を働かせることが求められていると思います。

  • 古河 美香

    古河 美香

    長崎局を経て鹿児島局勤務 県政担当などを経て、現在は教育や経済を担当   2児の母親

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