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私たちの馬毛島 戦争を体験した「語り部」の思いは

米軍の空母艦載機訓練の移設先として自衛隊基地の建設が決まった馬毛島 シリーズで島とともに生きてきた人たちの今を見つめます
  • 2022年07月18日

アメリカ軍の空母艦載機訓練の移転先として自衛隊基地の建設が決まった西之表市の馬毛島。島の運命は大きな岐路に立たされています。シリーズ「私たちの馬毛島」では島とともに生きてきた人たちの今を見つめます。
今回は、戦争体験者のひとり、下村タミ子さんです。「子どもたちに平和な世の中を残したい」と、語り部としても活動してきた下村さん。加速する基地建設に向けた動きをどのように考えているのか、話を聞きました。

(鹿児島局記者 高橋太一)

戦時中の死と隣り合わせの日々

種子島に住む下村タミ子さん(92)は、西之表市に生まれました。対岸にある馬毛島は、子どもの頃から“きょうだいのような島”として、身近に感じてきた存在でした。自身も4、5回渡ったことがあり「あの島が軍事基地になるなんて想像もつきません」と話します。

そんな下村さんの脳裏に今も焼き付いているのが、戦争の記憶です。太平洋戦争中、女学校に通っていた下村さんは、学徒動員で海軍の飛行場の建設に従事させられました。

種子島には、今も戦争の爪痕が残っています。中種子町増田には戦時中、飛行場があり、アメリカ軍を迎え撃つための戦闘機が補給を行っていました。

しかし、軍事施設のあった種子島はアメリカ軍の標的となります。繰り返し空襲にあい、下村さんも死と隣り合わせの日々を過ごしました。今でもその光景を思い出すことがあるといいます。

下村さん

「飛行機の音がすると、友軍機か敵機かわからないのでトラックから飛び降りて山の中に隠れました。機銃掃射で竹にあたってバチバチという音を聞くこともありましたし、空襲で西之表の街が焼けたり、友達の家が焼けたりして、増田の飛行場の宿舎で友達が泣くのを慰めたことがあります」

“戦争の悲惨さ”伝えるために

戦後、地元で小学校の教師になった下村さん。種子島の子どもたちに平和の尊さを教えてきました。そして、教師を退職した後も、語り部として自身の戦争体験を伝え続けてきました。

あの戦争から77年。国は安全保障環境の変化を理由に馬毛島への自衛隊基地の建設を決定。さらに、近年、種子島でも、アメリカ軍も参加した大規模な訓練が行われています。下村さんは、こうした動きが、かえって地域の緊張を高めかねないと危惧しています。

下村さん

「こっちが構えると、向こうも構えます。そしてけんかになります。日本は自衛のためと言っていろんな軍事費を増やしてますよね。自衛というのは大事かもしれませんけど、それをどんどん増やしていくような国になってもらっては困ります」

よみがえる戦争の記憶

そして、戦争の暗い影が世界を覆う今。基地ができることで再び島が標的になるかもしれない。そんな思いがよぎると言います。

下村さん

「戦争になったら、島が巻き込まれるというのは目に見えていますし、真っ先に攻撃されると思います。ウクライナ、ヨーロッパは陸続きで避難ができますけど、日本は島国ですから、あんなことはできません。そして、離島の人はなおのことできません。逃げるところがなく怖いという思いもあります。戦争はどんなに悲しくて、どんなに悲惨で、得るものは勝っても負けても何にもない。命を奪うだけです。戦争に繋がるものは絶対に、駄目です」


 

  • 高橋太一

    NHK鹿児島放送局 記者

    高橋太一

    2017年入局。奄美支局を経て現在は安全保障や県政を担当。これまでに県内18の島を取材。離島からは地方の課題と解決のヒントが見えてきます。

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