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落語家 桂竹丸さん「ないごて若い子が死なならんとね」

落語で語り継ぐ特攻そして戦争
  • 2022年05月25日

鹿屋市出身の落語家で、ことしデビュー40年となる桂竹丸さん(65)。
ことし3月、4年ぶりとなるふるさと・鹿屋での公演で、この20年近く演じ続けてきた特攻をテーマにした物語を披露しました。戦争の悲劇が繰り返される今、落語を通じてどのような思いを伝えようとしているのか話を聞きました。

(鹿屋支局 西川祐亮)

創作落語“ホタルの母”  題材となった女性の半生

「戦争に行きなさるのです、どちら方面に?」 

「おばさん聞かんでください」

「とっこう…特攻」

 いままでかわいがっておりました小林少尉が明日、死んでいく。

「そげなこと」

                       (落語“ホタルの母”から)    

ことし3月13日、鹿屋市出身の落語家 桂竹丸さんが、地元で披露したのは「ホタルの母」。

特攻基地のあった知覧で食堂を営む女主人と、隊員たちとのふれあいを描いた実話をもとに、竹丸さんが創作した落語です。

「明日死んだらさ、おばさんのところに帰ってきたいな」 と言うと、川の辺りで飛んでいましたゲンジボタルがすっと宮川軍曹の前に止まります

「そうだおばさん、俺、あした死んだらさ、ホタルになって帰ってくるからさ、 追っ払ったりなんかしないでよね」     

「追っ払ったりなんかするもんか。おばさんするもんか、帰ってきてね、待っちょっでね」

「おばさん、どうか俺たちの分までも長生きしてくださいね。おばさん、行って参ります」 

 「はあ、ないごて若い子が死なならんとね、ないごて」        

(落語“ホタルの母”から)

この落語に登場する「おばさん」とは、知覧で食堂を営んでいた鳥濱トメさんです。

トメさんは過酷な運命を背負わされた若者を、わが子のように接し、支え続けました。実の母親のように慕われたトメさんは、のちに“特攻の母”と呼ばれました。

戦況の悪化につれて基地からは特攻隊の出撃が始まり、439人が帰らぬ人となりました。
 

多くの若者を見送ったトメさんは、その最期の姿を手紙で家族に伝え、89歳で亡くなるまで弔い続けました。そんなトメさんの生涯を娘がまとめた「ホタル帰る」という一冊があります。

特攻基地のあった鹿屋で生まれ、その歴史を聞かされて育った竹丸さんは、この本に出会い、落語にすることを決意したと言います。

桂竹丸さん

「戦争のひどさ、醜さ、権力を持った人間の怖さみたいなものをね、特攻で如実に分かるのではなかろうかと。

大人が命令して若者が死んでいくっていう、そういう図式があるという人がいらっしゃるんだけども、ほんとそうだと思いますね。若い命をね、国が死んでいけって言うんですよ。まともじゃないじゃないですか」

“戦争の不条理”を落語で訴える

全国各地でこれまで100回近く「ホタルの母」を上演してきた竹丸さん。今こそ語り継がなければならないという思いを強くしていると言います。

桂竹丸さん

「私はこのホタルの母というのがライフワークだと思っていて、これはずっと語り継いでいきたいなと。

今ちょうど、ウクライナでね、政治家の、権力を持った人が戦争を始めて、誰も文句を言えなくて、現場の兵士たちがロシア側もウクライナ側も亡くなっていますよね。ましてや市民も亡くなっていますよね。

今ですら心を痛めているのにどこまで続けるんだろうかと。トップの人は子どもの涙をみたときに何とも思わないのかなと思いますけれども」

竹丸さんは落語家として戦争の不条理をこれからも伝えていきます。

「終わったの、負けたの。じゃああの子達は死なんでもよかったじゃないですか。       

こんなに終わる戦争だったら、あの子たちは死なんでもよかったんじゃないですか」

「今こそ戦争の悲惨さ、平和の尊さを知るべきではなかろうかと思うのは私だけではないと思います。

長い間ご静聴ありがとうございます。鳥濱トメ物語、ホタルの母の一席でございました、ありがとうございました」                   (落語“ホタルの母”から)

取材を終えて

取材した日、竹丸さんは「ホタルの母」を収録したCDを鹿屋市の小中学校に寄贈しました。鹿屋で生まれ育った落語家として戦争の悲劇を語り継ぐことは使命だと話しています。

今後も全国各地で上演が予定されています。戦争を体験した世代が少なくなりつつある今こそ「若い世代に戦争の悲惨さを知ってほしい」と上演を続ける竹丸さんの思いに触れてほしいと思います。



 

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