ページの本文へ

かごしまWEB特集

  1. NHK鹿児島
  2. かごしまWEB特集
  3. 名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ”

名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ”

  • 2022年05月11日

    ロシアによるウクライナ侵攻で、今、再び全国各地で上映され、注目されている映画があります。それが、第2次世界大戦中、戦火に引き裂かれた男女の悲しみを描いた、映画史に残る名作「ひまわり」です。東西冷戦のさなかに西側が初めてソビエト国内で撮影した作品としても知られていますが、ロケ地を取材すると、いまのロシアにつながる国家の“うそ”が見えてきました。

    (鹿児島局 茶園昌宏ディレクター)

    映画「ひまわり」のロケ地をめぐる謎

    1970年、昭和45年に公開されたイタリア映画「ひまわり」。
    厳冬の地、ソビエトの東部戦線に送られ、消息を絶ったアントニオをマルチェロ・マストロヤンニが、そして、冷戦下のソビエトに単身乗り込み、愛する夫の行方を探すヒロインのジョバンナを、ソフィア・ローレンが演じました。

    映画のハイライト、地平線まで広がるひまわりは、この地に眠る無数の兵士や市民たちの墓標。撮影が行われた場所こそ、現在のウクライナなのです。

    これまで日本では、映画が撮影されたのは、今まさに激しい戦闘が続いているウクライナ南部のヘルソン州だとされていました。
    実際、在ウクライナ日本大使館のウェブサイトには今も「首都キエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州と言われている」と記載されています。

    在ウクライナ日本大使館のウェブサイトより

    ところが、私がモスクワに駐在していた2年前、キーウ在住のリサーチャーに現地の新聞記事などを調べてもらったところ、撮影がヘルソン州で行われたという事実は確認できませんでした。

    その一方で、ウクライナ中部のある村で撮影が行われたという記事がいくつか見つかり、すぐに現地に向かってもらいました。それが、中部の都市ポルタワ近くにあるチェルニチー・ヤールという村です。

    チェルニチー・ヤール村では、映画「ひまわり」のシーンと同じようなひまわり畑が一面に広がっていました。

    チェルニチー・ヤール村 花の季節は過ぎていました・・

    さらに、この村で生まれ育ったニーナさんに話を聞くと、ソフィア・ローレンと撮影隊はこの村にやってきて、当時9歳だった息子と一緒にロケの様子を眺めていたと証言しました。

    ニーナさん

    「通訳を介してソフィアさんと会話しました。私は戦争で父を失い、1947年には飢餓も経験し、なんとか生き抜いたという話をしました。ソフィアさんは私を抱きしめ、スカーフまでくれました」

    この村の当時8歳だったゾーヤさんも、撮影隊が墓地のセットをつくる様子を眺めていたと言います。

    ゾーヤさん

    「この場所です。このあたりが墓地のはじまりで、子どもも大人もセットの中には入らないように言われました」

    実際の映画のシーンと比較すると、丘の傾斜などがそっくりで、複数の村の住民の証言からも、チェルニチー・ヤール村で映画が撮影されたことは、ほぼ間違いないと見られます。

    不都合な歴史を隠そうとしたソビエト指導部

    それにしても、なぜ今にいたるまで撮影場所がはっきりしなかったのか?。

    確たることはわかりませんが、取材を進めると、自国にとって不都合な歴史を覆い隠そうとしたソビエト指導部の思惑が見えてきました。

    それを裏付ける新聞記事があります。2005年にロシアの有力紙「コメルサント」に掲載された記事です。発掘されたソビエト共産党中央委員会の記録をもとに書かれたものです。

    「第2次世界大戦当時、ソビエトで捕虜になったイタリアの将兵のうち4分の3が飢えと病で犠牲になったが、戦後ソビエトの指導者たちは、この事実を認めることはなかった」

    「祖国に戻らぬ兵士の行方を質すイタリアからの問い合わせに回答することなく、イタリア人捕虜の墓地も破壊された」

    映画では、ヒロインが前述の墓地をさまようシーンがありますが、これについて記事では次のように記しています。

    「映画の公開直前にこのシーンの存在を知ったソビエト側は、完成したフィルムからこの部分をカットするよう要求した」

    つまり、ソビエト指導部は、歴史をねじ曲げ、捕虜の犠牲など存在しないと主張したわけです。

    東部戦線で実際にイタリアが派兵したのは、映画が撮影されたポルタワ州から現在のロシアにかかるエリアです。
    犠牲者が埋葬されているとすればこのあたりになるはずです。
    しかし、撮影場所が明らかになって遺族などが現地を訪れ、遺骨の返還などを求められると、ソビエトにとって非常に都合が悪いわけです。
    そこであえて、イタリア兵の主戦場ではなかった南部ヘルソン州を撮影場所に仕立て上げたとも考えられます。

    映画「ひまわり」とウクライナ侵攻

    結局、映画「ひまわり」は、ソビエト国内で上映されることすらありませんでした。
    撮影現場となったチェルニチー・ヤール村の人々も、ソビエト崩壊まで作品を目にすることはなかったと言います。

    ゾーヤさん

    「KGBが上映を禁じたのかもしれませんが、映画が話題にならなければいつか忘れ去られるという作戦だったのかもしれません」

    まさに、そのソビエトの情報機関であるKGB出身の権力者が、歴史をねじ曲げて始めたのが、今回のウクライナ侵攻です。
    プーチン大統領は去年7月「ウクライナという国民国家は存在しない」という趣旨の論文を公表していますが、ウクライナの人々は9世紀に首都キーウを中心に国が形作られて以来、独自の言語や文化などを守ってきました。
    戦争というのは、国家が、あるいは独裁者が、自分に都合よく歴史を解釈したり書き換えたりしたときに始まるということを、われわれは学んできたはずです。
    ロシアの教育現場では、ソビエトあるいはロシアは絶対的な善だという神話がすり込まれ、戦後のシベリア抑留や近隣諸国への軍事侵攻などについては、ロシア国民の多くが「相手の国が悪かったのだ」と考えています。
    私は、映画「ひまわり」にまつわる謎も、今回のウクライナへの侵攻も、根は同じ問題なのではないかと見ています。

    ひまわりの花はウクライナの国花でもあり、いまロシアの軍事侵攻に対する抵抗の象徴にもなっています。
    映画「ひまわり」は、全国各地でリバイバル上映されていて、売り上げの一部はウクライナの人道支援のために寄付されるということです。
     

      ページトップに戻る