大崎事件の鴨志田祐美弁護士 新たなスタートと働くことの意味
- 2022年04月29日
43年前の「大崎事件」で殺人などの罪で服役し、一貫して無実を訴えている原口アヤ子さん。その弁護活動を続けている鴨志田祐美弁護士に話を聞くと、「働くことの意味」が見えてきました。
(鹿児島局記者 松尾誠悟)
一度諦めた夢 42歳で弁護士に
大崎事件の弁護活動を20年近く続けている鴨志田祐美弁護士。実は42歳で弁護士になった異色の経歴の持ち主です。最初に司法試験を受けたのは、大学を卒業するころ。かなえたい夢があったといいます。
鴨志田祐美 弁護士
「弟が障害を持っていたりとか、中学高校時代の親友が、お父さんが北朝鮮国籍でいわれのない差別を受けていたりとか、身内にハンセン病の元患者がいて、全く何の落ち度もない人がすごくつらい思いとか差別されたりというのを見てきて、何か弱い人のかわりに声を上げられる仕事に憧れていたんです。」
ところが3年続けて不合格。一般企業に就職し、会社の上司だった男性と結婚しました。
その後、働きながら子育てをしていたところ、次第に一度はあきらめた夢を再び追いかけたいという気持ちがよみがえってきました。37歳の時でした。
鴨志田祐美 弁護士
「人生80年だとみたときに40歳はちょうど中間地点ですよね。折り返し地点で、もう一度チャレンジしようという気持ちで40歳までに司法試験という目標を立てました。」
“人より期間短い”懸命に活動
家族は自然体で受け入れてくれましたが、子育てなどをしながらの勉強時間は、午後11時から3時間しかありませんでした。
鴨志田祐美 弁護士
「本当に集中してやったと思います。家族もまあいつかは受かるかもねという感じで、あまり腫れ物に触るような扱いもしませんし、かといって頑張りなさいねという、そういうのもなくてプレッシャーがなかったので、精神的にあまり追い詰めなかったのが良かったのかなと。」
そして3年後に合格。ただ、達成感より焦りの方が大きかったといいます。
鴨志田祐美 弁護士
「どうしても20代で受かって弁護士になった人よりは自分が活動できる期間が短い、だからできることを本当に必死でやらないと弁護士としての人生をまっとうできないのではないかという気持ちはありましたね。」
弁護士になってすぐ担当することになったのが大崎事件でした。自分よりさらに残された時間が限られる原口さんのため、懸命に活動を続けてきました。
“よき伴走者”の夫が…
そんな鴨志田さんの取り組みが、去年12月に思いがけない形で評価されることになりました。大崎事件や自らの人生を書いた本が、再審制度への理解を一般に広げたとして、刑事司法の発展に貢献した人へ贈られる賞を受賞したのです。
鴨志田祐美 弁護士
「ふつうの自分の生活の続きとして読んでいただけるのではないかと思ったのが本を書いたきっかけです。学術書みたいだと評価されるのは驚きだったんですけど、とても光栄なことだと思いました。」
ただ、鴨志田さんは同時に不幸に見舞われていました。夫の安博さんががんで亡くなったのです。
鴨志田さんが弁護活動に専念できるよう、会社をやめて弁護士事務所の運営を一手に担っていた安博さん。精神的な支えにもなっていた、かけがえのない存在でした。
鴨志田祐美 弁護士
「私が輝けるように、私が活躍できるように、私が足らないところを常に補いつつ、心の支えでもあったし、よき伴走者でもあったなと思いますね。」
再スタートの1年
鴨志田さんはいま、鹿児島から京都へ移って、新たな挑戦を始めています。
鴨志田祐美 弁護士
「いま再審法改正という大きなテーマに取り組んでいます。これは国会相手の要請とか、東京にも行けて、鹿児島にも帰れてという中間点というところで、京都に拠点を定めたわけですね。」
夫を亡くし、普通なら仕事を続けられなくなってもおかしくなかったと話す鴨志田さん。再スタートと位置づけたことし、働くことの意味をたずねました。
鴨志田祐美 弁護士
「仕事が自分自身を作っていくという思いを持っています。ちょっとずつ自分が育っていくし、ちょっとずつ自分が前へ進んでいくし、知らなかった世界が開けていく。新しいことにチャレンジしていたいし、きのうの自分と違う自分になりたいですね。」