NHK札幌放送局

ほっと通信(76)【瀬田宙大】

瀬田 宙大

2019年10月21日(月)午後3時27分 更新

札幌市を舞台に行われた「NoMaps」。クリエイティブな発想や技術で未来を創ろうと各分野のトップクリエイターらが集まるイベント―ことしの基調講演を行ったアメリカ マサチューセッツ工科大学メディアラボの副所長 札幌市出身の石井裕教授との刺激的な30分を全文公開します。

ことしの「NoMaps」の開幕に合わせて放送した石井さんのインタビューはこちらからもご覧いただけます↓

放送ではお伝えしきれなかった石井裕教授の言葉の数々。インタビューの中で石井さんから「NHKの役割は知や経験をアーカイブし、広く伝え、後世にまで届けることだ」という思いを頂いたので、聞き手を務めた私の責任としてここに公開します。1万字に及ぶ石井さんからの熱いメッセージです。

―早速なんですけれども、石井さんは普段、どういうを研究されているんですか?

石井:私の研究は、皆さんにとってどうすれば、コンピューターを、デジタルテクノロジーをより使いやすく自然な形で操作できるのか、それを実現しようというものです。すなわちユーザー・インターフェース、あるいはヒューマン・マシン・インターフェースという人間と機械との関係を良くしようという研究をやっています。

―なるほど…その関係をよくするというのが分かるようで分からない部分があるんですけれども具体的にいうと例えばどういう事なんでしょうか。

石井:例えば私たちは、物理的なもの、ペンをつかんだり、あるいはお箸を使ったり、あるいはここに別の計算機がありますけど、そろばんですね。器用に操作する事ができます。すなわち、からだを使って、手を使ってフィジカル・物理的なものを操作するすばらしい技術を持っています。ただ残念ながらこういう技術というのは人間とコンピューターのインターフェースで全く使われていない。現在基本的には、スクリーンをタッチする、スワイプする、キーボードを打つ、リモートコントロールでクリックする、遠隔操作があります。でもダイレクトにつかんだりとか、あるいは操作したりといったような、直接的なインタラクション、あるいは操作が不可能です。その理由は表現が基本的にピクセルといわれる光る点、スクリーンの中に表示されるだけなので、それをどう変えていこうか。抽象的で光る点の表現をもっとタンジブルなものにしようといことです。
石井:(PCでMITラボの石井教授の研究動画を見せながら)これはインフォームというプロジェクトです。スクリーン越しに動きを伝えるという研究ですね。未来の話ですが、札幌にいて、なおかつロンドンにいたり、あるいはボストンにいたり。当然テレビ会議は1枚絵ですから我々はそれを超えて特に人との接点をそれ以上にはもてません。ですが、仮に相手がボストンにいて、テーブルの上にある赤いボールを遠隔で操れるとしたらどうですか。遠隔で手を出しているのが、実際に動きとして遠くに届いてきているということです。その為に、遠方にいる人の体の様子を3次元的にセンサーがとらえて、それを遠隔地の端末に送って、体の動きを三次元で表現しています。皆さんにもなじみがあるテレビ会議、相手の顔が見える、声が聞こえる、でも手が届かない。遠くにあるものに触れる事はできない。私の研究は世界で初めて距離を超えてタンジブル、立体、モノを動かすことができます。それがインフォームというプロジェクトです。

―映像を見ているといま、電話が鳴ると同時に立体的にブロックが動いて知らせていますが、私たちの生活に反応して動いてくれるという事ってことですか?

石井:これは電話が鳴って電話を早く取ってくれ!という注意を喚起しています。基本的にコンピューターの中でのピクセルが物理的になりましたので、どんなことでもこのプログラムさえかければ、あるいはセンサーでもって情報を見て反応すればいろんな事ができます。

―今までにない関わりをしてくれる、つまり画面の中でしかなかったものが実際に浮かび上がって目の前でパフォーマンスをしてくれると…。

石井:そのとおりです。ある意味で粘土だと考えていいと思います。彫刻家の方は粘土を手でこねて固める、粘土の形とか温度とか伝わってくるわけです。で、そういう関係がいまコンピューターにはない。そういう新しいダイナミックな、ダイナミックでフィジカル・物理的な表現が、私どもがやっている研究です。新しい表現を作る事によって、全く新しい、今まで不可能だと思われていたアプリケーションを開発しています。
石井:今度はトランスフォームというプロジェクトです。インフォームのディスプレイを3台連結しました。それを使ってどんな未来が可能になるかというのビデオをご覧にいれたいと思います。実際に自分たちの生活がどう変わるのか、物を置くテーブル自体が器になる。ほかの人が来て何かを置こうとすると、テーブルの上にあるお皿が動いて寄っていく。アシストしてくれる。サポートしてくれる。このように、コンピューターが考えて、それを具体的にこのテーブルの上で形にして、動きにしてサービスを提供する。今まではスクリーン上でのみ反応があったわけですが、これは物理的なものを操作できる、影響を与えられる、それが従来のスマホとかテレビ、コンピューターのスクリーンとは根本的に違います。ダイナミックで物理的な動きを表現できる。それによって例えばソーシャル・コミュニケーションの表現のメリハリになります。椅子も机も固まってますね。全く動きませんね。当たり前ですけど、将来こういう新しい「ラディカル・アトムズ」を使って、家具とか、インテリア、建築を造ることができたら、そういう新しい未来を考えてもらいたい、そういう趣旨でこの映像を作りました。

―まさにトランスフォームですね。どのようにこの研究が私たちの暮らしを良くしてくれるのか、正直最初はイメージがわかなかったんですけど、これだけ私たちに寄り添ってくれるものになる可能性があるって事ですよね?

石井:そうですね。そのために現在のコンピューターは全てこのスクリーンの中に閉じ込められている、2次元で、しかも触れない。かつ視覚的なもの。自分の手とか身体を使って直接操作できない。すべて間接的、マウスみたいに。それをもっと直接的にダイレクトに、すなわち、ろくろを使ってそのつぼを作るなど、プロの方がインタラクションするように、粘土とその職人さんの手みたいなそういう関係になったらいいなというのが僕らの夢です。

―これまでよりもより関わりを深く持って、しかもぬくもりも伝え合うみたいな事なんですかね。

石井:そうですね。直接操作ができる。あるいはその粘土の持ってる硬さとか、温度とか、そういう意味で手はすばらしい機関で自分の意志を世界に伝えていく。例えばペンで書くと同時に、折に触れてみて温度を確かめたりとか、あるいは、病院の先生が患者さんの体に触れて触診をするとかいろんなすばらしい機能を持ってます。そういう意味では、目はいっぱい使われているけれども、手はあまり活躍していない。その手とか身体をもっと人間とマシンの関係に持っていきたいっていう意味です。

―北海道は日本の縮図ともいわれますし、何より課題先進地。日本が今後抱える課題を数多く先に解決しなければいけない土地といわれてますけれども、その北海道を石井さんはどういう場所だと見ていますか?

石井:私、北海道にはものすごい思い入れがあって。当たり前ですけども、故郷であり育ったところ。カニ属って知っています?カニ族っていうのは大きなリュックサックを背負って周遊券でユースとか安宿を渡り歩く、そういった人ですけれども、鉄道の通路は横になって歩くことからそう呼ばれました。今でいうバックパッカーですよね。僕も北海道の原野を旅しまくったひとりです。それがもの凄い原点になっていますね。根釧原野、落石岬、礼文島や利尻島、北湯沢、あともちろん九州の国東半島とか、能登半島、あるいは東北もずっとまわりました。だからやっぱり雄大な自然、その中を、夜行列車を乗り継ぎながら一人で旅をした体験というのはものすごく大きな原点になっています。その時に、やっぱり自然から与えられた感動。あと、やっぱり孤独ですね。孤独と対峙する事。そして僕は詩が好きで、いつもリュックサックに文庫本の詩集を詰めてあって、一番読み込んだのは宮沢賢治。「春と修羅」という素晴らしい詩集があって一番好きなシリーズで…そういう詩集も読みながら旅をした、多くの人と出会い、そしてまたすぐ別れていく。その経験が、今のとても大事な原点になってますね。

―石井さんがまさに原点と感じているころの北海道よりも何十年かたって、例えば年々格差が広がっている…地方と都市の格差、あるいは人口流出の問題であったりとさまざま解決しなければいけない課題が山積している場所でもあると思うんですけど、そこにテクノロジーが加わる事でどんな可能性、未来が開けるんですか。

石井:今おっしゃられた格差って話ありましたけれども、「NoMaps」を主催したクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤社長はすばらしい才覚を持ったビジョナリーであり、エンジニアです(伊藤社長は「ほっとニュース通信42」で少しご紹介しています)。そんな彼が言っていましたが、やっぱりインターネットという新しい技術が、それまであった壁、例えば宗谷海峡とか津軽海峡とか物理的に隔てられている環境を大きく超えてですね、新しい知の流れが可能になった。ですからインターネットがこれだけ大きくなって、一晩でウェブさえ立ち上げれば世界中に、ものすごいスピードでもってなんでも広げる事ができる。ですから、東京じゃない、ロンドンじゃない、あるいはニューヨークじゃないがかつてはある意味でハンデだったかもしれないですけど、今、ものすごい情報のパイプができて時代は変わりました。一方で、こういう時代でもやっぱり人と人とが会うことはすごく大事です。札幌、北海道の方々に会える、直接話ができるというのがとても大事。旅行もしやすくなったことも重要です。情報をどんどんスケールアップする。それをネットとかメールを使うことによってどんどんできる。それをまさにフィジカルも大切にやっているのが「NoMaps」のクリプトンの伊藤さんで、彼の大成功の裏づけになってると思います。もちろんそれ以上に彼の持つビジョン力、技術力、人を引き付ける力、それからやっぱり世界中へ、アクティブに外に出ていく力が背景にあることは言うまでもありません。でも原点も拠点も札幌に置いている。それで何も問題がない。それぐらい技術的な環境が整っていると思います。

―北海道を考える時にさっきおっしゃっていた「孤独」というキーワード。石井さんが物事を語る時に「孤高感」「飢餓感」という言葉を使っていますが、北海道においてはどうなんでしょうか?

石井:多分、北海道だから、日本だから、日本人だから、アメリカ人だからではなくて普遍的なことだと思います。北海道だからと相対的に考えるのはちょっと危険な感じがします。特に何が問題かというと、日本、特に日本全体の問題は豊満ジャパン。我々は飢えたことがないわけです。飢えたことがありますか?

―ありません。

石井:ですよね、豊かな国ですから。私の父は満州で徴兵されて日本軍の兵士として戦ってロシア軍の捕虜になって、シベリアの強制収容にも行きました。生き延びた結果、僕が生まれたわけですけれども、東京で、母が、魚を焼くときに父は骨以外全部食べてしまう。僕は当時バカだったから「パパ気持ち悪い、何で内臓も含めて汚いもの、苦いものが食べられるの」って言ったんです。今考えると、目の前にあるものが食べられるか。そんな場所を生きてきた、地獄を生きてきた人たちの飢餓感は強烈なんですね。じゃあ我々はと考えると、いつでもコンビニに行けばおでんがあったりサンドイッチがあって、幸せな時代ですけれども、その飢餓感がないからチャンスがあっても、ビジネスチャンス、学問のチャンスでも、それに食らいついて絶対ものにしようという、そういう根本的な飢えの感覚がなくなっています。中国、インド、台湾、韓国からMITに来る若い学生たちは向上心、上に登るんだっていう根本的な飢餓感があります。そういう意味では、日本は相対的に弱いです。なぜならば、成功して豊かになってしまったから。飢えというのは教えられません。そういう意味では、しっかりと歴史を学ぶ。太平洋戦争や、文学もそうですし、そういう意味でやっぱりそういう飢餓体験がある人々の努力のおかげで今の平和な日本、豊かな暮らしがある。感謝しながら、どうそれに報いるのか。腹減らすことじゃなくて、やっぱり日本を再び立ち上げられるかが大事なんで。そして、伊藤さんみたいな侍がどんどん後に続くといいなと思っています。

―もっともっとそこを意識的に考えなきゃいけないって事なんですかね。

石井:温故知新という言葉がありますけども、あの太平洋戦争がなぜ始まったのか、なぜ終えられなかったのか。そういうところにものすごいレッスンがいっぱいあります。ですからNHKの放送で絶対私が見たいのが終戦記念日とか、原爆の日の放送ですね。NHKのほか、BBCもすばらしいですけど、チェルノブイリでも福島でも、テープ、しっかりと記録をとってそれをアーカイブする。それを、次の世代が見る事によって学べる、それはものすごく大事だと思います。そして当時を知る人の声、インタビューを集める。あれは貴重です。教育の現場で使わないと。当時を知らないと、なかなかみんな自分の痛みや悲しみとか本当の意味で分からない。NHKやBBCはものすごい宝を持っている。インターネットの時代だから、どうみんなに見てもらうか。理想的にはクリプトンの伊藤さんがやっているみたいに、どんどん外に持ってて、どんどん自分で翻訳もつけて、世界中まわっていったらすごい貢献になると思う。なぜか。戦争は繰り返しちゃいけないんだけども、戦争、とんでもない状況で死んでいく人って現代にはまだまだいっぱいいる。だからせめてそういう記録に、普段から接する事によって、感受性、センシティビティー、イマジネーションを鍛えること。それが大事です。物理的な話じゃなくて何かしなきゃいけない。そういう気持ちが若い人にも湧いてくるんじゃないかと思います。

―そういう意味でいうと何か、今すごくハッとしたんですけど…課題がある時にそれを解決しようと、焦りに近いのですが、先へ先へという視点ばかり持つんですけど、もう1回立ち止まってしっかりと振り返ることも大切だっていう事ですよね。

石井:東北の大震災。2011年。あの大地震が教えたのは、それまではもっと豊かで、もっと楽しくて、もっとルンルンな生活がまっている。だからこれ買え、あれ買えっていう時代だったんです。でもあの時、価値観が大きく変わったのは、また来る、必ずぶちのめされる瞬間がある。その時にどれだけ早く立ち直るか。先の問題じゃなくて、必ずまた大きな問題がくるということを印象付けたのです。よく例えで使うのですが、「あしたのジョー」ってありますよね。彼は打ちのめされて倒れても必ず立ち上がる。それはもちろん、矢吹丈の力です。あと、だみ声で聞こえた丹下の「立て、立つんだジョー」というあの声。そしてなぜ矢吹が立てたのか。それは、力石徹という亡霊がいたからです。“君に力石はいるか”ということです。そういう、やっぱり強烈な生き方をする中で、出会い、別れて、そういう人がいるかですね。私たちの両親の世代は、そういう経験を持ってます。今の若い方も、ご両親も、そういう戦後の中で生きて、どんどん記憶は薄まっている。だからこそやっぱり、過去を知り、悲しいけど必ず来る震災、戦争だってどこかで起きてしまっている。そういう事を考える痛み感受性、そして何が自分にできるかと考える気持ちが今とても大事だと思います。

―石井さんのお話の中でたびたび出てきたクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤さんはここ北海道をチャンスの塊だと話しています。ポジティブな観点で北海道を捉えたときに、石井さんはどんな期待を抱いていますか?

石井:フロンティアスピリットっていうのがこの北海道という島には根本的にあると思います。基本的には彼らが見た夢、そして信じた可能性ですね。それはたぶん北海道の持っている最も強い、そしてその列車で旅すると茫洋たる原野がまだまだ広がっている。それを、磁場、人々をひきつける力にどう変えていくのか。とても面白い課題がいっぱいあります。特にテクノロジーが今まで、津軽海峡的なその距離というのを縮めてきている。「NoMaps」もいっぱい、あえて言いますが“すごい連中”が、日本中、世界から、私もボストンからきているわけですから、多分その、フロンティアスピリット、可能性、そういう未来を信じている。あとは実行する事が重要です。実行することは、昔は難しかった、ハードウェアを作るのが難しかった。しかし現代は、ソフトに続きハードウェアのパブリケーションがものすごく、今、単価が安くなってきている。伊藤さんのような先人、大成功した人たちが生まれたこの北海道という事を誇りに思って、邁進してくれたらいいなと思っています。1972年札幌冬季オリンピック「飛んだ決まった!見事なジャンプ」の笠谷幸生さん、日の丸飛行隊が70メートル級のジャンプで完全制覇した。あれも私の原点です。まさにその時、高校生だったんです。晴れたすばらしい冬の日だったけど、あれが原点です。ですからあの映像見るだけで自分が、まだ高校生だった頃にどれだけの感動をもらったか。ああいうものを見ながらですね、ぜひ北海道、札幌はどれだけすごい可能性を持っているかっていう事を多くの人に認識してほしいんです。知らないというのは大変残念ですね。あのシーンも貴重な一瞬ですから皆さんも探してみてください。

―「NoMaps」は若いクリエーターだったりとか研究者であったり、企業人が集まって、将来の北海道であったり、将来のそのITやビジネスのあり方について、自分のアイデアや意見を戦わせてますけどそういう姿が札幌にあるっていうのはどうご覧になってますか?

石井:とてもいい事だと思いますね。健全で、まさにそうあるべきだと思います。ただ、今その質問を聞いて思ったのは、ビジネスとか企業という話がございましたね。ともすると儲ける、会社を作る、仕事をつくる、すばらしい立派な事で、税金も納めてくれる。ただ、それ意外にロマンをもって新しい分野を開拓するっていうスピリットも大事じゃないかと思います。「NoMaps」のポスターの赤い山。未踏峰的なイメージですけれども、山というのははじめからあります。我々人類が生まれる前から。で、その目標が明快にあって、誰が最初に登頂するかって競争があります。登頂すれば必ず記録に残る。無酸素で登った人で初めて、冬に登った人はいなかったから君が初めて。そうした記録を作るために明確にある目標に向けて、マーケットシェアを取るとか。そういう戦いもあります。それは登山に近いと思います。そうじゃなくて僕がこの30年やってきて、今回賞を頂いたのは、「造山」という言い方をしますけど、山を造った(石井さんは今年これまでの研究成果が認められアジア人としては初めて「生涯研究賞」を受賞しました)。自分で25年前に思い描いて一人信じて、学生たちと作り続けて、それを遂に人々が認めて、山になった。タンジブルというのは、僕の頭の中に生まれたインタンジブルな夢だったんです。それが認められた事で、ようやくタンジブルな山になった。人が作った山、大自然が造った山に登って一番になるという競争以外にも、誰も見た事がない新しい山を造るという、そういうロマンを持った人ももっと出てきてくれたらいいなと。起業家、企業人もアカデミアも、もっとロマンをもって取り組んでほしいということはお伝えしておきたいです。

―そういう意味でいうと石井さんのような存在が北海道からまた生まれてくれることを期待したりするんですか?

石井:いや、そういう不遜な気持ちはないんです。ただ、僕自身も本当にアメリカに行った時はどうなるか全く分からなくて常に不安でした。アメリカの大学に学んだ事もないし、相手も教えたこともないでしょう。こういう表現はあまりよくないかもしれないけど、野球がいくらうまくても、草野球上がりの素人監督で終わってしまうんじゃなくて、一度でいいから、大リーグに行ってデットボールを浴びるだけでもいいから、打席に一度でも立つ事が大事じゃないかって、私はそういうマインドセットだったので迷わずに行ったわけですけれども…結果的にものすごくしんどい戦いでした。だけど、とにかく生き延びられて今日まで来たって事はとてもありがたいと思ってます。ですから、そういう人がスポーツ界にたくさんいます。世界的芸術家もいます。あとノーベル賞を受賞するすばらしい科学者も増えている。そういう巨人がたくさんいる。伊藤さんも凄い。起業家、ビジネスマンにもモデルがいる。自分がどういうモデルに共鳴して誰を自分のヒーロー、ヒロインと思って、それをいつか追い越す、そういうことを若い時に考える事がとても大事だと思います。

―石井さんがいま、若い人たちに期待することは?

石井:日本は、当たり前ですが言葉、日本語通じますよね。とても日本人、礼儀正しいですし、あの信号が赤だったら渡りません。それはとてもすばらしいんだけども、そこだけで一生終わってしまうと戦えない。グローバルになれない。全く違った世界に飛び込む事が大事です。「海外雄飛」。日本は比較的に、米国に比べているんですけれども、自分のコンフォートゾーンを抜けて、Uncomfortable(=不快)ゾーンに自分を投げ込んで、そこで適応できるか、生きていけるか。それは快適に、心も体もしなやかな時にするべきです。で、もうひとつ大事なのが「他流試合」。自分と違う流派の人、プロと刀を交える。もちろん試合といっても知的な意味ですね、違った流派と実際に戦う。コラボレーションして自分の技を磨く。宮本武蔵的な。なんでも利用して学んで、成長していく。北海道すばらしい、日本がすばらしい、でもそこにとどまるかぎり日本の本当のすばらしさが分かんない。よさが分からない。やっぱり世界中を行脚する、若い時にそれがとても大事だと思います。

―もっともっとチャレンジしていった方がいいって事ですよね。

石井:自分の快適ゾーンにずっととどまっているとあまりに安定志向になってしまって、守りになってしまって、すばらしい可能性があってもその可能性を試せるチャンスがなくなってくる。MITにいる仲間はやっぱり強烈で、いろんな事情があって、いろんな国、大変な状況にあってそこをなんとかしたいと特にアジアから来る人たちは時代を作るという思いが強烈です。日本の方も優秀なんですけれども、それ以外の近隣のアジアでやっぱりしのぎを削っている人たちは本当にいっぱいいます。経験や背景が違います。そして上ってきた標高差は、我々と比べると強烈と言っていいほど、差があります。そうした人たちがアメリカに渡ってくる。そういう人々の強烈な精神力は僕にもない。僕も敵わない。それでも一緒に仕事ができるというのは最高ですね、ですからやっぱり取り組まなきゃいけない。安定した終身雇用、とてもいい事と思うんですけどやっぱり冒険できる時に若い時に、しなやかな心と身体を持った時にどんどんぶつかったことが将来、とても大事だと思います。

―北海道をちゃんと俯瞰するためには視点が大事だと。

石井:多分グローバルでなきゃいけないです。グローバル、世界の視点から見て北海道がなんなのか。北海道と同じ課題を共有できる国がどこにあるのか。例えばベニスとオランダ、どちらも沈んでますよね。いかにその海の潮位から国土を守るのか、共通の課題を持っております。もちろん、ヨーロッパでもカナダでもアメリカでも富良野と同じような自然環境を持っているところはあります。農業ってものすごく大事なわけです。いかに人工知能とかドローンとか、コンピューターの技術でいかにその生産性を上げようかというのは人類の根本的な問題です。ですから北海道がすばらしい、と同時に北海道と同じような環境で課題と戦っている凄い人たちがいっぱいいる。混ざり合う事が多分大事だと思います。マサチューセッツと北海道は姉妹友好提携です。クラーク博士というマサチューセッツから来た先生が北大のベースを作ってますけれども、ああいう交流が、いっぱいあるといいですね。クラーク先生が貢献してクラーク像がある。では、それがヨーロッパ、北海道、あるいはアジアにどんなところにどんな人が出ていって、どういう像が10年後、100年後にできるのか。そういうことを考えるととてもわくわくしますね。ですから、とにかくグローバルに考える。自分の場所を愛することは大事ですけども、他を知ることによって相対的に自分の故郷に対する愛が何なのか、それが世界にどんな貢献ができるのか。そのために世界に踏み出せるのかという事ですね。

―それが結果として、ふるさとにも恩返しになると。

石井:そうですね。だからこそ今回呼んで頂いたと思いますし、大変光栄に思っています。

以上です。

これほど刺激を受けたのはいつ以来でしょうか。これが石井さんのいう「海外雄飛」で得られる感覚なのでしょうか。どう生かしていくのか。実行に移すのか。一番間近に石井さんのレッスンを受けた者としてしっかりと考えていきたいと思います。

それでは、また(^^)/


(2019年10月21日)


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