NHK札幌放送局

蔦谷好位置さん~ふるさとへの思い~

瀬田 宙大

2021年10月14日(木)午前10時58分 更新

札幌市出身、作曲家で音楽プロデューサーの蔦谷好位置さん。Official髭男dismやゆず、エレファントカシマシなど数多くの人気アーティストのヒット曲を手がけています。先日、母校の100周年を祝う記念楽曲「雨のち晴れる」を制作、札幌市立発寒小学校に贈りました。このブログでは、取材班が見た蔦谷さんの素顔や、私たちに語ってくれた”ふるさと北海道への思い”をあますことなく、みなさんにお届けします!

100周年を祝う会

10月8日、午前。
蔦谷さんの姿は母校・発寒小学校にありました。
その様子は地域の優しいお兄さんといった雰囲気。温かみのある人柄がにじみ出ていました。

子どもたちは、蔦谷さんを見つけると「蔦谷さんだー!」と元気いっぱいに声をかけます。すると蔦谷さんは笑みを浮かべ、手を振ったり、「歌、かっこよかったよ!」「何年生?元気でね」とひとりひとりに言葉を返していました。

私は放送前にこの映像を見て、心をグッと掴まれました。そして、インタビューの中で蔦谷さんのふるさとや子どもたちを思う優しさをしっかり届けたいと強く強く思ったのでした。

おそらく私以上に、ほっとニュース北海道 取材班・浅井優奈記者は感じるものがあったのではないかと思い、学校での様子をまとめてもらいました。

浅井記者が見た「蔦谷さんの優しさ」!

小学校で開かれた100周年を祝う会では、蔦谷さんのピアノの伴奏にあわせて、子どもたちが歌を披露しました。

夏休みが明けてから1か月以上にわたって練習を積んできたという子どもたち。

会場の体育館には感染対策のため6年生だけが集まり、他の学年は教室からオンラインでの参加となりましたが、皆、気持ちを込めて歌っていて、体育館いっぱいに綺麗なハーモニーが響き渡っていました。

歌が終わると、代表の児童が「全校のみんなで歌う素敵な思い出ができました」と蔦谷さんに感謝の気持ちを伝えていました。

また、その言葉に答える形で蔦谷さんは「コロナでいろんな行事とかイベントとかが中止や延期になったりして、みんな結構つらい思いをしているかもしれないけれど、この100周年という、きょうという日をコロナ禍でこうして迎えたことがある意味で特別なことだと思います。それは、今後みなさんが卒業して大きくなった時に思い出すと、あの時、ちょっと普通じゃなかったよねと、あの時みんなマスクして歌ったよねというような、特別な思い出になってくれたらいいなと思います。日々辛いこともたくさんありますが、希望をもって、きっと明るい未来が待っているので、楽しく明るく生きていきましょう」と子どもたちに語りかけていました。

発寒小学校では、この記念楽曲を校歌と並ぶ大切な曲として、今後、入学式や卒業式などで演奏し、歌いつないでいくということです。

演奏が終わってすぐ、蔦谷さんは「だいぶ感慨深くなってしまって、ピアノがうまく弾けなかったですね。プロとしては失格なんですが(笑)」と振り返ったうえで、「本当に嬉しかった。非常に…。こうやって人の心を動かすのは、うまいとか下手とかじゃない。一生懸命子どもたちが歌ってくれていて、この曲を本当に好きでいてくれるんだなというのがものすごく伝わったので、非常に感動しました」と話していました。

(蔦谷さんをスタジオにアテンドする浅井記者)

【取材後記】
子どもたちを見つめる蔦谷さんの温かい眼差しがとても印象的な取材でした。子どもたちも蔦谷さんに会えたことを元気いっぱいに喜んでいて、そんな子どもたちの歌声と蔦谷さんの弾くピアノが重なったとき、言葉では説明できない幸せな空気に包まれました。会場にいた私たち取材班も含め、気持ちがひとつになるような感覚があり、じーんと胸が熱くなりました。このステキな時間が、少しでも皆さんに伝わっていたら嬉しいです。
浅井優奈 記者(医療・文化担当)

思わぬハプニング・・・

コーナー冒頭、予期しないハプニングが発生しました。蔦谷さんのマイクの不調です。新放送会館に移転後、対談セットにゲストをお迎えしての生インタビューはこの日が初めて。前夜からリハーサルを重ねるなど準備に力を入れていましたが、まさかのエラーが・・・。蔦谷さんはもちろん、学校関係者のみなさん、インタビューを楽しみにしていたみなさんに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そんな私たちの焦りを察してか、マイク交換中、来札の経緯を代弁する私に蔦谷さんは「かわりに伝えていただき、ありがとうございます」と、さらにマイク交換後に声が拾えることを確認すると「あーよかった。お願いします!」と明るく言葉を発してくださいました。マイクの不調についてはスタッフ一同、猛省していますが、思わぬ形で、蔦谷さんのお人柄、優しさにふれることになりました。蔦谷さん、大変失礼いたしました。そして、ありがとうございました。

生インタビュー 全て文字に起こしました!

10月8日(金)のほっとニュース北海道で放送した蔦谷さんの生インタビューを全て文字に起こしました。放送をご覧になった方もそうでない方も、お楽しみください!!

―蔦谷好位置さんは、数々の有名アーティストの楽曲をプロデュース、作曲、編曲されてきた音楽プロデューサーです。ごくごく一部ですが、まとめてみました。

―その蔦谷さんがなぜほっとニュース北海道のスタジオ、札幌にお越しかというと?

母校の発寒小学校が開校100周年ということで、きょうは式典がありました。私は記念曲「雨のち晴れる」という曲をつくったんですが、そのお披露目があり、それで札幌にいます。

―きょう開かれた100周年を祝う会の様子、取材していますので一緒にご覧いただきます。蔦谷さんが母校を訪れたのはいつ以来なんですか?

小学校は卒業以来、校内に入ったのは今回が初めてですね。三十何年ぶりになりますね。

―当時のことを思い出しました?

三十何年忘れていたことが結構、走馬灯のように思い出すというか・・・。ここで遊んでいたとか、いたずらをして怒られたとか思い出しましたね。

―その時から作曲もしていたんですか?

作曲まではしていないんですけど、そのまねごとのようなことはしていましたね。

―そして、お披露目の前には子どもたちがYOSAKOIを踊ってエールを送られましたね。

僕のいた頃とは全然違うというか、みんなしっかりしているし、はっきりしているし、僕は本当に落ち着きのない子どもだったので本当に感動しましたね。

―今回、100周年記念ということで記念楽曲「雨のち晴れる」を制作されましたが、どういった思いでつくられたんですか?

100年続いている学校ということで、いまを生きる子、そして100年前を生きた人の思いを、これから100年先まで届けたいなと。思いをつなぐ、バトンをつないでいくような歌にしたいなと思ってつくりました。

―蔦谷さんの伴奏で在校生と一緒に楽曲を歌いました。いまお披露目をおえてどんな思いがありますか?

コロナ禍ということで、この特殊な状況のため全校生徒が集まれないということだったんです。その為、各クラスでみんな歌ってくれたんです。その映像を投影して、僕もそれを見ながら演奏したのでかなり感極まりましたね。本当に感動しました。

―この曲、すごく難しい曲だなと思ったんですけど。

そうですね。でも、なんか自分が小学校の頃のことを考えるとちょっと背伸びしたかったというか、そういう気持ちもあるし、子ども扱いされたくないという気持ちもあったのであんまり子供に寄せるというよりは、同じ目線と言ったら言い過ぎかもしれませんけど、自分が歌っても、子どもが歌っても楽しめるだろうという曲をイメージしてつくりました。

―だからこそ、リズミカルでかっこいい曲に仕上がったんですね。

ありがとうございます。

―「雨のち晴れる」のつくり方に特徴があって、歌詞をご覧いただきますと作詞に”発寒のみんな”とあります。今回の曲はどのようにしてつくっていったんでしょうか。

まず、発寒で100年続いているということで、いま通っている小学生、そして発寒の小学校の卒業生やその親御さんだったりとか、いろんな方から言葉を集めたんですね。そうしたら大変な量、言葉が届いたんです。それをプロの作詞家の仲間、タカノシンヤくんと話をしながら編纂して、まとめてつくっていったので、みんなの、子どもたちの言葉がちりばめられている歌詞になっています。

―メロディーづくりにもストーリーがあるそうですね。

メロディーは3パターンくらい、実は先に曲をつくっていて、小学生の姪っ子にそのメロディー3パターンを歌詞がない時に送ってどれが好き?って聞いたら絶対これだって話になって、小学生の感覚でいうなら間違いなくこれだろうと思って決めました。難しくない?って聞いたら、いや全然余裕って感じだったので。

―難しいと思うのは大人の感覚なんですね。

勝手にこっちが子どもをなめちゃいけないですよ。本当に。子どもと言ってもある意味でオトナですから。

―この楽曲、学校としては校歌とともに大切にしていきたいと考えていて、入学式や卒業式などで歌っていきたいということなんです。

めちゃくちゃ嬉しいです。100年続いてほしいと思っているので。校歌も三十何年ぶりに聞いたのにすぐに思い出せるすごく好きな曲だったので、また別な形で歌い継がれていってくれるのは嬉しいですね。

―子どもたちの成長、そしてふるさとと共に生き続ける歌をプレゼントできたというのはどうですか?

発寒小学校のためにつくっているんですが、そこに限定した言葉ばかりではないので、発寒小学校から札幌市のみなさん、北海道のみなさんに広がっていってくれたら嬉しいなという気持ちはあります。

―未来を思う、故郷を思う蔦谷さんの楽曲と言いますと、記憶に新しいのが2018年、胆振東部地震のあった年に、なかにし礼さんが作詞され、蔦谷さんが作曲した「私たちの道」が思い出されるのですが、ふるさと北海道のつながりをこれまで以上に大切にしていきたいとこのところ話しているのはやはりあの曲がひとつのきっかけになっているんでしょうか。

非常に大きなきっかけでした。若く20代の前半で東京に出てしまったので北海道や札幌に対する思いというのは薄く、自分が東京で活躍すればいいだろうと若い時には思っていたのですが、やっぱり年を重ねることで、たまに帰ってきて仲間に会ったり、そして、なかにし先生と北海道150周年の記念に制作した「私たちの道」の仕事をしたことで、僕は何かなかにし先生からバトンを受けたという気がしているんですね。僕はそのバトンをまた次の世代に渡していく使命があるなと思っているので、これから僕ができることであれば、地元北海道になにか恩返しができればいいなと思っています。

―恩返し、どんな曲を、どんな応援を北海道にしていきたいですか。

こういう曲はもちろんですけど、北海道には素敵な企業がたくさんありますし、NHKさんでいうのもなんですがCMですとか、社歌とかもつくりたいですし、あとは僕だからできることってあると思うので、例えばライブイベントを企画したりとか、東京で出来た仲間を連れてくるとか、北海道でゆかりのある仲間を連れてきて一緒にコンサートをやって、子どもから大人まで楽しめるものとかそんなこともやれたらなと思っています。

―楽しみな未来が待っていますね。蔦谷さん、ありがとうございました。

ありがとうございました。

もっとインタビューしたい!

あっという間でした。この日の放送時間は8分あまり。50分の番組のいちコーナーとしては長いものの、もっともっとお話を聞きたかったというのがインタビューを終えた私の率直な感想でした。特に、「バトンを受けた」と、ふるさとへの思いを強くしたなかにし礼さんとのお話はもっと深くお伺いしたかったです。また、”小学生””子どもたち”など、それぞれの言葉から大人が勝手に連想するイメージに合わせるのではなく、実際の小学生を見つめ、自分の子ども時代にも思いを巡らせ、何よりもちゃんと長生きする曲をつくろうと「雨のち晴れる」を生み出すストイックさと真摯さについても!!ほかにも挙げればきりがありません。もっともっと聞きたかったですね。この思いを胸に、今回のインタビューの先といいますか、続きができるように私も、私たちNHK北海道も努力を重ね、機会を創出したいと思います。また北海道でお会いできることを楽しみにしております。

なお、発寒小学校開校100周年記念楽曲「雨のち晴れる」は動画投稿サイトで聞くことができます。

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