NHK札幌放送局

みんなの初鳴き

瀬田 宙大

2021年6月16日(水)午前11時00分 更新

きょう、札幌拠点放送局に配属された野原梨沙アナウンサーが全道向けのラジオで初鳴きしました!❝初鳴き❞は、地域のみなさんに初めて自分の声で情報を届けることから、アナウンサーにとっては生涯忘れることができない特別な機会です。29年前に初鳴きした野村アナから、6年前と記憶が新しい小山アナまで、野原アナの初鳴きをきっかけに、みんなの経験を共有するブログを書いてみました。

2021年6月15日正午頃の野原アナ

初鳴きを翌日に控え、ラジオスタジオでニュース読みのトレーニングに励む野原アナ。室蘭出身で将棋に造詣が深い堀伸浩アナが先生をつとめていました。「いまはとにかく緊張しています」と言いながらも、笑顔を絶やさず、練習を繰り返す姿が印象的でした。

北海道に新人アナがやってきた(野原アナへのインタビュー記事)

緊張は、真剣に取り組んでいる証拠。誰もが通る道です。後はどう付き合うか。新たに北海道アナウンスの仲間に加わった野原さんの姿に刺激を受け、わたくし、みんながどんな初鳴きを経験したのか興味を持ち、札幌アナウンスで聞きまわってみました!!

野村優夫アナウンサーの場合

まず話を聞いたのは、野原さんとは「野」つながりの野村アナウンサー。初任地は長崎県です。経験を伺うと、思わず私たちが頷くあるある話が飛び出しました。ヒントはこの写真にあります!では、野村先輩の経験からどうぞ☟

初鳴きかぁ…29年前だからな。あるあるだけど、初鳴きの時って、必ず笑かそうとする人いるよね?
――――います!
いるでしょ?瀬田君も初任地が長崎局だからわかると思うんだけど、長崎のラジオスタジオって、アナウンサーが原稿を読む席の目の前にラジオの副調整室があって、アイコンタクトをとるために横長のガラス窓があるでしょ。あそこに先輩が並んでたの。
――――写真のような感じで人が立っていて、しかもそれが目の前!悪意を感じます(笑)
当時ピュアだった僕でもおかしいと思ったもん!それでいろいろ仕掛けてくるのよ、新人を笑かそうと。放送中はさすがにみんな静かに聞いているんだけど、放送前は気になって気になって・・・。終わった後に、先輩に意図を一応聞いたのね。そしたら「緊急報道も担うのがアナウンサー。何があっても動じない心を持つのが大事なんだ。その為だ」っていうわけ。もう一度言うけど、さすがに新人だった僕でもおかしいなって、違和感を持ったよ。
――――ただ、動じない心をという点は大事ですよね。
そうなんだよ。29年経って、いまこうして喋っていると「あながち間違っていないな」なんて思っちゃうね。いかなる時も対応できる、喋ることができるよう、究極に追い込むことも鍛錬としては大事だなと。先輩に感謝を伝えたいと思うような、やっぱりやり方ってあるよね(笑)とも言いたい。そんな初鳴きでした。

赤松俊理アナ&飯島徹郎アナの場合

同期のおふたり。初鳴きは19年前です。飯島アナは初任地・岡山県で、赤松アナは野原アナと同じ札幌での初鳴きでした。

秒針どこ~!!な飯島アナの初鳴き

時間を守るのがアナウンサーの仕事ですが、その鍵になる秒針を見る余裕がなかったという話を教えてくれました。

あれは2002年のことだった。
――――語りだしがかっこいいですね!
NHKのアナウンサーは東京での集合研修を2か月間行って、6月から各地域に本格的に赴任するけど、5月に一度、赴任地にいくでしょ?その時に、上司に「やってみろ!」と声をかけられて、急遽、ラジオを担当することになったの。それが初鳴き。
――――すごい!私の同期にもいたような気がしますが、ただただ「スゴイ!」と思った記憶しかないです。
でも、実際には僕の隣にはアナウンサーの管理職がはりついていて、手厚いサポートのもと、なんとか乗り切ったというのがホントだけどね。
――――実際どうだったんですか!
これが完璧に…!というわけにはいかなくて・・・秒針が見えなかったんだよね。ニュースやお知らせの原稿と気象情報の原稿、そして時計と目線をあちこちに向けながら正確に伝えるのが仕事だけど、原稿を見るのが精いっぱいで・・・。しかも先輩も聞いてるでしょ。もう極限状態で、結果、時計に目を向けられなくて・・・。
――――まさか失敗を・・・。
それが、張り付いてくれていた上司が助けてくれたの。ド緊張でただただ読み進める自分と原稿の間に、急に、視界を遮るようにてのひらが出てきて、とにかく黙ったの!そしたら、ラジオの放送がちょうど終わって。その先輩のてのひらは「ここで終わりだよ」って合図だったんだよね。当時は感謝する余裕さえなかったけど、いま思うとありがたいよね。そんな自分の様子を思い出すと、野原さんは堂々としていてすごいなと。北海道は車文化だし、ラジオを聴きながら作業をするといわれる一次産業に従事されている方も多いから、リスナーが多いと思うんだよね。いや~緊張するよね(笑)
――――先輩、それプレッシャーになります(笑)みんなにもこういう時代があるんだよというメッセージでお願いします!
そのへんは俊理に!

「正午になります」が言えなかった赤松アナ

全国のお昼のニュースを担当していた赤松アナからは意外なエピソードが。でも、これもアナウンサーあるあるです。

――――赤松さんも初任地、札幌ですよね。
そうなのよ。拠点局が初任地って結構大変なの。野原さんも大変だと思うよ。あんまりそういう様子は見せないけど。
――――飯島さんからのパスがありましたけど、初鳴き、どんな思い出がありますか?
初鳴きかどうか自信はないんだけど、口に馴染んでいない言葉っていざっていう時には出てこないんだなって思った。例えば、午前11時50分からのラジオの終わり、名乗った後に「正午になります」とか「まもなく正午です」ってみんな言うじゃない。あれが出てこなかったの!
――――全国放送のお昼のニュースまで担当した方が、その定型文を!
そう。なんて言えばいいのか、追い込まれてわからなくなったんだよね。あの時に、諸先輩が研修でよく言っていた「口に馴染ませる」「自分の言葉にする」っていうことがいかに大事かを実感したな。
――――言葉の獲得は、アナウンサーになった人間が生涯にわたって取り組まなければならないことですよね。
あとさ、ちゃんと伝わるニュースっていうのも永遠のテーマだよね。実はこの点も苦い思い出があって、初めてのTVニュースを担当した時に、あまり練習で読むことがなかった選挙の原稿と向き合うことになったの。とにかくガチガチになってなんとか読み終えてスタジオを出たら記者が待っていて、一言。「難しいニュースだもんね」って話しかけてきたのが忘れられない。あの記者の顔ね・・・。繰り返しになるけど、拠点局スタートは大変だから、経験者としては焦っちゃだめよと伝えたいね。
赤松&飯島アナが担当する番組ページ
おはよう北海道
おはよう北海道リニューアル 

小山凌アナウンサーは「焦り」の初鳴き

入局二桁のアナウンサーの話を立て続けに聞いていたら、最近、初鳴きを経験したアナウンサーはどうだったのかが気になり、近くにいた小山アナウンサーを呼び止めることに成功!「瀬田さん、あるんですよ」とハキハキ喋りながら一枚の写真を見せてくれました。初鳴きの時の写真です。左に少しだけ写っているのは当時の上司、廣田アナウンサーです。こういう写真がさっと出てくるのも最近のアナウンサーらしいですね。

私の初任地は鹿児島だったんですが、入局した2015年は口永良部島が噴火した年だったんです。噴火が5月末、赴任が6月はじめと、局内が慌ただしい中で新人アナウンサー生活を始めました。
――――長崎も赴任したらすぐに高校野球や、8月の平和祈念式典があるから大変だったけど、災害となるとなおのこと・・・局内の雰囲気を察すると大変だったね。
当時は各地から応援に入る先輩アナウンサーが持ってきた差し入れに「〇〇アナウンサーより」と付箋をはったり、わからないながらも資料を集めて先輩をサポートするというのが私の仕事でした。当時、同期全員で連絡を頻繁にとっていたのですが、「初鳴きしたよ!」と次々に入る連絡に焦っていましたね。
――――いま思うと、デビューの早さって意味はないけど、当時は違うよね。
アナウンサーになったし、早く一人前になりたいというか、その為の一歩を踏み出したいという感じですよね。みんなよりもだいぶ遅れてですが、ようやくやってきた初鳴きは今でも忘れません。10人くらいのオーディエンスに見守られての初鳴きでした。でも、あんなに練習したのに時間の調整がうまくいかなくて・・・。ラジオブース内に入ってサポートしてくださった廣田アナウンサーが「ここでSTOP!」と手で合図してくれて、なんとか無事に放送を終えることができたのを覚えています。
――――野原さんにどんなことをいま伝えたい?
伝える相手をイメージできる強さを生かしてほしいですね。誰に届けるのかをちゃんと意識して声を出そうと、誰もが言われると思うんですけど、簡単ではないんですよね。鹿児島は仕事で初めて住んだ場所で、南北600キロにも及ぶ広範囲に人が暮らしている。イメージするには時間がかかりました。その点、野原さんは15年暮らした北海道でのデビューなので、伝える相手をイメージできると思うんです。その強さを胸に、自信をもって成長していってほしいですね。

テレビニュース担当禁止令を受けました・・・

最後に私の経験を。
私は、野村アナウンサーと同じ長崎県で初鳴きをしました。15年前、2006年のことです。ラジオからスタートしたのですが、実はそこまで苦労せず、とんとん拍子で同期の中でもずいぶん早くテレビニュースを担当することになりました。
朝5時に起きて、ずいぶん早く出局して、たくさん練習して臨んだ朝6時55分のニュース・気象情報。朝7時直前、沿岸の波の高さを伝える画面で、あとは離島の壱岐と対馬の波の高さを伝えれば無事に終了でした。しかし、時計に目を向けると明らかに時間が足りません。黙ればいいものを、焦った結果喋りだし「壱岐と対馬は2点ご・・・」で、放送が終わってしまいました。「メートルです。長崎からお伝えしました」が入らず、初めてのテレビニュースは苦いデビューとなりました。それでも同日、朝7時45分からのニュース・気象情報も担当させてもらいました。ストップウォッチとにらめっこして何度も練習してのぞみましたが、またもや失敗。周囲の落胆の空気と激しく叱られたことを今でも覚えています。

この失敗、いま振り返れば単純で、下読みは自分の読むペースだけで時間をはかりますが、テレビはニュースのリードからVTR、気象情報も例えば気温から波の高さなど、画面を切り替える時間がかかります。合わせて数秒ですが、放送ではその数秒が命取りです。当時の私は自分の都合だけで準備をしていて、それが失敗につながりました。放送はみんなで協力して出すものだということを肝に銘じた経験でした。あのニュースをご覧になっていた長崎県の皆様には大変申し訳ないことをしたと今でも思っております。すみませんでした。二度とやり直せないのが放送。そのこわさを学んだ機会でした。

こうして1度ならず、2度も同じ失敗を繰り返した私は、当時の局長から「私がいいというまであの新人にテレビニュースを担当させるな!」と上司がおしかりを受け、入局2か月でテレビ禁止令を受けたのでした。あれ以来、失敗を二度と繰り返さない。原因を追究して、成功の再現性が高いアナウンサーになろうと決意しました。

とはいえ、初任地・長崎ではその後も失敗の連続・・・。ようやく上司から「へたくそ!(※)」と、一人前の扱いをしてもらえるようになった頃には上司が異動。その直後、私も静岡への転勤が決まりました。決してうまくはないアナウンサーだった私を4年間、優しく見守り続けて下さった長崎県の皆様には、いまでも感謝の気持ちでいっぱいです。少しでも恩返しをしたいというのが、仕事を続ける力の源です。いまがあるのはすべて初任地・長崎のみなさんのおかげです。あらためて、ありがとうございました。あれから15年が経ち、いまでは50分のニュース番組ほっとニュース北海道の時間管理も含めて任される身になりました。これからもしっかり頑張ります。

※当時の上司の言葉のグラデーション
意味が分からない→意味はわかる→つまらない→へたくそ→いいじゃん
長崎で「いいじゃん」と言ってもらった記憶はありませんが、その後、東京で「あさイチ」を担当していた当時、再び上司と部下の関係になりました。その時に「いいじゃん」と言われた喜びは今でもよく覚えています。
【関連記事】
どうせ転勤するんでしょと言われた私が 愛と覚悟を決めて“超ローカル宣言”してみた件 NHK広報局note

未来は無限大!

北海道で初めての地域職員アナウンサーの野原さんは、きょうの初鳴きで、本格的にアナウンサー人生をスタートさせました。今回、初鳴き経験を共有したメンバーのいまの年次になるころ、野原さんがどんなアナウンサーになっているのか。そして、放送がどう変化しているのか。可能性は無限大で、未来を見通すことはできませんが、それが楽しいですね。いよいよ始まった札幌での勤務を北海道アナウンス全員でサポートしていきたいと思います。

2021年6月16日



関連情報

NANTE HOTな対談インタビューほぼ全文公開!

瀬田 宙大

2021年3月29日(月)午後2時43分 更新

2022年最初の滞在記 江別市が舞台

瀬田 宙大

2021年12月23日(木)午前11時08分 更新

宗谷プチ滞在 DAY4

瀬田 宙大

2021年4月22日(木)午後0時40分 更新

上に戻る