NHK札幌放送局

ほっと通信(113)【瀬田宙大】

瀬田 宙大

2020年10月26日(月)午後1時31分 更新

11月2日(月)のほっとニュース北海道(総合・午後6時10分~)放送予定のインタビューを終えた直後の一枚。美しい紅葉と札幌の街並みを背景に、阿部雅司さんとの2ショットです。今回、お話を伺ったのはNHKが行っているあるビッグプロジェクトに関連して。それは・・・

1972 SAPPORO VR Project
みんなの写真でつくるタイムマシンで、旅に出よう!

特設HPをのぞくとこのような書き込みが。

いつか見たあの風景、思い出のあの人と歩いた懐かしい街並み……
皆さんとつくるタイムマシンに乗り「懐かしい」「見たことのない」“あの頃” の札幌にタイムスリップしてみませんか?1970年代前後に撮影されたあなたの思い出の写真が、当時の街並みを再現します。たくさんのご応募、お待ちしています!

みなさんがお持ちの1960年代~70年代の札幌市の写真をNHKにお寄せいただき、街並みを再現しようという取り組み。このプロジェクトに、1972年の札幌オリンピックの会場となった大倉山ジャンプ競技場で働く人はどんな思いを持っているのか。そこで、ことし4月から常勤勤務となった、札幌オリンピックミュージアム名誉館長で、リレハンメルオリンピックのノルディック複合団体で金メダルを獲得した阿部雅司さんにお話を伺いました。

―――よろしくおねがいします。ジャンプ台の前のこのモニュメントも、新しく設けたんですよね。
阿部)
そうなんですよ。6月にリニューアルオープンしたと同時にお披露目されました。“インスタ映え”スポットとして、すごく人気なんです。
―――後ろにジャンプ台もありますけど、1972年の札幌オリンピックにどんな思いがありますか。
阿部)
そうですね。やはり金銀銅、すごく日本国民が沸きましたし、自分も小学校一年生だったんですけれどもテレビで見ていてすごく感動したのははっきりと覚えていますね。
―――ちょうどその頃ってスキーを始めたばかりの頃でしたよね。
阿部)
僕はゲレンデスキーを小学校1年生で始めたんですけど、ちょうどその時だったのですごく勇気を貰いましたね。
―――勇気を。
阿部)
日本人でも世界でトップになれるんだ、世界の頂点にいけるだっていうことを、子どもながらに感じ取りましたね。世界との距離感が縮まったというか。当時はまだ、日本人は金メダルには程遠いのではないかなという思いがあったので、それが表彰台に日本人が3人いるというのは衝撃的ですね。
―――世界との距離を縮めてくれたのが、まさにこの札幌のジャンプ台だと。
阿部)
そうですね。ジャンプ始めるきっかけにもなりましたしね。

―――その舞台を背に働いているというのはどうですか?
阿部)
ここで働けるっていうのは本当に幸せなことですし、今まで自分が経験してきたことを全て生かせる職場だなと思っています。

―――阿部さんがはじめてこのジャンプ台を飛んだのはいつだったんですか?
阿部)
はじめて飛んだのは、高校3年生の時なんですけど、ものすごく怖くて。それまでに、宮の森は飛んでいたんですけど、ここは飛んでなくて。というのも、僕はジャンプが下手だから危ないからって、先生が飛ばせてくれなかったんですよ。高校3年生になってようやく飛ばせてもらったんですけど、円山近くのホテルに、荷物をすべてまとめて、スーツケースのふたを閉めて、保険証をスーツケースの上においてジャンプ台に行ったんですよ。
―――なにかあった時のために!
阿部)
そう、病院に行って入院してもいいようにという思いで。それでスタートに行ったんですけれども、なかなかスタートに行けなかったんですよ。いまみたいにバーに座るんじゃなくて、横からスタートするんですけど、なかなか行けないでいたら先輩に怒られて・・・。「早くいけ!」って。そっちの先輩の方が怖くて仕方なくいったんですよ(笑)。 飛び終えたら、寒いのにダァーって汗をかいてて、すごく怖かったのをいまでも覚えていますね。その恐怖心は、何とも言えないですね。
―――すごいですね。あこがれの地であり、恐怖の地であり、いま職場っていう。
阿部)
本当にいろいろ刺激をもらい、経験もさせていただいています。

大倉山ジャンプ競技場内にある施設の一部は、コロナ禍の6月、リニューアルオープンしました。ジャンプ競技場を見ながら創作フレンチを楽しめるレストランが新たに誕生したほか、ミュージアム1階にチケット売り場とお土産コーナーを新設しました。

お土産コーナーの一角には、施設のスタッフの考案で阿部雅司さんを紹介するコーナーも設けられています。普段メダルは飾られていませんが、今回は特別に阿部さんが獲得したリレハンメルの金メダルも見せて頂きました。

―――ヘルメット、ずいぶん小さいですね。
阿部)
これ、実際に試合の時に使っていたジャンプ用のヘルメットなんですよ。ホンモノ。今でもかぶれますよ。
―――これまさにそうなんですか!
阿部)
耳のところに、子どもの写真をそのまま貼り付けているんです。

―――本当だ!
阿部)
金メダルを取る前のオリンピックで僕は補欠になって、一度はやめようという思いになったんですけども、その時にちょうど妊娠していることがわかって、競技を続けることにしたんです。それで、親ばか丸出しで、3回目のオリンピックの時に、息子の名前をヘルメットに貼りつけて写真もつけて、それで金メダルを獲得できたんですよ。
―――お子さんと一緒に、まさに家族一丸となってですね。
阿部)
もし息子をその時に妊娠していなかったら多分辞めていたと思うので、生まれてくる前から息子に励まされてとれたメダル。本当に感謝しています。ヘルメットの展示の横にも説明をつけているんですけど「失意の中助けてくれたのは息子だった。一緒に飛びたい」と、こういう気持ちで現地に行ってから貼りつけて試合に臨んだんです。

―――阿部さんにとってオリンピックって、生き方を学んだ場所でもあるということなんですか?
阿部)
そうですね。スキーしかやってきていないんですけど、いろんな経験をさせてもらって、やっぱり自分一人では生きていけないんだなということをすごく感じましたし、僕はいろいろな人に支えられてとったメダルなので、自分で勝ち取ったメダルじゃないんですよね。みんながとらせてくれた金メダルっていう感じなので、いまもオリパラ教育とか、子どもたちが来たら、必ず触ってもらったりしています。すっかりメダルの色が落ちちゃって、メッキがはがれちゃいました。
―――人が触って?
阿部)
そうですね。一人でも多くの方に手に取ってもらいたいなと今は思っているので、とにかく触ってもらっています。
―――でもなんで、メダルに触ってほしいんですか?
阿部)
やっぱり、僕はいろんな人に助けられて金メダルをとれたので、本当に多くの人に触ってもらって、僕がこの世からいなくなる時にあのメダル触ったよ!っていう人が世の中に一人でも多くなればいいなっていう風に思っています。それが、僕をいろいろ助けてくれた人への恩返しかなって思ってます。
―――恩返し。
阿部)
特に僕が高校の時なんか、悪くて、先生方にも迷惑をかけたり、そういう人間がメダルをとれたのはすごく、いろんな人の支えがあったからだと思っているので、僕は人との出会いにすごく感謝しています。その思いから触ってもらっています。たぶん、日本一触られている金メダルだと思います。
―――オリンピックって華やかなシーンしか触れることないですけど、生きるうえで大事な部分だったり、人とのつながりという部分であっても重要だと。
阿部)
僕は特にそうでしたね。小中高とあまりスキーの成績がよくなかったので、社会人になってからいろんな人に助けられてメダルが取れたので本当に人との出会いは大きかったと思います。
―――触った人にも、そういう思いを大切にしてほしいと。
阿部)
そうですね。人を大切にして生きてほしいし、自分も恩を忘れない人間でいたいので、そういうことですね。

―――リレハンメルのゴールシーン。“笑顔がこぼれる”という実況が印象的だったんですけど。
阿部)
あれは妻とレース前に約束してて、つらくても絶対につらい顔はしないでよって。僕も、最後のオリンピックになると思うので、笑顔で走っているから見ててくれよって電話をしてレースに出たんです。でもつらくて。ただ、歯を出していれば笑っているように見えるかなと思って、ちょっと笑っているふりをして走っていたんです。
―――フリだったんですか!実際にはやっぱり結構…
阿部)
きつかったですよ。だいたいカメラがあるところは登りのきついところだから、きつかったんですけど、約束があったので、笑っているふりをしました。
―――そこでも家族とのつながり、応援してくれている人とのつながりがあったんですね。
阿部)
何度も僕はスキーをやめそうになった時があったので、その都度家族だったり仲間に支えられて金メダルを獲得できたので、そういう思いが人一倍強いんでしょうね。

―――改めてその話を聞いてから、ここに飾られている阿部さんを担いでいる写真を見ると色々感じますね。
阿部)
知らなかったんですよ、担がれるの。ふたりが選手村に入った時に、前回、補欠になってつらいはずなのに一生懸命裏方の仕事をやっていた僕の姿を見ていて、今回、阿部さんと一緒にメダルを取りたいねって話しをしていて、もしメダルを取れたら阿部さんを目立たせてあげようっていうことで、二人で抱え上げてくれたんです。それは知らなかったんで、本当にびっくりしましたし、あの時に思ったのは本当にいい仲間とスキーをやってこれたなって思いましたね。補欠の時、本当は不貞腐れたかったんですよ。
―――あ、やっぱりそれはそうだったんですね。
阿部)
もちろん。自分が試合に出られなかったのでそれはいろいろありますよね。でもあそこで不貞腐れていたらあの金メダルはなかったんじゃないかなって思います。
―――地道にやり続ける強さも大事ですね。
阿部)
本当に。その時も紙一重だったんですよね。不貞腐れた態度を表に出すか、グッと我慢をして裏方の仕事をやるかっていうのはすごく紙一重だったんですけども、本当に一歩手前で踏みとどまることができて、人生がガラッと変わったなって思いましたね。
―――こういうことを感じられる空間があることはいいですね。
阿部)
僕もすごく嬉しいですし、スタッフが気を遣ってくれて、この空間をつくろうと働きかけてくれたことにすごく感謝しています。

撮影の最後に向かったのは展望台。
秋色に染まった山々と、札幌の美しい街並みが目の前に広がります。

―――この景色は最高ですね。
阿部)
人の暮らしが近いですよね。それがこのジャンプ台の特徴。紅葉の時期、毎日のようにここあがってきますけど、飽きないんですよね。つねに変化していて、きれいですよね。一番いい時期だと思います。

―――展望台から見る札幌の街並みに、阿部さんはどんなことを思うんですか?
阿部)
ジャンプ台と自然と、都会の札幌市と本当に距離が近いんですよね。僕も世界中いろんなジャンプ台いっていますけど、こんな都心にあるジャンプ台っていうのは世界でここにしかないと思うので、本当に素晴らしい施設だなと思いますね。

―――NHKでは、いま1960年代~70年代。札幌オリンピックを中心に、当時の札幌の街並みを写した写真をもとに、新たにVRコンテンツをつくろうとしているんですが、こうした取り組みにどんな期待がありますか?
阿部)
オリンピックって、競技だけじゃなくて街全体も一緒になってつくりあげていくものなんじゃないかなって思っているんです。世界中の人が街に来てくれるので、おもてなしをするというか。その結果、発展した形がいまの姿。じゃあ、その当時がどうだったのか。正直、僕も見てみたいですし、それをVRで体験できるというのは楽しみだなと思います。いまとの違いを比べてみたいなって思います。僕は小平町に当時いたので、72年頃の札幌のことを知らないんですよね。ジャンプの競技はテレビで見ましたけれども、札幌市には来ていなかったので、その当時の札幌市を見てみたいなって思っています。
―――昔の様子がわかると、どういうことがわかる可能性があると考えますか?
阿部)
このあと、2030年、札幌市もオリンピック招致をするかもしれないので、そうした時に、いまの札幌からどれだけステップアップ、かわっていくことができるんだろうって、そういうのを考えるきっかけというか、ヒントを貰えるんじゃないかなと思っています。子どもたちと話しているとずいぶん大胆な未来の姿、夢を語るんですけど、それが実は難しくなくリアリティーのある発想なのかもしれない。そうした未来を考えるうえでも、この半世紀でどんな変化があったのか、その度合いを知ることはきっと意味があるんじゃないかなと思っています。
―――本日は、ありがとうございました。
阿部)
ありがとうございました。

今回、阿部さんにお話を伺わせてもらったのはある偶然の出会いがきっかけでした。
それは、リニューアルオープンした直後のことでした。
私は友人と一緒にモニュメントとジャンプ台を背景に写真を撮ろうとプライベートで訪問。私がカメラを構えて構図を探っていると、「可愛いですね」と声をかけてくれたのが、なんと阿部さんでした(関連記事はこちら)。

あの時に声をかけて頂いたことをきっかけに、いずれタイミングを見つけてお話を…と考えていたところ、今回のインタビューにつながりました。

インタビューの放送は11月2日(月)「ほっとニュース北海道」の予定です。
なお、SAPPORO VR Projectの募集はことし12月25日までです。応募については特設HPをご覧ください。

それでは、またฅU•ﻌ•Uฅワン

2020年10月26日

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