NHK札幌放送局

INORI ヴォーカリストの絆/浜崎なおこさん

瀬田 宙大

2022年3月14日(月)午後4時08分 更新

今月、「INORI」という楽曲がリリースされました。
80年代後半に違うバンドのヴォーカリストとしてメジャーデビューした2人の女性、ヒトミィクこと倉本ひとみさんと浜崎なおこさん。30年来の絆で歌を託された浜崎さんは、亡き盟友ヒトミィクさんの想いも胸にこの曲を歌い継ぐ決意をしていました。 

発売日は札幌で
特別な店でのインストアライブ

3月9日、浜崎なおこさんは札幌市内でインストアライブを開きました。
音楽処というショップの店長・石川さんは、亡くなったヒトミィクさんがボーカルをつとめたバンドHan-naをインディーズ時代から応援。Han-naのギタリスト伊藤昭友さんは「メジャー・インディーズ関係なく、石川さんは大勢の方から慕われていて、北海道の音楽シーンの母のような存在」と表現します。

そんな特別なステージを選んで、リリース日に「INORI」を披露することにしました。

歌唱前、浜崎さんはつぶやきます。

「この曲だけは間違えられないから」

そう言って、
それまでは端にやっていた譜面台を、自身の前に置きます。
そして、こう続けます。

「とうとうこの日が来たんだなという感じですね。
 では、INORI、聴いてください」

曲前、何かを確かめるようにたっぷりと間をとって歌いました。
楽曲のもつ力。
集まった人たちも含めた空間の力。
そして、覚悟をもって歌う浜崎さんの声。
会場はひとつになり心が震える感覚がありました。

多くの人に届けたい。
私も、そう思いました。

余命宣告 「もう一度音楽を」

室蘭市出身のヒトミィクこと倉本ひとみさんは、1989年にロックバンドHan-naのヴォーカルとしてメジャーデビュー。バンド解散後も後進の育成や桑田佳祐さんのバックコーラスとして活動。2010年、家族の介護で音楽活動を停止して、北海道に帰りました。

介護を終えた2019年。
倉本さんは医師から余命宣告を受けます。

宣告から5か月後、20年2月に旭川市の自宅で撮影された映像があります。
そこで、倉本さんはこう語ります。

何を残してきたのかな。真剣に音楽やれていたのかな。
自分が生きてきた年月、どうやって誇って死んでいけるかなって。何のために生まれてきたのかなと思ったんですよ。
ここで何かをつくっておかないと生まれてきた意味ないなって。

そう語り、かつてのバンドメンバーや音楽仲間らに声をかけて活動を再開。
亡くなるまでの1年半ほどで20曲を超える楽曲を制作しました。
今回リリースされた「INORI」はその中の一曲でした。

活動再開後、亡くなるまでの本人の思いを記録したドキュメンタリーは、ことし4月21日から命日の5月19日にかけてYouTube「hitomk Channel」で順次公開されます。

盟友であり戦友
ヴォーカリストの絆

楽曲を託されたのは、1988年にロックバンドReplicaのヴォーカルとしてデビューした広島県出身の浜崎なおこさん。

浜崎さんは倉本さんと同時期に、紅一点バンドのヴォーカリストとして活動しました。

今回のインタビューを通じて、ふたりの絆が生涯のものになったのは、97年2月の札幌だと感じました。

浜崎さんは、当時バンドが解散し、この先の未来をどう描いていけばいいのか、ファンを悲しませないために何ができるのか悩んでいました。
そんな時に倉本さんが「歌えば何かわかる」と、札幌で行われたライブに誘ってくれたといいます。

浜崎さんは今回、インタビューで当時のことをこのように語っています。

答えなんてわかってなくていいじゃん。
なおこ歌ってみればいいんだよ。
歌ったらわかるって。
ちょうど札幌でやるから一緒においで。
そう言って、札幌に呼んでくれたんです。
あの一言がなければ動き出せていなかったと思います。
歌ったらなにかわかるというのは、それ以来、私のお守りです。

子守歌のようなあたたかさと
魂を燃やす力強さを

2020年11月、倉本さんからこの曲を託された浜崎さん。
デモ音源を聞いてすぐ、「何で自分で歌わないのか」と返したと言います。

最初に、「なおこに歌ってほしい曲ができたんだ」と曲を聞かされた時、「え、なんで自分で歌わないの。こんなすごい曲じゃないか」と伝えたんです。
するとひとみは「いや、なおこに歌ってほしいんだよ」って言って。
まだ誰の色にも染まっていない大きな命を預かった感覚です。
大変なものを預かってしまったというか、託されてしまったと。その大きさに、ちょっと心震えてドキドキしました。同時に、「なんていい曲なんだろう」と、自然と涙があふれました。

浜崎さんはインタビューの中で、「もともと私の為に書き下ろそうとして書いたというよりは、書いているうちに自分の声よりもこの曲には私の声があうとプロデューサーとして考えたんだと思います。ヴォーカリストでプロデューサーの才があるひとみに言われたら、そりゃやりますよ。余命を知って、『あなたの為になんでもやる』と彼女の音楽活動に参加したので」とも教えてくれました。

実際にその言葉通り、去年暮れにヒトミィクさんが発売したCDにはバックコーラスとして浜崎さんも参加しています。

INORIのレコーディングは去年4月に行われました。
その時、お互いに尊敬しあうアーティスト同士だからこその闘いがあったことも今回明かしてくれました。

―――この曲は生涯で特別な曲になったとお話から感じますが、お互いにリスペクトがあるヴォーカリスト同士だからこその特別なやりとりもあったんですか?
▶仰るように、一方的に与えられるものではない、不思議な感覚がありました。もうこんなことはないと思います。本当に特別ですね。
特に、レコーディングは一生忘れないですね。あの感じは・・・。
こう、物理的には分厚いガラスに隔てられていても、ヘッドホンで聞く声であっても、そのままダイレクトに心の中に入ってくるような感覚がありました。実際に映像を見ているわけではないけど、一緒にビジョンを見ながら進んでいくというか。不思議なレコーディングでした。

―――レコーディングってその時の最適な答えをメンバーでつくることでもあると思うんですが、そういう意味で不思議ということですか?
▶何でしょうね。その正解は、一つに決まることはないのかもしれないと思っているんです。当時も今も。毎日の正解を積み重ねていくことしかないのかなと。
歌って本当に不思議ですよね。決まったメロディーで決まった歌詞なんだけど、歌う人も受け取る人も、その時その時の心につながっていくというか。違うところが反応しあったりして。託された身としては、ずっと生きた「INORI」を歌いたいと思っています。

―――なるほど。ある種、今もレコーディング中なんですね。
▶そうですね・・・。そうかも。
レコーディング終わっていないかも。そうです。やられた!うまいこと言いますね。
ひとみめ(笑)
だから毎回、そんな感じなんだな。
終わらないレコーディングを続けます。これからも。

―――まさに闘いですね。
▶闘いですね。自分との。ひとみとも。
見守りながらあいつは闘わせるんですよ。
いやいや。そうですね。やられました。

「故郷」のような楽曲になってほしい

浜崎さんは何度も童謡「故郷」を例に挙げて、歌い継がれる曲になってほしいと語っていました。好きとか、何度も練習をしたとかではなく、自然と口ずさめる曲に。
そこには人の心の穴や、かけた部分にそっと寄り添う力があると信じているからだと感じました。

―――改めて「INORI」、どんな曲だと考えているんですか?
▶人生は、ひとりひとりが、自分で一つ一つ選択して決まっていきますよね。でも、それが本当に正解なのかどうなのか、その答えは未来の自分しか持っていません。
それゆえに、自分自身をちょっと信頼できなかったり、頼りにできなくなったりするような瞬間が誰しもあると思うんです。そういう時に、浮かんできて、例えば歌詞にある「大丈夫」っていう言葉をこの曲がかけてあげられたらいいなと思いますし、遠く離れた実際に聞くことができない誰かの声を思い出しながら、その人に言ってもらっているような気持ちになって、不安な時でも立ち上がれるような曲になったらいいなと思っています。

―――ヒトミィクさんから託されたことも含め、浜崎さん自身もこの曲に心を温められているんですね、きっと。
▶あっためてくれるけど、燃やしてくれるところもありますね。
いろんな話をしました。つらい時、いつも、寄り添ってくれた人だったんですけど言えていないこともたくさんあるんですね。やっぱり。いつもべたっと一緒にいるわけではないですし、お互いにヴォーカリストとして超えてはいけない一線を感じながら過ごしてきたので。
でも、みんなそうですよね。そういう時に、きっとこの曲を聞く人は多くが感じると思うんですけど、いろんなことを理解してあれこれ言われているような気がするんですよね。
だから、なんかね・・・歌いながら、覚悟ができていくというか、そんな曲でもありますね。

―――社会が混沌とする中で、この曲が世に出ることをどのように感じますか?
▶いまは固く結んできたリボンを解いて、自由に飛び立っていけ!と、送り出す感じの気持ちです。「INORI」は誰もがひとりではないと感じられる曲です。それが、いよいよ、いろんな人に届いて、それぞれの世界の中で、その人なりの響き方をしていってほしいと思っています。この祈りや願いが届きますように。

取材後記

さみしくない。
さみしくないですよ。
本当はさみしいけど、さみしくない。
そう、言葉を重ねた浜崎なおこさん。

この曲は1人でつくったものではなく、盟友と、その盟友を慕う仲間と共に作り上げた楽曲。ご本人もその意味で「浜崎なおこの名前でリリースして、私の声だけど、私だけの歌ではない」と何度も話していました。
ヒトミィクさんは、アーティストとして、人として信頼を集め、最後まで周囲の人を鼓舞し続けた姿が、面識のないはずの私にも伝わってきます。
今回の取材は不思議で、まるでご本人ともお会いしたような気持ちになりました。
確実に大きく、あたたかいものを後世に残してくださいました。
浜崎さんはその思いを強く感じていることでしょう。


歌い継ぐ決意を語る中、リリースライブで「何十年後でもいいので、教科書に載って小学生が声を合わせて歌う姿みたい」と仰っていました。それが夢だとも。そして「頑張ります」とも。その祈りが叶うことを心から願っています。

札幌放送局アナウンサー瀬田宙大
2022年3月14日

浜崎さんへのインタビューは3月15日(火)のほっとニュース北海道で放送予定です。

関連情報

厚真に外国を?!

瀬田 宙大

2021年10月28日(木)午後4時39分 更新

宗谷プチ滞在 DAY1

瀬田 宙大

2021年4月19日(月)午後3時14分 更新

広尾町 牛乳の価値をアップデートさせたい

瀬田 宙大

2022年7月4日(月)午後7時28分 更新

上に戻る