NHK札幌放送局

時は来た~北海道のみなさまへ~【関根太朗】

関根 太朗

2020年3月10日(火)午後3時11分 更新

古谷敏郎アナウンサーから「白老町に、海が見える源泉掛け流しの露天風呂があるよ」と聞き、2月下旬、白老町の虎杖浜温泉に行ってきました。この写真は、泊まった民宿の窓から撮影した風景です。目の前は太平洋。気持ちよさそうに海鳥が空を飛び交っていました。

夕方の露天風呂に、私ひとり。ほどよく熱い湯船に浸かって、降り積もった白い雪と、その向こうにどこまでも広がる太平洋を、飽きることなく眺めました。
時に激しく、時に穏やかに打ち寄せる波の音を聞きながら、物思いにふける。
私は、古谷先輩に感謝するとともに、「もっと早くこの場所に来ればよかったなぁ。そうすれば何度もこの絶景の露天風呂を楽しめたのに。私の知らない、こういうぜいたくな場所が北海道には無数にあるのだろうなぁ」と考えていました。
いやいや、札幌に住んでいるのだから、これからだって、何度だって行けばいいじゃない、という声が聞こえてきそうです。
春は、出会いと別れの季節です。私は、北海道を離れ、次の町へ行くことになりました。今回のブログは、北海道のみなさまへのお別れのメッセージです。

取材ノートを見返してみました。札幌放送局に着任したのは2018年3月12日でした。丸2年、北海道で仕事をしたことになります。「おはよう北海道」の中継コーナーの題材を探すため、石狩地方・後志地方・空知地方を走り回るところから私の北海道生活は始まりました。北海道での最初の中継は、真狩村の春堀り長芋。その日の朝の空の色と羊蹄山の美しさは今でも鮮明に記憶に刻まれています。それから私は、番組やロケを通し道内各地を訪れました。この2年の間に、どの町でマイクを握ってきたのか調べてみました。札幌、真狩村、美唄、室蘭、宗谷、稚内、石狩、釧路、小樽、旭川、千歳、函館、帯広、厚真町、安平町、幌延町、当別町、北見、根室、苫小牧……。一方、プライベートで訪れ特に印象に残っているのは、富良野、美瑛町、留寿都村、定山渓、豊平峡、登別、洞爺湖、支笏湖、ばんえい競馬場、十勝川温泉、利尻島、礼文島、白老町……。ここ数日、北海道での取材ノートや写真フォルダを見返しては、様々な風景や人々の表情を思い出し、うららかな気持ちで過ごしています。でも、正直に言いましょう。2年程度の時間で向き合うには、北海道は広大過ぎる大地でした。奥が深すぎる場所でした。日々の仕事に追われ、行きたいと思って、結局行けなかった場所がたくさんあります。会いたいと思って、結局会えなかった人もいます。そんな“未練”も引きずりながら、次の町へ向かいます。

北海道での仕事のうち、3つのことを記しておきたいと思います。

1つ目は、胆振東部地震です。2018年9月6日午前3時7分ごろに起きた最大震度7の地震です。道内全域が停電に見舞われました。大規模な土砂崩れが発生し、多くの命が失われました。あの夜、道民はもちろん、北海道に滞在していた人々全てが被災者になったと思います。私は、地震発生から1週間、厚真町や札幌市からテレビの中継で被害状況や被災者の声などを伝え続けました(上の写真は2018年9月9日放送の「NHKスペシャル 緊急報告 北海道 激震」)。厚真町の農家の男性は「そろそろ収穫の秋なんだ。イネはたくましかった。土砂が流れ込んだ部分以外は育ってくれた。ただ、地震で収穫するための機械や設備を失った。あのイネを、どうにかして収穫したい」と目を真っ赤にして話してくれました。厚真町役場の元職員の男性は「何十年も災害の少ない町だと思って生きてきた。全国の人たちに厚真町をもっと知ってもらいたい、もっと観光に来てもらいたいと思い働いてきた。今回、こんな形で全国区になり、ショックが計り知れない」と無念の表情を見せました。災害というものは、生命や財産を奪う。そして、続いてきた日常、人々の大切にしてきた思いを破壊する。あの地震以降、私はこれまで以上に、万が一の事態への準備をし続けること、専門家や地域で暮らす人々と共に防災・減災につながる方策を具体的に考えること、そして、それを伝え続けることが肝要だと考えるようになりました。今後も私は、胆振東部地震の経験を心に刻んで報道に携わっていきます。

2つ目は、北方領土です。2019年8月16日に「ラジオ深夜便」の中で、「今こそ史実、元島民の思いを伝えたい」と題したインタビューを全国放送しました。この写真で私と一緒に写っているのは、お話を訊いた木村芳勝さん(当時84歳)です。歯舞群島の志発島(「しぼつとう」と読みます。根室市の納沙布岬から25.5キロほどの距離にある島です)で生まれた元島民です。木村さんは10歳で終戦を迎えました。その後も島で暮らしていましたが、昭和23年、島を追われました。私自身、この番組の取材で根室に赴き、北方領土の歴史を学び直しました。一通りの北方領土の歴史を知っているつもりではいましたが、恥ずかしながら、具体的なことや大切なことを私はほとんど知りませんでした。木村さんから、終戦後の旧ソ連による北方領土侵攻の実態を訊きました。また、旧ソ連が北方領土を自国領土に編入した後、北方領土に住んでいた日本人を、すぐに強制的に退去させていたわけではなかったことも学びました。木村さんも、およそ3年間、旧ソ連が占領していた志発島で暮らしていました。まだ子どもだった木村さんは、旧ソ連の子どもたちと友達になり、仲良く遊んでいたと証言しています。最初は、身振り手振りで、かけっこをしたり、かくれんぼをしたりして遊んだそうです。そのうち、日本語とロシア語の単語を教え合うようになり、更に仲が良くなったといいます。また、強制退去の命令が出て、島の港から追い出されるときも、旧ソ連の子どもたちは見送りにきてくれたそうです。戦後、木村さんは、北方墓参やビザなし交流で北方領土を訪れ、ロシア人と交流をしてきました。そうした経験を重ねてきた木村さんは、「日本とロシアの関係は、個人と個人の付き合いの次元では問題がない。うまく付き合える。これが集団と集団、国と国となると難しくなるんだ」と話してくださいました。そして、自分の中で今も残る少年時代の思い出が、これからの北方領土のありかたを考える上で、大きな要素になっているといいます。インタビューの終盤、木村さんは「戦後74年が経っても領土問題は解決しなかった。北方領土で生まれたロシア人もどんどん増えている。北方領土は我々にとって“故郷”だが、そういったロシア人にとっても“故郷”だ。子ども時代のように、北方領土で、日本人とロシア人が仲良く一緒に暮らすことはできないのだろうか」と胸のうちを明かしてくれました。戦争と平和について改めて考える上で、私は木村さんから多くのことを学ばせて頂きました。そして、ここ北海道にも、戦争の残した傷痕が残っていることを強く実感しました。私は、初任地が沖縄だったこともあり、入局以来、沖縄戦や広島の原爆など、戦争に関する番組に携わってきました。前任地の信州では、「満蒙開拓」を取材テーマに掲げてラジオ番組を制作してきました(「満蒙開拓」で旧満州、現在の中国東北部へ渡った日本人はおよそ27万人。全国で最も多かったのは長野県です)。そういった経歴の私にとって、北海道にいる間に根室に赴き、北方領土の取材を進められたことは大きな意味を持ちます。今後も、戦争と平和、知られざる史実をテーマにした番組を制作していこうと思っています。

3つ目は、「北の文芸館」です。北海道でおよそ20年続いている朗読の公開収録番組です。この写真は、2019年11月30日、「北の文芸館」の公開収録の後に撮影しました。出演したアナウンサー全員と、共にディレクターを務めた鈴木遥アナウンサー、番組統括の髙木康博アナウンサーも写っています。来場してくださった400人を超えるみなさまのお力添えもあり、「北の文芸館」の舞台の模様は、道内放送(2019年12月22日・FM)を経て、全国放送(2020年2月11日・FM)されました。私は、ディレクターとして作品選定と構成、演出などを担当しました(2018年度「北の文芸館」、2019年度「北の文芸館」)。NHKアナウンサーという職業の守備範囲は多岐に渡ります。ニュース、中継、旅リポートの出演はもちろん、テレビやラジオの番組制作、インタビュー、実況、ステージ司会、ナレーション……。あらゆる仕事のうち、今の私にとって、最も“おいしい”仕事は、もしかしたら、こういった朗読イベントのディレクター業務かもしれません。私は、趣味が読書ということもあり、この2年、北海道を舞台にした小説ばかりを読み漁りました。魅力的な小説に数多く巡り会いました。出演する各アナウンサーの声のトーンや質、語り口をイメージしながら、それぞれにマッチするであろう小説を提案しました。そして、舞台となる場所の地域バランスを考えながら、明治、大正、昭和、平成と、様々な時代に発表された小説、詩、エッセイを朗読する舞台を演出しました。子どもの頃から小説が好きで、幾多の小説に救われ、なんとか生きてきた私にとって、それは夢のような時間、夢のような仕事でした。ディレクターとして、北海道ゆかりの物語を全国へ届けることができてとてもうれしかったです。……と、ここまで記した上で、最後のブログですから、胸の奥にある正直な思いも記しておこうと思います。番組や舞台をプロデュースする喜びは間違いなく大きなものです。自分のイメージ通りにうまくいったときはもちろん、ハプニングや予定調和が崩れる瞬間も含めて、たまらなく面白いです(むしろ、“予定調和が崩れる瞬間”こそが、テレビ・ラジオのだいご味かもしれません)。私は、ここ数年、チームを下支えすることの奥深さに気づき、やりがいを感じています。また、自分はそういった役割を好むタイプであるという自覚も芽生えています。しかし、そうは言っても、私はアナウンサー。来年度は、「北の文芸館」に出演し朗読しようと考えていました。朗読する作品も決めていました。ただ、時は来ました。そろそろ私は次の町へ行かなければなりません。私の思いは、「夢」へと変わりました。何年先になるかは分かりません。約束もできません。ただ、決して実現できない種類の「夢」ではないとも思っています。その日が来るまで、朗読しようと決めた北海道ゆかりの小説は、自宅の本棚の片隅にそっとしまっておこうと思っています。

さあ、そろそろ、私の異動先を書きましょう。私は、この春から「長崎」へ行くことになりました。実は、長崎もまた、北海道と同様に、「人生のどこかでいつか暮らしてみたい」と思っていた土地です。独自の歴史と文化を持ち、数多くの文学が生まれた土地だからです(そういえば、異動が決まった後、なかにし礼さんの直木賞受賞作『長崎ぶらぶら節』を読み返していたら、序盤に「北海道」という言葉を発見し、なんだかうれしい気持ちになりました)。長崎の歴史についても、またゼロから勉強し直す必要があります。幸い、長崎市からそう遠くない場所に、歴史に詳しい友人が暮らしています。大学時代の友人で、高校で世界史を教えています。22歳で進路が分かれた私たちも、今年で40歳。そろそろこのあたりで過去を振り返り未来を見据える中間報告をしてもよい頃合いかもしれません。まずは彼を出島あたりの居酒屋に呼び出して、「ここまでどうだったよ?」「これからどうするよ?」などと言い合いながら旧交を温める。そんなところから新生活を始めてみようと思っています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。私は北海道を離れても、北海道の応援団のひとりでありたいと思っています。この先、東の町か西の酒場か分かりませんが、行きあわせた誰かに「北海道って、いいところだよ」と話していると思います。「何でかというとね」と口火を切った私は、いつものように、また延々と自分がこの目で見たことを熱く話すのでしょう。四季折々の北海道の美しさ、北の大地に暮らす人々の歴史、生活、思い。その一部を、私は誰かに伝えることができる。それが、今の私の誇りです。

いってきます。北海道のみなさま、ありがとうございました。そして、これからもNHK北海道をよろしくお願いします。お元気で。

令和2年3月10日 関根太朗

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