NHK札幌放送局

高校生が伝える“乙女たち”の記憶

芳川 隆一

2022年1月5日(水)午後6時34分 更新

「今、やりたい事が当たり前のように毎日できている事について、特に幸せだとか思っていなかったんですけど、これからはその事に感謝をしたいです」。12月に上演された「9人の乙女」をテーマにした朗読劇に参加した高校生の言葉です。終戦直後、樺太(今のサハリン)で、10代後半から20代前半の女性たちが自決した「9人の乙女」の悲劇。太平洋戦争の開戦から80年となるこの冬、この悲劇に向き合った同世代の高校生たちは何を感じたのでしょうか?

なぜ自決しなくてはいけないの?

朗読会に参加したのは、札幌市の単位制高校に通う1年生の加藤千尋(かとう・ちひろ)さんと、2年生の大西晃吾(おおにし・こうご)さんです。

(加藤千尋さん)

(大西晃吾さん)

2人とも、高校の「総合的な探求の時間」の授業で「9人の乙女」について学んできました。

そもそも「9人の乙女」の悲劇とは何だったのか。
太平洋戦争の終戦直後の昭和20年8月20日、樺太、今のサハリンにあった港町・真岡(まおか)に、ソビエト軍が侵攻しました。日本との間に結んでいた中立条約を一方的に破っての侵攻でした。当時、真岡には軍や行政の通信を担う電話交換室があり、多くの電話交換手が働いていました。

(写真提供・川嶋康男氏)

あの日、ソ連軍による艦砲射撃が降り続く中で電話を繋いで状況を伝え続けた電話交換手たち。最後は上陸したソビエト軍が目前に迫る中で、9人が青酸カリを飲んで自ら命を絶ったのです。

(9人の乙女)

1年生の加藤千尋さんは、自分と同じ世代の女性たちがどうして自ら命を絶ったのか、理由を知りたいと思っていました。

加藤千尋さん
「好きな人がいたり、もっと遊びたかったり…。もし私が当時生きていたなら、未来があるし、やりたいことだってあるので、自決はしなかったと思います」

また2年生の大西晃吾さんも「当時、どのような状況で乙女たちが自決に至ったのか、背景を知りたい」と考えていました。

自分たちの疑問に対する答えを見つけたいと、2人はこの冬、「9人の乙女」をテーマにした朗読劇に参加することにしたのです。

亡き母の思いを次世代に託したい

朗読会を主催したのは、2人が通う単位制高校の「校舎長(一般の学校の校長にあたる)」を務める中間真永(なかま・まえ)さんです。中間さんの母は元電話交換手で、亡くなった9人の同僚でした。

(中間真永さんと母親の金川一枝さん)

生き残った者として母親が語る話を、繰り返し聞いていた中間さん。9年前に亡くなった母親に代わり、悲劇を伝えていきたいと舞台化に取り組み、高校生に参加を呼び掛けたのです。

中間真永さん
「正直、母が生きている時は、9人の乙女について聞かされるたびに『またその話?』と、少しおっくうに感じてしまった事もありました。母が亡くなってから初めて、9人の乙女の悲劇を次の世代に伝えていくことの大切さを実感しました。今は、記憶のバトンを次の世代に渡していく使命が自分にはあると感じています」

存命する元同僚の女性を訪ねて

自らが朗読劇で演じる「9人の乙女」をより深く知りたいと、高校生の加藤さんと大西さんは、元同僚の女性に話を聞きに行きました。
訪ねたのは、札幌から車で約3時間、和寒町に暮らす栗山知ゑ子(くりやま・ちえこ)さん(93)です。

当時、疎開準備のため既に電話交換手の仕事を辞めていた栗山さん。最初に、樺太にソ連軍が攻めてきた時の様子を語ってくれました。

栗山知ゑ子さん
「弾が海の方から4列並んで、シュンシュン飛んできました。それに当たらないように、体を屈めるようにして逃げました」

他にも、電話交換手の仕事の内容や、当時の暮らしぶりなどについて教えてくれた栗山さん。訪問から1時間ほどが経過した時、加藤さんは、どうしても知りたかった事を尋ねました。

加藤千尋さん
「もし、栗山さんが、9人の乙女が自決した8月20日に一緒にお仕事をされていたら、どのような判断をされましたか?」

これに対する栗山さんの答えは明確でした。「同じことをやるでしょうね」。

簡単には納得できない加藤さんがさらに質問を続けると、栗山さんはひとつ呼吸を置いてから、静かに語りました。

栗山知ゑ子さん
「もし敵が入ってきたら、戦争で負けたら女の人をみんな倒して体に触られると聞かされていたんだよね」

加藤さんは、栗山さんの言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、しっかりと聞き入っていました。

乙女たちの思いを込めて

栗山さんを訪問した翌日、高校生の加藤さんと大西さんは、サハリンを望む稚内市に設けられた朗読劇の会場にいました。栗山さん宅で、乙女たちの「本当は生きたかった」という気持ちに触れた2人。その思いを朗読に込めました。

「私たちは、床を這いつくばりながら交換台にたどり着き、泣きながら残っている回線をつなげていきました。激しい爆撃音の中、電話を繋ぎ続けました」
「最後の回線を握っていた可香谷(かがや)さんが、絞り出すような声で、言いました。
『みなさん、お世話になりました。これが最後です。さようなら、さようなら』」

朗読劇が終わると、会場を訪れたおよそ50人の観客からは、大きな拍手やすすり泣く声が聞こえてきました。
朗読劇を通じて触れた、「9人の乙女」の記憶。劇の終了後、2年生の大西さんは、自分が学んだことを周りの人たちにも伝えていきたいと決意を新たにしました。

大西晃吾さん
「元同僚の栗山さんのお話を直接、聞けたことは一生無いような貴重な財産だと思います。
これからは、周りの友達や家族に、樺太や戦争の事を伝えていきたいと思っています」

1年生の加藤さんも、乙女たちから多くの事を学んだようです。

加藤千尋さん
「親とけんかしたり、友達とけんかしたり、その時に『死んでやるから』『自殺してやるから』、そんな風に私も言っていたんですけど、9人の乙女のお話を聞いて、親とけんかしたぐらいで、自分がむかついたぐらいで、死んではいけないなと。乙女たちができなかったことを代わりに私がやると言ったら少し変かもしれないですけど、今、やりたい事が当たり前のように毎日できている事に感謝をしたいです」

(後記)
朗読劇を主催した中間真永さんは、劇が始まる前、稚内で高校生2人をある場所に連れて行きました。それは「稚内港北防波堤ドーム」。樺太から引き揚げてきた多くの人たちが最初にたどり着いた場所です。あらゆる財産を失い、家族や友人を亡くしながら、命からがら引き揚げてきた人たち。自ら命を絶った「9人の乙女」について知るという事は、同時にそうして過酷な状況を生き延びてきた人たちの歴史にも目を向けるという事である---そんな思いから、中間さんは2人をその場所に連れて行ったのだと思います。
太平洋戦争の開戦から80年。同世代の乙女たちの思いに触れた高校生たちが、今度はさらに次の世代に記憶のバトンを渡していく存在になってくれることを願っています。

(稚内港北防波堤ドーム)

NHK札幌放送局アナウンサー 芳川隆一
2022年1月5日

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