「根室から国後島に瀬戸大橋のような橋を架けると良いのではないでしょうか」。北方領土をテーマにした全国スピーチコンテストでこう述べた根室市の高校生がいます。北方領土を日本とロシアの交流拠点にしたいという思いを込めました。ところが、その後勃発したロシアによるウクライナへの軍事侵攻を前に、今、その気持ちが揺れています。
「ひいばあ」の記憶を伝える元島民4世
根室市の高校1年生、近藤妃香さん(16)は、国後島の元島民である、ひいおばあさんの西舘トミエさん(85)の体験談を聞き取って記録しています。もともと中学生の時に出場した学校の弁論大会をきっかけに関心を持ちました。「天気の良い日には爺爺岳(ちゃちゃだけ)がよく見えて、野イチゴやリンゴなどを採ってきょうだいで仲良く食べたよ」といったのどかな思い出や、8歳の時に旧ソビエト軍が侵攻してきた時、父親から「いざとなったらみんなで防空壕に入って死のう」と言われたことなど、妃香さんは一言も漏らすまいとメモします。

太平洋戦争末期、旧ソビエト軍は日ソ中立条約を無視して侵攻し、北方四島は終戦後の8月28日以降、占領されました。当時およそ7400人いた国後島の島民は、船で自力で脱出したり、強制退去させられたりしてふるさとを追われました。トミエさんも家族とともに船で根室にたどり着きましたが、戦後の混乱で8人いたきょうだいはバラバラになり、再会できたのは数年後でした。

西舘トミエさん
近藤妃香さん
「心の準備をする暇もなく、ひいばあはふるさとの島から追い出されてしまいました。もし私が今、ここを追い出されるとなったら、家族とバラバラになって連絡手段も無くなっちゃうかもしれないし、もう会えなくなっちゃうんだなって思ったらすごく悲しいです。今では考えられない、想像もつかないことが自分が生まれる前には起きていたんだなって思いました」。

近藤妃香さん
根室と国後島に橋を
トミエさんから話を聞いて、妃香さんが考えたことがあります。それは、国後島と根室をつなぐ橋を架けるなどして、交流を深める事でした。その理由について、妃香さんはこう語りました。
近藤妃香さん
「国後島は、今では日本人とロシア人のお互いにとってのふるさと、自分たちの居場所になってしまいました。今、ロシア人を追い出すと、ひいばあみたいな思いをする人が出てきちゃう。それなら、両国が仲良くなって一緒に住めば、誰も嫌な思いをしないかなと思ったんです」。
船や飛行機に乗れないお年寄りでも、橋を架ければ車やバスで「北方墓参」や「ビザなし交流」などに参加することができるのではないか。北方領土を日ロの交流拠点にすることで、ひいおばあさんのような元島民にとっても訪問しやすい環境を作り出せるのではないかと考えたのです。自分の考えを1人でも多くの人に知って欲しいと、こうした考えを作文にまとめ、スピーチコンテストの全国大会にも出場しました。
(スピーチコンテストより)
根室から国後島に瀬戸大橋のような大きな橋を架けると良いのではないでしょうか。船や飛行機に乗れないお年寄りでも橋を架ければビザなし交流も車やバスで移動ができます。
曾祖母の夢は、曾祖母、祖母、母、私の四世代で生まれ育った国後島へ行くことです。その夢を何とか叶えさせてあげたいです。

画像提供:独立行政法人 北方領土問題対策協会
妃香さんのスピーチは、6100人余りの応募者の中から全国2位にあたる「内閣府北方対策本部審議官賞」を受賞。このコンテストで入賞したのは根室市からは初めてでした。
軍事侵攻に揺れる平和への思い
ところが、その後、ロシアがウクライナへ軍事侵攻を開始すると、妃香さんの気持ちに迷いが生じるようになりました。連日、目にする侵攻の映像に「根室にいる自分たちも巻き込まれてしまうのではないか」と考えるようになったのです。
近藤妃香さん
「今は橋は無いけれど、もし何年後かにできたとして、その時にロシアが攻めてきたらどうする?と考えるようになりました。今のウクライナみたいなことになっちゃったらどうなってしまうんだろう。戦車だったら車だしすぐ来ちゃうかな…と考えるようになりました」。
小学4年生の妹、姫愛香(ゆめか)さん(10)との会話でも不安を口にするようになりました。
妃「どうする、ゆめちゃん、今、ロシア人が攻めてきたら」
夢「おうちに残る」
妃「なんで?」
夢「クッキー(愛犬)がいるから。いつもさ、動物とか殺されちゃうじゃん?だからね、クッキーと残る。ひめは?」。
妃「だって、生きてたいから逃げたいじゃん…」。

根室市の納沙布岬から北方領土の貝殻島まではわずか3.7キロ。「返還運動原点の地」である根室では、10代の姉妹の会話にまで軍事侵攻が影を落としていました。
それでも平和的解決を 元島民4世の決意
日ロ関係の悪化で、元島民らの「ビザなし交流」なども見送られる中、本当に平和的な解決は可能なのか。妃香さんは、ことし入学した高校で、北方領土について研究する部活動に入部し、活動の一環として、歯舞群島の多楽島(たらくとう)の元島民、工藤繁志(くどう・しげし)さん(83)の話を聞きました。

長年、漁師として昆布やウニの漁に従事してきた工藤さん。自身の体験を後世に伝えたいと3年ほど前から漁の端境期に語り部活動を行うようになりました。軍事侵攻の影響で、領土問題の解決が遠のいたと感じています。
「侵攻後のロシアとの全ての交渉は今はできないような状況ですよね。まず先の見えない迷路に入ったような心境でございます。1日も早く島の大地に立って、帰ってきたよと大きな声で叫びたい、そんな気持ちで胸がいっぱいです」。
話の終わりに、妃香さんは、工藤さんにどうしても聞きたかったことを質問しました。
近藤妃香さん
「次の世代に伝えたい事はありますか?」。
工藤さんが語ったのは、どんな状況でも平和的解決を目指すことの大切さでした。
工藤繁志さん
「世の中がいかに変わっても、ロシアが隣の国ということは変わらないと思うんですね。『向こう三軒両隣、仲良く』という言葉があるように、外国であってもそのような気持ちを持って、お互いに仲良く、楽しく感じる時代を作って欲しい。今の場合は時間はかかるかもしれない。だけど、若い人たちには、そういう時代を作って欲しいなと思っています」。

歯舞群島の多楽島の元島民、工藤繁志さん
近藤妃香さん
「ひいばあが生きているうちに北方領土がかえってきて欲しいなっていうのはあります。元島民4世として、北方領土について語り継いでいきたい。もっとどうやったら交流がうまくいくかとか、自分もたくさん勉強が必要だなと思いました」。

受け継いだ期待を胸に、平和的な解決を目指して交流を続けていく。元島民4世、妃香さんの決意です。
(取材後記)
「今、もし橋を架けたら、ロシアの戦車が来ちゃうんじゃないかって言うようになったんです」。もともとラジオ番組でスピーチコンテストの全国大会について伺おうと妃香さんへの取材を始めたところ、ある日、お母さんの和世(かずよ)さんからこう教えてもらいました。ロシアによる軍事侵攻は、領土問題の平和的解決を願う10代の高校生の気持ちにまで影響を与えている。これをぜひ伝えたいと今回の取材を行いました。
妃香さんは、お父さん、お母さん、妹の4人家族。話を聞いた西舘トミエさんは母方のひいおばあさんで、お母さんの和世さんも「元島民3世」ということになります。現在39歳の和世さんは、これまでトミエさんの話をちゃんと聞いたことがありませんでしたが、妃香さんの活動に触発されて、今では一緒になって北方領土の歴史や領土問題の経緯について調べるようになったといいます。和世さんは、根室に住む同世代の友人についても「北方領土について高い関心を持っている人ばかりではないと思います」と話します。子の世代の活動に影響を受けて、母親が領土問題に関心を持つ。こうした「下から上の世代への継承」という形もあるのだなと感じました。

左から 父・近藤忠士さん、妃香さん、愛犬クッキー、姫愛香さん、母・和世さん
元島民らの思いを受けて、迷いながらも、領土問題の平和的解決への決意を新たにした妃香さん。北方領土について研究する高校の部活動を通じて、全国の小中学生や同世代の人たちに領土問題について知ってもらうための出前講座に取り組むなどしながら、これからも勉強を続けていきたいと話しています。その姿、私も今後、見つめていきたいと思います。
NHK札幌放送局アナウンサー 芳川隆一
近藤妃香さんについては、こちらの「北海道まるごとラジオ」の放送後記も併せてどうぞ!
夏 戦争の記憶を見つめる~放送後記~ | NHK北海道