ロシアによる軍事侵攻後、札幌に避難し、音楽家として活動しているウクライナ人の男性がいます。この男性に演奏の場を提供しているのは、ロシア人の母親を持つ女性です。軍事侵攻を機にロシアとウクライナが争いを続けるなか、音楽を通じて2人が伝えたいメッセージとは何なのでしょうか?
相棒はアコーディオン ウクライナからの避難民
夕方6時、札幌市豊平区にあるレストランから、アコーディオンの音色が聞こえてきます。演奏しているのは、ウクライナから避難して札幌に暮らしているプロの音楽家、オレクサンダー・ガブリエルさん、愛称アレックスさん(71)です。ウクライナ南部のザポリージャ州の出身。母国の音楽大学を卒業後、ヨーロッパ各地のナイトクラブや豪華客船のステージなどでメロディーを奏でてきました。軍事侵攻の開始から約3か月半後、楽団員の仕事を休職して祖国を離れる決意をし、以前、仕事を通じて知り合った日本人を頼って札幌にやってきました。手にするアコーディオンは、アレックスさんがウクライナから持ってきたもので、大切な相棒です。

オレクサンダー・ガブリエル、愛称アレックスさん
アレックスさんには28歳の息子がいて、仕事のため今も首都キーウに暮らしています。可能な限り、毎日電話をするようにしていますが、通信状況は不安定です。この日も、ようやく電話がつながりました。
アレックスさん
「そちらの様子はどう?大丈夫なんだね?今日は空襲警報もなかったんだね?」

今の心境について、アレックスさんは私たちのインタビューに次のように語りました。
アレックスさん
「精神的に自分も正直きついし、ウクライナ側にいる人たちにとってもそうだと思います。戦争の話をいくらしても何も変わらない。私の気持ちは落ち着くどころか、むしろ心配が高まるのです」
ロシア店主の思い
アレックスさんが演奏している場所は、ロシア料理のレストランです。経営者の兵頭(ひょうどう)ニーナさん(77)は、日本人の父とロシア人の母の間に生まれ、幼い頃、母が家で作るのを見てロシア料理を覚えました。

去年9月、知人づてに避難してきたアレックスさんのことを知り、店での受け入れを決めました。
兵頭ニーナさん
「彼(アレックスさん)が求めていることに対して、うちに何ができるかと言ったら、やっぱり演奏場所を提供してあげること。そこで彼が弾けたら、それが一番幸せでしょ?」

兵頭ニーナさんとアレックスさん
ニーナさんはロシア語が堪能です。そして、レコードを出したことがあるプロの歌手でもあります。歌手の加藤登紀子さんが歌い大ヒットした「百万本のバラ」。実はもとはロシアでヒットした曲で、いまから約40年前、その原曲を日本で初めて歌ったのがニーナさんでした。

ニーナさんが歌った『百万本のバラ』のレコードジャケット
資料提供「バンダイナムコミュージックライブ」
同じミュージシャンとしてアレックスさんを助けたいと、息子で店長の弁慶さん(44)と一緒に、店に募金箱を置くなどして受け入れたのです。

実は、アレックスさんを受け入れる前、ニーナさんのレストランには「ロシア料理を辞めろ」といった電話がかかってきたり、店前の道路に止まった車から罵声を浴びせられたりといった嫌がらせがありました。こうした状況の中、ニーナさんは毅然とした態度で、今、自分にできることに取り組んでいきたいと考えています。
兵頭ニーナさん
「今、この世の中の状況でロシア料理店っていうのはどういう状態に見えるのかな、ロシア、ロシアってうたうのはどうなのかなと思い悩むこともあります。でも、うちはロシア料理を仕事にしているし、辞めることはできません。私はいま、自分にできることを一生懸命やるしか無いんです」

平和への思い アコーディオンに乗せて
1日も早く平和な日々が戻るように。そんな願いを込めて、ニーナさんはアレックスさんと一緒に、札幌市内のライブハウスで開かれたコンサートに出演することにしました。一緒にステージに立つのは、音楽を通じて広がった仲間たちです。

アレックスさんのアコーディオンに乗せてニーナさんが歌を披露します。この日、2人が選んだ曲は「オー・シャンゼリゼ」。聞いている人たちに明るい気持ちになってもらいたいというのが理由です。

2人が演奏に込めた平和への思いは、お客さんにも届いたようです。
お客さん
「ロシアとウクライナは大変な中なのに、こういう場所で人と人っていうのは仲良くやっていける。こういう所から、平和へとつながっていくんじゃないかなと思いました」

アレックスさんとニーナさんは、これからも当面の間、一緒に演奏を続けていきたいと考えています。ステージ後、音楽に込めた思いについて、アレックスさんとニーナさんは改めて次のように語りました。
アレックスさん
「『大砲が聞こえると、音楽は黙る』という言葉があります。私はそれを逆にしたい。音楽で大砲を止めることができたらと思います」

兵頭ニーナさん
「国と国なんてことは忘れて、やっぱり身近にいる人と人が温かくつながって、助け合う。それが1番良いことじゃないかなと思いますね」

取材後記
「音楽で大砲を止めることができたら」…アレックスさんの言葉はとても力強く、ミュージシャンならではの平和への願いであると感じました。そして、それに呼応する形でアレックスさんを受け容れ、一緒にステージにも立っているニーナさん。今の状況でロシア料理店を経営することに悩みを感じながらも、自身のルーツがロシアであることに誇りを持っています。
軍事侵攻をきっかけに、日本国内でもロシア人が嫌がらせを受けるなど、国同士の争いが個人の間にも様々な形で差別や偏見を生んでいます。そうした中、アレックスさんとニーナさんの演奏からは「国と国ではなく、人と人のつながりこそが大切」という大切なメッセージを教えてもらったような気がします。

音楽を通じて札幌にも少しずつ仲間が増えつつあるアレックスさん。それでも、取材の最後にはふと「本当はすぐにでもウクライナに帰りたい」と、祖国への思いを口にしていました。今年こそは、「音楽で大砲が止められる」、そんな年になることを私も願っています。
NHK札幌放送局アナウンサー 芳川隆一
戦争の記憶と平和への思い 他にも取材しています
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