NHK札幌放送局

クマの視線は何を語る?

野村 優夫

2022年2月28日(月)午後4時02分 更新

北海道・知床で撮られたヒグマの写真。ガードレールの上に顎を乗せこちらを見つめ返す視線が、とても印象的です。なにか「このクマ、何を考えているんだろう」という想像力がかき立てられるような写真ではないですか?

写真から受けるこの感覚。実は、とっても大事なのかもしれない。

今回、この写真を撮影した方にじっくりとお話を伺い、私はそう強く思うようになりました。
何故かといいますと・・・

詳しくは、3月4日(金)の「ラジオ深夜便」で放送しますが、一部をここでご紹介したいと思います。

思い通りにならない世界に身を置きたい

冒頭の写真を撮影したのは、写真家の川村喜一さん(32)です。川村さんは、東京生まれの東京育ちで、東京藝術大学大学院を卒業後、5年前に知床へ移住しました。

なぜ、移住を決めたのか。きっかけとなったのは、学生時代に行った北海道での撮影旅行でした。車で札幌から知床へと向かう中、次第に真っ暗になっていく道での体験がとても衝撃的だったといいます。

ヘッドライトだけで暗闇の中を進んでいくと、たまに動物の目が光るんですよね。 闇が濃いので、何の動物か分かりません。森の奥の動物がこっちを見ている目線だけがそこにある。得体のしれない何かが、闇の中とか森の奥に住んでいて、こっちを見つめ返してくる世界がある。そういう視線が強烈だったんですよね。

川村さんは、その視線に恐怖を感じるとともに、強く惹かれるものもあったといいます。

ただの動物だっていうよりは、 暗がりの中で動物が生きている、何かがいる。自分のコントロールできなさみたいな。そういうところが強烈だったんですかね。自分本位で、人間本位で扱うことができない。そういう世界とちゃんと向き合ってみたい、ということを考えたんだと思います。

都市に住んでいると、人間の作ったシステムの中で、コントロールされた環境で暮らすことが当たり前になっています。電車は時間通りに来ることがほとんどですし、ネットで注文したものは大抵数日で届きますし、コンビニで24時間好きな時に好きなものが買えます。そのシステムが少し乱れる、例えば電車が数分送れるだけでイライラしてしまう自分がいる。そうした時間の流れと違うところに身を置いて、一から写真を撮ってみたいと、川村さんは考えたのです。

自然と向き合うと「視座の転換」が起きた

知床で暮らし始めて、川村さんは、自然から受け取る「身体感覚」を大切にするようになったといいます。

自然環境がダイナミックな場所に暮らしていると、自然から受ける身体感覚っていうのはやっぱりありますよね。風が強くて吹き飛ばされそうだとか。とんでもなく寒いとか。そういったものをちゃんと受け取っていることを意識する。自分が生き物として1つの命としてここにあって、自然環境の中で生きているって実感のことを、身体感覚っていうのかなと思います。そういった肌触りとか質感とかを、写真の中に閉じ込めたいなというふうに思うようになりました。

冒頭のヒグマの写真も、そうした身体感覚をもとに撮ったものでした。
ある夏の夜、川村さんが車で自宅に戻る途中、道をふさぐようにクマがいました。クマは、道路に座り込み、笹を食べていました。なかなかどいてくれないので、川村さんは、クマと距離をとって車の中で待機していました。
はっきりとした時間は分かりませんが、川村さんにとって長く感じられた時が流れたあと、ようやくクマが、「しょうがないな」という仕草で、ガードレールを超えました。しかし、クマは、そのまま森の方へ消えてくれませんでした。なぜか顎をガードレールの上に乗せて、川村さんに視線を向けてきたのです。川村さんは、車の中から、思わずシャッターを切りました。
クマと視線を交わす中で、川村さんは、不思議な感覚にとらわれたといいます。

人同士でも、視線で何を考えているのか、いろんなことを感じ取り合っていると思うんですが、そういったことがその場で起こっていました。もちろん野生動物ですし、安易に感情移入したりとか、擬人化したりして、ヒグマの感情とかを読み取ることはしてはいけないし、できません。でも、ぼくたちが野生動物というくくりで思っているようなものではない、ヒグマなりの、意図みたいな、意思みたいなものをこっちに向けてくる、というのはすごく感じましたね。

そして、ふと、クマの考えていることに自分の心が向かったといいます。

こちらが見つめているのと同じ様に動物たちもすごく人間のことを観察していて、よく分かっていて、そのうえでガードレールっていう人が敷いた境界線を、超えたりもするし、まあ超えないでいてやるかというぐらいの気持ちでいることもあるんだなってことをすごく感じました。

川村さんは、この時、自分の中に「視座の転換」が起こっていたのではないかと考えています。
この場合の「視座」というのは、「誰の立場から、どの立場から、ものを見るか」ということです。クマの視座に立つということは、クマの側からものを見た場合に、どのような風景が広がるのか、どんな感覚が立ち上がるのか、想像するということになります。
クマの写真を撮った時に、この視座の転換が起こった。そして、知床に暮らして写真を撮っていると、他の動植物についても、その視座に立つ感覚になる瞬間が度々訪れるのだと、川村さんはいいます。

1つの視座として僕は僕なりに世界を見ているんですけれども、いろんな多様な生き物が住んでいて、それぞれに視座があって、そういういろんな複雑な関係の中で、今この状態、環境っていうのが成り立っています。人も含めたいろんな「命の視座」が関係し合っている、その中で自分も暮らしているというような感覚はあります。

狩猟でも起きる「視座の転換」

川村さんは、知床に来てから、免許を取得して狩猟を行うようになりました。

都会では自分が食べているものが、どこから来て、どうなっていくのかっていうことが、なかなか感じられないし分かりません。なので、改めてそういう命のことについて、自分の手で触れていくことが大事なんじゃないかなというふうな思いもあって狩猟を始めたんですよね。

この狩猟の過程でも、川村さんの中で「視座の転換」がしばしば起こるのだといいます。

すごく自分が見られているというような感覚になるんですよね。自分が慣れない足取りで森の中を進んでいくと、落ち葉を踏む音や自分の着ている服が出すカシャカシャした音がすごくうるさいんです。 なので、自分がなじんでいくというか、自分自身が「自然化」していくような必要性を感じながら、動物の痕跡をたどっていきます。

森の側から自分を見た場合、どのような存在なのか客観的に見つめ直す。これが一つの視座の転換です。
さらに、獲物に迫るために、動物側の視座に立つことも求められます。

今は風が強いから針葉樹のところでシカは休んでいるのかなとか、天気がいいから日向に出て草をはんでいるのかなとか。今風向きがこっちだから、きっとこのままいっては気づかれてしまうから、こっちから回り込んだほうがいいのかなとか。そういう憶測と失敗を何度も何度も重ねます。そっちの方が、本当は撃つ瞬間よりもすごく長いんですよね。

そうした経験を重ねる中で、川村さんは、動物たちに対する感覚が、これまでと大きく変わっていったといいます。

自分が動物の領分に入っていくと、そんなに動物たちって弱くもないと実感します。300m先でシカがこっちに先に気付いていて、身を翻して逃げていく時なんかは、 生き物として足元にも及ばないんだなって感じます。その繰り返しの中で、いろんな生き物に対して、尊敬というか、純粋に彼らはすごいなっていうような思いも抱きます。そういう過程の方が実は僕にとっては大事なのかもしれないですね。

川村さんは、クマの視座に立ったり、シカの視座に立ったり、鳥の視座に立ったり、時には森の木々の視座に立ったりして、そこから見える風景を想像しています。そうしたことを繰り返すと、自然の大きな関係性の中に、人間もいるのだということを、理屈ではなく、体を通じて実感するのだといいます。
そうなると、人間中心的な考え方にはなりませんし、自然の循環が続くように振舞おうという感情が自然と芽生えてくるのだそうです。

これは、今世界的な広がりを見せているSDGs・持続可能な開発目標の達成とも深いところで繋がっているのではないか、とも私は感じました。

そうしたことも含め、様々な角度から、川村さんと対話を重ねました。
詳しくは、3月4日(金)午前4時5分からラジオ第一で放送予定の「ラジオ深夜便・明日へのことば」をお聞きください。(放送後1週間は、らじるらじるの聞き逃しサービスでも、お聞きいただけます)

また、3月3日(木)の「おはよう北海道」でも、インタビューの一部をご紹介する予定です。
さらに、3月5日(土)午後10時50分からの「ノーナレ」(総合テレビ)で、川村さんの暮らしに密着したドキュメントを放送する予定です。こちらも是非ご覧ください。(なお、緊急のニュースやパラリンピック中継延長の影響で放送時間が変更になる場合があります)

2022年2月28日

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