NHK札幌放送局

クマの痕跡が教える知床の森の豊かさ

野村 優夫

2021年10月14日(木)午後6時15分 更新

知床の森を歩きながらよく観察してみると、ヒグマのつけた痕跡を見つけることができます。ヒグマの姿を直接見ることがなくても、「確かにこの森にはヒグマが生息しているのだ」と、その息遣いが強く感じられます。また、そうしたヒグマが残したサインの意味を紐解いていくと、知床の森がなぜここまで豊かなのか、その一端を知ることもできるのです。 

今回は、ネイチャーガイドの鈴木謙一さんに、秋の知床の森を案内していただきながら、刻まれたサインの意味を、深く考えてみました。

これからクマに出合うかもしれない! そのサインとは!?

クマの活動期に知床の森へ入る際には、ヒグマと出合い頭に遭遇することを避けなくてはいけません。そのため、鈴木さんは、冬場よりもより慎重に、動物たちが残す「フィールドサイン」を観察します。

野村さん、これ、クマが残したとても大切なフィールドサインなんですよ!

鈴木さんが指さしたのは、地面の上。なにか土の塊のようなものが見えます。

これは、クマのフンなんですね。もうかなり古いものですが、推測するに、6月か7月のものかなと思います。よく見てみると、シカの毛のようなものが入っています。クマがシカを食べるのは、春先から7月くらいまでなので、時期が推測できます。実は、フンからは、たくさんの情報を得ることができるんです。

鈴木さんがフンを見るとき特に注意を払うのが、これから自分たちがクマに出合う確率がどの程度かを知るためのサインです。

まず、鮮度が大事ですね。昨日までなかったフンが、今日見つかったとしたら、少なくとも24時間以内にクマがここにいたことになります。また、例えば、午前中に雨が降っていて、今あがっていたとします。それなのにきれいな形でフンが残っていたら、少なくとも雨が上がった後、もしかしたらつい先ほどまで、クマがここにいた可能性があるので、警戒を強めないといけません。

鈴木さんは、ガイドを務めるにあたって、お客さんを案内しない日でも、毎日のように森の中に入るようにしています。動物たちが残したサインがいつついたものなのか、把握していないと、安全にお客さんを案内することが難しくなるからだといいます。

鈴木さんは、さらに、フンの形にも注目します。

鈴木さんによると、クマは歩きながらフンをする場合があるといいます。その際、最初に出たフンは大きくなり、次第に小さくなっていく傾向があるそうです。つまり、残されたフンを観察すれば、大きなフンから小さなフンの方向に向かって、クマは進んだ可能性が高いと推定できる、鈴木さんは言います。

フンが比較的最近残されたと想像できて、しかも、これから自分たちの進む方向にクマも進んでいったと考えられる場合には、これからクマに遭遇する可能性が高まる、ということで、警戒レベルがぐっと上がります。

クマの残すフンのサインは非常に貴重である。そう指摘する専門家は少なくありません。

北海道立総合研究機構・専門研究主幹でクマの生態に詳しい間野勉さんも、その一人です。

フンには、研究者にとっても重要な様々な情報が含まれています。例えば、何を食べていたのか、いつしたものなのか、どのくらいの大きさなのか。フンを調べることで、そのクマの生態を知る一つの手がかりになります。最近では、新鮮なフンから採取した試料から遺伝子分析をすることで、個体を特定することもできるようになりました。
さらに、私たちがフィールドワークをするときに、クマと出合い頭で会わないようにするためにも、フンをよく観察することはとても大切なことなのです。

間野さんは、フンの情報と併せて、周囲の状況をよく観察することも必要だといいます。

例えば、フンが示す方向にクマが移動したと考えられる場合、その方向の木や草が倒れていたとします。すると、クマがその方向に進んだ可能性が高まります。もし雨が降っているのに、倒れている草木の裏が湿っていなかったら、倒れて間がない、つまりクマがごく最近通った可能性が否定できなくなります。フンを含めた周囲の情報を集めて、総合的に判断する必要があります。

ネイチャーガイドの鈴木さんも、そうした様々な情報を組み合わせて、クマの行動を予測することの大切さを実感しています。

この写真は、鈴木さんが撮影した知床五湖の遊歩道についたクマの足跡です。これから自分たちが進もうとしている方向に足跡も向かっています。鈴木さんは、この歩道にたどり着く前に、クマのフンを見つけていました。そして、その先に、この足跡を見つけたのです。

この日は、よく晴れていました。クマがどこかの水辺で足を濡らして、歩道を歩いたのだと思います。ここは、とても風通しがよくて日差しを遮るものもない場所だったので、1時間もすれば、足跡は消えていたはずです。それが残っているということは、本当につい先ほどクマが通った可能性があるということです。
お客さんを案内しているときにこうした場面に遭遇したら、先に進まず、引き返すこともあります。

なぜクマは地面を掘り起こした? 

出合い頭にクマに遭遇する危険をできる限り回避するために、重要な手がかりとなるクマの痕跡。さらに注意深く観察すると、クマと森の関係も見えてくると、鈴木さんは指摘します。

これも、クマの残した跡だと思われますね。

鈴木さんが指をさしたのは、トドマツの根元に開いた穴。直径が数十センチから大きいもので1m以上あります。

これは、ヒグマが夏に、蝉の幼虫を食べるために掘った跡なんです。蝉は羽化の前には地面の方に上がってきます。クマは嗅覚がいいので、それを見つけて、掘り返して食べると考えられます。

さらに森を進むと、広範囲に渡って土が掘り返されたような跡がありました。

これは、クマがアリを食べるために掘り返した跡だと思われます。少し見えにくいんですが、ここにはアリの巣がたくさんあって、地面の下にいたアリをクマが食べた時の跡なんですね。

この掘り返した跡と思われる場所のすぐ横の地面に、小さな穴が開いていました。これが、アリの巣の穴だそうです。

実は、夏は、森の中の食物が少なくなる季節なんです。春は、柔らかい草がたくさんあって、それがクマの主要な食物になります。ところが、夏になると消化のしやすい柔らかい草が減ってしまいます。秋になると、どんぐりなどの実が落ちてくるんですが、夏は、その端境期になるんですね。

そのため、昆虫が、夏の非常に貴重な食物になるのだそうです。

特に、アリは、社会的な昆虫なので、巣を作って一か所にたくさん生息します。ですから、クマとしても、効率よく捕まえることができるので、一匹一匹は小さいんですが、ある程度お腹を満たすのに適していると言えるんです。

北海道立総合研究機構の間野さんは、食物不足になる夏場は、人間とのトラブルがより増える時期でもあると指摘します。

夏の時期は、自然界から得られる食物の端境期になるので、農作物の収穫が始まる晩夏には、農作物を求めてクマが田畑に現れることがあります。知床では、サケやマスという食物が手にはいりますが、そのほかの場所では、里に食べ物を探しに移動するクマが増えて、人間と大きな軋轢を生むことが多くなります。

冬が明けて春から秋に向けて、森の食物は右肩上がりに増えていくのかと私は思っていましたが、クマの視座から見てみると、夏に一度食物不足に陥るんですね。それが、人間との軋轢を起こす一つの要因にもなりうる・・・

クマが掘り越したアリの巣の跡から、人間とクマとの関係にまで話が及ぶというのは、新鮮な体験でした。

季節で変わる関係性

森を歩いていると、シカの親子に出合いました。時々こちらに視線を送ってきますが、ゆったりと草を食んでいます。

季節によって、シカの行動が変わるっていうのも面白いところなんですよ。

そう言いながら、鈴木さんは、タブレット端末で、一枚の写真を私に見せてくれました。

この写真は、春先に鈴木さんが撮影したものです。この時、鈴木さんがすぐ近くにまで近づいても、シカはまったく鈴木さんの方に視線を送らなかったそうです。シカが見つめるずっと先には、ヒグマがいたのです。今年の春、鈴木さんがメールで送ってくださった写真に写っていたシカと同じ行動です。 

春先は、まだ雪が残っているので、シカがクマに襲われた場合、足が雪に埋まってしまってうまく逃げ切れないことがあります。ですから、シカは、クマを非常に警戒します。
ところが、雪が溶けると、シカは自由に走れますので、逃げ切れる確率が上がります。そうなると、クマも襲っても無駄だということで、シカをほとんど襲わなくなるんです。ですから、この時期のシカは、比較的リラックスして草を食むことができるんですね。

この写真は、鈴木さんが7月に、撮影したものです。シカとクマの距離は、十数メートルにまで近づきましたが、シカは逃げることはなかったそうです。

同じシカとヒグマでも、季節によってその関係性が変わってくる、というお話も大変興味深いものですね。

秋の恵みを受けて

木に残された深い爪痕。ヒグマがつけたものです。

これは、この木にからまるように伸びている山ぶどうの実を採るために登った跡だと考えられますね。十数メートル先に山ぶどうは実をつけるので、それを目指して登ったんだと思います。
これは、恐らくメスのヒグマか、体の小さいオスのヒグマがつけたものだと思いますね。体が大きくなりすぎると、クマは自分の足で重さを支えきれなくなるので、こうした木には登りにくくなると考えられます。子供も木登りは大好きです。山ぶどうを採るために、必死で木に登る子グマを見たことも何度もあります。

こちらは、今年の春、鈴木さんが撮影した親子グマの様子です。森のすぐ下の岸壁を渡っています。

こうした姿を見ると、去年の秋、この母親は、森の恵みを十分受けることができたんだあ、よかったなあ、と思うんですよね。

ヒグマは、例年6月から7月に交尾を行います。ところが、受精卵はすぐには着床せず、子宮の中を漂います。そして、秋に十分な栄養を蓄えることができたメスだけが、冬眠中の1月~2月ごろ、出産をするのだそうです。

年によっては、どんぐりの実りが非常に少ないこともあるんですね。すると、次の春、十分な子供が生まれるだろうかと、少し気になるんです。もちろん、子供連れクマを目にするかどうかというのは、別の要因も関係しているので、一概には言えませんが、春にたくさんの親子グマを見ると、昨年の森は豊かだったのかなかぁ、と思わず想像してしまうんですよね。

豊かな森を支える担い手として

豊かな森の恵みを受けて子育てをするヒグマ。一方で、ヒグマがいるからこそ、森も豊かになるのだと、鈴木さんは言います。

これは、山の中でサケを食べる様子を鈴木さんが撮影したものです。鈴木さんは、こうしたクマの姿を度々みかけるそうです。

北海道立総合研究機構の間野さんによると、例えば、川辺に他のクマがそばにいて、サケの数が少ない場合には、やっと手に入れたサケを他のクマに取られないように、山の中など離れた場所に移動したあと、ゆっくり食べることもあるといいます。

ネイチャーガイドの鈴木さんは、このようなクマの行為が森にとってとても重要だと実感しています。

山の中でクマが食べ残した魚が、他の哺乳類や鳥、昆虫の食物となります。例えば、カラスがクマの食べ残しに少しでもありつこうと、枝を行き来している様子をよく見ます。そのようにして魚を食べた様々な動物のフンや死骸が、森の木々を豊かにし、そして、やがてその森の養分が川を下って再び魚を育むという、大きな循環があるんですね。

北海道立総合研究機構の間野さんも、その循環の中でクマが果たす役割の大きさを指摘します。

クマとサケのいる森の生育は、いない森と比べて、たいへん良い、という研究結果がカナダで報告されています。ダムができてサケが遡上できない森の樹木が悪くなっていくということも分かってきています。そして、その自然の循環の中心ともいえる動物がクマなのです。

鈴木さんは、ガイドをするとき、森の痕跡を丁寧に紐解きながら、ヒグマの持つ様々な側面に想像力を働かせることができるよう心掛けているといいます。

クマは、時に私たちに危害を加える存在になりえます。ですから、不幸な遭遇を避けるために、残されたサインにどのような意味があるのか、お客さんにも説明しながら、注意を払うようにしています。一方で、世界的にも貴重な、これだけの高密度でヒグマが暮らしている地域だからこそ、豊かな森が育まれ、世界遺産にも登録されたのだということも、森の痕跡を通じて、同時に感じていただけると嬉しいですね。

この取材の成果の一部は、10月29日(金)の「おはよう北海道」で放送する予定です。

2021年10月14日

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