「神門光太朗の32市町村すべておじゃまします」
今回は広尾町におじゃましました。
きょう(7日)放送の『釧路根室十勝のすべて』は、6月7日(火)午後7時から6月14日(火)午後7時まで、らじる★らじる聴き逃し配信をします。何度でも聞けますので、どうかよろしくお願いします。

千葉県松戸市のラジオネーム ねぎのない国に住みたいさん(68才 ※以下 ねぎ住みさん)からメールが届きました。
「2010年から8年間、十勝の広尾町に単身赴任していました。仕事は苦労の連続でしたが、この厳しい生活を豊かにしてくれたのは広尾の方のサポートでした。友人たちとの山登り、地元でとれた魚や山菜のバーベキューなどなど。町内会の方々からのおかずの差し入れ、パークゴルフ、クロスカントリーの参加、ゴルフ同好会メンバーとのプレー。多くの人にあたたかい心づかいをいただきました。奇跡のような日々を過ごして仕事が任期満了になり、涙して広尾を離れました」
ねぎ住みさんは商社マンでした。広尾町の十勝港に設立された飼料の合弁会社の立ち上げメンバーとして商社からたった1人で派遣されました。農業王国 十勝での一大プロジェクト。大変な仕事の中、広尾の人たちとの交流がかけがえのないものだったといいます。

広尾町を離れて4年、新型コロナウイルスの影響で1度も訪れることができていないというねぎ住みさんからの熱いメッセージには、当時お世話になった方々のお名前が記されていました。
今回、私がその方たちに会いに行き、当時のエピソードを聞いてきました。
まず、三好保さん(84才)
「こんにちは~」

「彼はとにかく一生懸命でした」
「私がスキーに誘って毎週末に一緒に出かけました。彼は未経験で、はじめは1メートルも滑れずに転んで起き上がるのに時間がかかったけど、努力の人なんです! 最後はすばらしい腕前になったんですよ」
「広尾から離れていくのが惜しかったです」
三好さんはねぎ住みさんと似た境遇でした。
三好さんもまた、仕事で町外から移り住んできたのです。
無線通信士として漁船に乗るなど網走市で暮らしていましたが、昭和41(1966)年に広尾町に転勤。

知り合いが1人もいないところからのスタートでしたが、趣味を通じて広尾町での交友関係が広がっていきました。
ねぎ住みさんともスキーやパークゴルフでグッと距離が縮まったといいます。
町内のパークゴルフ愛好者グループ、その名も「三好会」

「年齢は離れているけど、同じ転勤族ということでフィーリングが合ったんじゃないかなあ」
次に、ねぎ住みさんがお世話になったという喫茶店を訪問しました。

“アポなし”で訪問して取材しようと考えていたのですが、ねぎ住みさんから「NHKのカンドさんが行くかもしれない」と事前に連絡が入っていたそうで、テーブルには予約席のプレートが置かれていました。

インタビューをしようとマイクを用意していたら、店のメニューが差し出されました。(そうだ、お昼ごはんがまだだった)
オススメのハンバーグドリアを注文。
ワタシ、ドリアが大好きなのです。

「ドリアに入ってもハンバーグが埋没せず、『ハンバーグだぞ!』としっかり主張してますねぇ。チーズがトロトロだぁ」
あ、いかんいかん。ねぎ住みさんについてインタビューしなければ。どんな人でした?
「彼は面倒見がいいんだよ。世話好き。そして誠実!」
「店に来れば誰かがいるからね、ここで仲間が増えたんだよね」
喫茶店のメニューにはねぎを使った料理が一切ないことから、ねぎ住みさんは安心してこの店で食事ができたようです。
放送では「広尾の方の優しい思いやりを克明に思い出します」と話すねぎ住みさんと電話をつなぎ、三好さん、宮原さんにインタビューした様子を聞いてもらいました。
ねぎ住みさんとのやりとりは聴き逃し配信でどうぞ。
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次回は、あす(8日)午後5時05分から生放送の予定。
根室市で取材した様子をお届けします。