8月といえば夏の全国高校野球。ことしは仙台育英高校が東北勢として初優勝して、
深紅の大優勝旗がついに「白河の関」を越える、歴史的な年となりました。
ただ、熱かったのは若者だけではありません。
8月13日に帯広市で開かれたのは、80歳以上限定の野球大会、その名も「傘寿軟式野球選手権大会」です。若い頃から野球を愛し続け、この大会まで立ち上げてしまったのは、御年86歳の現役選手でした。 (帯広放送局 辻脇匡郎)
80歳超えても青春!
8月上旬、帯広市の野球場。
練習していたのは、60歳以上の野球チーム「帯広シニアスターズ」です。

ユニフォームに身を包んでプレーする選手たちの中、ひときわベテランの選手たちが懸命にプレーしていました。
「帯広シニアスターズ」の中に新たに結成された、80歳以上の選手たちによる「傘寿チーム」の面々です。

メンバーの1人、三浦公一さん。
長嶋茂雄さんと同じ、昭和11年生まれの86歳です。
自分たちの年齢でも活躍できる場をつくろうと「傘寿軟式野球選手権大会」を立ち上げ、実行委員長も務めました。
三浦公一さん
「体は年取っていますけどね、老化していますけど、気持ちは青春しているんじゃないですか」

原点は高校野球
年を重ねても変わらぬ野球への情熱。
その原点ともいえる場所に連れて行ってもらいました。
三浦さんの母校、帯広柏葉高校のグラウンドです。
当時と同じ場所で、三浦さんよりはるかに年下の後輩たちが白球を追っていました。

三浦公一さん
「下からムッとくるあの熱気が、今でも忘れないですね。本当に当時を思い出すね、こうやって見たら。うん、懐かしい。こうやって母校のグラウンドをじかに見るっていったら、60年ぶりかな。いや、70年になるね」
三浦さんは、高校2年生だった昭和28年に、北海道大会でベストフォーに進出。
3年生になった昭和29年にはキャプテンとして、2年連続でチームを北海道大会に導きました。

社会人時代には北海道代表として国体にも出場した三浦さん。
30年ほど野球から離れた時期もありましたが、転機が訪れたのは還暦を前にした頃でした。
当時の先輩から誘われ、野球を再開。
青春時代の情熱がよみがえり、再びのめり込みました。
三浦公一さん
「やっぱり好きなんだね、スパイクがグラウンドに刺さる感触がね、何とも言えないんだね」
さらに思いもよらない出会いも。
高校時代のライバル校、帯広三条高校で選手だった同い年の喜井昭さんと、チームメートとして再会したのです。

三浦公一さん
「本当にライバルだったの。『帯広の早慶戦』って呼ばれていたんだから」
喜井昭さん
「このチームで、三浦さんが監督、私がキャプテンで10年ぐらいやってたんだよ。私が三浦さんを支えていたの」
三浦公一さん
「昔はライバルで、道で会っても目も合わせなかったのに、60歳を過ぎてこんな風になるとは思わなかったね。でも本当に幸せだと思うよ。健康でね、好きに野球やってさ」
喜井昭さん
「昔のことは忘れないもんね、なかなかね」
野球を通じて得られた人とのつながりも、三浦さんがプレーを続けるモチベーションになっています。
目標は「初球をヒット」 結果は?
精力的に活動する三浦さん。
得意なのはバッティングです。
大会1週間前の練習では、年齢を感じさせない、鋭い当たりを次々と飛ばしていました。

三浦公一さん
「1番バッターで最初の試合で、1球目でセンター前ヒットでも打てたら最高だなと思って。それは夢の夢かもしれませんけど、頑張ります」
そして大会当日。
三浦さんは1番・セカンドで先発出場しました。
その第1打席、力が入って打ち上げてしまい、ファーストフライに倒れます。
そして第2打席、今度はセカンドゴロでしたが、相手のエラーで出塁。
その後、追加点のホームを踏みました。
結局、2打数ノーヒットでしたが、試合でしか味わえない楽しさを満喫し、三浦さんからは笑顔がこぼれました。
チームは10対3で勝利。
傘寿選手権大会の初代チャンピオンに輝きました。
三浦公一さん
「野球は青春そのものというか、私にとっては生きがいですね。仲良く楽しくけがなく、皆さんとプレーしていきたいと思います。今回の大会の最高齢は91歳の方だったので、私もあと数年はプレーできるかな、プレーしたいなと思っています」
「ほっとニュース北海道」8月12日放送
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