NHK札幌放送局

一緒に生まれて、一緒に亡くなった2人

道南web

2022年1月12日(水)午前11時16分 更新

6年待って生まれた子どもだったという。
2人は産声を上げたときから一緒だった。
笑ったり、泣いたり、いつもそばにはもう1人がいた。
しかし、突然の出来事で日常が失われた。
2人は旅立つときも一緒だった。

命の大切さを強く訴える

「亡くなった命はどんなに親が嘆いても、帰って来てって言っても帰って来ないんです。あの日のことは忘れません。娘たち2人を除いての日常はないんです」

私の目の前には、警察官の目を見ながら言葉1つ1つに力を込めて強く訴える1人の女性の姿があった。

この日、北海道警察函館方面本部で行われた講演会。「犯罪被害者週間」にあわせ、日頃犯罪や交通事故の被害者とやりとりをする警察官を対象にしたものだ。

講師として登壇したのが福澤きよ子さん(72)。

警察取材を担当している私はこの日初めて福澤さんと出会った。

福澤さんは、28年前のある日の出来事を静かに語り始めた。

あの日起きた事故

1994年7月1日の朝。上磯町(現・北斗市)の町道で、登校途中だった小学生の列にトラックが突っ込んだ。

この事故で福澤さんの双子の娘、亜紀さん(当時11歳)と佳奈さん(当時11歳)の2人が亡くなった。ほかの児童2人もけがをした。

トラックの運転手にはてんかんの持病があった。運転中に発作が起きて意識を失い、トラックは対向車線にはみ出して車1台と接触したうえ、そのまま歩道に突っ込んだ。

NHKが当時撮影した現場の映像には、路肩に突っ込んで止まっているトラックと、ランドセルや傘、子どもの靴などが辺りに散乱した様子が残されていた。その後運転手は業務上過失致死傷の罪に問われ、禁錮1年8か月の実刑判決が言い渡された。

突然失った2つの命

事故のあった日。
庭の手入れをするため外に出ていた福澤さんに、近所の男性が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「近くで事故が起きて亜紀と佳奈が巻き込まれたぞ」

現場は自宅にほど近いT字路。
急いで駆けつけた福澤さん。現場までの道のりがとても長く感じられたという。
そして信じられないような光景を目の当たりにした。

「当時現場はすごかった。ランドセルはちぎれて、傘は折れていた」

当時NHKが撮影した現場の映像

妹の佳奈さんは歩道の真ん中にうつ伏せで倒れていた。

姉の亜紀さんは歩道脇の草むらにうっすらと目を開けたまま、歩道に倒れた佳奈さんを見るようにあおむけで倒れていた。

「娘の頭の上にカツラが落ちているようでした。頭の中身がないんです。頭の中から飛び出していたと言った方が正しいのかもしれません」

「見せ物じゃないもんね」
事故現場を通りかかった人がそう言って、持っていた手ぬぐいを首から外してかけてくれたという。

「なんで他の人が気がついているのに私は子どもに服をかけてあげられなかったんだろう」

真夏で薄着だったのも気にせず、福澤さんは慌てて着ていた服を脱いで娘の体にかけた。

「いま家から毛布持ってくるから」

近所の人たちも手伝ってくれた。

まもなく救急車が到着した。救急隊員の口から出たことばが、福澤さんの脳裏に焼き付いて離れない。

「2人即死」

亜紀さんと佳奈さんをその場に残して、けがをした別の2人の児童が先に運ばれていった。

少しして、知り合いの救急隊員がやってきた。

「福澤さん、家に帰ってなさい。ここは俺に任せてちょうだい。決して2人に悪いようにはしないから」

福澤さんは娘たちを残して自宅に帰ることはできないと言ったが、隊員の説得を受け、自宅に戻ることにした。

「立てない」

何をしても立つことができなかった。福澤さんは2人の姿を見たショックで腰が抜け、いくら立とうとしても立ち上がることができなかった。

その姿を見ていた知人がおんぶをしようとした。

「娘に笑われる。肩貸してください」

福澤さんは娘たちにそんな姿は見せられないと、知人たちの肩を借りながら一度自宅に戻った。

1つでも事故が減ってほしい

福澤さんがこうして事故の経験を語るようになったきっかけを作った人がいる。
道警の元警察官、橋本昇さんだ。

橋本さんが道警の交通部に所属していたときに、「1つでも悲惨な事故をなくしたい」との思いで事故の遺族の話を冊子に残したり、講話を開く機会を作ったりしていた。事故のことを報道などで知り、心を痛めたという。

数年後、事故が起きた地域を管轄する道警函館方面本部に異動になった橋本さんは、福澤さんの自宅を訪ねた。「少しでも事故を減らすため、心情をつづってほしい」と頼んだが、福澤さんは心を閉ざし続けていた。

その後も何度も福澤さんのもとを訪ねた橋本さんの思いに背中を押され、ようやく福澤さんは依頼を受け入れることにした。

「1人でも事故に遭わないように。そういう事故が少しでも少なくなってほしい」

それ以来、福澤さんは警察官をはじめ、子どもたちやトラックを多く抱える運送会社の社員など、さまざまな人たちに対して講演を行い、突然尊い家族の命を失う痛みや、残される家族の苦しみを伝え続けてきた。

“心”で仕事をしてくれた看護師

道警函館方面本部での講演ではこの日も、警察官らを前に、いつも必ず伝えているエピソードを話した。

事故のあと、福澤さんが2人の娘の運ばれた病院に着いたときのこと。

病院の看護師から「2人に着せるものを持ってきてください」と伝えられた。
七夕に合わせて2人のために作った手縫いの浴衣を選び、着せてもらった。

2人を自宅に連れて帰ろうとすると、看護師から「どのようにお連れしますか」と聞かれ、福澤さんは「この手で抱いて、親子3人一緒に帰りたいんです」と答えた。

「とても抱いて帰れる状態ではありません。それに、車1台に1人しか乗せられないんですよ」という看護師のことばに、福澤さんはうろたえた。

「自分の体を半分にすることはできない。どうしたらいいのだろう」と、1人でずっと考えていた。

しばらくして、同じ看護師がやってきた。

「準備ができましたよ」

看護師にいざなわれて福澤さんが車に乗り込むと、車の後ろには、亜紀さんと佳奈さんが2人並んで、静かに横たわっていた。

「ありがとうございました」

車は2台準備されていたが、ルールにとらわれず、願いをかなえてくれた。思いをくみ取って3人一緒に家に帰れるように準備をしてくれた看護師の配慮に、福澤さんは強く感動したという。

福澤さんはこう言葉を強めた。

「この看護師のように、みなさんにも“心”で仕事をしてほしい」

もう1つ伝えたいこと

もう1つ、警察官たちへの講演で必ず伝えていることがある。

事故当日のことだ。自宅に戻った福澤さんに警察から「話を聞きたい。署に来てほしい」と連絡が入った。

福澤さんは「夫が仕事から戻ってくるまで待ってほしい。娘たちを置いて行くことはできない」と伝えたところ、担当の警察官はこう答えた。

「署に来られないようであれば加害者に有利な調書になりますよ」

しかたなく向かった警察署には、先ほどの警察官が待っていた。
すると福澤さんを見るなり、「加害者にも娘が2人いるそうです」と伝えたという。

子どもを亡くした直後の福澤さんに対して、思いやりや感謝の言葉ではなく、加害者の話をし始めたこの警察官の発言に、福澤さんは感情を逆なでされた。そして、こう告げた。

「それなら私が絞め殺してやる。そうすれば立場は同じでしょ」

その警察官はそれ以上言葉を継げなくなったという。

福澤さんは、このエピソードを通じて、被害者と多く関わる警察官だからこそ、被害者の感情に配慮して仕事をしてほしいと強く訴えている。

伝えたい「命の大切さ」

事故から少したったころ、福澤さんが夫と2人で現場に足を運んだときのこと。

現場に着くなり、夫が突然歩道に座り込み、拳でアスファルトの地面をたたき始めた。

「ここにいたらダメだ。家に帰るぞ。迎えに来たぞ」

福澤さんも一緒に2人で地面を何度も何度もたたいた。

「家すぐそこだよ。帰るよ」

娘たちにずっと声をかけ続けた。

福澤さんは当時を振り返り、こう続けた。

「娘たちには感謝しています。自分を親にしてくれたこと、親の気持ちを味わうことができたこと、自分たち親を育ててくれたこと、そして、たくさんの思い出を残してくれたこと・・・でも、」

「命はたった1つしかないんです」

講演中、福澤さんは何度も言葉に力を込めて訴え、こうしめくくった。

「亡くなった命はとても大きいです。でも、親がどれだけ嘆いても、帰ってきてって言っても、帰ってこないんです。毎日2人に話しかけて一緒に暮らしています。いまも娘たちがいない日常はないんです。ふだんから仲がいいと言われていた2人です。その2人が一緒に旅立った。2人一緒なら寂しくないよね。それだけがわたしたち夫婦にとって良かったと思えることです」

“ゼロ”にならない事故

全国では去年も子どもが巻き込まれる事故が相次いだ。
福澤さんはこうしたニュースに触れるたび、心を痛めるという。

被害者が一生懸命に声を上げてもなお、身勝手な運転によって失われる命があるのは、訴え続ける被害者の立場に立っていない人がいるからだと話す。

ハンドルを握る大人にはしっかり責任を持って運転してほしいと強く訴えている。

28年後の現場は

当時NHKが撮影した現場の映像

事故から28年。今も現場は、小中学校の子どもたちが毎朝通る場所だ。当時と変わらず、大型トラックが多く行き交い、交通量は多い。

事故を受けて、1年後に信号機や横断歩道が設置されたが、いまも歩道にガードレールはない。

亜紀さんと佳奈さんが通っていた北斗市立浜分小学校では、毎年事故が起きた7月1日に、児童が交通事故の悲惨さについて学ぶ機会を設けている。児童が自分たちで考えた交通安全のスローガンを、全校集会で発表する。福澤さんも毎年参加して、児童たちに命の大切さと事故防止を強く訴えている。


【取材後記】

1994年7月。自分が生まれる少し前に、自分が後に勤務する場所で、こんな大きな事故が起きていたことを知り、とても驚いた。偶然だとは思えなかった。

亜紀さんと佳奈さんのいないこの28年を、ご遺族がどのような思いで過ごしてきたのか、話を聞きたいと思った。

日常が突然失われた後の年月を、福澤さんはとても長く感じているという。
何をしていても2人のことを思い出し、涙がとめどなくあふれた日もあると話してくれた。

中でも、「心で仕事をしてほしい」という福澤さんの警察官にあてた言葉が強く胸に響いた。

わたしはことし記者になって3年目になる。
警察担当として日々、事件や事故の取材をする中で人の死や大切な人を失った方々に触れる機会は多い。

「心」のない仕事をしていないだろうかーー。

取材姿勢を振り返り、1つ1つの取材に丁寧に向き合っていきたいと改めて思った。

<取材した記者>
小柳玲華(函館放送局・放送部)
2020年入局。函館局が初任地。警察・司法を担当し、事件・事故を中心に取材。北海道生活は初めて。初めて見た函館山の夜景に感動しました。

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