NHK札幌放送局

知里幸恵 100年前に込めた思い

ほっとニュースweb

2022年3月1日(火)午後1時24分 更新

毎年3月1日、登別市にある「知里幸恵 銀のしずく記念館」は冬期の休館期間を終えて展示を再開します。知里幸恵が「アイヌ神謡集」の序文を書き終えた日が、3月1日とされているからです。アイヌ民族の悲哀や願いを幸恵が序文につづってから、そして、その半年後に19歳で亡くなってから、ことしで100年。序文は今、国境を越えて共感を呼び、多くの言語に翻訳されています。
(室蘭局・篁慶一) 

“とこしえの宝玉”

「Shirokanipe ranran pishkan」、「銀の滴降る降るまわりに」。この2つは、「アイヌ神謡集」の最初の物語、「梟の神の自ら歌った謡」の書き出しです。1923年(大正12年)に出版されたアイヌ神謡集には、アイヌ民族が謡い継いできた13の物語が収められています。文字が無かったアイヌ語が発音に合わせてローマ字で表記され、日本語の対訳も付けられました。同化政策が進む中、アイヌ民族自らが初めて書き残し、独特の自然観を広く伝える作品となりました。言語学者の金田一京助博士は、アイヌ神謡集を「とこしえの宝玉である」と高く評価しています。

著者の知里幸恵は、現在の登別市で1903年(明治36年)に生まれました。6歳の頃に両親と離れたあと、旭川で祖母や伯母と暮らしました。幸恵は学校で日本語を学ぶよう求められましたが、家庭の会話ではアイヌ語が使われ、2つの言語を身につけました。その後、アイヌ語研究のために祖母を訪ねてきた金田一博士の勧めで、アイヌ神謡集を書き上げたのです。しかし、幸恵は心臓の病気のため、出版前の1922年(大正11年)9月に19歳で亡くなりました。

知里幸恵の功績伝える

知里幸恵の出身地、登別市には「知里幸恵 銀のしずく記念館」があります。12年前、かつて幸恵の生家があった場所の近くに全国各地から集まった募金で建設されました。親族が保管していた日記や両親に宛てた手紙など、幸恵の生涯や功績を伝える貴重な資料が多く展示されています。運営は、地元のボランティアスタッフが担っています。

「知里幸恵 銀のしずく記念館」 金崎重彌館長

この記念館の館長を務めているのが、金崎重彌さん(76)です。初代館長は幸恵のめいの横山むつみさんが務めていましたが、6年前に病気で亡くなり、金崎さんが引き継ぎました。金崎さんは元々縄文時代に強い関心を持っていましたが、「縄文人の気持ちや自然観を受け継いだのはアイヌの人たちだ」と聞いたことをきっかけに、アイヌ民族について学ぶようになったと言います。小学校の校長を定年退職したあと、記念館の設立段階から関わりました。

「この記念館に来るようになってから、同化政策という差別の中でアイヌとして誇りを持って立ち向かう知里幸恵の生きざまに感動しました。アイヌの言葉が奪われた時代に、アイヌ語を文字にして伝えたことは当時のアイヌの人たちにとって大きな励ましだったと思います。逆境に立ち向かう知里幸恵の生涯を知れば、現代の多くの人も励ましを受けるのではないでしょうか。」

金崎さんは幸恵の思いを知る上で欠かせないのは、アイヌ神謡集の序文(「序」)だと考えています。「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました」という一節で始まる序文には、明治以降に先住民族であるアイヌ民族の生活や言葉が失われていくことへの強い不安や悲しみがつづられているからです。その中には、こんな言葉も残されています。

「愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。」

国境を越える幸恵の思い

この序文が今、国境を越えて共感を呼び、さまざまな言語に翻訳されています。きっかけは、3年前に道内の中国人留学生が序文を中国語に翻訳してくれたことでした。その後、ほかの言語にも広げようと、記念館がホームページなどで協力を呼びかけたところ、多くの留学生や研究者が序文の翻訳を寄せてくれたということです。これまでに序文を翻訳した言語は、英語やフランス語だけでなく、スワヒリ語やバスク語など、あわせて30に上っています。

アルゼンチンの大学で日本文学などを教えているグスタヴォ・ベアデさん(56)は、2019年にアイヌ神謡集の序文をスペイン語に翻訳し、去年4月には全訳を出版しました。「アイヌ神謡集」の存在は旅行で来日した際に偶然知りましたが、すぐにその表現の美しさに引き込まれ、序文には現代にも通じるメッセージを感じたと言います。

アルゼンチン在住 グスタヴォ・ベアデさん

「序文は、幸恵の心が痛む気持ち、寂しそうな空気がある文章です。ここで書かれていること、つまり、社会の変化の中で文化や言葉、物語が無くなってしまうことは、今の時代でも問題になっていることです。アルゼンチンの先住民族にも当てはまります。アイヌ民族について知ってほしいという知里幸恵の願いは、時代や国が違っても感じ取れます。」

没後100年を機に

登別市の記念館では、3月1日から特別展を始めました。館内で展示されているのは、多くの言語に翻訳されたアイヌ神謡集の序文です。全訳された本も並べられています。金崎館長は、展示を通じて、アイヌ神謡集の序文が持つ力を感じてほしいと願っています。

「知里幸恵は、アイヌ民族として、人間として誇りを持って生きたいという当然の願いを自分の言葉で書いています。それは伝えるに値する言葉なので、国籍を問わず、多くの人に響いているのだと思います。その一方で、幸恵の願いが実現しているとは言えません。今を生きる日本人に、もっと彼女の思いを知ってほしいです。」

今回、アルゼンチンのベアデさんは、日本での体験も語りました。それは、旅行中に東京や横浜の大手書店で「アイヌ神謡集」の場所を店員に尋ねた際、誰も本や著者の名前を知らなかったということでした。ベアデさんは、「『アイヌ神謡集』は日本の大事な文化、文芸ですよね。こんな立派な作品を日本の人が知らないのは残念です」と話していました。

正直に打ち明けると、私もおととし北海道に赴任するまでは知里幸恵やアイヌ神謡集の名前を知っているだけで、実際に読んだことはありませんでした。それだけに、ベアデさんの話を聞いて耳が痛かったのですが、確かにアイヌ神謡集やその序文を読むことは、アイヌ民族の歴史や文化を理解する上で大きな助けになりますし、それは著者が強く願っていたことでもあると感じます。ことしは、知里幸恵が亡くなって100年となる節目の年です。これを機に、アイヌ神謡集がより多くの方の目に触れてほしいと願うとともに、私自身もアイヌ民族についてもっと学び、理解したいと思っています。

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