NHK札幌放送局

ラストラン 夕張支線

ほっとニュース ミニ

2019年4月2日(火)午後5時35分 更新

「ありがとう!お疲れさま」。 多くの人たちがその最後を見送りました。127年の歴史に幕を下ろしたJR石勝線の夕張支線。 かつては石炭を運ぶ炭鉱列車が走り多くの人でにぎわい、地域の人たちに愛された鉄道。たくさんの思い出を乗せてラストランへ出発進行です。

夕張支線最後の日

新元号の発表前日、3月31日に最後の運行を迎えた夕張駅。
「こんなに活気があるの久しぶりに見たなと思って最後よかったなと思いました」。
「きょうで終わりかと思うとつらいです」。
訪れた人たちは思い思いの形で最後のときを過ごしました。

にぎわいの中でひとり列車を写真に収める男性。
佐藤一男さん、90歳です。祖父の代から3代続いた元炭鉱マン。「炭鉱で栄えた当時の夕張のようです。このようにたくさんの人が最後の日に来てもらいうれしいです」と話します。

廃止が決まった夕張支線
廃止された夕張支線。夕張の盛衰を見つめてきました。
開業は明治25年(1892年)。石炭を港まで運ぶ路線として日本の産業を支え、駅も多くの人で賑わいました。

佐藤さんにとって夕張支線は、同僚や家族との時間を過ごした大切な場所。

佐藤さん
よく隣町までスズランをとりに出かけました。帰りの汽車はスズランを抱えた人でいっぱい。若いカップルがスズランを見ながら語り合う姿、スズランの香り、今でも覚えています。夕張駅に帰ってくると、台車に積まれた石炭を見て『ああ夕張に帰ってきたな』と感じました。石炭の黒とスズランの白が調和するようすはとても印象的でしたね

当時の思い出を懐かしそうに振り返ります。

しかし、相次ぐ炭鉱の閉山で利用者は激減。3年前には夕張市が路線の廃止をみずから提案し、夕張支線は廃線が決まりました。
かつては石炭を運ぶ列車がいくつも走っていた夕張。その消えゆく姿を見つめてきた佐藤さんは「切っても離せない関係だった鉄道と人間の生活環境が少しずつ離れていく。さみしいですよ」と話します。

たった2駅最後の列車旅
ラストラン当日。佐藤さんは最後の記念にしようと、65年連れ添った妻を連れて列車に乗ることにしました。自宅近くの清水沢駅から終点の夕張駅、たった2駅の旅です。

夕張で生まれ、夕張で働いて、いままで生活したなかで夕張支線というのは貴重な存在なんです。昔のことを思うと懐かしいですね。

車窓から夕張の町並みを見つめながら、最後の列車旅を楽しみます。

終点の夕張駅では、当時のにぎわいを思い出しながら最後の別れを惜しみました。

長い間ご苦労さんということにつきます。石炭を運び大勢の人を客車に乗せた夕張支線に、感謝を込めてお礼を言いたい。

佐藤さんは夕張を舞台にした映画にちなみ、黄色いハンカチを振って列車を見送りました。

“名物駅長”も最後の見送り
夕張支線のほぼ中間にある南清水沢駅でも最終列車を迎える準備が進んでいました。

16年前にJRからの委託を受け、たった1人で駅を守ってきた駅長の村上美知子さん。温かいもてなしから“名物駅長”として親しまれました。

駅の待合室には、村上さんが記した思いが掲げられています。

一歩ずつ、一列車なれど・・・廃線に向かって負けずに確実に進む。
思い出は限りなく!心に深く止めておこう。
今日も時を刻むように定時に走る雨上がりの朝もやの中今日もアリガトウ

午後8時前、最後の列車が到着しました。
窓際に歩み寄る村上さん。

線路はないけど夕張は残ってる。みんな元気で、また来て下さい

大勢の鉄道ファンに向けて声をかけました。

村上さん
こんな田舎のちっぽけな駅を支えてくれてありがとうございました。もう踏切が鳴らないんだなと思うと、心の中に穴が空いたようななんとも言えない気持ちです

最後の列車がレールの奥に姿を消すと、村上さんは駅のホームに日本酒をかけ、長年にわたって多くの人を運んだ夕張支線の労をねぎらっていました。
127年にわたり地域の人々の思いを乗せてきた夕張支線。新しい時代の幕開けとともにその役割を終えました。

(2019年4月2日放送)



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