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参議院選挙 北海道の結果を振り返る 平成以降の戦いの歴史は…

  • 2022年6月1日

3年ごとに行われる参議院選挙。 平成の時代は、1989年(平成元年)の15回選挙から前々回・2016年(平成28年)の24回選挙まで、合わせて10回行われました。 そして迎えた令和の時代ー。令和最初の参議院選挙、前回の25回選挙は2019年(令和元年)に行われました。 

北海道選挙区の定員=改選議席は、1992年(平成4年)の16回選挙までは「4」、その後の1995年(平成7年)の17回選挙から2013年(平成25年)の23回選挙までは「2」。そして、前々回の24回選挙で「3」となりました。
今回の26回選挙も、北海道選挙区は3議席をめぐって争われます。

平成・令和の参議院選挙、北海道選挙区の戦いの歴史を道選挙管理委員会の記録やNHKに残っている当時の資料などをもとに振り返ります。
(※党派・新旧などの表記は選挙当時の放送に基づきます)

 

15回(1989年/平成元年)

平成に入って初めての参議院選挙は1989年(平成元年)に行われました。
当時は宇野内閣で、消費税・リクルート・農政批判の“3点セット”で自民党は大敗し、逆に社会党は大勝。歴史的な与野党逆転が起きました。
また、女性の当選者が倍増し、“マドンナ旋風”も話題になりました。
1977年(昭和52年)以来となる、任期満了後の選挙でもありました。

北海道選挙区は9人が立候補。4議席を争いました。
自民党は前議員2人を擁立し、このうち北修二氏は49万票余りを得て、得票3位で3回目の当選を果たしましたが、2期目を目指した工藤万砂美氏は41万票余りの得票で、次点で落選しました。
自民党は、昭和の時代はほぼ毎回、北海道で2議席を得ていましたが、このときは1議席にとどまりました。
対する野党。社会党は、推薦した新人の竹村泰子氏が得票1位で初当選を果たしたほか、公認した前議員の菅野久光氏が得票2位で2回目の当選を果たしました。この2人はいずれも70万票台の得票で、ほかの候補者を引き離しました。
残る1議席は、共産党の新人・高崎裕子氏が45万票余りの得票で初当選を果たしました。共産党は、この選挙を最後に前回まで、北海道選挙区では議席を得ていません。
平成最初の参議院選挙。
北海道選挙区の投票率は70.90%で、この1つ前の1986年(昭和61年)に衆議院選挙と同日で行われた14回選挙と比べて3ポイント程度減ったものの、7割台を維持しました。

 

16回(1992年/平成4年)

宮沢内閣のときに行われたこの選挙は、自民党は改選議席に届かず、一方の野党側も社会党や共産党はふるいませんでした。公明党や日本新党が健闘した選挙でした。
北海道選挙区としては定員4で争われた最後の選挙で、8人が立候補しました。
トップ当選は公明党の新人・風間昶氏で、得票は50万票余りでした。
自民党は1つ前の15回選挙に続いて前議員2人を擁立し、いずれも得票は38万票台でしたが、2人の明暗は分かれました。高木正明氏は得票4位で3回目の当選を果たした一方、3期目を目指した岩本政光氏は次点で落選しました。
対する社会党は、推薦した新人の中尾則幸氏が得票2位で、公認した新人の峰崎直樹氏が得票3位で初当選を果たしました。
中尾氏と峰崎氏はいずれも42万票台の得票でした。
北海道選挙区の投票率は59.04%で、15回選挙よりも12ポイント近く下がりました。

 

17回(1995年/平成7年)

自民・社会・さきがけ体制になって初めて行われた国政選挙で、村山内閣のときでした。
この3党で過半数の議席は確保したものの、社会党の獲得議席数は過去最低でした。
新進党が比例代表第1党と躍進した選挙です。
この選挙は、定数是正で北海道選挙区は定員が2となり、6人で争われました。
得票1位は社会党の前議員・菅野久光氏で、56万票余りを得て3回目の当選を果たしました。
続く得票2位は新進党の新人・小川勝也氏で、51万票余りを得て初当選を果たしました。
自民党の新人・木本由孝氏は48万票余りの得票で、小川氏とは2万票余りの差で次点でした。自民党が北海道で議席を得られなかったのは、第2次田中内閣の1974年(昭和49年)に行われた10回選挙以来でした。
この年は、12年に一度の統一地方選挙と参議院選挙が重なる年でした。
投票日が夏休み最初の日曜日と重なったこともあり、投票率は全国的に低く、北海道選挙区でも46.92%と初めて50%を下回りました。
この投票率は、前回までで過去最低の記録です。

 

18回(1998年/平成10年)

第2次橋本内閣のときに行われたこの選挙は、自民党は大きく議席を減らし、のちの「自自公」「自公保」連立政権につながりました。
一方、野党側は新進党の分裂を受け、民主党や自由党が初めてのぞんだ国政選挙でした。
北海道選挙区は10人で2議席を争い、得票1位は民主党の現職・峰崎直樹氏で80万票余りを得て2回目の当選を果たしました。
続く得票2位は自民党の新人・中川義雄氏で、得票は72万票余りでした。
この選挙以降、2議席をめぐって争われた23回選挙まで、北海道選挙区は自民党と民主党で2議席を分け合うかたちが続きます。
次点は共産党の新人・紙智子氏で、その得票は60万票余りと、共産党としては北海道選挙区で過去最多でした。
投票時間の2時間延長や不在者投票の条件緩和で投票率は全国的に改善し、北海道選挙区では59.90%と1つ前の17回選挙から13ポイント近く上がりました。

 

19回(2001年/平成13年)

21世紀最初の国政選挙となったこの選挙は、第1次小泉内閣のときに行われ、高い内閣支持率を追い風に自民・公明・保守の与党3党は改選議席を上回って過半数を確保しました。
対する野党側も民主党や自由党は議席を伸ばしたものの、共産党や社民党は議席を減らしました。
比例代表でいまの非拘束名簿式が導入されたほか、洋上投票や比例代表の在外投票が始まった選挙でした。
北海道選挙区は10人が立候補し、自民党の新人・伊達忠一氏が得票1位で初当選を果たし、民主党の前議員・小川勝也氏が得票2位で2回目の当選を果たしました。
伊達氏の得票は98万票余りで、北海道選挙区での自民党候補として前回までで最多得票です。
また、小川氏の得票は68万票余りで、次点の共産党の新人・宮内聡氏の得票と比べると、伊達氏は3倍、小川氏は2倍以上ありました。
北海道選挙区の投票率は58.47%でした。

 

20回(2004年/平成16年)

第2次小泉内閣のときに行われ、年金改革やイラクでの多国籍軍への参加問題、小泉構造改革の成果などが争点でした。
自民党は目標に届かなかったものの、公明党と合わせて安定多数は維持しました。
一方、民主党が大幅に議席を伸ばし、改選議席で自民党を上回りました。
“2大政党化”が一段と進んだ選挙でした。
北海道選挙区は7人の争いとなり、自民党の現職・中川義雄氏が74万票余りを得て、得票1位で2回目の当選を果たし、民主党の現職・峰崎直樹氏が61万票余りを得て、得票2位で3回目の当選を果たしました。
民主党は2人を擁立し、2議席独占をねらいましたが、新人の西川将人氏は55万票余りの得票で、峰崎氏と6万票余りの差で次点でした。
この前年に期日前投票の制度が始まり、国政選挙としては期日前投票が初めて行われました。
北海道選挙区の投票率は61.74%と、6割台に回復しました。

 

21回(2007年/平成19年)

第1次安倍内閣のときに行われた選挙で、与党側は郵政造反組の復党問題や年金記録問題、閣僚の不祥事が相次ぐ中での逆風でした。
結果、自民党は37議席と歴史的な大敗を喫し、結党以来守ってきた参議院第1党の座を譲ることになりました。
一方、民主党は過去最高の60議席を獲得して参議院で第1党となり、非改選議席を合わせると野党は参議院で安定多数を確保するかたちになりました。
北海道選挙区は8人の争いとなり、民主党の現職・小川勝也氏が101万票余りを得て得票1位で3回目の当選を果たしました。
北海道選挙区で100万票を超える得票は前回までではこのときしか起きていません。
続く得票2位は自民党の現職・伊達忠一氏で、75万票余りを得て2回目の当選を果たしました。
次点は民主党や新党大地が推薦した新人の多原香里氏で、62万票余りでした。
選挙区でも在外投票が始まり、北海道選挙区の投票率は62.40%でした。

 

22回(2010年/平成22年)

民主党への政権交代後、初めての全国規模の国政選挙で、菅内閣発足1か月余りで行われました。
消費増税の発言などで与党・民主党に逆風となり、野党・自民党が改選第1党となりました。
非改選議席と合わせると、与党は過半数を大きく割り込み、“ねじれ国会”となりました。みんなの党が躍進した選挙でもありました。
北海道選挙区はいずれも新人の6人の争いとなり、自民党の長谷川岳氏が94万票余りを得て得票1位で初当選を果たしました。続く得票2位は民主党の徳永エリ氏で、70万票余りでした。
民主党は2議席独占をねらって2人を擁立しましたが、もう1人の新人の藤川雅司氏は56万票余りの得票で、次点で落選しました。
北海道選挙区の投票率は61.89%でした。

 

23回(2013年/平成25年)

自民党の政権奪還後、初の全国規模の国政選挙で、第2次安倍内閣で行われました。
自民党はいまの選挙制度で最多となる65議席を獲得して大勝し、与党側は自民・公明両党で76議席と、衆参のねじれは3年ぶりに解消されました。
対する野党側では、民主党は17議席と大敗した一方、共産党は議席を伸ばしました。
北海道選挙区は6人の争いとなり、自民党の現職・伊達忠一氏が90万票余りを得て得票1位で3回目の当選を果たしました。
続く得票2位は民主党の現職・小川勝也氏で、58万票余りを得て4回目の当選を果たしました。
次点は新党大地の新人・浅野貴博氏で、35万票余りでした。
インターネットを使った選挙運動、いわゆる“ネット選挙”が解禁された選挙でしたが、北海道選挙区の投票率は54.41%と再び6割を割り込みました。

 

24回(2016年/平成28年)

第3次安倍内閣で行われた前々回の参議院選挙。安倍首相の経済政策=アベノミクスの是非とともに憲法改正や安全保障のあり方などが争点となりました。
結果は、自民・公明両党で改選議席の過半数、70議席を獲得。
これに他党を加えると、憲法改正に前向きな勢力は、改正発議に必要な参議院全体の3分の2の議席を占めることになりました。
この選挙では、選挙権を得られる年齢が18歳に引き下げられました。
選挙権年齢の引き下げは、終戦直後の1945年(昭和20年)の法改正でそれまでの25歳から20歳となって以来で、道内では18歳・19歳として9万6000人余りがあらたに選挙権を得ました。
また、1票の格差を是正するため、選挙区定数が「10増10減」され、北海道選挙区は定員=改選議席が2から3に1増えました。道外では、鳥取と島根、徳島と高知の「合区」も行われました。

北海道選挙区は10人の争いとなり、自民党と民進党はそれぞれ現職と新人の2人ずつを擁立しました。
得票1位は、自民党の現職・長谷川岳氏で、64万票余りを得て2回目の当選を果たしました。
続く得票2位は、民進党の現職・徳永エリ氏で、56万票近くの得票で2回目の当選を果たしました。得票3位は、民進党の新人・鉢呂吉雄氏で、49万票余りでした。
次点となったのは、自民党の新人・柿木克弘氏で得票は48万票余り。3位当選の鉢呂氏とは8000票余りの僅差でした。
北海道選挙区は、民進党が2議席で自民党の1議席を上回りましたが、それぞれ2人の候補者の得票を足すと、自民党が113万票余り、民進党が105万票余りで、自民党が民進党を上回っています。
与野党でいわば“引き分け”が続いた定員2の時代と違って、勝敗がはっきりする奇数の定員3となったことで、複数の候補者を擁立する場合、票の“調整”が課題になることを示した選挙でした。

この選挙では、投票しやすい環境の整備も進みました。
まず、事前に決められた投票所以外でも投票可能な「共通投票所」を、駅の構内やショッピングセンターなどに設置できるようになりました。ただ、道内で導入したのは函館市だけで、全国をみてもほとんどの自治体は設置しませんでした。
一方、期日前投票は、午前8時半から午後8時となっていた投票時間を、各自治体の判断で前後それぞれ最大で2時間拡大できるようになりました。
道内では、北見市が1か所で閉鎖時刻を最終盤の2日間だけ、1時間遅らせて午後9時としました。
一方、この選挙の公示日は、沖縄の「慰霊の日」と重なるのを避けるため通常より1日前倒しされ、選挙期間は18日間でした。
参議院選挙の選挙期間は、1992年(平成4年)の公職選挙法の改正で「18日以上」から「17日以上」になり、その後、23回選挙まで7回すべての選挙が17日間でした。しかし、この選挙は、現在の規定になってから初めて、最短の17日間より長い期間で選挙戦が行われました。
さまざまな制度改革が行われたこの平成最後の参議院選挙。
北海道選挙区の投票率は56.78%で、1つ前の23回選挙と比べて2ポイント余り上がりました。ただ、あらたに有権者となった10代については投票率は43.38%と、全体と比べて落ち込んでいました。

 

25回(2019年/令和元年)

令和最初の参議院選挙は、6年半におよぶ安倍政権の評価が問われ、年金制度や消費税率引き上げの是非、それに憲法改正などをめぐり論戦が交わされました。
1票の格差を是正するため、議員定数を6増やすなどとした法改正が行われたことを受け、24回選挙よりも3議席多い124議席をめぐって争われました。具体的には埼玉選挙区で1議席、比例代表で2議席増えました。参議院の定数が増えるのは、昭和45年(1970年)に沖縄県の本土復帰に向けて沖縄選挙区を設け、定数を2増やす法改正が行われて以来およそ半世紀ぶりでした。参議院選挙は3年ごとに半数が改選される仕組みなことから、今回の26回選挙でも25回選挙と同じく3議席が増えます。
この選挙では、選挙戦全体の勝敗のカギを握るとされる全国に32ある定員1の「1人区」で野党5党派が候補者を一本化し、32すべての選挙区で自民党候補と野党の統一候補が対決する構図となりました。
結果は、自民・公明両党は改選議席の過半数、71議席を獲得して勝利し、安倍首相は引き続き、安定した基盤のもと政権運営にあたることになりました。
ただ、自民・公明両党と日本維新の会を合わせた憲法改正に前向きな勢力は85議席に届かず、憲法改正の発議に必要な参議院全体の3分の2を維持できませんでした。
これに対して野党側は、焦点の1人区で前回並みの10議席を獲得し、候補者の一本化が一定の成果をあげたとしていました。
一方、比例代表では、新たに「特定枠」という制度が導入されました。
参議院選挙の比例代表では、各党に配分された議席の中で得票数の多い候補者から順に当選が決まりますが、「特定枠」の候補者はみずからの得票に関係なく、政党があらかじめ決めた順位に従って優先的に当選が決まります。一方、「特定枠」の候補者名が書かれた票は、その政党への投票とみなされることになっています。
この「特定枠」を3つの政党と政治団体が活用し、自民党とれいわ新選組のそれぞれ2人が当選しました。

北海道選挙区では、いずれも新人の9人が立候補しました。
与党側は、自民党が高橋はるみ氏と岩本剛人氏の2人を擁立しました。同じく2人を擁立した24回選挙は得票が1人に偏り1議席にとどまったことから、公明党と連携して2議席獲得に向けて組織をあげた戦いを展開しました。
野党側は、立憲民主党が勝部賢志氏、国民民主党が原谷那美氏、共産党が畠山和也氏をそれぞれ擁立しました。各党が候補者を擁立するかたちとなり、野党間で候補者調整をして支援する構図はつくれませんでした。
結果は、得票1位が自民党の高橋氏で82万票余りを得ました。続く得票2位は立憲民主党の勝部氏で52万票余り。得票3位は自民党の岩本氏で45万票余りでした。次点は共産党の畠山氏で26万票余りでした。
24回選挙からは一転。この選挙は与党側が2議席を獲得しました。北海道選挙区で自民党が2議席を得たのは、定員が4だった1986年(昭和61年)の14回選挙以来33年ぶりでした。

この年は12年に一度、統一地方選挙と参議院選挙が重なる「亥(い)年」でした。
「亥年」の参議院選挙は、春の統一地方選挙からまもないため、“選挙疲れ”もあって投票率が低くなる傾向がみられます。
北海道選挙区の投票率は53.76%で、1つ前の24回選挙と比べて3ポイントほど低くなりました。

(札幌局選挙班)

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