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10時7分、祖父の時は止まった~戦後77年 いま見つめる北海道の記憶④~

ほっとニュースweb

2022年8月16日(火)午後1時04分 更新

「祖父の遺品があるんです」。そう言われて訪ねた女性の自宅には、古い懐中時計がありました。止まった時計の針が指していたのは、10時7分。終戦間際、大規模な軍需工場があった室蘭にアメリカ軍の戦艦から撃ち込まれた砲弾が、祖父のいた防空ごうを直撃した時刻です。身内以外に初めて祖父の遺品を見せることにしたこの女性。どのような思いだったのでしょうか?(室蘭放送局 篁慶一)

追悼式唯一の遺族

毎年7月15日、室蘭市の中島本町地区では、地元の町内会の役員が中心となって艦砲射撃の犠牲者の追悼式が開かれています。
この地区には当時、旧日本製鉄の社宅が建ち並び、昭和20年(1945年)7月15日の艦砲射撃で特に大きな被害が出ました。
20年ほど前までは、追悼式に50人近くが参列していたといいますが、高齢化などで、その数は年々減少しています。

今年の追悼式も参列者は9人。
その中に、祖父と一緒の写真を持った女性がいました。
鈴木たけさん(81)。
艦砲射撃で、当時55歳だった祖父を亡くしました。
ほかの参列者と一緒に黙とうをした後、慰霊碑の前で手を合わせ、「おじいちゃんよりずっと長く生きてきましたが、私のことが分かりますか。元気に過ごしていますか」と語りかけたそうです。

2022年7月15日

追悼式が終わって話を聞いていると、鈴木さんは思いがけないことを口にしました。
祖父の遺品を今も大切に保管しているというのです。
私が「ぜひ見せてください」とお願いすると、鈴木さんは首を縦に振ってくれました。
その4日後、室蘭市内にある鈴木さんの自宅を訪ねました。

時が止まった祖父の懐中時計

鈴木さんが古びた封筒から丁寧に取り出したのは、祖父の懐中時計でした。
鎖はなく、文字盤を覆うガラスも外れていて、表面には多くの傷が残されていました。
そして、時計の針は、文字盤に押しつけられるような形で10時7分を指して止まっていました。
鈴木さんは、「この時間に祖父が亡くなった」と説明しました。

祖父の懐中時計

戦時中、鈴木さんの祖父は、旧日本製鉄の社宅街にあった配給所の所長を務めていました。
艦砲射撃の日も、いつもと同じように出勤していましたが、午前9時半すぎにアメリカ軍の戦艦3隻による室蘭への砲撃が始まりました。
市内にあった大規模な軍需工場が狙われたのです。
祖父は、職場そばの防空ごうに同僚と避難したといいます。

米軍の艦砲射撃

しかし、わずか1時間に860発もの砲弾が撃ち込まれ、400人以上が死亡しました。
祖父がいた社宅街にも砲弾が容赦なく降り注ぎ、当時の市のまとめでは、この地区だけで住宅500戸以上が被害を受け、鈴木さんの祖父を含む85人が死亡したとされています。
昭和62年発行の「室蘭市史」には、砲撃のすさまじさが記録されています。

艦砲射撃を受けた中島社宅地区

「(砲弾が)日鐵中島配給所の壕にも命中して数人が死亡した。その修羅場に吹きとばされた紙幣がヒラヒラと舞っていたのが、曇り空のもとでなんとも異様で不気味なコントラストをつくり出していた」

鈴木さんの祖父はもともと宮城県白石市の出身で、現在の登別市の鉱山で働いた後、室蘭市に移り住みました。
最初の女の子の孫として鈴木さんが生まれた時はとても喜び、そうめいだった親戚の名前にちなんで「たけ」という名前も付けてくれたそうです。
艦砲射撃の時、まだ4歳だった鈴木さんに祖父の記憶はほとんどありませんが、母からは「とてもかわいがられていた」と聞かされ、特別な親しみを感じてきました。
防空ごうで発見された祖父の懐中時計を見つめながら、鈴木さんは寂しそうにつぶやきました。

配給所の所長だった祖父 前列左から2人目

「空襲警報が鳴って避難して、そこで死ぬなんてきっと思ってなかったと思います。あっという間に命を奪われて、それまでの暮らしがぷっつりと遮断され、その後の幸せが奪われてしまったことがすごく無残だと感じています。もっと生きててほしかったし、大人になった私を見てほしかった」

鈴木さんは、祖父の財布も遺品として保管していました。
その中には硬貨が入っていましたが、「昭和十九年」と刻まれた十銭硬貨4枚はすべて曲がっていました。
一方で、昭和16年以前につくられたほかの硬貨は平らなままでした。
一部の硬貨だけが曲がった理由は、鈴木さんも分かっていません。
ただ、当時は戦況の悪化で銅や亜鉛の入手が難しくなり、昭和19年製の十銭硬貨には、柔らかい金属の「すず」が主な材料として使われていました。
このすずの硬貨からも、戦時中の厳しい状況をうかがい知ることができます。

祖父の財布に入っていた硬貨

『正しい戦争』なんてない

鈴木さんが祖父の遺品を身内以外に見せたのは、今回が初めてだということです。
人前で戦争の話をすることには抵抗感があり、これまでは避けてきました。
一方で、ロシアによるウクライナ侵攻など、戦後77年がたっても戦争が繰り返される現実に心を痛めてきました。
年を重ね、艦砲射撃を知る人も減り続ける中、鈴木さんは祖父の遺品も何かの役に立つのではないかと考えました。

鈴木たけさん

「小さな懐中時計ですが、たくさんのことを訴えていると思うんです。戦争で一番苦労するのは、国のトップにいる人たちではなくて、こつこつとささやかに生きている人間です。『正しい戦争』なんてないし、いいとか悪いとかの問題ではなくて、戦争そのものがあってはいけないと思うんです。理想論かもしれませんが、今は黙っていてはいけないと考えています」

鈴木さんが繰り返し訴えていたのは、「『正しい戦争』なんてない」、「戦争で一番つらい思いをするのは普通に生きている人たち」ということでした。
戦争さえなければ、祖父とたくさんの楽しい思い出がつくれたはずだった。
そんな悔しい思いが、言葉の端々から伝わってきました。
10時7分で止まった懐中時計は、77年前に室蘭で艦砲射撃があった事実を、そしてその先も長く続くはずだった命を奪った戦争の愚かさを物語っているように感じます。

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