NHK札幌放送局

伝説の本屋が残したもの 久住 邦晴からの遺言

北海道クローズアップ

2020年1月17日(金)午前11時17分 更新

全国で町の本屋の廃業が相次ぐなか、本の力を信じて格闘した老舗の本屋がありました。店主はさまざまなヒット企画を生んだアイデアマン。アイデアの源にあったのは、本への深い愛情と、控えめな反骨精神です。そんな彼が人生の最期に企画したのが、自らの葬儀を絵本の朗読会にすること。そこには伝説の店主が伝えたかった思いがありました。

伝説の店主が本に込めた思い

本屋さんとしての発信力がすごかったですね。オーラ的なものを持っていたと思います」(中標津・書店主)

とてもとても、まねできるような人ではないです」(倶知安・書店主)

勝手に師匠だと思って、慕っています」(札幌・書店主)

かつて札幌市琴似に、同業者からも慕われる一軒の町の本屋がありました。70年続いた老舗「くすみ書房」です。

二代目の店主、久住 邦晴さんがアイデアマンとして知られるようになったのは、平成15年に始めた「なぜだ!?売れない文庫フェア」でした。その狙いを当時の久住さんはこう話しています。

「全国どこの本屋も、売れる順番で置いていくんですね。私どもは、みんながそうするのであれば、どこも置かない、売れない一番下の本だけ置いてみようかということで始めたのが、このフェアなんです」(久住さん)

このアイデアは大成功。文庫本の売り上げは3倍にアップし、売れないはずの本が飛ぶように売れました。なぜなら、売れていない本の多くは流行遅れになっていただけで、良い本だったからです。

本が飛ぶように売れた理由はもうひとつあったと、娘の絵里香さんは言います。

それは、久住さんが作った「ポップ(店頭広告)」。久住さんは、ポップ作りの名手と言われていました。

本が好きで朝から晩まで読んでいた久住さんが作るポップは、ちょっと気になる一言が書かれたものから、熟読した者ならではの細かさと熱にあふれたものまで。

売り手が良い本だと思う気持ちは客に伝わり、久住さんの店が日本で一番多く売った本もありました。久住さんにとっての喜びは何だったのか、絵里香さんは、こう振り返ります。

「本を読んで『めちゃくちゃ面白いなという気持ちを人と共有したい部分が根底にあったと思います。本当に本って良いものだから、読んでみてほしいなっていう」(絵里香さん)

次々と生み出されたヒット企画

くすみ書房の創業は昭和21年。戦後、読書の力で平和な国を作ろうと、読書週間の運動が始まった頃のことです。

久住さんは雑誌や書籍をそりで運ぶ手伝いをして育ちます。本の中でも特に好きだったのはSF作品。そして、32歳のときに店を継ぐことになります。

ところが、本屋の倒産ラッシュが始まりました。コンビニの普及で雑誌のシェアを奪われ、ネット通販の広がりで一般書籍も売れ行きが落ちます。久住さんも一時は閉店を覚悟しましたが、起死回生の策となったのが「なぜだ!?売れない文庫フェア」でした。

さらにその翌年、再び大ヒットに結びついたアイデアがあります。その名も「本屋のオヤジのおせっかい。中学生はこれを読め!」です。

小学生までは親と本屋に来るのに、中学生になるとパタリと来なくなることに気づいた久住さん。ならば、彼らにこそ本の世界の奥行きを伝えたいと考えたのです。

中学生に読んでもらいたい本500冊に共通の帯を付けたこの企画は、当時の中学生たちからも好評でした。

「これだったら面白い本がたくさん並んでるから、見つけやすくて中学生には良いと思います」(女子学生)

「どんな本を読んだらいいかわかんない人とかも、こうやって横に並んでる紹介文が書いてあったら手に取りやすいと思います」(男子学生)

一冊入魂 誰よりも本にこだわった理由

なぜ久住さんはそれほど“本”にこだわったのでしょうか?

久住さんと縁が深かった出版社があります。13年前、代表の三島 邦弘さんが一人で興した小さな会社です。現在は、20代から30代の若者たちを中心に13人が働いています。

週に一度の企画会議では、ちゃぶ台を囲んで膝詰めで語り合い、大切なメッセージがどうすればより深く読者に伝わるのか、担当の垣根なく議論しています。

久住さんはこの出版社が無名の頃から店に専門の売り場を作り、三島さんの本作りを後押ししました。なぜ三島さんに共感したのか。そこには「一冊入魂」というキーワードがあると三島さんは考えます。

「『一冊入魂』を掲げてこの出版社を作ったのですが、久住さんが最初に反応してくださったのは、そこだった。SNSの言葉と、本の持っているものの一番の違いはそこなのかなと思うんです。本って書き手と作り手をはじめ、関わった人の熱量が一冊にパッケージされたもの。関わった人たちのエネルギーが集まっているので、そういう生き物のような本を出したいということですね。そのエネルギーに触れたときに感じる喜びみたいなものが、本には宿っていると思います」(三島さん)

書籍の出版に関わる著者、編集者、デザイナー。久住さんの喜びは、その熱のリレーに加わり、読者へとバトンをつなぐことだったのかもしれません。

万策尽きて惜しまれつつ閉店 さらに…

平成の半ばに久住さんは過酷な現実を突きつけられます。町に全国チェーンの大きな書店が進出し、客が流れてしまったのです。

新たなアイデアを次々と打ち出し、店の移転も試みますが、赤字はふくらむ一方。借金が限界に達すると、100人もの知人に寄付を求める文章まで送りました。

しかし、平成27年、万策尽き閉店。
最後の日には、店を閉めた後も残ってくれたお客さんたちがいました。
そして、久住さんが最後に閉店の挨拶をします。

「6年生ぐらいの女の子から、お手紙をいただきました。大好きだった…大好きだった久住書房さんへというお手紙でした。どんな形でもいいので、ぜひ店を再開してくださいという言葉が書いてありました」(久住さん)

店を失った1年後、久住さんはガンを発病。
平成29年の夏、66歳で生涯を終えました。

本になって生き続ける 最期の企画に込めた思い

病の床で久住さんが進めていたアイデアがあります。それは、時代にあらがい敗れた自分自身を本にすることです。手書きのノートには、これまで苦しんできた胸の内を赤裸々にさらけ出しています。

「これを本にして、全国講演で回ってこの本を売って、またお店をやりたいという計画を立てていました」(絵里香さん)

久住さんの没後、人づてにこの原稿のことを知った三島さん。一読して出版化を決め、自ら編集を担当することにしました。

「久住さんが授けてくださった贈り物だなと思いました。本の世界の先輩である久住さんが、何かこれからやろうとしている僕たちに、すごいメッセージを下さった本だなって。これを最高の本にできなかったら、自分は何のために編集者になったんだろう、何のために出版社を作ったんだろうって、すごく考えさせられる一冊ですね」(三島さん)

こうして完成した本が「奇跡の本屋をつくりたい」です。

発売から1年余りで1万部以上売れ、次々と届く読者ハガキからは、確かに久住さんの熱が届いていることがわかります。

「なんか父が本になったという感覚があります。父の存在が、アップデートされていかないし、生でやりとりできないけど、そのまま人の形が本になっているんだっていう感じがあります。1万部以上も刷られて全国の人たちの手に渡ってるというのが、分骨されてるみたいな感じというんですかね。すごいなと思って」(絵里香さん)

死期を悟った久住さんが最期に仕掛けたアイデアは、絵本の朗読会を自らの葬儀で行うことでした。

久住さんが選んだ絵本は「スーホの白い馬」。遺影の前で朗読されました。

「そんなに悲しまないでください。それより私の骨や皮や筋や毛を使って、楽器を作ってください。そうすれば、私はいつまでも、あなたのそばにいられます」(「スーホの白い馬」より)

楽器になって生き続け、いつまでも美しい音色を響き渡らせた白馬。久住さんの生涯をたどっていくと、彼の一生が白馬の物語に重なってきます。

2019年11月8日(金)放送
北海道クローズアップ
「白馬の遺言~本屋のオヤジ 久住邦晴伝~」より

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