釧路市で滞在生活を始めて1週間。
初めて訪れている街は、見るものすべてが新鮮。驚きの連続です。
マンションのベランダから見える建物の外壁や屋根の色がカラフルでオシャレなんです!
黄色や緑、赤。中にはピンク色の建物も。
そんな色合いが釧路のステキな雰囲気を生み出しています。

滞在中のマンションから見た釧路市の風景
ちなみに霧の多い釧路では建物が目立つようにと、昔は外壁を黄色にすることが多かったんだそう。

なんとNHK釧路放送局も黄色でした!

右 田辺貴久さん(釧路市ビジネスサポートセンターK-Biz副センター長) 左 平原ディレクター
釧路市編のローカルフレンズ田辺貴久さんに「釧路は建物の色がカラフルですね」と話してみると・・・
「確かにそうですね。でもここで暮らしていると、家の色など意識する事がないですから、他の地域から来た人から釧路市の魅力を告げられて ハッと気づかされることがよくありますよ。」
逆に私も普段、何気なく見ている風景や場所に魅力があるのも知らず、スルーしているのでは? と感じさせられました。
そんな地元の人が日常気付かない地域の魅力を掘り起こし、釧路をさらに魅力あふれる場所にしていこうと活動している人がいる。そう言って田辺さんが紹介してくれたのは、ある市民グループが制作した1本の動画でした。


くしろ元町青年団制作 つなぐ道ミュージックビデオ~釧路臨港鉄道跡地テーマソング~ より
かつて釧路市の海のそばを走り、今は廃線になった釧路臨港鉄道。
その跡地をテーマにした「つなぐ道」という曲のミュージックビデオです。
時代の変化とともに釧路からいろいろなものが失われていく中で、失われていったものの魅力を改めて感じさせてくれる動画でした。
この曲と動画を作ったグループのひとりに、連絡を取ってみることに。
市内の福祉関連の団体で働いている相原真樹さん(45) です。

早速、電話をしたところ・・・・
「自分の事を知ってほしいから!」と、わざわざ私の滞在先へと訪ねて来てくれるではありませんか!
部屋に上がるやいなやパソコンを開いて資料を見せながら、自分のこれまでの人生について語ること2時間・・・

すごく情熱あふれる方でした!

数日後、相原さんが動画の舞台となった場所に案内してくれました。
釧路市の中心部から車で10分ほどの『弁天ケ浜』。
かつてここを走っていたのが、先ほどご紹介した「つなぐ道」のミュージックビデオに出てきた「釧路臨港鉄道」です。
釧路市内の炭鉱の選別工場から、港の石炭置き場までを結んだ「釧路臨港鉄道」は、大正14年に開業し「石炭列車」として親しまれてきましたが、3年前に廃線。弁天ケ浜にある踏切も撤去されてしまいました。
「恋愛じゃないんですけど、大切なものは失って初めて気がつくみたいな・・・」と語る相原さん。

踏切越しに太平洋を望む釧路の弁天ケ浜
踏切越しに太平洋を望む風景。それは相原さんにとって思い入れのあるものでした。
「僕の心の中では、(湘南海岸を通る)国道134号線。この風景を見たいがために、わざわざ遠回りして自宅に帰ったこともあったほど、僕にとって太平洋の海と踏切の景色は魅力的でした。」

こちらは相原さんの青春の思い出。湘南の踏切。
なるほど、そう言われてみれば、線路こそありませんが・・・
海をバックに江ノ電が走る踏切。アニメでも有名になった湘南海岸の風景を思い起こさせます。
相原さんは神奈川県逗子市出身。
10代から20代にかけて湘南の風景を見つめ続けた「湘南ボーイ」だったのです。

「湘南ボーイ」の頃の相原さん(左端)
釧路で見つけた、湘南の思い出を想起させる風景。
その風景を取り戻そうと、相原さんたちのグループは動きます。
博物館に何度も足を運び、保存されていた踏切の提供を交渉。
ついに、この踏切を復活させました。
そして、釧路にもこんな魅力ある場所があることを知ってもらおうと、「つなぐ道」の動画を作ったのです。
今ではこの踏切も、ちょっとした観光スポットに。
相原さんの情熱が、釧路に故郷・湘南と同じ風景を生み出しました。

湘南ボーイの相原さんが釧路に来たのは、20数年前のこと。
東京の大学を卒業後、大手化粧品メーカーに就職。最初の赴任地が釧路だったのです。
思ってもいなかった土地への辞令。右の左もわからない北海道での生活。
相談相手すらいない寂しさから、まずは同じマンションの人たちに積極的に話しかけてみようと思い立ちます。そうやってコミュニケーションを取るうちに、マンションには多くの転勤者がいて自分と同じように“ライフワークが物足りない”と感じている人がたくさんいる事を知ります。
2005年。
相原さんは「裸心(らしん)プロジェクト」を始めます。
釧路市の転勤族たちが交流を深めるこのプロジェクトでは、隔週の金曜日に交流の場を設けたり、季節ごとにイベントを開いたりするなど、さまざまな人と人とのつながりを生み出していきます。

転勤族の交流プロジェクト
「釧路が嫌で嫌で毎年転勤願いを出していたのが、いざ釧路に仲間ができてライフワークが充実すると、釧路を離れたくないです、転勤願いも撤回しましたっていう人がざらにいて・・・」
転勤族のためにやっていた活動を通じて、相原さん自身も人生が活き活きしていることに気づきました。釧路に赴任してから4年後、相原さんにも転勤の話が出ましたが、釧路の生活にも慣れた相原さんは迷うことなく会社を辞め、釧路に残る道を選択します。
今は太平洋を望む海のそばに一軒家を建て、家族3人で暮らしている相原さん。
そんなところも湘南ボーイらしいな・・・と思いました。

くしろ元町青年団と弁天ケ浜の踏切
先ほどご紹介した「つなぐ道」の動画を相原さんと一緒に作ったのは「くしろ元町青年団」の皆さん。
釧路でも特に歴史の古いエリア(米町・弥生・宮本・知人町・弁天ヶ浜・大町・南大通・浦見・入舟・港町)を“元町”と呼んで、さまざまな企画で盛り上げていこうと、2015年に結成されました。

「元町」の風景
メンバーは20代~60代の17人。学生やサラリーマン、神社の神主などさまざまな職業の人がいます。
相原さんは事務局長としてメンバーをまとめています。
「くしろ元町青年団」では、元町の素敵な風景を訪ねて巡り歩いたり、

地域の防犯と健康づくりを兼ねて夜の街をランニングしたり、

ご近所の皆さんがお寺に集まって交流を図る食事会を開いたり、

これまでの7年間で、実に100を超えるさまざまな活動を実施し、人と人との交流作りをしてきました。
相原さんが「くしろ元町青年団」の活動を通じて出会ったのが、釧路市で手作り作家として活動を行う森脇 縁(もりわき ゆかり)さんでした。

森脇 縁さん
ある日、相原さんは森脇さんから相談を受けます。
「釧路の手作り作家が一同に会した展示会を開きたいが、会場となる広いスペースが見つからない。」
そこで、元町青年団が探し当てた場所が、元町にある廃園となった幼稚園の建物でした。

かつてお寺が経営していたこの幼稚園は地域の子どもの減少とともに4年前に廃園
「建物を潰してしまうのもどうかって悩んでいたんですよね、少しでも地域のために使いたいなあと思って残したんですよ」と話すお寺の住職。
元町青年団がお寺と森脇さんを結び付け、廃園となった幼稚園でイベントが開催されることになりました。

11月26日、27日に開催されたイベントでは、釧路周辺で活躍する手作り作家20人が丹精込めて作り上げた作品を展示。販売会も行われた会場では、訪れた人も興味津々です。

このイベントでは、地元の大学生とも協力して、実際にこの幼稚園で使われていた遊具を使った射的や輪投げなどのアトラクションも。これには子どもたちも大盛り上がり。
かつて幼稚園だったころのような賑わいを取り戻していました。
さらに、農産物の販売会も。
「こうした賑わいがあることは大歓迎。」と地元の人々の笑顔も見ることができました。
「どんどんマッチングして、それがそれでとどまらず、どんどん波及してつながっていって・・・」と話す相原さん。
マッチングが地域の新たな原動力になっていることを、相原さんの活動を通じて知ることができました。

