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Do!|#14 Tanekawa Jirou

  • 2022年10月31日

NHK北海道の職員、作り手たちの情熱や想いに迫るインタビューシリーズ「Do!」。 第14回に登場するのは北海道の地域職員で、記者職を経て現在はイベントを担当している種川職員。地域職員の魅力は?記者とイベントの仕事にギャップは?マルチタスクを経験しているからこそ思う公共放送の価値とは?
〔Photo By 鬼原 雄太〕
〔聞き手 齋藤 千夏(NHK札幌放送局 広報)〕 

(経歴)
2006年 大学卒業(法学部)
2006年 札幌市の建設業界紙に記者として入社。
2012年 入局(札幌 放送部契約職員)
2014年 札幌 放送部
2016年 室蘭 放送部
2021年 札幌 広報・事業部

趣味は、お酒とコーヒーです。それに合う、料理をするのも好きで、お菓子づくりもします。子どもの誕生日には、デコレーションケーキもつくります。

<目次>
1.テレビ局の記者の面白さ
2.「家族と地域のために」
3.マルチタスク

1.テレビ局の記者の面白さ

——建設業界紙の記者から、NHKの記者に転職したんですね?

建設業界紙の記者を6年やって、ネタも結構とれるし、記者向いているかもと半ば勘違いもあったと思いますが、もっと多くの人に向けた記事を書きたいと思ったんですよね。NHK契約職員の募集にエントリーして、まずは岩見沢報道室で記者をしていました。

——大学時代に学んだことは仕事に活かされていますか?

学生時代は法学部でした。強いて言えばですが、憲法を勉強していたことは記者の仕事には役立つことが多かったと思います。世の中のさまざまな問題も最後は人権だったり自由だったり、憲法に書いてある条文に行き着くと思うので。

——岩見沢報道室のときはどんな仕事を?

報道室では、自分でカメラ持って、カメラをまわして、記事を書くという仕事をするので、自分で撮影した映像が、全国ニュースにも出ますから、感動しました。業界紙で記事を書いていた時には当然経験のなかったことなので。
特に、2013年に夕張市で建設中のシューパロダムに水がたまり始め、ずっとあった橋(三弦橋)が沈んでいくというリポートを出したのはすごく覚えています。子どもの時から、そこで育ってきたおじいちゃんが撮りためていた写真や想いを、沈んでいく橋と共にお伝えしました。日本だけに留まらず、世界中へ放送で届けることができたんです。自分が撮影した映像なので、すごく嬉しかったです。
あとは、夕張市では当時、今の北海道知事の鈴木直道さんが夕張市長を務め財政再建に取り組んでいましたが、そこに住む人たちを取り巻く課題をいろんな角度からお伝えしていました。夕張メロンが有名ですが、やはり人口が減っていくと、農業もなかなか大変なんですよね。外国人実習生の手を借りたりして、農業をしているという状況です。それから、50年以上前には10万人以上が住んでいたところから人口減少に合わせてまちのインフラを整理していく難しさだったり。当時自分の中で印象深いのは、2013年に、夕張市の人口が1万人を割ったというニュースを出したんです。この情報は、NHK(=私)がいち早く世に伝え、印象に残っているニュースです。

——最も印象深い仕事はなんでしょうか?

報道室にいるとフットワークの軽さが求められるんですが、記者は大きな事件や事故があると呼び出しがかかるんですよ。一番記憶に残っているのは、2013年3月の未明に、上司から電話がありまして、早朝の飛行機に乗ってオホーツクの湧別町に向かいました。猛烈な猛吹雪で、各地で車が立ち往生していたんです。猛吹雪の中、幼い娘をかばうように覆いかぶさって、お父さんが亡くなってしまったというニュースがありました。父親が風雪から守り、娘さんは無事だったのですが、その時、何があったのか、というのを取材したんです。救助要請が消防に入っていたけど、各地から同時に入っていたので地元の消防だけでは手に負えない状況だったというニュースを、その翌朝の全国ニュースでお伝えしました。そのあと各紙にそのニュースが掲載されているのを見て、自分の仕事はすごく影響力があり、責任が重い仕事なんだなとあらためて思い、印象に残っています。

——その後、地域職員として記者に?

地域職員になり、2年間いた札幌では、市政や道政の担当として選挙も担当しましたね。選挙は民主主義の根幹とも言われますがNHKの選挙報道って各方面からも一目置かれていると思うんです。結果をいち早く伝えるために徹底的に、選挙の過程を透明化するという仕事でしたが、独特の緊張感がありました。
透明化というのは、投票後どのように票が流れていくのか、出口調査に加えて開票所でバードウォッチングのように目視で票数確認したりなど、ブラックボックスになりかねない選挙の過程を透明化するという意味です。NHKはこのあたりは徹底してやりますので。

——その後、室蘭局に異動したんですね?

札幌に比べて、室蘭は大きなニュースというのが日常としては少ないんですよね。でも、地元の人にとって、ニュースってたくさんあります。例えば、室蘭は鉄の街で、製造業が集まっている地域なんですよね。製鉄所の主要な設備である高炉が、昔は室蘭にたくさんありましたが、今は1つという状況です。当時私が室蘭にいた時は、その高炉が経年劣化でトラブルも頻発していて、まちの住人たちも心配している雰囲気がありました。そんなときに地元の消防が行政指導を行ったんです。そのニュースを私は独自で発信しました。そういうニュースって地元の人にとっては、大事なニュースだけど、北海道でくくると関心は決して高くないと思うんです。でもその後、「高炉を新しくする」ことになり、行政指導は、効果を上げたわけです。地元の人に役立つニュースを出せた、とおこがましいですが自負しています。
私は業界紙出身なので、NHKで取材するにあたって、誰のために仕事するのか、ということをとりわけ考えてきたと思っています。業界や行政、企業のためだけでなく、住民など世の中のため、みんなのためになる仕事、それが公共的だと私は思っていますが、ときに厳しいことを伝えることが世の中のためになることもあると考えています。

——❝公共性❞を強く意識して仕事をされていますね

世の中のためになることって正直難しいですが、自分の仕事が誰かのため、世の中のためになっていればいいな。と意識をして仕事しています。
NHKの価値は、受信料で運営するという特殊な組織ですから、見られれば良いだけじゃなくて世の中のためになることを追い求めていく。そして日々、みんなそれを考えて仕事をしている。というのは僕個人的な意見ですが、こんな組織はNHK以外ないと思いますね。全国の約1万人の職員が公共性を常に考えながら動いている組織は、珍しいことですよ。だからこそ一目置かれている部分があると思います。

——NHKに入ってみてのギャップなどはありましたか?

NHKは、保守的であり慎重なイメージがありますが、その人がやりたいという強い意志を持って「これを取り上げたい」で、できることが多いなと感じたのはギャップだったかもしれません。
「NHKでこんなテーマの内容も取り上げるのか!」という多様性の部分も含めて、そういう意外性は感じましたね。

2.「家族と地域のために」

——北海道の地域職員を希望したのは、なぜですか?

一言で言うと「働きやすい」と思ったんですよね。もともと札幌出身だったので、地元のために働きたいという意識はありました。各地の課題に向き合うにあたって、地域の人から見てすごい大事な問題っていうのは、どの分野であれ、掘り下げることが重要だと思うんです。NHKって大きな組織ですから、中央のセンターから各地に専門性ある職員が配置され、縦割りによって仕事のクォリティ―を維持している面が、ほかの一般的な組織と同じようにあると思いますが、それはときにセクショナリズムとして機会を逃すことにもつながりかねない面もあるのかなと。地域職員がそこに横ぐしを刺すというんでしょうか、セクショナリズムを超えることがたぶん一つ地域に根差して地域ファーストで働く意味だと思います。

あと、働くにあたって、やっぱり家族と一緒にいながら働けるっていうのがいいですよね。次男が一昨年に生まれた時に、生まれた翌日から半年間育休を取得しました。今は共働きですが、忙しい毎日のなかでも暮らしと仕事がうまく回っていっているのは育休の半年で家事のトレーニングをしたからだと思います。やっぱり家族を大事にしないといけないなと思ったんです。
こう思うようになったのは、2018年の胆振東部地震の日に、偶然ですが(地震とは関係なく)私の母が亡くなったんです。さすがに一週間休みました。その後すぐに、取材で被災地行ったのですが、ご家族を亡くした人に話を聞くのは難航しました。辛いことを話したい人はなかなかいないですから。でも、私も同じ日に母を亡くしたこともあって、真摯に向き合いました。自分も同じような境遇なのに…と思いつつも、同じような境遇だからこそ、ご遺族の方からお話聞かせてもらえたのかもしれないと今では思っています。正直、精神的には疲れました。そのときやっぱり報道って人の命に触れることもあって、自分の身近な人たちを大事にしないといけないなと改めて思いました。そういう経験もあって、”家族ライフ”をとにかく大事にしようと。

——半年間の育休をとられたんですね?

当時は、なかなか男性記者で、育休を半年取得するというのは多くはなかったと思います。NHKってやはり、社会の鏡であってほしいと思います。NHKは、いつも世の中こうあるべき、ということを伝えているわけですから、そこは少なくとも新たな取り組みに遅れはない職場ではないかと思います。

3.マルチタスク

——記者から事業(イベント)へのジョブローテーションは希望されたのでしょうか?

希望は出してなかったです。ですので、正直戸惑いはありました。
でも、今はイベントという仕事のことを少しずつ分かってきて、NHKとしてすごく大事な仕事だと思っています。記者時代はコンテンツ、いわゆる放送する中身を作っていたわけですが、この事業業務を担当するようになって、視聴者の皆さんとリアルに接して、公共放送としての理解を得るということも重要だと感じました。皆さんからのご意見も頂戴して、当然、放送とかデジタルに限らず、サービスとして求められれば提供していくというものだと思いますので、そういう点でやはり、直接視聴者と関わるイベントに携わる仕事もすごく大事だなと思っています。
事業を担当してまだ半年ぐらいですが、主に担当したのは、防災展北京オリンピックのパブリックビューイングのイベントを実施しました。

——イベント業務で印象に残っていることはありますか?

防災展示に、町内会の方が来場してくれて、「勉強になりました。ぜひ地元で防災の勉強会やりたいので、いろいろアドバイスして欲しいんです」って言ってくれたんですよね。これぞリアルなコミュニケーションということで、どんどん輪を広げていけるんだなと思いました。ただ、コロナ禍でのイベント運営は多くの人に来てもらいたいけど、気を付けることも多くて、なかなかやりたいことが叶わなかったりという難しさはあり、これまで取材側として関わってきた飲食店などの方々の苦労の一端を感じている面もあります。

——今後、企画しているイベントなどはありますか?

新規イベント提案(※自らイベントを企画・実施)で採択されたものとして、NHKのニュースの価値、そして報道の価値をいかに伝えるかというイベントをつくりたいと思っています。元記者だからできるイベントだと思います。今は「テレビ離れ」とも言われいて、記者が頑張って‘‘特ダネ‘‘とっても、放送が見られないと残念ですよね。しっかりとコンテンツを届け続けていくために、そのNHK報道の価値をリアルなイベントという手法でも届けたい、と考えています。今はまだ検討中ですが、実際に記者やカメラマンに登壇してもらい、「今だから言えるあの取材」、「あの取材の時はどんなことを想ってたのか」など、裏話的なことも含めて提供できると面白いんじゃないかと思っています。

——放送とイベントだと、放送のほうが広く(多くの方に)届きますよね?

広い、という意味ではそうですね。ただ、イベントは、「行きたい」「行ってみたい」という意思を持って来てくれて、NHKのコンテンツを生で感じてもらって、体験してもらう。こちらとしても、その様子やお客さんの表情を見ることができて、さらにお客さんからお話をお伺いすることもできたり、来場者アンケートで反応を見れるというのは、NHKにとって重要な財産だと思います。会場規模等によって、来ていただける方はどうしても限られますが、強く刺さるコンテンツ提供で、来場者とリアルなコミュニケーションをとれるのが、やっぱりイベントだと思うんですよね。放送もイベントもそれぞれの強みがあると思っています。

——記者とイベントと2つの仕事を経験しているからこそ見えてくるものがありますね。

そうですね。特に、今後のNHKは職員にマルチタスクも求めていくと思います。私みたいに記者からイベントを担当する事業にシフトするなどマルチに働く職員が増えていけば、今以上に、公共放送の価値を多面的に視聴者の皆さんに還元していけると思います

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