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Do!|#17 Yanatori Yuki

  • 2022年10月31日

北海道・礼文島で働く医師の父子の1年間を描いた「NHKスペシャル この島で 最期まで ~礼文島・父子でつなぐ医療~」(2022年8月放送)。 「花の浮島」の異名を持ち、夏には多くの高山植物が咲き誇る一方で、冬には猛烈な吹雪に見舞われることもある礼文島。第17回のDo!では、最北の離島医療の現場を追い続けた梁取祐紀ディレクターに、取材の裏側やディレクターの仕事の魅力を聞きました。 

〔Photo By 出羽 遼介〕
〔聞き手 富浦 麻穂(NHK札幌放送局 広報)〕
※感染対策を十分にとったうえで撮影しています

梁取 祐紀 -Yanatori Yuki-
2017年入局。首都圏放送センター、さいたま放送局を経て現在札幌放送局放送部所属。
福島県出身。趣味はハンドボールとスノーボード。これまで「ハートネットTV 人生の再出発 ~ある出所者の日々~」「NHKスペシャル この島で 最期まで ~礼文島・父子でつなぐ医療~」などを担当。

「NHKスペシャル この島で 最期まで ~礼文島・父子でつなぐ医療~」あらすじ
昆布やウニなど漁業が盛んな礼文島。人口は約2300人。その4割近くが65歳以上の高齢者。
この島で島民の命と健康を守る医師の父子がいる。それが升田鉄三(ますだ・てつぞう)先生と升田晃生(ますだ・あきお)先生だ。
晃生先生は、東北の総合病院で年間130以上の手術を行ってきた消化器外科のスペシャリスト。2020年に礼文島に戻ってきて、父とともに島の医療を支えている。
2022年3月、鉄三先生が定年退職し、バトンは晃生先生に引き継がれた。理想の医療を追い求める父子の1年間を記録した。

1.人生の“最期の在り方”を考える

――今回、礼文島の離島医療をテーマにしようと思ったのは、何かきっかけがあったんですか?

新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、離島で感染者が出たというニュースを見るたびに「離島医療はリソースが限られた中で大変なんだな」と感じていました。そんな時に新聞記事で、礼文島の升田鉄三医師が「日本医師会・赤ひげ大賞」(長年に渡って地域医療に貢献した医師に贈られる賞)を受賞したと知り、取材してみようと思ったのがきっかけです。

――1年間にわたる長期取材だったそうですね。

2021年のゴールデンウィークに「おはよう北海道」のリポートを出したのが最初で、そこから2022年8月に「NHKスペシャル」を放送するまでずっと取材を続けてきました。礼文島には合計10回くらい通いました。

――1つのテーマをさまざまな番組で伝えてきたんですね。

「おはよう北海道」「北海道道」「Dearにっぽん」、そして「NHKスペシャル」と、これまでに4回放送しています。当初は「Dearにっぽん」に出すことをゴールに定めて、鉄三先生の引退を追うことを目標にしていました。

――今まで離島や医療をテーマに番組を作った経験はあったんですか?

この番組が初めてでした。北海道にいる間に離島に行ってみたいと思っていたのと、入局してすぐに病気で2カ月ほど入院して医療従事者の方々に本当にお世話になった経験があったので、いつか病院を舞台に番組を作りたいなと思っていたのが、今回に繋がりました。

――今回の取材で一番大変だったことは何ですか?

やっぱり移動ですね。札幌から稚内まで行って、そこからフェリーで礼文島へ行くルートが多かったんですが、朝8時半に札幌を出て礼文島に着くのが夕方4時過ぎ。移動だけでほぼ1日かかるので、行くまでが本当に大変で……。改めて北海道の広さを思い知りました。

――礼文島にはこれまで行ったことは?

今回の取材で初めて訪れました。時の流れが緩やかで、人や町の雰囲気も穏やかで、こんな場所が日本にあるんだと驚きました。

――医療現場にカメラが入るというのは、なかなか難しい面もあったのではと思いますが。

それが、診療所スタッフ・患者の皆様が「礼文島の魅力が伝わるのであれば」と快く取材に協力してくれました。
礼文島はもともと観光業が盛んな島ですが、コロナ禍で観光客が減少してしまったこともあり、なんとかして島を盛り上げたいという思いを持たれていました。その思いに応えるためにも、撮影では離島医療の現場を描くと同時に、礼文島の美しい自然をいかに伝えるかということも意識しました。

――「Dearにっぽん」(2022年6月放送)では晃生先生が主人公でしたが、「NHKスペシャル」(2022年8月放送)では鉄三先生と晃生先生それぞれの姿を追いつつ、父子の関係性を描いているように見えました。

「Dear にっぽん」でも、本当は父子2人を主人公にしたかったのですが25分サイズということもあり、晃生先生を主人公に据え、鉄三先生の紹介は最小限にせざるを得ませんでした。「NHKスペシャル」は49分サイズの枠なので、その分2人の姿をより丁寧に描くことができました。

――鉄三先生と晃生先生、それぞれが互いに対する想いを独白のように語るシーンはありましたが、2人が直接話しているシーンはほとんどなかったように思います。そのあたりはいかがですか?

あの2人は“交わらない2人”なんです。診療所でも本当に喋らないんですよ。お互いを信頼しているが故の会話の少なさなんだと思います。
番組では「父子の話」と謳っているので、初めはなんとか2人が絡むシーンを撮ろうとチャンスを窺っていたんですけど、最終的には2人が互いにどう思っているのかをインタビューベースで構成しました。

――1年間の密着取材を通じて、お二人の印象はどうですか?

お二人ともとても真面目な先生です。島医者としての使命感を持ち続け、それがブレることがない。私自身、二人の姿から仕事への向き合い方、人との向き合い方を学ばせて頂く機会になりました。

――番組のラストで、肝臓のがんと診断された土田隆さんが、最期に晃生先生と一緒に自分が植えた桜を見るシーンは非常に印象的でした。

土田さんのシーンは、私も今回の撮影で一番印象に残っています。2022年1月に初めて会ってから4月に亡くなるまで、3回お会いしました。3月(2回目)に会った時は元気そうだったのに、4月に会ったら黄疸が出ていてとても苦しそうで……。亡くなられたのが撮影した僅か4日後ということもあり、すごくショックでした。
ふだんの生活の中で身内以外の人の最期にたずさわるというのは滅多にないことだと思いますが、番組を作っていると、今回のように時に他人の人生を垣間見ながら取材をすることもあるのだなと。土田さんは「オレの桜を全国の人に見てもらいたい」と仰っていたので、約束を果たすことができてよかったなと思います。

――「この島で最期まで」。このタイトルにはどんな意味を込めたのでしょう?

今、ウクライナでの戦争や新型コロナウイルスの感染拡大など、望まぬ場所で望まぬ死に方をしてしまう人が多い中、鉄三先生と晃生先生は、その人が望む場所で最期を迎えさせてあげたいという想いをもって患者に向き合っています。
人としての最期の在り方はどうあるべきなのか。それが番組全体にこめたメッセージでもありますし、土田さんと晃生先生の関係性は、まさにそれを体現していると感じました。

2.日の目を見ない人やスポーツをとりあげたい

――学生時代の話も伺いたいと思います。大学時代はどのように過ごされていましたか?

学業の面では福祉系の学部だったので、障がいを持つ方々の話を聞く授業が多かったです。盲ろう者の方など、様々ハンディキャップを抱えて生きる人から話を聞きました。プライベートでは、アジアあたりを放浪したり、趣味が中学・高校と続けてきたハンドボールなので、サークルとか社会人チームとかで活動したりしていました。

――ディレクターになろうと思ったきっかけは何ですか?

ハンドボールをテレビで中継してくれるのって、NHKだけなんです。自分がずっと続けてきたスポーツがマイナースポーツと言われ続けるは悔しいじゃないですか。だったら、NHKに入ってハンドボールを取り上げた企画や番組を作ることで普及活動ができないかなと(笑)。
ハンドボールに限らず、他のマイナースポーツや世間からマイノリティーと言われる方々など、世間一般ではスポットライトが当たらない人・事象を取り上げて、多くの人に知ってもらうことができるのではないかと思ったのがNHKのディレクターを志したきっかけです。

――就職活動では、何社くらいエントリーしましたか?

あまり業界を絞らずにたくさんエントリーしました。でも一番行きたかったのはテレビ局で、NHKが第一志望でした。

――NHKの面接はどうでした?

じっくり話を聞いてくれた記憶があります。1人あたりの面接時間が長くて、こちらの思いの丈をたっぷり話す時間がありましたし、それをちゃんと受け止めてくれました。

――ディレクターになって良かったことは何ですか?

ハンドボールのオリンピック中継を担当できたことです。オリンピック中継を見ていると、民放で放送しているのに実況はNHKのアナウンサーが担当している、ということがありますよね。それは民放とNHKが「ジャパンコンソーシアム」という組織を結成して、共同で番組を制作しているからなんです。
東京オリンピックの際に、私も「ジャパンコンソーシアム」の一員として、会場の代々木体育館からハンドボール中継をしました。採用面接の時から「ハンドボールの中継をやりたい」と言っていたので、実際に担当することができて、めちゃくちゃ興奮しました。

――すごい! 夢が叶いましたね。

ものすごく楽しかったです。そういうふうに、自分が関心のある分野にとことん向き合えたり、普通は行けない場所に行ったり会えない人に会えるのは、ディレクターの醍醐味ですね。
ドキュメンタリーもそうですが、例えば礼文島のお医者さんに話を聞く機会なんて、他の仕事だったらなかなかないと思うんです。番組で取材する人は何かしらのプロフェッショナルの方々が多いので、とても刺激を受けますし、そんな人たちに話を聞くことができるのはディレクターの仕事の魅力だと思います。

――番組を作るうえで大切にしていることがあれば教えてください。

NHKが作るいわゆる王道の番組は誰かが必ずやるので、自分はニッチなところを担当していけたらいいなと。まだスポットライトが当たっていないだけで、魅力的な人・モノ・コトが北海道には沢山あると思っています。

――取材のテーマはどうやって考えているんですか?

時代に即したテーマをとりあげる、ということがまず前提にあって、いま世の中で何が起きているのか、ニュースやSNSなどで情報収集しながらネタを考えています。
「なぜ今このテーマをとりあげるのか」というのは、ディレクターにとっては至上の命題なので、そこは外さないように意識しています。

――最後に、これから作ってみたい番組はありますか?

スポーツドキュメンタリーをまだ一度も作ったことがないので、機会があれば制作してみたいです。北海道で盛んなウインタースポーツをとりあげてみたいですね。

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