NHK札幌放送局

「~ヤノマミ・ガリンペイロ・イゾラド~ドキュメンタリートーク 国分拓×鈴木忠平」イベントレポート

札幌局広報・事業

2022年11月16日(水)午後3時56分 更新

10月22日(土)NHK札幌放送局で、国分拓ディレクター(NHK札幌放送局)、ノンフィクション作家の鈴木忠平さんによるドキュメンタリートークイベントを開催しました。国分ディレクターが制作したドキュメンタリー番組をもとに、2人が思うドキュメンタリーの面白さや可能性についてクロストーク。その内容をほぼ全文でご紹介いたします。 出演:国分拓ディレクター(NHK札幌放送局)、鈴木忠平(ノンフィクション作家) 

会場の第1スタジオには、ほぼ満席の約100名のお客様がご来場しました。
会場までの通路や、会場内には、国分ディレクターがアマゾンで取材している時に現地のカメラマンが撮影した写真をパネル展示。開演前には、写真をじっくり見て回るお客様も。

それでは早速トークイベントスタートです。

1.「ガリンペイロ」を題材に。
(現場のリアルの瞬間とは? 取材者への共感 など)
2.「ヤノマミ」を題材に。
(物語性はいつつくる? ドキュメンタリーをつくるうえでのモットー など)
3.質問コーナー

齋藤(進行):今回のイベントは、NoMaps2022連携企画です。”札幌からテック・エンタメ・クリエイティブで世界を面白くする”というテーマを掲げているNoMaps。そのコンセプトに賛同し、NHKの制作者のトークイベントを企画しました。

ご登壇いただく、NHK札幌放送局 国分拓(こくぶんひろむ)ディレクター、そしてノンフィクション作家の鈴木忠平(すずきただひら)さんです。

齋藤:まずは、私の方からお二人のご紹介を。NHK札幌放送局 国分拓(こくぶんひろむ)ディレクター。

1988年にNHKに入局し、数多くのドキュメンタリー番組を制作してきました。「ファベーラの十字架 2010年夏」、「ガリンペイロ 黄金を求める男たち」などを手掛け、また、150日間にわたり取材した番組を書籍化した「ヤノマミ」で2010年には石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞、2011年には大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。

続いて、ノンフィクション作家の鈴木忠平(すずきただひら)さん。

スポーツ新聞社雑誌編集部を経て、フリーのライターとして現在活躍されております。著書には、「清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実」「清原和博 告白」などがあり、そして今年、落合博満さんを描いた「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」でミズノスポーツライター賞、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社 本田靖春ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞の4冠を受賞しました。


そんなお二人に、本日はクロストークをしていただきたいと思っております。よろしくお願いします。

齋藤:それでは、お二人から一言ずつご挨拶をお願いします。

国分:よろしくお願いします。今日はとっても良い天気なのに、こんな真っ暗なところで申し訳ございません。よろしくお願いします。

鈴木:本日はよろしくお願いします。国分さんの作る番組が好きだって言い続けていたら、こういう機会をいただきまして、今日とても楽しみにしています。よろしくお願いします。

齋藤:お二人の出会いのきっかけなど、国分さんから教えていただけますでしょうか。

国分:今日お話する『ガリンペイロ』という番組を撮影していた頃に遡るのです。あの番組、長くて、とてもしんどいロケで。肉体的にも精神的にも。その最後のロケ、2016年の2月です。ようやく撮影が終わって、街場に帰るために、船着き場で船を待っていたんですね。そのとき、カメラマンと二人で、これから何をやりたいか、という話をしたんです。それで、著名な人物で誰か取材したい人いる?とカメラマンに聞かれたから、ジャニー喜多川と清原和博と言ったんですよ。で、翌日街に到着してネットを立ち上げたら、「清原逮捕」ってバーンと出ていて…。2016年の2月なんですよね、清原さんが逮捕されたのは。で、その瞬間、僕は「あ、もうこれで無理だ」と早々に諦めたんです。ま、NHK的常識ってやつですね。それなのに、そんな常識をものともせず雑誌に発表した方がいて、それが彼、鈴木さんだったんです。NHKだから無理だよなと諦めた私と、やり遂げた鈴木さん。猛烈な敗北感があって…。そこから気になって、雑誌や本が出れば欠かさず読むようになって、そのうち会いたくなって…、という関係です。

齋藤:そうだったんですね!ありがとうございます。そんなお二人と、本日は、国分さんのドキュメンタリー番組をテーマとして、映像でみせるドキュメンタリー、そして文章で描くドキュメンタリー。お二人それぞれが思うドキュメンタリーの魅力や可能性など、この後お話していただこうと思います。
まずは、『NHKスペシャル「大アマゾン 最後の秘境 第2集「ガリンペイロ 黄金を求める男たち」』です。一獲千金を夢見てジャングルの奥地で金を探し、ひたすら穴を掘り続ける無法者集団ガリンペイロに密着したもの。こちら鈴木さん、一番好きな番組とお伺いしました。

鈴木:そうですね!国分さんにお会いさせていただくきっかけにもなった番組でもあって。2016年の放送で、アマゾンの四部作を放送していたんです。それを全部見た中でも、このガリンペイロだけ異色で。簡単に言うと、よくぞNHKでこれをやったなっていうことが衝撃で。それでその後、NHKの知り合いの方に、この番組が好きだって言い続けていたら、国分さんに会わせていただけたんです。そういうちょっと縁のある番組です。

齋藤:ありがとうございます。鈴木さんが縁のあるというそんな番組。この後、「ガリンペイロ 黄金を求める男たち」の一部をご覧いただきます。

≪Nスペ「ガリンペイロ」一部上映≫

鈴木:よくぞNHK、これを放送したなと言った意味が、冒頭でおわかりいただけると思うのですが、いきなり拳銃が出てきて、しかも法が及んでいないようなイメージカットから始まる番組です。昔からNHKの動物を追ったドキュメンタリーが好きだったのですが、なぜ好きだったかというと、生き物の本能が見られるんですね。ライオンといった肉食獣が獲物を仕留める場面、でも年老いてくると、若い者にその座を奪われるという栄枯盛衰、本能が見られるのが好きでした。しかし、人間でそれを描こうとすると、そのような作品はあまりなくて、ガリンペイロを見たときに、人間を生き物として、本能を描こうとしたんじゃないかという印象を受けました。おそらくリスクもあり、取材後も放送できるのかもわからなかったんじゃないかと思います。そういったことを乗り越えて、よくぞ放送してくれたなという意味で、一番好きな作品です。国分さんに興味を持ったのは、なぜそこまでのリスクを負って取材して、彼らのどこに興味を持ったのかということです。それをお聞きしたいです!

国分:なぜということをひと言で言うのは難しいですけど、惹かれたんですね、彼らに。それはどういうことかというと、僕自身、ここ10、15年、組織の人間として生きるのが、気が狂うほどしんどくて(笑)。理由はいくつかありますが、例えば、コンプライアンス。もちろん、守るべきコンプライアンスはあるんですよ。それは当然です。でも、コンプライアンスの名を借りたくだらないコンプライアンスというか、コンプライアンスの名を借りた徹底管理というか。例えば、SNSで個人の政治的な信条を語ってはいけないとか、エレベーター内で仕事の話は慎みましょう、とか。なんというか、あれダメ、これダメ、あれするな、これするな、と。そういう圧に晒されると、自立とか尊厳を奪われている感じがするんですね、少なくても自分は。あと、ネットというか、オンラインでの管理もしんどいです。あれって、それぞれにフォームがあって、その指示に従って空欄を埋めていかないといけないじゃないですか。そういうの、ほんと気が狂いそうになるんです。強いられている感が半端なくって。じゃあ、それと真逆の現場、真逆の生き様をやってやろうかなって考えて。思いついたのがガリンペイロでした。彼らは社会の規則や道徳から全く無縁で、自分のコードに従って自らリスクを取って生きている連中なので、取材ができたら面白いんじゃないかと。1999年にちょっと取材したことがあって、その刹那的な生き様に惹かれてもいたので。とは言え、シリーズものだからできましたけど、単発ではおそらく無理だったでしょうね。

鈴木:放送の許可のハードルは覚悟しましたか。

国分:まったく、してません。僕の仕事は、現場のリアルをすべて撮って番組を作り上げるということであって、放送ができるかできないかという判断は、僕の仕事の範疇ではありません。私の立場から言えば、中身に文句をつけなかった部局の上司は健全、そして、そのときに属していた組織は事勿れ主義でも、誰かに忖度をするのでもなく、極めてまっとうだったのではないでしょうか。

鈴木:自分も新聞社にいた時代があって、現場で取材したことを書くのが僕の仕事ですけど、取材したすべてを書ける訳ではないんだという諦めもあって。落合さんにしても清原さんにしてもそうですが、自分の住んでいる世界から少しはみ出して、独自のルールで生きている方々に惹かれるところがあったので、僕もこのドキュメンタリーに惹かれたのかなと思います。自分は取材現場に行くと言っても、日本国内のどこかなんですよね。国分さんはアマゾンまで行って、なおかつ最初に出てきたジャブ・デ・オーロというボスのような人と交渉するというモチベーションは何でしょうか。

国分:実は、場所を探すのはすごく大変で、2014年に2週間くらい、どこで勝負をするか、カメラマンと探しに行ったんですよ。まずは、一度行ったことがあるところに行ってみようと、とある川を遡ったんですね。そこはビジュアル的にとっても素敵な場所で、『地獄の黙示録』みたいに川を遡行していくと、朝霧の中に船がばーんと500隻くらい唐突に見えたりして。でも、警察の手入れが入ったらしく、探せど探せど船は一隻もいなくって。で、元ガリンペイロにいろいろ聞いて、まったく別のところに探しに行ったんです。アマゾン川のある支流なんですが、最後の村を出ると、川が枯れるまで集落がひとつもないのにガリンペイロだけがいる、みたいな場所でした。で、最後の村を出て2日後ぐらいでしたでしょうか。燃えて真っ黒になっている小屋がいっぱい見えてきて、「ここはなんだ」と聞いたら、売春宿だと。ガリンペイロがそこの支配人を殺して火をつけた、と。「いつ?」と聞いたら3ヶ月前くらい前だと。で、さらに1日ぐらい遡ったら大きな金鉱山があって、偉そうにしている奴がいて、「お前がボスか?」と聞いたんです。そうしたら、「ボスはここからさらに2日川を遡ったところにいる」と。で、「儲かってるのか?」と聞いたら、「当り前だ。ボスはこの水系のヘイ・ド・オーロだからな」というんです。ヘイ・ド・オーロ。いい響きですよね。訳すと、「黄金の帝王」です。決まりでしょ?でも、難しいのはそこからで、ボスと事前に会いたくなかったんですね。なぜかというと、ドキュメンタリーはファーストコンタクトがものすごく重要で、事前に会っちゃうと、どうしても本番の撮影が予定調和になると言うか…。それを避けるために、あとはボスの子分とコーディネーター間の電話連絡だけに留めて、「とにかく来年の春にカメラ回しながら行くからよろしく」とだけ言い続けたんです。で、ノーとは言われなかったので、じゃあ行っちゃえと行ったのが冒頭のピストルのシーンです。

鈴木:ボスと顔をあわせて云々ではなくて、最初の最初が拳銃を持ってきたシーンだったと言うことですね。

国分:そうなんですよ。で、隣に写っていた太っちょが、私たちが連絡相手にした子分で、実はボスの息子なんです。息子とは事前に会っていて、私たちの貴重な情報源でした。例のピストルの場面も、息子がいるからまあ大丈夫だろうと思っていました。

鈴木:自分はハードボイルドの物語や小説が好きなので、このボスが出てきた時の黄金のぐにゃぐにゃになった首飾りとか指輪とか、いちいち反応して引き込まれてゆくのですが、国分さんは何を撮りたかったのでしょうか?

国分:あのじゃらじゃらは、ガリンペイロで成功した者が身に着ける、いわば「正装」なんです。1970年代にアマゾンで最初のゴールドラッシュが起きたときには、じゃらじゃらつけて街を闊歩する連中がたくさん出て、中にはテレビに出演して人気者になったガリンペイロもいたほどで、部外者に会うときはじゃらじゃらをつけるという「伝統」があるみたいなんですね。だから、あのシーンは「つけてきてくれー」と祈っていたので、つけてきてくれてホッとした記憶があります。あれで10キロ、4000万円ですからね。ただ、番組の主役は末端のガリンペイロだろうと思っていたので、最初に金鉱山(半径10キロに3つの金鉱山があった)を回るときだけ一緒に来てもらって、ガリンペイロに私たちのことを紹介してもらって。ボスの仲介なしに、いきなり金鉱山に行くのはさすがにリスキーすぎるので。ボスがいろいろ言ってくれたから安全が確保できたのは間違いありません。

鈴木:安全の確保ですか。ボスが分かったと言っても、自分だったら信用できないですよ。そもそも非合法の場所なので、安全なんてないんじゃないかっていう・・。

国分:そこはボスの統制がとれている感じもあったので、大丈夫かなーと。ただ、酔うと危険なんですよ、彼ら。一気に統制不能になっちゃう。

鈴木:でも、少しだけこのドキュメンタリーを見てて、取材者としてなのか、一人の人間としてなのか、両方なのか、羨ましいなという気持ちが・・。これを取材した国分さんが羨ましいなっていう気持ちがあったんですよね。なぜかと考えたら、自分が生きている世界を考えた時に、例えば「死を感じること」ってほとんどないですよね。でもここに行くとそういうことがビンビン伝わってきて。そういうものと隣り合わせにならないと、大袈裟に言うと生きてる実感が沸かないというか。取材に行かれる方って、人間として生きている実感を得られているんじゃないかっていう、それでちょっと羨ましかったんですよね。

国分:自分自身は現場で死を意識したことはないのですが、空間自体には死がいつも身近にあるとは感じました。ただ、感じるのと記録するのは別物で…。そんな空気感をカメラに収めるのってかなり難しいと思うんです。そのためには、たとえ僕ら(取材者側)が異物であっても、というか異物であることを前提に、彼らが我を忘れる瞬間、つまりリアルなひとりの人間になる時間を逃さないようにしなければ、とだけ考えていました。

鈴木:スポーツ選手の一番人間性が見えるのは、グラウンド上で結果が出た瞬間。僕らがインタビューする時には、もう予定調和が入っちゃってるんですよね。

国分:そうなんです。今の自分が過去の自分を語るみたいに、冷めちゃってますよね。

鈴木:国分さんはその緊張感を求めてたんですかね、極限の。

国分:僕自身がドキュメンタリーと定義するのは“何が起きるのかわからない場所に行きます”、“話がどうなるかも分かりません”、“こちらからは何も頼みません”っていうことなんです。だから僕はドキュメンタリーを作ったこともあれば、ドキュメンタリーじゃないものを作ったこともあります。でも、ガリンペイロはドキュメンタリーでやりたかったんですよ。となると、ずっと何かが起きそうな場所に居て、何かが起きるのをじーと待ってるしかない。

鈴木:この番組はインタビューというシーンがないじゃないですか。今から席について、用意して、質問しますねっていうインタビューがなくて。全部、国分さんが言うドキュメンタリーになっているのかなと。その緊張感がずっと溢れているんですよね。

国分:実は彼ら、よく喋るんですよ。自分なんてポルトガル語がネイティブじゃないのに、私相手でもよくしゃべるんです。伝わっているかどうかは問題じゃなくて、ただ喋りたかったのではないかと感じました。孤独なんでしょうかね…。ま、訳してみると、その8割は嘘で固めたような自慢話でしたが。

鈴木:全部じゃないですけど、例えば人物もののドキュメンタリーをよく見たりするんですけど、インタビューをしているじゃないですか。相手もそれを知っているし、聞かれたことに答えて、証言構成みたいなドキュメンタリーもたくさんあると思いますけど、時に自分はそこに退屈さというか、果たしてこの人が自分のことを語っているけど、その言葉って本当だろうかという気持ちが入ってしまって、ちょっと冷める時がありますね。

国分:それは起きた時と、喋っている時の時間がずれているからなんですよね。何か起きているときに喋っていると、リアリティを感じるんですけどね。本当はそれだけで作りたいんだけど、なかなか難しいですね。

鈴木:スポーツの現場はなかなか難しいですし、でも一視聴者としては人間が自分を語る上で最も信用できるのは言葉ではなくて、行動や雰囲気だと思うので・・。国分さんもインタビューのお仕事をされていたと思いますが、そういうことに対する飽きというか。

国分:ありますね。


齋藤:突然すみません。ガリンペイロの中で鈴木さんが最も惹かれた人物がいるという話をお聞きしましたので、その話もお伺いしてもよろしいでしょうか。

鈴木:色々な傷を持った人が出てくるんですが、自分の中ではポンタっていうあだ名がついている、ガリンペイロの父親とガリンペイロにやって来る娼婦の間にできた子で、つまり本籍がガリンペイロなんですよね。そういう人が出てくる、その人は黄金を掘らずに漁をしているんでしたっけ。

国分:途中で掘るのをやめて、ガリンペイロたちの食糧を調達する漁師になったんですよね、彼。

鈴木:その人の弱さというか、にじみ出てくる弱さになぜか凄く惹かれて。それで一人挙げるとしたらポンタかもしれません。

齋藤:ありがとうございます。それでは皆さんにも少しご紹介したいと思いますので、ポンタの映像をご覧ください。

≪映像≫

国分:これ作ったときはそう思わなかったんですけど、今見ると、自分の行く末を見ている気がしますね。この年になり、自分も孤独の中で死んでいくのかなぁーと。

鈴木:私も見るのはつらいところはあるんですけど、ポンタのなかに自分を見ているような気がして。黄金があるだろうと思い、少年時代を過ごし。絶望したこともありますし、見栄を張っても、どうせ銃は打てないだろうと周りから見透かされたり、なぜか愛おしくなってきます。先ほどの話と関連しますけど、泥酔事件、発砲未遂事件のシーンを見せなくても、ポンタにインタビューしなくても、ポンタがどういう人かわかる気がします。全く別の世界のことが描かれているはずなのに、なぜか自分のすぐそばの世界が描かれているような気がして、共感を覚えるという不思議な体験をしました。

国分:共感するんですよ。ポンタにも、殺人者のブッシュにも、ゴミ箱で生まれたマカクにも。ドキュメンタリーって、いい人が出てきて、苦難に打ち勝って、なにかを成し遂げる、みたいなのが少なくないですよね。それはそれで立派なことですけど、人間っていいところもあれば、悪いところもあって、俗物性や邪悪なところもあるじゃないですか。なぜドキュメンタリーには善人ばかりが出てくるのか、ってずっと思ってるんですよね。その点、ガリンペイロには感情移入してしまいましたね。社会から表彰されるような善人ではないでしょうし、俗物で邪悪で不道徳で野蛮でわがままなんだけど、どこか誠実だと思えたんですよね。何に誠実かというと、生きることに誠実というか。

鈴木:現場にいらっしゃいながら、それぞれに共感する部分があったということですか。

国分:番組に出てきたのは数人ですけど、何人もいましたね。

鈴木:最初に共感する部分がないと、番組を作る動機にはならないということですか。

国分:必ずしもそういうわけではないんです。もちろん、共感する人がいるから番組を作るということは自分にもあるんですよ。ただ、共感はしないんだけど、その場所に磁力があって、なにか普遍性を感じたから番組を作りたい、そう思うことの方が多いように思えます。『ヤノマミ』などは、そちらです。

齋藤:まだまだガリンペイロのお話もお伺いしたいんですが、続いての番組にいかせていただければと思います。
続いては、『NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」』のお話を伺います。ヤノマミとは、人間は精霊として生まれ、母に抱かれることで人間になると信じるヤノマミ族のことです。1万年以上、独自の文化、風習を守り続けている人々に密着しました。今回はディレクターズカット版を特別にご覧いただきます。

≪『ヤノマミ』一部上映≫

鈴木:冒頭の女性がアリの巣に生まれたばかりの自分の子どもを置く場面は、衝撃を受けました。

国分:これを撮影したのは深い森の中で、風が吹いてくると、木々がごぉーと鳴ったりして、とても神々しいなと感じた記憶があります。こういうことを続けてきた、という神々しさというか。

鈴木:この『ヤノマミ』を見て思ったのは、『ガリンペイロ』もそうだったんですけど、150日の滞在のなかで、ヤノマミ族の人たちがだんだん国分さんに近寄るじゃないですけど、少し心を開いているのかなと。そういう過程が見えるんですよ。実感やカメラの距離感で意識されていたことはありましたか。

国分:『ヤノマミ』は自分のなかで初めてドキュメンタリーを作ろうと思った番組なんですね。カメラマンと相談して撮影や同居のルールを作ったりして。その基本は、起きたことだけを撮る、というものでした。さらに言えば、起きたことだけを集めてどれくらいのものが作れるのか、自分を試したいという気持ちもあったように思います。
そして、たまたま、あの少女が自分が生んだ子どもを精霊として天に返す場に居合わせたわけですけど、あの行為を殺人だとは思われないように作らねば、とも思いました。少なくても、私もカメラマンも殺人だとは思わなかったので。だから、番組を見て「これは殺人だ」とひとりでも思ったら、僕は彼女らを穢したことになる。それだけは絶対ダメだ、という気概で編集した記憶があります。

鈴木:この最も特徴的な生まれた子を育てるか、精霊とするかといった風習は、事前に調べてこれをテーマにしようと思って行ったのか、それとも現地で目撃したということなのかどちらですか。

国分:「勉強はするけど現場では忘れる」をモットーにしているので、すっかり忘れていました。学術書には頼らずに、見たものだけが事実である的な。だから、偶然と言えば偶然です。あの集落には政府から派遣された看護師がたまに来るのですが、その人曰く、障害を持って生まれた子はだいたい精霊として天に送るんだそうです。別の集落では、天に送ろうとしているのを止めて自分の子にした看護師もいるそうです。複雑な感情がぐるぐるしちゃいますが。
 
鈴木:映像に映る子どもたちは皆、健康的でしたね。病気がちな子とかも、見る限り居なかったですけどね。

国分:そうなんでしょうね。おそらく、あの社会には、1万年とか何千年とかサバイブしてきた真理があって、それが引き継がれていると思いました。あの集落には現代医療が既に入っているのですが、最大の変化は子どもの死亡率が劇的に減ったことらしいです。それでも、男の子の方が弱くて、人口的には女性の方が多くなっています。やはり、種として、男の方が弱いですかね。

鈴木:そうなんですよね。


齋藤:国分さん、あの、出産シーンで1番キーになったシーンがあるとお聞きしてるんですけども。

国分:そこに話題をいきなりジャンプするのはちょっと難しいんですけど(笑)
あの集落には150日滞在したのですが、「結局人間とは何なんだ?」という問いに答えるには、女性を撮らなきゃだめだと思ったんです。短く言うのは難しいのですが、とにかく、あの社会、宇宙のような空間の主役というか、根源というか、創造主は女性だと思ったんですよね。僕もカメラマンも。なぜか。だから、最後の40日間は女性ばっかり撮ってて。

鈴木:はい

国分:特にある祭りから数か月が経ったら、何人もの女性のお腹が大きくなってるんですよね。だから、出産月の女たちを見つめれば、答えは分からなくても、何か大きなものに触れることができるんじゃないかと思ったんです。で、実際に撮れたのは、あの14歳の少女だけだったんですね。ダメと言われたのもあるし、いいと言われたのに、夜に家を抜け出して森で人知れず出産した人もいたりして。真っ暗なんで分からないんですよ。これから産みますなんて、教えてはくれないし。で、14歳の少女は初産だったのですが、集落の女が大勢手助けすることになったんですね。20人以上が森の中で少女を囲む形で。だから撮れたんだと思うんです。で、私たちは、それを遠くから眺めていただけなんですけど、生まれるまでがとても長かった…。72時間前から陣痛が始まり、その間、私もカメラマンも立ちっぱなしで。立ちっぱなしで72時間ですよ。もう限界ぎりぎりってときに、手招きされたんです。こっち来なさい、みたいに。そのとき自分は、少女の父みたいな気持ちになっていて。よくやった、よく頑張った、よく産んだ、と。それだけに、見たものは衝撃的であったわけですが、それ以上に自分の心を揺さぶったのは、出産翌日の早朝と数日後の出来事だったんですね。少女の父親の呟きとスコールの中の漁なんですが、それを見たときに、「生きるって、こういうことじゃないか」と思ったんですよ。というくだりを、これから流すってことですね。

齋藤:はい、ありがとうございます。では、ご覧ください。

≪ローリーの出産の映像、一部上映≫

鈴木:自分は蟻(アリ)なんじゃないか。という風に思えてきてしまって。人間って何なんだろうっていうのを、更新されるというか、自分はこの映像を見て、そういう体験をしたんですけど。10年かけて許可を取って、潜入して取材された。あの、自分も目で見たくて、ただ衝撃的な映像として、アウトプットすることっていうのも出来たと思うんですよ。あの、こちら側から見た衝撃的な映像。でも、そうされなかった。というのは、物語のようにも見えますし、それはこだわりがあったのでしょうか?

国分:いや、これは滞在型の撮影なので、同じ所に僕たちずっと一緒にいます。今日は(時間的に)お話できませんが、イゾラド(未接触の先住民)の場合は一瞬しか出会えないから、そういう(潜入)風に作るっていうのもアリだと思うんですけど、これ(ヤノマミ)では、ちょっと違うかなと思ったんです。

鈴木:うん

国分:僕も今日、久しぶりに見ましたけど、僕、番組作る時は基本的に読後感最優先論者で。見終わったときに、分かる・分からないじゃなくて、どういう読後感を見た方が抱くか。その読後感を、150日間自分があそこにいて感じた読後感とイコールにしたいんですね。中々そうはならないですけど。では、どういう読後感だったかというと、「全ての生き物は等価なんだなぁ」ってことだったんです。だからこそ、その中で生きる人間は美しい、と感じたんです。人間が一番と考える、いわゆる西洋のヒューマニズムとは違うんですが。

鈴木:うん

国分:あの森のなかでは、明日蛇に噛まれて死ぬこともあれば、人間が蛇をみつけて殺すこともある。そういう意味で人間と蛇とはまったくイーブンの関係で、しかも、人間の側がそれを受け入れているという感じが僕にはあり、それを肯定したというか、ネガティブではなく「当り前のこと」と捉えたというか。同じように、少女の選択にしても、あれを「殺人だ」と思う人もいるかもしれない。でも僕は、大きな摂理の中では、当り前のことと感じたんですね。

鈴木:そうですね。野ブタというか、イノシシをたくさん狩ってきたり、蛇の映像が出てきたり、アリの映像もそうですけど、色んな生き物を、人と同等に見てらっしゃるのかなーと感じましたね。それはこの作品だけじゃなくて、あのガリンペイロもそうですし、人間の男と女もそうですよね。

国分:大体ディレクターとカメラマンって喧嘩する事が多いんですけど、「森の中ではすべての生命が等価である」という1点に関しては完全に一致していて。そのために、いろいろな生命を撮影しようとなって。でも、蟻の大群には中々出会わなくて。150日で昼間に遭遇したのは一回だけで。カメラマン、頑張ってましたよね。

鈴木:しかも人間の目線から撮るんじゃなくて、アリの目線からこう撮ってましたしね。

国分:そうかもしれないですね。
 
鈴木:それは技術なのかも分からないですけど。

国分:接近したかったんでしょうね。天の目線じゃなくて、アリから見える世界とかも含めて。

鈴木:自分も取材者なので、特に気になるのですが、あの出産のシーンですよね。森に入ってきて良いよという“合図”をヤノマミが送ってくれたという話しがありましたが、あれは、どのような空気感だったんですか?信頼関係なのでしょうか?

国分:それは分かりません。僕からすると、出産ってものすごく重々しく、ある種儀式のようなものじゃないですか。通常、男は立ち合わないと言われてたし。ただそれはタブーではないので、立ち合いたいという男(私とカメラマン)を不思議に、または面白く思って、「こっちにきなさい」と呼んでくれたのかもしれません。だから、こちらも最低限の礼儀として、現場を穢さないことをいつも以上に意識しました、具体的には、文明側の視点からこの場や、この人たちのことを見ない、と再度言い聞かせたりして。

鈴木:それはご自身で?

国分:でも、それが、吹っ飛んじゃったんですよね。青白い顔をした若い女性が目に入ったときに…。

鈴木:あの少女ですね。

国分:その場所には、青白い顔の少女と、うつぶせになって手足をばたつかせている子どもがいました。こどもは女の子でした。僕は「よくやった」モードになっていて、僕が忌み嫌う家父長制の“家父長”みたいな感じで。そうして少女に近づこうと思った矢先に、その儀式(精霊のまま天に送る儀式)が始まり、思わず顔をそむけてしまったんですね。

鈴木:見ちゃいけない、と思ったんですか?

国分:いや、あまりに衝撃的で。うっと、びっくりしたんだと思います。そうしたら、顔をそむける僕をみて、周りを囲んでいた女性たちが笑ったんですよ、僕のこと。ケラケラケラケラって。彼女らからすれば、相当不自然で笑いを起こさせるような行為だったのでしょうね。これは、取材者として最低のことだと思いました。頼んでその場にいさせてもらっているのに、その場を穢したんですから。だからそこからは、ずーっと動かないで見る、と決めて。この辺(近め)の距離感でずーっと見ていました。その行為が終わるのを、10分ぐらい見ましたね。

鈴木:では、明確な「ここに入っていいか」というネゴシエーションがあったわけではなくてってことですね。

国分:でももう、長い付き合いだったので。

鈴木:なんとなくもう、その空気になるっていうことですよね。

国分:おいでおいでって言われたら行きます、みたいな感じでしたね。

鈴木:あー、なるほどね。これはすごく文明側から見たら残酷なことだし、ガリンペイロは野蛮だし。でも、愛おしかったり、美しかったりって見える。それは、あの材料撮ってきても「どう見せるか」というのは、その後の編集作業ということですか?ストーリー性を感じるんですよね、国分さんの作る番組。そう見せるために大事なことって何ですか?

国分:『ヤノマミ』は、物語性というのを僕はまるで意識して作ってなくて。ただ、叙事詩のような世界だなとは思ったので、神話的というか叙事詩にしようという気持ちはあったんだと思います。リアルな叙事詩ですね。そもそも、自分は現場で構成を考えないので。撮影してる時には「今日何を撮るか」しか考えないんです。

鈴木:ああ、物語を作らない。

国分:少なくても現場では作りません。編集室では違ってくるのでしょうけど。現場と編集室との最大の違いは、撮影素材に対する距離感で。自分の場合、映像素材を素材化する傾向が他の人よりかなり強いみたいなので、その距離感が物語チックにさせているのかもしれません。あとはナレーションのトーンがそう感じさせるのかもしれませんね。あれは、相当練り上げて書いたので。

鈴木:見てる側が思ってるほど物語性は意識されてないんですね。

国分:『ガリンペイロ』と『ヤノマミ』については、そうですね。

鈴木:さっきお話に出てきましたけど、毎回同じカメラマンと一緒にアマゾンに行かれていますよね。あの映像見てると分かるんですけど、例えばあの銃を発砲するおじさんの所にまで突っ込んでいくとか、あのカメラマンの方の視点で撮られているように思ったんです。そのカメラマンとの関係性、それは重要なものですか?

国分:そうですね。テレビってやっぱり、チームプレーなので。鈴木さんは1人でやるわけですから、ソロなんですが、僕たちはバンドというか、アンサンブルなんですね。バンドにはそれぞれの役割があって。ヤノマミの少女が精霊として天に送った翌朝、父親が呟くシーンがありましたよね。あの日は僕たち3日徹夜してたのでもうヘロヘロで、しかも物凄い動揺が収まらないままだったのですが、僕はなんとなく寝ちゃって。で、何かうるさいな、と起きたんですよ。そうしたら、夜明け前の真っ暗闇の中で、あの父親がぶつぶつ喋ってるんですね。で、起き上がろうとしたら、カメラのタリーっていう赤いランプがあるんですけど、(それが)見えて。何しているの?と思ったら、撮ってるわけですよ。既にハンモックから起き出し、地べたに座って。

鈴木:カメラマンがですね?

国分:はい。真っ暗闇の時から父親がつぶやいているのをずーっと撮ってて。よく聞くと、ほとんど同じ話を繰り返しているんです。「それは遠いところにある。ずっと遠いんだ。森は大きい」なんとかかんとかって言うんですけど。だから、カメラマンがちゃんと起きてないと、無い映像なわけです。偉いですよね、カメラマン。

鈴木:国分さんは?

国分:僕は寝てました。つまり、この番組にあの父親のあの言葉が有ると無しでは、違うじゃないですか。だからチームプレーっていうのは、強いよなと。

鈴木:なるほど

国分:あの映像の場合は、そうでしたね。


齋藤:国分さん、鈴木さん!トーク盛り上がっている中ではございますが、会場にお越しの皆さんからの質問コーナーに移りたいと思います。

質問①「土の上に転がった我が子を見る14歳の少女の表情が印象的でした。こうしたドキュメンタリーを通して、私たち日本の視聴者は、様々な事を考えるきっかけになると思います。国分さんは、その光景を目の当たりにして、何を感じましたか?」

国分:本当のことを言うと何も考えられないくらい衝撃を受けたんです。その夜にうつらうつら考えたのは、様々な偶然と選択で自分もここにいるのかもな、ということでした。

質問②「お二人に質問です。先ほど国分さんも“取材者は異物である”とおっしゃっていましたが、時に取材は対象者を傷つけてしまう事もあるかと思います。お二人は他者を取材する事にどのような意義があるとお考えですか?また、他者を取材する上で気を付けている事はありますか?」

国分:心ある先輩が、握手をしながら左手でぶん殴るなと良く言っていたので、なるべく守ろうとはしています。殴るときは殴ります!と言ってから殴れ、だまし討ちはするな、と。だから、基本は、嘘をつかないことでしょうか。ま、小さな嘘はよくついちゃうんですけどね。いずれにせよ、取材することの罪は避けられないと自分は考えていて、良い死に方しないだろうなって覚悟だけはしています。

鈴木:自分も同じですね。特にフリーになって、長編を書くようになってからは、その人を書いたら、その人とはやっぱり決別しなければいけないと思って、そういう覚悟が必要だなっていうのは感じます。気を付けている事は、あの、主観的事実と客観的事実しか書かないっていう事ですかね。

質問③「お二人に質問です。誰もが情報を発信できる時代に、新聞やテレビなどマスメディアが果たす事が出来る役割は何だと思いますか?」

国分:これもとても難しいですね。例えば、NHKにおける僕のポジショニングっていうのは、ど真ん中のセンターでもなければ、偉い人でもなくって、たまたまこうニッチがあって、そのニッチにハマったというだけの話なので、僕はどれだけニッチを作れるかがメディアの勝負だと思います。

鈴木:自分はもう組織にいないので、例えば、ノンフィクションの書き手として、自分にどういう役割があるかって考えると、正直、社会的にはほとんどないんじゃないかなと思っていて。ただ、この世界のちょっと片隅にこういう物語があるんですよ、で、それを選び取ってくれた人のなんらか心が動くことがあれば、結果的にそれが役割になるのかなと思います。

質問④「国分さんへ アマゾンに行かれるのは単純に怖くはなかったですか?」

国分:怖くはないです、嫌ですけど。僕、虫とかが嫌いなので。

質問⑤「国分さんへ 放送していない部分も含め、一番怖かった体験はどんな体験ですか?」

国分:一番怖かったのはヤノマミの時で、ある晩、小さい子どもが蛇に噛まれたんですね。そうしたら集落の全員がトランス状態になって。だって、子どもが死んでしまうかもしれないので。シャーマンは祈りまくり、もう見たことのない興奮状態で。もし、その子どもが死んだら自分たちのせいにされるかもしれないと思って、とても怖かったですね。しかも、真っ暗闇ですし。

質問⑥「先程、「構成は最後に考える」と仰っておりましたが、どの程度まで撮影時点で作品のテーマなどを設定しておられましたでしょうか。」

国分:大きな抽象的なことだけ決めるというか議論することはありますが、細かいことは決めないですね。まずは、現場に行ってから、です。

質問⑦「ナレーションや音楽も印象的ですが、ドキュメンタリー番組において国分さん的にはどんな風に考えていますか?」

鈴木:これ僕も聞きたかったですね。

国分:これはつまるところ、好みだと思うんですよね。なぜナレーションが田中泯さんだったかというと、あの広大な森の中で自分が書き散らかした文章を音読していたら、彼の声が聞こえてきたんですね。『たそがれ清兵衛』しか見ていなかったのに、ほんと唐突な感じで。で、あーなるほど、あの声なら、あっちの世界とこっちの世界を繋げるんじゃないかと。いつもそんな感じで決めています。途中で降りてくるんです。音楽についても基本は同じですが、毎回あれがいい、これのほうがいいと、スタッフ間で喧嘩になるんですよ。で、どうするかというと、多数決で決めています。だから、僕の意見が通るときもあれば無視されることもあります。

質問⑧「鈴木さんと国分さんに質問です。お二人のドキュメンタリー番組やノンフィクション小説は基本的に客観性重視だと思うんですが、物語性も感じます。そのバランスはどう意識していますか。」

国分:バランスはほとんど気にしたことがありません。いずれにしても、物語性が増せば客観性が下がるわけではない、と考えます。

鈴木:もちろん実際に取材したことを扱うので、客観性は根本になければいけません。ただ、我々がやっていることは小説家とは逆のことで、事実のなかに物語を見いだしていく、それがあるから本にする意味があると思うので。取材してストーリーが見いだせなければ、書く意味はないのかなと思っています。

国分:語り口は、毎回一生懸命、NHKのすべてのディレクターが考えていると思うんですね。番組には、一番良い語り口の最適解みたいなものがあるはずで、であれば、すべての番組の語り口が違うべきなのに、そうはなっていない。それができるかどうかということも、テレビメディアがいつまで生き残れるのかに繋がっているんんじゃないかな、と思います。

齋藤:ありがとうございます。まだまだお話伺いたかったのですが、お時間が来てしまいました。最後にお二人からご感想をお願いします。

鈴木:会場の皆さんも国分さんに聞きたいことたくさんあったと思うんですけど、自分が聞きたいことばかり聞けて楽しかったです。ありがとうございました。

国分:自分を客観的にいうと、特権的な地位を利用してアマゾンの奥地まで行けてしまったりするヤツなんですね。ですから、そうして得た情報なり、普通は行けないところの四方山話を、機会があれば還元していければなと思っています。ありがとうございました。



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