NHK札幌放送局

義足の11歳少女 支えにはパラリンピックメダリスト

道南web

2021年4月23日(金)午前11時26分 更新

義足をつけている少女。 2年前の写真です。 いまは函館市の小学校に通う6年生。 交通事故で右足を失いました。 でも、彼女は大好きなダンスと運動ができるまでになりました。 その支えにはひとりのパラリンピックメダリストからかけられた言葉があります。 「できないことはないー」
 (函館放送局 小柳玲華)

いつもの登校中にトラックが・・・

彼女は、ポタサニャー花さん。 11歳の女の子です。
2年前、当時9歳だった花さんは母親の朱月さんと登校していました。

いつもと変わらず手をつないで自宅近くのバス停に向かう途中、事故は起きました。

青信号で横断歩道を渡ろうとした花さん。 そこに前方不注意の大型トラックが右折してきます。 驚いた朱月さんはとっさに花さんの手を引っ張りトラックから遠ざけようとしました。
しかし、花さんの右足はトラックのタイヤに巻き込まれてしまいます。
トラックの運転手はその場で逮捕され、警察の調べで「横断歩道の左右の確認がおろそかになっていた」と供述しています。

去年7月に行われた裁判で運転手には禁錮1年6か月、執行猶予5年の判決が言い渡されました。

花さんをひいた大型車

事故直後、花さんの右足は膝下から皮はめくれ、骨も折れていました。
皮膚の段階的な再建手術が必要になる「デグロービング損傷」と、ひざ下の骨折と診断されました。

「花の足どうなってる、どうなってる?」

何度も朱月さんに聞く花さん。

「大丈夫、ママが守るから」

朱月さんは救急車が到着するまで花さんがけがをした部分をタオルで隠して励まし続けました。 重傷を負った花さんはドクターヘリで札幌市内の病院に搬送されました。


9歳の少女の重い決断

札幌の病院に運ばれた花さん。 医師からは2つの処置方法を提示されます。
皮膚の移植手術をすれば見た目はそのままだが、かろうじて立てる程度までしか回復しない見込みであること。 再び走ったりできるようになるには骨折した右足首から下を切断して義足をつける必要があること。
まだ9歳の少女にはどちらもあまりに重い選択肢でした。

朱月さん
「娘の足は骨だけになっていました。娘は『花の足、大丈夫でありますように大丈夫でありますように』ということをずっと話していました。私は医師からその選択肢の話を先に聞いていたので、娘からそれを言われる度に『どうだろうねどうだろうね』と濁してた部分はありました。ただ、本人もやっぱりショックだったみたいで私が説明をした時に初めて娘は泣きながら『じゃあ義足がいいってことだよね、切断した方がいいってことだよね』と言っていたと思います」

走るのが得意だった花さん。 毎年運動会ではリレーの選手に選ばれていたといいます。

友達と一緒にダンスを踊るのも大好きでした。 もう一度走ったり、踊ったりできるようになりたい。 花さんは右足切断という選択肢を選びました。

花さん
「この先足がなくてもこれできるかなって思ったし、あとこれ絶対やりたいなって思うこともありました。悲しい部分もあったけど、踊るのとか遊ぶのとか友達と過ごすのとかも大好きだったのでそういうことをまた足がなくても再びやりたいと思って切断することを決めました」


車におびえる日々

足を切断する手術を終えたあと、花さんが初めて外出した日のことです。交差点にさしかかったとき、花さんはおびえていました。

花さん「なんでこの世に車がいるんだろう」

車を怖がる花さん。 朱月さんは少しでも車への恐怖心を和らげようと花さんを積極的に外出させようとしていました。

花さんは義足に慣れるまでは車椅子を使って生活していました。 朱月さんは外出した際に膝から下がない花さんの右足に集まる周囲の視線が気になって いたといいます。

朱月さん日記より抜粋
2019年11月30日
買い物に行き現地の車イスを借りてエレベーターに乗ると家族で来ていた中・高生の男の子が車イスに座る花の足をずっと見ているのがわかった。車イスに乗っているだけなのにくぎづけになるほど見入るのは・・・

入院生活はひと月半に及びました。 慣れない義足をつけてリハビリも始めました。 うまく歩けずすぐに義足を外したり、靴を履くのにも時間がかかるなど苦労の連続。 そんな日々が続いたある日、入院中に通っていた院内学級での出来事。 突然、授業中に泣き始めたことがありました。

「どうして私はここにいないといけないの」
「函館にいるお父さんや友達に会いたい」

事故に遭った時にも泣かなかった花さん。いままで抱え込んできた思いや我慢が一気にあふれ出した瞬間でした。 そんな花さんをいろんな人が函館から300キロ離れた札幌の病院まで見舞いにきてくれました。
小学校の先生は生徒たちの励ましのメッセージを届けてくれました。

クラスメイトからの寄せ書き

こうした周囲の人たちの支えもあり徐々に前の明るさを取り戻し始めた花さん。ある日、花さんが車椅子で出かけるときにいつものようにブランケットをかけて足を隠そうとした母親の朱月さん。

花さんは「このままでいい」とありのままの姿で外出したといいます。


講演会での出会い

そんな花さんに退院後、ある出会いが訪れます。 母の朱月さんに連れられて参加した市内での講演会。 会場の壇上に立っていたひとりの女性。 地元出身でリオデジャネイロパラリンピック銅メダリストの辻沙絵選手でした。

花さんが聞きに来ることを事前に知っていた辻選手は自らの経験をこう語りました。

辻選手
「少しずつ時間をかけながらできないことができるようになっていったりとか、他の人に『ごめんこれができないから助けてほしいんだ』って言ってどんどんできないことをクリアしていきました」

“障害があってもできないことはない”という辻さんの言葉に心を打たれた花さん。 講演会のあとには直接、辻さんに電話で励ましの言葉をもらいました。

辻さん
「もちろん私は生まれつきなので事故で足を失った花さんの気持ちに100%なることはできないですけれど、スポーツがすごい好きだった子というふうに聞いていたので、足を失っても生きていくことができるしそのなかで楽しみだったり喜びっていうものを感じながら生きていけるんだよっていうのを伝えられたらと思っていました」
花さん
「一番はできないことがないというその言葉が一番嬉しかったです。事故に遭ったときはまだ4年生で大人とか中学生とかそれまでに長い道のりではあると思うんですけど、そのなかで挑戦すること、できることはたくさんあると思います。できないことがないのであればそういうこともたくさん経験しようと一番思いました」


できないことはない

花さんは辻選手の励ましもあり、週に1回のリハビリを熱心に続けています。 いまでは大好きなダンスを踊ったり、スポーツ用の義足をつけて走ったりできるようになりました。
5月に行われる予定の運動会では初めてスポーツ用の義足をつけて参加します。

花さん
「去年、自転車に2回ほど乗りました。乗ったときには義足をつけている足が曲がらないこともありましたが乗ることができました。右足がなくても踊ったりスポーツしたりできるので、確かに『できないことはないな』と思います。この先挑戦したいこともたくさんあるんですけど、ジャンジャンやっていこうと思います」


2度と私のような被害者を出さないで

花さんが交通事故に遭った現場では、事故後、警察が横断歩道の白線を1メートルほど交差点の中央に寄せて、右折や左折する運転手が歩行者を認識しやすくするように改善されました。 また、子どもたちが登校する時間帯には町内会が見守り活動を始めました。 しかし右足切断という大けがを乗り越えた花さんでも当時の恐怖は今も消えず、現場の横断歩道を渡ることはできません。

母親の朱月さんは同じ事故が起きてほしくないと現場に歩車分離の信号機を設置するよう警察や行政に求めています。

花さん
「運転する方には登下校の時間帯などは特に注意深く運転してほしい。交差点を曲がる際には安全確認を十分にしてほしい。歩行者も前後左右をよく見てから横断歩道を渡ってほしい。もう2度と私のような被害者を出してほしくないです」

2021年4月23日

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