北海道で初めて震度7を観測した胆振東部地震。土砂崩れが起き、最も大きな被害を受けたのが人口4400の厚真町です。発災から、まもなく4年。町の人々は「“地震の町”では終わらせたくない」を合言葉に歩みを進めてきました。力強く生きる秘訣はどこにあるのか。MCの鈴井貴之さんと多田萌加さんが厚真町を訪れ、人々の思いに迫りました。
(札幌局ディレクター 三嶋立志・磯貝砂和)
北海道道「そして、この町で生きる~胆振東部地震から4年~」
放送:9月2日(金)夜7:30~ [総合] ※北海道ブロック
“地震の町”では終わらせたくない
MCの2人が訪れたのは、町の中心部にあるコミュニティスペース・イチカラ。元々は「ふとん屋さん」だった場所です。町の住民や町外の人々の寄付金でリフォーム。様々な世代が集う、町の復興の象徴のひとつとなっています。

待っていたのは、ハスカップ農家の山口善紀さん、町でベンチャー企業を立ち上げた成田智哉さん、役場で復興を担ってきた小山敏史さんの3人。

山口さん(51)は厚真町をハスカップ日本一の町にした立役者。

畑が土砂に埋まるなど甚大な被害を受けながらも、地震のわずか2週間後には物産展に出店。「ハスカップ愛」を原動力に歩み続けてきました。
そして、厚真町でベンチャー企業を立ち上げた成田さん(34)は隣の千歳市出身。東京大学を卒業後、トヨタに就職したエリート中のエリート。自分の力で勝負したいと30歳の時に退職を決意。地震から半年後、町に移住しました。

公共交通機関が少なく、高齢化率が約4割の町。住民の困りごとである「買い物や通院のための移動」や「草刈り・雪かき」などを解決するために、手助けしてくれる住民とデジタル技術でつなぐサービスの実証実験を行っています。
それぞれの“4年”
直接被害を受けた山口さん、地震後に町に住み始めた成田さん、行政の立場で復興に携わってきた小山さん。みなさんに、この4年を振り返ってもらいました。
山口さん(ハスカップ農家)
とにかく目まぐるしかったですね。町の支援を受けながら、ハスカップの存在をずっと発信して、北海道では結構知られるようになってきて。今後、本州で知ってもらう活動をしようと思った矢先の地震だったんですね。生産者の平均は75歳以上です。そうなると、被害にあった人はもう辞めるんじゃないかとか、規模を縮小していくんじゃないかと、不安をすごく感じたんですね。それで、自分が先頭になって発信して、どんどんハスカップの需要を伸ばしていけば、もう一度みんなが頑張ってくれると思って動き出したんですよね。しかし、その後、コロナがあって、一難去ってまた一難みたいな形で、激動の4年間でした。

地震後に炊き出しやボランティアを行い、その後も番組で厚真町を訪れてきた鈴井さん。印象に残っているのは、前を向く人々の姿でした。
鈴井さん:みなさん前向きで、強いなっていう印象を受けた。確かに、気持ちの上でもいろんなところで、大変な被害を受けたとは思うんですけど、前向きで強い人たちだなっていう。それは強くなったんですか?
山口さん(ハスカップ農家)
多分、そうだと思いますね。地震の時は心の中では挫折感でいっぱいだったんですけど、強くさせられたというか。まわりの応援とか支援とか、そういうのを感じると、いつか恩返していかなきゃいけないと、そんな思いにもなりますよね。
鈴井さん:成田さんの前職は大手企業。起業しようと思ったら、環境が整っている場所だとか、仕事がやりやすい場所だとか、いくつも選択肢はあったと思うけど、なぜ厚真町を選んだのですか?
成田さん(ベンチャー企業経営者)
もちろん、最初は東京で起業しないかとか、札幌に来ないかとか、いろいろ話はありました。でも、ビジネスっていうのは、課題を解決して、人々の笑顔を作って、お金をいただくこと。大変な状況、苦しい状況でありながら、前を向こうとしている厚真町の行政の方々との出会いもあって、そういう強い思いがあるならば、是非一緒に厚真町でチャレンジさせてくださいっていうことでスタートした次第ですね。

多田さん:行政マンとして復興をこれまで担ってきた小山さんにとって、この4年間はどんな日々でしたか?
小山さん(厚真町 まちづくり推進課)
実際に被害にあったところを見たときに、全てがリセットされてしまうような感覚にとらわれてしまって。すべてが無に帰ってしまうような。そこから4年が経過して、ある意味、日常が戻って来つつあるというふうに感じています。そういうところは厚真町の力というか、底力というか、その強さをすごく感じた、そんな4年間だと思います。

4年で何が変わった?
鈴井さん:4年という歳月。厚真町に住むみなさんの中で何が変わってきたのでしょうか。
山口さん(ハスカップ農家)
このままだったら、“地震の町”で終わってしまうような気がして。確かに、こういう大きい被害があったときは、復興に向けて、いろんなことが動き出します。でも、元には戻らないんですよね。じゃあ、何が復興なのかなって思ったときに、やっぱり未来につながったりとか、希望とか、そういう新しいものにつながっていかないと本当の復興にならないのかなって思っています。
成田さん(ベンチャー企業経営者)
何が変わったかというと、退職し、町に移住、ベンチャーを起業とすべてが変わって、本当に一から始めています。まずは自分のビジネスをどうするのかもそうですし、人間関係もそうですし、生活環境はもう全く変わったので。いろんなご縁を毎日のように頂いて、お会いする方々に優しくしていただいています。
小山さん(厚真町 まちづくり推進課)
確かに日常は戻りつつありますが、まだこれから住宅再建される方もいるし、地震のときのことを心の傷として負われている方もいらっしゃいます。また震災のことを触れられない子どもたちがいるのも事実だと思います。将来、厚真町を巣立っていく子どもたち、もしくは帰ってくる子どもたちもいると思いますが、その子どもたちが“地震の町”として外に言うのではなく、地震から新しい町として蘇ったというか、復興できた町ということで誇りになるような取り組みができればなと思っています。
厚真町の底力の秘訣とは?
厚真町の底力とは何なのか。掘り下げていくと、多くの町が参考にできるヒントがありました。MCの2人が驚いたのは、ハスカップ農家の方々が元気なこと。

山口さん(ハスカップ農家)
農協のハスカップ部会は高齢なんですけど、やる気は、ぶっちぎりというか。生産者がこんなに集まる部会はないと言われるんです。60人ぐらいは集まるんですよ。ほかの部会とは目の輝きが違うと。最高齢は90歳を超えてますから。
鈴井さん:ええ! ちょっと次元が違う。いろんな町で問題になっているのは高齢化ってことですけど、年配の方はどうケアしていきましょうっていう考え方。ケアではなく、「年配の方の意識が高まることをやりましょう」「まだまだ人生ありますよ」とけしかける感じ。そうすると70歳、80歳のみなさんでも「これからやっていくよ」という気持ちになりますよね。

そして、大企業にいた成田さんだからこそ見えてくる視点も…

成田さん(ベンチャー企業経営者)
厚真町は、人口は少ないですが、そのぶん、顔が見える関係性があり、手触り感がある形で町が営まれていると思うんです。大都会ですと、なかなか90歳の方に知り合うタイミングはなかったんですけど、厚真町に来させていただくと、普段から接点ができやすくなるので、お互いをリスペクトしあって、一緒にやっていこう、と。それはもしかしたら、官と民もそうかもしれないですけど。高齢者の方も若者も得意分野が違うだけであって、役割分担をした上で、みんなでチームを作って町をもっと盛り上げていこうという機運がものすごくある気がしています。さらに「テクノロジーと田舎」ということをテーマに挑戦も続けていて、DX=デジタルトランスフォーメーションという言葉がビジネスの世界では潮流ですが、僕らのDXは「泥臭い」という意味のDXにしようと思っていて、やっていることは小さいことかもしれないけど、まずは目の前のことをやろうと。

田舎で暮らすことの価値とは?
鈴井さん:僕自身、この北海道で仕事をしていて、自分の故郷に拠点を持って田舎暮らしをしているんですけど、みなさんにとってのローカルへのこだわり、価値とは何なのでしょうか?
山口さん:僕は2005年にUターンしてハスカップ農家になったんですけども、やっぱり小さい町だからこそ、ちょっと頑張っただけで、目立ったりするわけですよ。もちろん、応援する人も非難する人も現れます。でもそれがエネルギーになるんですよね。都会に行ったら、何やってもあんまり見つけられないまま、どうしたらいいか分からないってなるのかなと思っていて。そういう意味では、見つけられやすい環境にいるからこそ、エネルギーがどんどん湧いてくるのがローカルなのかなって思うんですよね。

成田さん(ベンチャー企業経営者)
厚真町は4400人の町ですけども、このエリア、もちろん課題はたくさんあって山積みですけども、それを一つ一つ解決することを示せるならば、日本が今抱える課題を乗り越える大きなチャレンジかもしれないなって思っていて。色んなことができるようになった時には、厚真町は日本の中でも、面白い最先端の町になりうるかもしれない。
5年後、10年後の日本の未来を厚真町から明るくできるかもしれないと思っています。
“地震の町”から、その先へ
最後に「これから、どんな町にしていきたいか」みなさんに書いていただきました。

山口さん:「ハスカップで元気な町」ですね。そのまんまなんですけど、ハスカップに携わっている人は高齢な方も多いです。でも、元気なんですよね。ハスカップって健康を維持する意味でもすごく素晴らしい栄養があることが分かってきていて。町民みんなで、ハスカップを食べて元気に過ごせたらなって思いますね。
多田さん:90歳以上の方も、もしかしたらハスカップを食べてるから、すごい元気があるのかもしれないですね(笑)。
成田さん:僕は「みんながつながって、チャレンジし続ける町」というのを書きました。いろんな人たちがつながることによって、さらにチャレンジするパワーだったりとか、アイディアだったりとか、そういうことが発生してくるのが続いていくと、もっともっと、おもしろくなっていくし、もっともっと楽しくなっていくし。生きていて良かったなと思える町を作っていきたいなと考えています。
鈴井さん:やっぱり成田さんみたいな若いリーダーがいないとだめなんですよ。手を挙げてくれる人がいて、それにみんなが集まってきて、さらにはベテランの方たちも力貸すよとか。そういうことが、子どもたちが豊かに笑っているっていう環境に結びついていくのかなと思うんですよね。
小山さん:「可能性が“あつま”る町」っていうことで、可能性みたいなものを感じられる町でありたいと思ってますし、行政ができることもたくさんあると思います。そういった可能性というか、伸びしろみたいなものを見せ続けられる町になることで、成田さんみたいな、山口さんみたいな人がチャレンジし続けていただければ、ずっと続く町になるのかなと思います。
鈴井さん:厚真町がチャレンジし続ける町ということで、実は北海道全体にも言えることなのかなと僕は思うんです。北海道はチャレンジできる場所、それはイコール失敗もできるんです。中央になると、完成されているので、失敗は絶対許されない。失敗が許されないから、冒険ができずに70点のものでもいいだろうと。でも北海道は100点満点を目指せる場所。失敗する可能性もあるけど、失敗しても「だって、やったことなかったんだから、仕方ないじゃない。もう一回頑張ろう」って言える。
僕もまだまだチャレンジし続けて、何なら自分の森でハスカップやろうかな(笑)