NHK札幌放送局

「ウクライナを忘れないで」 札幌在住ウクライナ人女性の母、避難

ほっとニュースweb

2022年5月13日(金)午後4時49分 更新

2月24日から始まったロシア軍による軍事侵攻から2か月以上が経った。
日本にも続々とウクライナから避難して来る人がおり、札幌市にも一人の女性が到着した。
避難までの長い長い道のり。
戦火を逃れた母と、遠い平和な日本に住む娘の、再会の記録。(札幌放送局 佐藤優芽)


戦況は刻々と悪化 私が日本でできること

ウクライナ出身のベロニカ・クラコワさん。
おととし来日し、結婚を機に札幌市に移り住んだ。

3月中旬、札幌市民50人の前でベロニカさんはウクライナの現状を話していた。
日本でもできることをやりたい、じっとしていられないと講演会に参加したのだ。
ロシアとの複雑な歴史を自分の身近な生活とともに語り、ウクライナの現状を訴えた。

ベロニカさん
「これは私のお母さんです。シェルターに避難する生活は普通になってしまいました。
私の家ではロシア語を使っていましたが、別にロシア語で話すこともウクライナ語で話すことも変わりはなく普通の感情でした。しかし、今はちょっと違うかもしれません。」

シェルターにいる母ナタリアさん

故郷のウクライナ南東部・ザポリージャには、母ナタリアさんが残っている。
母親は毎日炊き出しや軍用備品を作るボランティア活動をして生活していた。しかし、ひとたび爆撃を知らせるサイレンが鳴れば近くの学校にあるシェルターに避難していた。
3月のウクライナはまだ真冬のような寒さ。57歳の母親にとって、とても過酷な生活だ。

ベロニカさんは、1枚1枚写真を見せながら丁寧に話した。

母親がいるシェルター。
爆撃された親友が住む町。

自分が生まれ育った故郷が、かつてどれほど緑が美しく平穏なところだったか。

ベロニカさん
「もうたくさんのウクライナ人が亡くなってしまいましたがこれを無駄にはしたくないです。もう町も人もぐちゃぐちゃになってしまいました。日本の皆さんがこのような話を聞いて気持ちが悪くなってしまうかもしれませんが、私はきれいな言葉じゃなくて本当の状態を伝えたい。」


母「オデーサ、ニコラエフ、ロシア軍が近くにいるの。」

避難開始

軍事侵攻開始から3週間が過ぎたころ、ウクライナの戦況が悪化。
ロシア軍は母ナタリアさんが住む地域の近くまで迫っていた。

状況は一刻を争う。
ナタリアさんは、故郷にとどまりたいとベロニカさんに訴える。
しかし、ベロニカさんは母親のために日本行きの航空券を買い、説得した。

3月26日、ついにナタリアさんは避難を始めた。ウクライナ西部の都市リビウを目指し、朝7時に駅に向かった。すでに30人近くの人が昼の電車を待っていた。翌日の27日には外出禁止令が出る予定になっていて、「娘が用意した飛行機に間に合わせるためにもこの日を逃すわけにはいかなかった」とナタリアさんは話す。待つことおよそ5時間、昼過ぎにようやく電車に乗り込み、故郷ザポリージャを出発することができた。
電車は避難する人たちで混みあい、ナタリアさんが利用した4人用のコンパートメント(客室)には8人が乗り込んでいた。通常よりも3時間以上遅れ、翌日の午後3時ごろにようやくリビウに到着した。

ナタリアさん
「電車では(東部の)マリウポリや(北部の)チェルニヒウ州からきた人も乗ってきて、みんな着の身着のままで、寒いのにTシャツ姿の人もいたわ。家を爆撃されて身分証明書を全く持ってない人もいたの。あの人たちがこれからどこへ向かうのか、どうやって生活していくのか。考えただけでも涙が止まらなかった。」

リビウのバスターミナル 4月1日 母ナタリアさん撮影


4月1日、バスに乗ってリビウからワルシャワを目指した。バスの中もまた大勢の避難する人たちで混みあっていた。途中で降りたポーランドの国境では各国から集まったボランティアが迎え入れ、薬や食料品のほか、ポーランド国内で携帯電話が使えるようにSIMカードも無料で配布していたという。

いずれも母ナタリアさん撮影


ナタリアさん
「私が一人でいるのを見てボランティアの女の子が助けてくれたの。彼女は『何か欲しい飲み物はありますか』と聞いてくれて、温かいココアを持ってきてくれたわ。とてもいい気分になった。ここではサイレンも鳴らないからようやくぐっすりと眠れるわ。」


ワルシャワでは友人の家に身を寄せた。ナタリアさんは軍事侵攻の後初めてようやく安心して夜を通して眠ることができたという。国外を長距離移動することに慣れておらず英語もままならないナタリアさん。ベロニカさんは母親のためにSNSで、同じようにウクライナから日本に避難してきた人から情報を募り、日本入国のための書類を用意した。その書類を持ってナタリアさんは滞在のためのビザを大使館に申請し、無事取得することができた。日本へ避難する準備が整ったのは、娘が予約した航空券に記されている日付の直前だった。


ナタリアさん
「本当は家を離れたくない。ザポリージャのすべてが無事であってほしい。でも、ベロニカに会いたい。」
ベロニカさん
「私も会いたい。」


母娘の再会

4月10日、新千歳空港に母ナタリアさんの姿があった。
避難を始めて2週間、軍事侵攻が始まってからおよそ2か月が経ったこの日、
母娘はようやく再会を果たした。

4月10日 新千歳空港にて ベロニカさんの夫撮影

ナタリアさんは、いまは札幌市内のアパートで生活をしている。近所にある公園を散歩したり、ベロニカさん夫婦と過ごしたり、そして週に2,3回ほどオンラインで日本語を学んだりしているという。

ナタリアさん
「日本に来てから食べたもの全部が大好きです。特にイカが好きなので、イカのお寿司とかゲソアゲが好きですね。」

ウクライナに残してきた夫は現在も前線にいてナタリアさんの不安は絶えないが、日本でつかの間の穏やかなひと時を過ごしていた。

ナタリアさん
「花がきれいで、空気もきれいで、夜の道を歩いているとすごく気持ちがいい。日本ではみんな戦争のことを考えなくていい。本当に平和で幸せだなって。」


ウクライナを忘れないで

5月、ナタリアさんが日本に到着しておよそ1か月が経った。
札幌駅前で毎週行われている抗議集会にベロニカさんとナタリアさんの姿があった。
両国の停戦交渉は平行線、国際社会の介入も未だ成果はなく長期化が見込まれるウクライナ情勢。休日でにぎわう札幌駅の前で、ベロニカさんはスピーチをした。

ベロニカさん
「今日、私のお母さんが避難してきて、ここにいます。戦争はまだ終わらないのですが、みなさん毎週ここに来てくれて、声をかけてくれて、ウクライナを忘れないでくれて、ありがとう。これからも戦争が終わるまでウクライナについて話してほしい。ウクライナはどれほど大変かほかの人にも伝えてほしいです。」

「今年のうちに停戦するとは正直思えない」と話すベロニカさん、
「早くウクライナに帰りたい」と話すナタリアさん。

自分の国、文化、言葉、そして当たり前の日常を守りたい、
それが2人の望みである。

ベロニカさん
「戦争が長い時間続くとみなさん忘れてしまう。慣れて、戦争が普通の感じになってしまいます。そうなりたくない。どうすればいいか、自分でもよく考えなければならない。だからこれからも日本の皆さんにウクライナについて教えていきたい。どうしてもウクライナを忘れてほしくないです。」


ベロニカさんの母ナタリアさんの軍事侵攻開始当時の生活について詳しくはこちら
ウクライナ情勢について詳しくはこちら

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