大規模な強制収容をはじめ、強制労働や不妊手術の強要など、イスラム教を信仰する少数民族への深刻な人権侵害が指摘され、欧米が批判を強める中国の新疆ウイグル自治区。
日本から遠く、関わりの薄い地域にも見えますが、実は意外な交流の歴史があります。
北海道にいたその立て役者の1人が、この世を去りました。
(室蘭放送局 篁 慶一)
ウイグルとの学術交流 その中心人物が
6月1日、札幌市の学校法人「北海学園」の理事長、森本正夫さん(89)が病気のため亡くなりました。道内で大学などを運営し、教育振興に尽力してきた一方で、森本さんには強い思い入れがある取り組みがありました。それは、36年前に始めた中国・新疆ウイグル自治区からの留学生受け入れです。

深刻な人権侵害が指摘されていた新疆ウイグル自治区の実態を知ろうと取材を続ける中で、日本に多くのウイグルの人たちが暮らしていることに気づかされました。その数は2000人から3000人と言われ、日本で修士号や博士号を取得した人も少なくありません。その背景にあったのが、森本さんが副会長を長年務めた日本私立大学協会と自治区との学術交流でした。
森本さんは、どんな思いで学術交流を進めてきたのか。去年10月に大学を通じて面会を申し込みましたが、新型コロナウイルスの流行を理由に直接話を聞くことはできませんでした。感染状況が落ち着いたら再度お願いしようと考えていたさなか、突然の訃報に接しました。
教え子が語る森本さん
取材が行き詰まる中でたどりついたのが、学術交流の2期生で、札幌市在住のマフメト・リテプさん(71)でした。マフメトさんは、自治区の大学講師だった1986年に来日。札幌市の北海学園大学で森本さんの指導を受けて地域開発を研究し、修士号を取得しました。一旦自治区に戻った後、再び来日して、北海学園大学工学部の教授となりました。森本さんが自治区を訪問する度に、通訳も任されていました。

左:マフメトさん 右:森本さん 1991年
マフメトさんよると、中国では文化大革命の混乱を経て、1978年に市場経済への移行を推進する「改革開放」路線を打ち出したことに合わせ、海外への留学生派遣が積極的に進められるようになりました。ところが、自治区の少数民族に割り当てられる留学の枠は、人口の大多数を占める漢族に比べて極めて少なかったそうです。経済発展のためにも、教育水準の向上が喫緊の課題だった自治区政府は、焦りを募らせました。そこで当時、内モンゴル自治区から留学生を受け入れ始めた日本私立大学協会を頼ったということです。
1985年1月に来日した自治区政府の副主席は、学術交流の責任者だった森本さんに会うため、北海道の大学や自宅にも訪れたそうです。「次世代を担う人材の育成のため、留学生を受け入れてほしい」。そう強く求められた森本さんは、半年後に自治区を訪問しました。現地の少数民族が不利な立場にあることを理解した上で、私立大学協会の理事会に受け入れを提案し、交流開始が決まったということです。
この学術交流では、留学生の2年分の学費や宿舎の費用を日本側が負担し、生活費を自治区政府側が負担しました。主な対象は自治区の若手の大学教員で、希望者が殺到したといいます。森本さんが一貫して日本側の責任者を務め、受け入れは中国側の意向で2007年に中断するまで20年以上続きました。私立大学協会によると、自治区から受け入れた留学生は約250人に上り、その後自治区の大学へ戻って活躍している人も多いということです。
さらに、彼らに刺激を受けた教え子などが日本に留学するケースも増えました。マフメトさんは、何度も涙を拭いながら森本さんへの思いを語りました。

マフメト・リテプさん
「私にとっては、お父さんのような存在です。森本さんがいなければ、これほど多くのウイグル人が日本に来ることはなかったと思います。心から感謝しています」
新疆ウイグル自治区 人権侵害の実態は
新疆ウイグル自治区は今、人権状況をめぐって国際社会から厳しい視線が注がれています。中国西部に位置する自治区は、天然ガスや石油などの地下資源が豊富で、約2500万人が暮らしています。その半数近くがウイグル族です。中国政府は長年、ウイグル族の分離・独立運動への警戒を強め、多数派の漢族への同化を進めるような政策もとってきました。その一方で、ウイグル族の人たちは経済格差や宗教政策に不満を募らせてきました。2009年7月には、政府への抗議デモが大規模な暴動に発展しました。

中国・新疆ウイグル自治区
2017年頃からは、自治区で大勢のウイグル族などが不当に拘束され、収容施設で思想教育の強制や拷問が行われているという指摘が海外メディアなどで上がり始めました。拘束された人数は「100万人に上る」との見方もあり、アメリカやイギリスなどが人権侵害だとして非難を強めてきました。これに対し、中国政府は全面的に否定した上で、収容施設について「過激思想の影響を受けた人を対象に職業訓練を行い、社会復帰を支援している」と正当化しました。さらに、この取り組みは「すでに終了した」と主張しています。

収容施設とされる建物 新疆ウイグル自治区
自治区の家族や親族が収容施設に入れられたり、行方不明になったりしているという悲痛な訴えは、日本で取材する中で何度も聞いてきました。また、中国の公安当局者を名乗る人物から、収容施設にいる父親の映像をSNSで送られて脅されるケースも目にしました。不当な拘束を恐れて帰国できない人や、帰国を断念して日本国籍を求めている人も多くいます。
日本留学経験者も拘束
森本さんも、最近の自治区の状況に胸を痛め、日本に留学経験がある人たちの安否を気遣っていたと言います。ウイグル族の研究者が相次いで拘束されているという情報が伝えられていたからです。その1人のタシポラット・ティップ氏は、学術交流の4期生として1988年に来日しました。東京理科大学で衛星画像を利用した土地の観測を研究し、博士号を取得。その後帰国し、2010年に国の重点大学でもある新疆大学の学長に就任しました。ところが、2017年に「分裂主義」に関連した容疑で拘束されたと、アメリカの政府系メディアなどが伝えたのです。新疆大学のホームページには歴代の学長名が掲載されていますが、タシポラット氏の名前は削除されたのか、どこにも見当たりません。

タシポラット・ティップ氏 2008年
中国政府は「タシポラット氏は汚職で逮捕された」と報道を否定しています。しかし、日本で暮らす新疆大学の元同僚は「ウイグル社会への影響力を弱めるため、政府は著名な研究者や文化人を次々と拘束している。タシポラット先生も狙われた1人で、『汚職』はでっち上げだ」と語りました。また、国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルは、「罪状や裁判の詳細、本人の居場所や体調などが一切開示されていない」と非難しています。
日本への期待も
ウイグルの人権問題をめぐっては、アメリカやイギリスだけでなく、EU=ヨーロッパ連合もことし3月に自治区の当局者に対する制裁に踏み切りました。EUによる中国への制裁は、前身のEC=ヨーロッパ共同体が1989年の天安門事件を受けて武器の輸出禁止の措置を取って以来で、人権問題に対する厳しい姿勢を示しています。その一方で、中国との経済的なつながりが深く、地理的にも近い日本は、制裁を科すまでの対応はとっていません。

ウイグルの人たちの抗議活動 2020年7月・東京
日本に住むウイグルの人たち中には、学術交流などで支援を受けてきた日本に対し、状況改善に向けてもっと協力してほしいと期待している人も多くいます。日本とウイグル、遠く離れてはいますが、森本さんたちが力を尽くし、紡がれてきた絆があることも確かです。より多くの人がこの問題に関心を持ち、厳しい状況に置かれたウイグルの人たちに思いをはせてほしいと願っています。
2021年7月7日
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