ページの本文へ

NHK北海道WEB

  1. NHK北海道
  2. NHK北海道WEB
  3. ほっとニュースweb
  4. 国産第一号の蓄音機を集いの中心に

国産第一号の蓄音機を集いの中心に

  • 2023年5月16日

国産第一号の蓄音機「ニッポノホン35号」。
今から100年以上前の1910年に発売されました。
 暮らしを大きく変えた技術などを登録する、「未来技術遺産」にも選ばれた貴重な史料です。
そんな蓄音機が、十勝の新得町でおよそ70年ぶりに音を奏でました。

新得町に住む85歳の男性が、町の教育委員会に寄贈したものです。幼少期の思い出がつまった蓄音機。寄贈したのは、「もう一度みんなで蓄音機を囲みたい」という思いからでした。

(帯広放送局 堀内優希)


100年前の音色が現代に

4月28日。新得町の公民館に、あたたかみと懐かしさを感じさせる音が響きました。

音を奏でるのは、国産第一号の蓄音機「ニッポノホン35号」です。
町民30人ほどが耳を傾けました。

会場には、蓄音機を寄贈した町民の姿もありました。85歳の奥山陽二さんです。


いつもみんなの中心に

物心ついたときから家にあったという蓄音機。戦中、戦後の時代に幼少期を過ごした奥山さんの家族にとって、当時は音楽だけが日々の楽しみだったといいます。

奥山陽二さん
「そのころはこんなものしか楽しみがなかったんだよね。酒飲んで蓄音機聞いて。楽しそうだなと思ってたね。俺もはやく大人になりたいと思ってた」

500メートル先の家まで聞こえていたという蓄音機の音色。惹かれたのは、家族だけではありませんでした。地域の人たちが焼酎のビンを片手にやってきては蓄音機を囲み、毎晩、お祭りのようだったといいます。

いつも人々の輪の中心にあったのが、蓄音機でした。
しかし、ラジオの普及などにともなって、だんだんと家の隅に追いやられ、いつしか置いた場所すら忘れられていました。
10年前、奥山さんが実家の片付けをしていたときのことでした。偶然、蓄音機を見つけたのです。

「思い出がつまった蓄音機をまたみんなで囲みたい」。
奥山さんは町に寄贈することにしました。

奥山陽二さん
「自分だけ楽しんだってしょうがないでしょ。みんなに喜んでもらいたいと思って。
 スマートフォンでしか音楽を聴いたことがない子どもたちにも蓄音機の音を楽しんでもらえればいい」


3年かけてよみがえった蓄音機

蓄音機を寄贈された町の職員は、町の歴史を伝える貴重な史料になると考えました。しかし、奥山さんが見つけた蓄音機は音を鳴らせる状態ではありませんでした。

新得町役場 大橋祐貴さん
「昔のものがこうしたかたちで残っているということで驚きました。ぜひ音を鳴らせるようにしたいと思い、職員どうしで話し合いました」

レコードを回転させるために欠かせないぜんまいが切れるなどしていましたが、100年以上前の蓄音機を修理できる工房はなかなか見つかりませんでした。石川県で蓄音機の収集と展示を行う「金沢蓄音器館」に問い合わせるなどして、ようやくたどりついたのが、蓄音機の修理を専門とする静岡の工房でした。

奥山さんが町に寄贈してから3年たった去年の12月。
蓄音機は再び音楽を奏でられるようになって新得町に帰ってきました。


蓄音機に再び人々が…

そして迎えたお披露目の日。
北海道出身の歌手・三橋美智也が歌う「哀愁列車」や、十勝の幕別町出身の万城目正が作曲した美空ひばりの「悲しき口笛」など、あわせて10曲が披露されました。

参加した町民
「子どものころに父がレコード好きだったので、懐かしかったです。父はもう亡くなりましたが、父のことを思い出して感動しました」

参加した町民
「生演奏が当たり前だった昔の人は、とても驚いただろうなと想像しながら聞いていました。蓄音機をきっかけに集まって音楽を楽しめるっていうのはいいですね」

奥山陽二さん
「子どものころを思い出して涙が出そうになった。あんなにたくさん町民が集まるとはおもわなかった。うれしいです」

家族の宝物だった蓄音機。
奥山さんは、これからも町民みんなのために音を鳴らし続けてほしいと願っています。

今回の取材を通して初めて聴いた蓄音機の音。スマートフォンやCDでは聞けない味わい深さが印象的でした。レコードや針の状態などによって、音楽が途中で止まってしまう場面もありましたが、町民の皆さんはそれもコンサートの一部として楽しんでいました。
奥山さんの願いのように、町の人たちが集まり、楽しみを共有するきっかけとして、これからも音楽を奏で続けてほしいと思います。

ページトップに戻る