NHK札幌放送局

シラベルカ#27 道南の「くり」をさかのぼると縄文時代にまで?

シラベルカ

2020年10月29日(木)午後3時55分 更新

みなさんからの疑問を調べる「シラベルカ
今回は、道南の森町からこんな投稿をいただきました。 「地元の公園にある茅部の栗林が、本州の南部栗と似ている。調べてほしい」

担当したのは私、札幌局でディレクターをしている越村です。
茅部の栗林や南部栗と聞き慣れない言葉が並んでいるからこそ、どんな意味があるのか気になって取材を決めました。

いったいどこから…茅部の栗林の謎

まず会いにいったのは、投稿者の吉田正之さん。観光客向けのボランティアガイドをしています。

待ち合わせ場所の青葉ヶ丘公園に生えている、くりの大木。この木について調べてほしいといいます。公園には100本以上のくりが生えていて、なかには樹齢200年をこえるものもあります。1968年(昭和43年)には、「茅部の栗林」として北海道の天然記念物に指定されました。

今でこそ公園など限られた場所にしか生えていませんが、明治時代のはじめには、森町一帯の海岸段丘にくりの密林が数十キロにわたって広がっていたそうです。
当時をしのぶ貴重な木ということで指定されましたが、これだけ多くのくりがいつどこからやってきたのか、はっきりしないといいます。

正体は南部栗?

公園を訪れた人にきちんと説明するためにも、くり林の正体を知りたいと願う吉田さん。独自に調べてみたところ、東北地方のあるくりと似ているといいます。それが「南部栗」

南部栗は岩手県北部を中心に生えているくりで、岩手県森林組合連合会によると、枝分かれが少なくまっすぐ育つため木材として重宝されています。吉田さんが似ていると思う特徴は二つ。「実が小さい」ことと「大木に育つ」ことです。たしかに公園の木を見ると、幹のまわりが5メートルを超えるものもあります。

専門家の見解は…

茅部の栗林は南部栗なのか。さっそく、くりを研究している専門家に聞いてみました。

農研機構果樹茶業研究部門・西尾聡悟主任研究員
「野生の栗の実は1から5グラムほど。どれも小さいので判断できない」
「形態的な観察だけで分類をするのは非常に難しく、きちんと分類するのであれば、DNAを調べて遺伝的な解析をする必要がある」 

大木に育つという共通点についても、気温などの環境が東北地方と北海道で似ているからとも考えられ、2つのくりが、どれほど遺伝的に近い存在なのか、すぐに結論づけられないとのことでした。

それでも何かヒントが欲しい。西尾さんに詳しくお話を伺うと…。
森町にくりが入ってきた時期に関して、少なくとも1万年前以降だと教えてくれました。1万年前の北海道は今以上に寒く、くりが生息できる環境ではなかったといいます。その後、徐々に温暖化するにしたがって、くりの生息域が北上。
本州から北海道へと渡るためには海を越える必要があるので、人の手によって運ばれた可能性が高いこと。そして、南から順番に運ばれたのであれば、東北地方のくりが持ち込まれるのが自然ということが分かりました。

いつ森町にくりが…

数千年前にさかのぼるため、地元の歴史に詳しい人に話を聞きたい。
森町教育委員会で文化財保護係をしている片山弘喜さんを訪れました。片山さんによると、なんと森町にある遺跡からくりの痕跡が出たといいます。それが、4000年前、縄文時代後期の鷲ノ木遺跡。

この遺跡の土から「くりの花粉」が発見されたことで、少なくとも4000年前には、森町にくりが入っていたことが分かります。さらに、花粉が見つからない他の遺跡の年代などを考えあわせ、およそ5500年前と推定されています。

森町教育委員会文化財保護係・片山弘喜さん
「だいたい5500年前を境にして、くりの花粉が見つかるようになりまして、本州のほうからくりが持ち込まれたというふうに考えられます」

いま、北海道や東北地方の自治体は、エリアに点在する縄文遺跡群を「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産への登録を目指しています。構成資産の一つ三内丸山遺跡からも、くりの柱や炭化したくりが発見されていて、くりを通して北海道と東北のつながりを見ることもできるのです。

今回分かったこと

今回の取材で分かったのは「およそ5500年前に人の手によって本州から森町にくりが持ち込まれたらしい」というところまで。
さらに片山さんによれば、1600年代の駒ヶ岳の大噴火によって、くりが一度途絶えた可能性もあるとのことで、数千年前に森町に持ち込まれたくりが脈々と続いてきたかは分かりません。くり林の謎はいまだ闇の中ということになってしまいました…。

人の生活に欠かせない役割

ただ取材を進めると、南部栗と同じように茅部の栗が人間の生活と深いつながりをもってきたことが見えてきました。
それを教えてくれたのは、くりの花粉がでた鷲ノ木遺跡。土から発見されたさまざまな植物の花粉のうち、くりの割合は「6割から7割」にのぼったのです。片山さんによると、この数字からは「人がくりをうえていた」可能性がうかがえるといいます。くりは、栄養価が高く調理が簡単なため、当時の人にとって大切な食糧だったのです。

近代になっても、くりは人々にとって欠かせないものでした。片山さんに案内されたのは海岸に残っている桟橋の跡。
明治時代に札幌と函館を結ぶ交通の要衝となった森町には、室蘭とを結ぶ定期航路がひらかれ、200メートルを超える桟橋が築かれました。この脚材に使われたのが地元のくり。腐食しにくく、丈夫だとして採用されました。

森町教育委員会文化財保護係・片山弘喜さん
「くりひとつで町の歴史を語ることができるんじゃないかと考えていて、本当に重要な木だなと」

くりを通して見えてきた、森町の歴史。私は神奈川県出身で、正直地元の歴史について詳しく知りません。森町にとっての「くり」のように、何か一つの物事をとっかかりに調べていったら、知られざる歴史が見えてくるかもしれないと考えるとロマンを感じました。


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