番組やホームページで募集している「藤丸の思い出」。
先日、1通のはがきが寄せられました。
そこにつづられていたのは、亡き友人と2人で藤丸を訪れた時の思い出。
はがきを送ってくれた帯広市の女性に話を聞きました。
(帯広放送局 辻脇匡郎)
番組に届いたはがき
”友人が脳出血で歩けなくなり、行きたい所を聞いたところ、藤丸でした。
車椅子を押して婦人服売場を見て歩きました。
目が輝いていました。忘れられない笑顔でした”
こちらのはがきを寄せてくれたのは帯広市の河合佐智子さん、75歳です。
河合佐智子さん
「友人のことを思い出しました、一番に。藤丸が閉店するって聞いた時にね。彼女は閉店するということを知りませんから」

友人が病気に…行きたいところは“藤丸”
河合さんが友人と知り合ったのは半世紀近く前。
子どもの幼稚園が同じだった縁でした。
家が近く、気もあったことから、すぐに仲よくなりました。

河合佐智子さん
「友人は私よりも5つ年上でしたので、何かと教わることが多かったです。植物なんかもとっても詳しくて草やきのこの名前をみんな知っていました。だからきのこ採りに行ったり、山菜採りに行ったり、よくしました」
しかし20年ほど前、友人は病気で車いす生活に。
家にこもりがちになってしまったと言います。
そこで…。
河合佐智子さん
「彼女は長い間ずっとおうちにいらっしゃったので『どこか行きたいところはないですか?』って聞きましたら『藤丸と美術館』って言われましたので、『それじゃ行ってみましょうか』ってことになりました」
2人で訪れた“藤丸”
もともと、おしゃれが好きだった友人。
藤丸を訪れたときの表情は、今でも忘れられないといいます。

河合佐智子さん
「向こうを歩いてるときにね、彼女は何とも言えない、いい顔をしていました。彼女の表情が生き生きしていましたので、デパートの華やかさってね、女性にとっては全然違うと思いました。『連れてきてよかったな、さすがデパートだな』と思いました」

その後、友人は亡くなり、これが2人で行った最初で最後の藤丸になりました。
その藤丸も1月末で閉店。
2人の思い出の場所がなくなることに、さみしさを感じています。

河合佐智子さん
「彼女が生きてたらね、残念な顔すると思います。やっぱり行かなくても、行けなくても藤丸さんっていうね。本当になくなっちゃうのはさみしいですね」

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