NHK札幌放送局

亡き人へおくるコスモス畑

ほっとニュースweb

2021年9月6日(月)午後2時38分 更新

「にいちゃん、おそくまで頑張ってるな」その人はいつも優しく声をかけてくれました。
「畑かましといちゃる」手が回らない畑の準備を手伝ってくれました。                                         「あの日」から会えなくなった隣人。19人が犠牲になった吉野地区で、大切な人を忘れたくないと花を植え始めた男性がいます。 

あの日の厚真町吉野地区

梅原智哉さん。

厚真町生まれの41歳です。

厚真町で園芸店を営む梅原智哉さん

進学や就職のため北海道を離れていましたが、13年前、祖父の代から続く園芸店を継ぐために厚真町に戻ってきました。

店を営むかたわら、亡くなった祖母が残した吉野地区の畑に通い野菜や花を育ててきました。

なれない畑仕事で野菜を腐らせてしまうなど失敗もありましたが、試行錯誤しながら少しずつ育てる野菜の種類を増やしました。

子どものころ、虫を捕ったり、釣りに行ったり、星を眺めた吉野地区。

梅原さんは、思い出の土地で畑仕事に汗を流し、できた野菜を地区の人々と分けあう、のどかで幸せな日々を過ごしていました。

しかし、3年前のあの日。

梅原さんの日常は奪われました。

「吉野が土砂崩れで大変なことになっている」

夜が明けて、地震でぐちゃぐちゃになった園芸店の後片づけをしていたとき、近所の人の話が飛び込んできました。

すぐに車で吉野に向かいましたが、道は寸断され近づくことはできませんでした。

遠くに茶色い土で覆われた吉野地区が見えました。

「どうか無事でいてほしい・・・」

田中さんは、吉野の隣人夫婦のことを考えていました。

吉野の田中夫妻

田中博さん、妻の利子さんです。

写真左が利子さん 右が博さん

「にいちゃん、おそくまで頑張ってるな」

梅原さんが1人でおそくまで畑仕事をしていると、必ず声をかけてくれました。

「畑かましちゃろか」

梅原さんが店の仕事におわれ、なかなか畑に行けないときは、田中さんが代わりに畑を耕してくれました。

できた野菜はお互いに分け合っていました。

田中さんはとうもろこしを、梅原さんはしいたけを。

田中さん夫妻は梅原さんにとって大切な農作業仲間でした。

唯一残ったコスモス

地震から5日後、吉野地区での行方不明者の捜索が終わりました。

吉野地区では、田中さん夫妻も含め、19人の命が奪われました。

梅原さんは捜索が終わったことを知り、吉野に向かうことにしました。

リュックを背負って自転車にまたがりました。

吉野に着くと、そこにはかつての祖母の家も、畑もありませんでした。

2018年9月6日11時30分 吉野地区 梅原智哉さん撮影

幼いころから遊んできた場所は、茶色い土と、がれきに覆われていました。

何もする気持ちが起きずぼう然と眺めていました。

帰ろうとしたとき、目にとまった物がありました。

1輪のコスモスの花です。

土砂で流されながらも、がれきの間で花を咲かせていました。

梅原さんは思わず手に取って、そっとリュックにいれました。

田中さん夫妻が大切に育てていたコスモスだと気付いたからです。

「見えるのは土砂か木かしかなかったので そんな中でコスモスが1輪咲いてたのが目にとまったんでしょうね これなら持って帰れると思って思わず抜いて持ちかえりました」

家に持ち帰った花は鉢植えにいれて育てました。

それから、梅原さんは吉野に通いました。

使えそうな道具や農機具などを掘り起こすためです。

いつかもう一度吉野で野菜を育てたい。

土砂の撤去がすすむうち、少しずつその気持ちが芽生えてきました。

次の年の春、畑のあった場所の一部が使用できることになりました。

吉野を忘れない、忘れてほしくない

いま、吉野地区を訪れる人はほとんどいません。

梅原さんによると現在、定期的に吉野地区に訪れているのは、自身を含めてここで農作業をしている3人しかいないといいます。

ことし9月2日の吉野地区 梅原智哉さん撮影

空き地をこのまま放置すれば二度と吉野に人が戻ってこないのではないか。

2年前から、祖母の住宅があった場所やその周辺に田中さんのコスモスの種をまいて、花畑をつくっています。

祖母の住宅があった場所にコスモス畑を作る
「ずっと吉野は小さい頃からなじみがあって、その場所がまさかこういう姿になるとは夢にも思っていなかったので、地震は私自身も忘れられないと思いますし、これからもこの土地でずっとやっていきたいという意味で忘れたくないっていう自分自身への思いもあります。
供養という意味ではないですけど、亡くなった方々のために花が咲いてくれればいいと思います」

一度はあきらめかけた野菜作りもおととしの5月から本格的に再開しました。

畑を耕す梅原さん

畑には、家の土台やパイプなどいたるところにがれきが埋まっていました。

耕うん機ががれきをかんでしまうため、ひとつひとつ手作業でとり除き、畑を作っています。

しかし、ようやく整えた畑も土の質がかわってしまい野菜がうまく育たなくなっていました。

それでも、梅原さんは毎日のように畑に通い続けています。

「別に私あそこに誰かがいる 姿をみるわけでないんですけどなんか頑張れよって言われている気がして、誰かに背中を押されているような気がしてるんですよね」。

地震から2年目の9月。

田中さんが残したコスモスが満開になりました。

去年9月のコスモス畑

梅原さんは毎年少しずつ種をまく規模を広げ、ことしのコスモス畑は40メートルほどになりました。

地震から3年のことしも無事に咲き始めています。

ことし9月5日のコスモス畑 花が数輪咲き始めた 梅原智哉さん撮影
ことしも 娘の羚ちゃんとコスモス畑を訪れた
「吉野を忘れてないよ吉野こんだけきれいにしてるよっていうのを天国からみていてくれたらいいなっていうのを1番思うところで、きっとみててくれるんじゃないかなと思います」

2020年9月4日ほっとニュース北海道で放送

(取材 NHK札幌放送局 腹巻尚幸カメラマン)

私が見た北海道9月6日 ~胆振東部地震から3年~ トップへ


関連情報

アフガニスタンのいま 長倉洋海が語る

ほっとニュースweb

2021年8月25日(水)午後3時18分 更新

私が見た北海道9月6日 ~胆振東部地震から3年~

ほっとニュースweb

2021年9月10日(金)午後7時00分 更新

北海道のがん研究最前線!

ほっとニュースweb

2020年10月13日(火)午後8時09分 更新

上に戻る