NHK札幌放送局

馳 星周×鈴井 貴之 前編

北海道道

2020年10月23日(金)午後0時00分 更新

9月18日の北海道道で放送した、直木賞作家の馳 星周さんと番組MC・鈴井 貴之さんとの対談。
今回、番組放送には入りきらなかった熱いトークを、ウェブ限定で一挙公開!
直木賞受賞の裏話や、30年ぶりの故郷・浦河町での暮らしなど、
馳さんの貴重なトークをお届けします。

馳 星周さん 
1965年 北海道浦河町出身の作家。大学進学とともに上京後、1996年「不夜城」でデビュー。暴力や裏切りがはびこる裏社会を描いた「ノワール(=暗黒)小説」の旗手として、40作以上の作品を発表してきた。2020年7月「少年と犬」で第163回直木賞を受賞。去年から夏の間をふるさとである浦河町で過ごす。

【前編】

 二人が対談を行ったのは、馳さんの生まれ故郷・浦河町にある映画館・大黒座。
102年の歴史あるこの映画館、何でも馳さんの少年時代の思い出が詰まった場所なんだとか…


鈴井:改めまして、よろしくお願いします。

馳:今日はよろしくお願いします。

鈴井:そして、直木賞受賞おめでとうございます。

馳:ありがとうございます。

鈴井:正直、直木賞受賞のときにテレビのニュースとかで拝見して、そのとき正直、「あれ?馳さん、どうして浦河にいるんだろう?」と思ったのですが、そうしたら浦河町出身というふうにいろいろなところで伝わってきました。正直、本当に勉強不足で申し訳ないんですけれども、北海道浦河町出身というイメージがなくて。どちらかというと新宿生まれじゃないかなと(笑)、ずっと勝手なイメージがあったもんですから、まずそれに驚きました。今回、浦河町でここ取材させていただけるということで、この映画館は100年以上続いているということなんですけれども、小さい頃から通っていた映画館なんですか。

馳:そうです。小さい時は夏休み、漫画祭りとかそういう映画あったじゃないですか。

鈴井:はい。

馳:そういうのを親とかおじいちゃんに連れて来てもらって見ていたりとか。小学校にいってからは、僕たちの世代というのは、ブルース・リーの映画が大流行で、そのブルース・リーの映画を全部この映画館で観ましたね。まだ小学生ですからね、やっぱりそんなに毎月来るとか、そういうわけにはいかなかったんですけれども、ブルース・リーの映画がくると必ず来ていました。
昔のこういう田舎の映画館って2本立てだったんです。ロードショーが。今でも覚えているのは、確か「ドラゴン危機一髪」と「タワーリング・インフェルノ」の回で、「タワーリング・インフェルノ」は傑作のパニック映画ですけれども、子どもだからこんなビルが燃える映画なんかいいから、「早くドラゴン映せよ!」とか思いながら見ていた記憶が…。子ども的にはもうブルース・リーが見たくてしょうがないわけです。


浦河町での少年時代

話は馳さんの少年時代へ。幼い頃の読書経験が、作家・馳 星周を今も支えているそう。

鈴井:なんか聞くところによると、病弱なお子様だったと。今のイメージとはちょっとかけ離れていますけれども。

馳:そうですね。小学校上がるぐらいまでは、持病みたいなのがあって、ちょっと記憶が薄いんですけども、4歳ぐらいの時は半年ぐらい入院していたみたいで。それで、なんか特効薬が出来たらしく、それが効いて、もうブルース・リーの映画に夢中になっている頃は、自分で家にある雪かきの柄を切って、ヌンチャクを作って、このへんにあおたんを作りながら母親に怒られていたみたいな、わんぱくな子どもになっていました。

鈴井:そうですか。小中高生ぐらいの時というのは、どんな感じだったんですか?

馳:友達ともよく遊ぶし、その頃から本は大好きだったので、学校の図書室から町の図書館まで、もう読みたい本をずっと借りて読んでいるというそういう子どもでしたね。

鈴井:本を読むきっかけというのは?

馳:それが、やっぱり病弱の時に、うちは両親が共働きだったもんで、よく祖母が僕の面倒を見ててくれたらしいんですけれども、その祖母に「さるかに合戦」という絵本を何度も何度も読んで聞かせてもらっていたらしいんです。祖母が嫌になるぐらい。それで、「別の本を読もう」と言っても、俺「さるかに合戦」がいいといって聞かせてもらっているうちに、もう暗記しちゃって、自分でページを開いて、ここにはこれ書いてあるんだということで、ひらがなも覚えちゃったらしいんです。自分は記憶ないんですけれども。だから、その頃からですね。

鈴井:「さるかに合戦」が実はルーツという。

馳:そうです、そうです。一番最初の読書体験みたいです。

鈴井:それから読書というか、本が大好きになって、本を常に読む子どもに…

馳:そうですね。当時、町立の図書館は1週間で1人3冊までみたいな貸し出しがあったんですけれども、それも3日で読んじゃうんで、当時、子どもだからけっこう歩いて図書館まで通って、3冊の本を持って行って、新しい3冊借りてきてというのをずっとやっていましたね。


小説家になるには

鈴井:過去の馳さんの記事で読んだんですけれども、まず、「どうやったら小説家になれるんですか? 小説家になりたいんですけど」というものの答えとしては、「読めるだけ本をたくさん読むように」って。

馳:そうですね。これは、多分僕だけじゃなくてほとんどの小説家が同じことを答えるんじゃないかと思うんです。小説を書くのに方程式みたいなのはないので、どうやって話を立ち上げて、どう転がして、どう結末に持っていくかというのは、どれだけ今までの古今東西の物語を読んで、身になっているかだと思うんですね。だから人に教わってここをこうしなさい、ここをこうしなさいというものではないと思うので。小説だけじゃなくてもいいんです、映画でも漫画でもなんでもいいんですけど、ようするに物語をどれだけ自分の体の中に取り込んでいるかというのが、小説家にとって大きいんじゃないかなとは思います。

鈴井:まずは本を読め、と。

馳:読め。そう。

鈴井:僕ね、一度小説家の方にお聞きしたかったのが、小説家になりたいと夢を見ている若い子がいて、今って何でも、小説の書き方とか、シナリオの書き方だとかから学ぼうとしている人たちも多いと思うんですけれども、そういう指南書みたいなのはどう思いますか?

馳:僕は役に立たないと思いますね。基本中の基本は身に付けられたとしても、それでも、結局僕たちは一冊書けば終わりじゃないんです。職業小説家ってよく言いますけれども、プロフェッショナルなわけですから、それでずっと食っていかなければならないわけです。ようするに1年に2、3冊の本を出していかないと今の出版業界じゃ食べられないので、その1年に2冊、3冊出すというのを10年、20年、30年と続けていかなきゃいけないんですよ。その場合に、身になっているものが役に立つんです。ノウハウを知っているだけじゃダメなんですよ。それだと1冊は書けるかもしれないけれども、プロにはなれない。だからやっぱりいろいろな物語をできるだけたくさん読んでみてというのが、一番小説家になる近道だと思うんですけれども。

鈴井:ある種、その読書というのが、トレーニングに。

馳:別に子どもの時そんなこと思っていたわけじゃないですけれども。

鈴井:やっぱりでも結果的にはその蓄積が、今日につながってきたということなんですよね。

馳:そうですね。だから、なんかのときに「どうしてここでこういうことを書こうと思ったんですか」って言われたときに、何も思っていないんです。反射なんです。こういうときはこうだっていうのが体に刷り込まれているんで、体というか、脳みそに。だから、そういう物語の作り方っていうのは、ようするに今まで読んできたものの蓄積で、自然と出てくるものなので、深く考えているときもありますけど、あんまり考えずに、考えてないんですね。


“想像”の力

鈴井:例えば物語を書くというところでは、想像と経験だったらどっちのウエイトが高いんですか?

馳:想像です。いろいろなこと経験しているのにこしたことはないけど、基本的にはさっき言ったように、僕はデビューして20数年で何冊書いているかわからないんですけども、経験で書けるものって限られているじゃないですか。基本はやっぱりいろいろなことを想像して書いています。これは昔からよく言うんですけれども、僕の小説というのはよく人が死ぬシーンがあるんですけれども、人を殺したことなんかないわけですよ。殺しかけたこともないです。でも、それを想像力で補って書いていくわけなんで、やっぱり一番重要なのは経験ではなくて、想像力だと思いますけどね。

鈴井:そうですか。あの衝撃的なデビューがあった「不夜城」なんていうのは、これはどうしてこういう(裏社会の)世界が描けるのかなって思いました。正直、作品を読んで、馳 星周さんっていう作家の名前を見直すと、きっと怖いんだろうなこの人…という。

馳:あれもようするにデビュー作ですから、つても何もないから取材とか全くしていないわけです。

鈴井:えぇ!?

馳:だから、全部想像の力で書いた。

鈴井:えぇ!? そうなんですか?こういう話あれですけれども、「どれだけ裏社会知っていて、どういう人生を過ごしてきた方なんだ」って正直思いますよ。

馳:だけど、やっぱりその当時、香港映画、香港ノワールみたいなのにすごいはまっていたので、ようするに中国人関係の暗黒街のイメージ、感じっていうのは、完全に香港映画から入ってきたものですよね。それを歌舞伎町に置きかえてみたみたいな感じで。もちろん、その頃から毎晩歌舞伎町で飲んだくれていたので、どんどんどんどん中国人が来ている雰囲気だとか、なんか危なそうな中国人が最近増えているなとか、そういうのは実体験としてはありましたけれども。ただ、物語というのはもう完全に想像で作り上げた。


東京へのあこがれ

読書に明け暮れた少年時代。
しかし、小さな町での暮らしに閉塞感をおぼえていた馳さんは18歳で進学とともに念願の上京を果たします。

鈴井:そもそも、18歳までですか? 北海道で生活なさっていて、あまり北海道が好きじゃなかった、嫌いだったと伺いました。

馳:そうです。北海道だからじゃなくて、田舎だから。さっきも言ったように、本が好きで。でも僕は浦河に11歳までいて、18歳までは門別、今の日高町なんですけれども、田舎ですよ。本当、町中に書店が1軒あるかどうか。その書店もどっちかというと文房具屋さんっぽくって、雑誌とか漫画が主体で、小説はあんまり置いていないと。これが東京に行ったら新刊書店も古本屋も死ぬほどあるらしいと。そこに行きたかったんですよね。もう田舎は嫌だって、本屋がないから。

鈴井:やっぱり本。

馳:本ですね。


新宿ゴールデン街の“日常”

しかし上京後、学校にはほとんど通わず、入り浸ったのは、夜の町・新宿ゴールデン街。ハードボイルド小説の愛好家が集まるバーでアルバイトを始めます。ギラついた当時の新宿での経験が、馳さんの世界観をつくっていきました。

鈴井:進学で上京なさって、大学時代はゴールデン街のほうでアルバイトをしていたと。

馳:そうです、そうです、はい。

鈴井:正直、日高地方で生活をしていたのと環境は180度変わるわけじゃないですか。そのへんのところは最初はショックはありましたか。

馳:怖かったですよ、ゴールデン街。

鈴井:普通は180度違う世界だと思うので、なかなか立ち寄り難いというか。

馳:結局、本の繋がりなんですけれども、僕は高校生ぐらいから、ハードボイルドとか冒険小説といわれるのが、好きで好きでずっと読んでいたんですけれども、周りに話をできる友達なんかいないわけですよ。同級生にそんなもの読んでいる人間は全然いないんです。親も駄目だし。そんなときに、コメディアンの内藤 陳さんという方がいらっしゃって、その方がハードボイルドの書評を雑誌でやっていたんです。あるときにファンレターを送ったんです。「僕は北海道の片田舎で高校生だけど、こういう小説が好きでいつも陳さんの書評が助けになっています」みたいな。そしたら、ちょうど内藤 陳さんが、その頃にそのゴールデン街で深夜プラスワンという、そういう小説好きのためのバーを始めていたので、「お前どうせ大学でこっちに出てくるんだったらうちの店で働け」みたいな話になって。それで東京に行ったら、即その日からゴールデン街で働いていました。

鈴井:その日から!?

馳:その日から。

鈴井:全然、そんなバイトはしたことはない、経験ないでしょう。

馳:ないです、ないです。

鈴井:いわゆる“水商売”といわれるものですね。お酒を作ったり、お客さんの相手をしたりと、普通に考えるイメージとしてゴールデン街というとなかなかつわものたちが集まってくる。

馳:つわもの達というか、あの頃のゴールデン街は、そのへんに常にいつも泥酔した人か、喧嘩で負けた人が転がっていましたから(笑)

鈴井:倒れている人がいるのが当たり前。

馳:当たり前です。

鈴井:それが日常だと。

馳:日常です。

鈴井:別に声もかけずにですか(笑)

馳:あんまりにも血が流れていたら、「ちょっと大丈夫かい?」って声かけるかとかそんな感じですよね(笑)

鈴井:でもやっぱりそういうところに身を投じて、そういうところで生活してってやっぱり刺激はかなり受けましたか。

馳:ですね。いいことも、悪いことも。その深夜プラスワンという店では3年間バーテンとしてバイトをしていたんですけれども、その頃にけっこう今の自分の人間観、世界観というのは、形作られたような気がしています。


大ヒット作「不夜城」の誕生

馳さんのデビュー作「不夜城」。新宿・歌舞伎町で繰り広げられる、中国系マフィアの抗争がテーマ。裏切りやだましあいがはびこる世界で生き残りをかけて戦う、非情な人物たちの描写が、当時の読者を驚かせました。
累計発行部数は、123万部(2020年9月時点)。

鈴井:そういうところで、さらにそのハードボイルドの世界により深く入られていったと思うんですけれども、今、本好きだから上京してというお話もあありましたが、作家になろうという気持ちは、そもそもお持ちだったんですか。

馳:ないです。小説読むの好きだったけれども、あぁいう僕が感動するような小説を書く人たちというのは、雲の上の存在だと思っていたんです。自分がなれると思っていなくて。それで、そのゴールデン街の僕が働いていたお店というのは、作家の方もたくさん来ていたんです。北方謙三さんだとか、大沢在昌さんだとか。当時は売れているのは北方謙三さんだけで、他の作家たちは、すごいいいものたくさん書いているのに全然売れなくて、金がない、金がないって言っていたの。だから、職業としてもなるものじゃないと。

鈴井:作家の現実を見せられて。

馳:そうです。別に作家になろうなんて思っていなくて、どちらかというと、文芸の編集者になりたかったです。本を作る側になりたかったです。実際、大学卒業して、小さな出版社に入って、そこを3年務めてから、今度フリーライターになるんですけれども、フリーライターになって何年か働いていると、だんだんそのフリーライターというものの将来というのが見えてくるんです。まだ、自分は20代で、どんな仕事でもできるけれども、一緒に仕事を発注してくれる編集者っていうのは、少しずつ偉くなっていって、編集長なんかになっていって、一緒に現場で働けなくなって、若い編集者に「あの親父使えないな」とか言われながら、細々と書き仕事を続けていくか、それが嫌だったら編集プロダクションを立ち上げて、若い者から搾取するかのどっちかしかないなと思って。

鈴井:搾取っていう表現が。

馳:そうそう。それで、ちょうど28歳ぐらいのときかな。収入の半分以上を稼がせてもらっていた雑誌が休刊することになっちゃったんです。また一から色んなところを回って営業しなければいけないのはあれだなと思って、さっき言ったフリーライターの行く末を考えるに、これ一生やる仕事じゃないなと思って。ただ、書くことしか自分にはできないというのだけはわかっていたので、だったらやっぱり書く仕事で、てっぺんは小説家だろうと。食える食えないじゃなくて、自分はいかほどのものが書けるのか、一回本気で試してみようと思って書き始めたのが、「不夜城」なんです。

鈴井:それが爆発的なベストセラーになって、衝撃のデビューということですけれども、ただ先ほどおっしゃっていたよう、作家の現実も知っているわけじゃないですか。デビューにあたるというときの心境としては、ベストセラーになるとは思っていたのですか。

馳:全く思っていないですね。あんな暗い小説誰が読むんだって思ってましたからね(笑)。 自分は好きだけれども。本当にあれよあれよという間に売れてって、他人事みたいでした。

鈴井:そうなんですか?

馳:だって、自分にそんなことが起きると思っていないし、けっこう文芸業界のはしっこにはずっといたので、まず起こらないようなことが起こっているんですね。「なんだこれは!?」って感じですよね。他人事でしたね。


「不夜城」映画化の裏話

鈴井:「不夜城」は、映画化もされて、映画出演していましたよね?

馳:はい。本も好きだったけれども、映画も好きだったので、映画化の話がきたときに、映画化するのは構わないけれども、どこかで必ずカットされないシーンで俺を出せっていうのが、条件だったんです。これは、ちょっとあれなんですけれども、先輩の北方謙三さんという方が、彼の作品が初めて映画化されたときに、そのバー・深夜プラスワンに来て、「俺の作品が今度映画化されて俺も出てるんだと。見に行けよお前ら」と言ったら、出てなかったんですよ。カットされてたんですよ(笑)

鈴井:作家、原作者が?

馳:そうそう。それでカットされないシーンでっていうのを僕がつけるようにして。

鈴井:じゃあそこは留意して、ここだったら絶対っていうようなところで。「不夜城」は冒頭で出ていらっしゃいますもんね?

馳:そうですね。あれも何をやらされるかとか全然聞かずに現場に行って。

鈴井:そうなんですか?

馳:香港の映画監督なんですけれども、なんか衣装とかも用意してあって、「俺何するの?」って言ったら、町のビラ配りのチンピラの役だと。「へぇ」って言ったら、助監督の方が衣装合わせしていたら、「いや、待ってください」って言って、監督を連れてきたら、僕の自前の衣装でこっちのほうがいいじゃないっていって、自前の衣装で出ましたけれども(笑)

鈴井:自前のほうがそれっぽいという(笑)

馳:そうそうそう。馳:青いフェイクファーのコート。

鈴井:当時、金髪でもいらっしゃったんで、歌舞伎町にいそうな人物ですね。


愛犬との出会い

こうして「ノワール小説」の旗手として、数々の話題作を発表していった馳さん。
しかし、40代を境に「犬」をテーマにした小説を数多く発表します。そのきっかけは、愛犬との運命的な出会いでした。

鈴井:もう1つはちょっと僕は個人的に非常にお聞きしたいところで、馳さんは小説家という側面と、愛犬家という側面がおありになるということですが。犬を飼い始めたのは、29歳ぐらいのときからですか?

馳:そうですね、デビューするちょっと1年ぐらい前からだと思いますけれども。

鈴井:実は、僕もバーニーズマウンテンドッグっていう大型犬を1頭飼っておりまして。馳さんは、いきなり大型犬を飼ったんですね。

馳:大型犬を飼いたかったんです。子どものときに、この浦河町の山奥に祖父が暮らしていて、自分で川から水を引いて、ニジマスの養殖場というのをやっていた人なんですけれども、そのおじいちゃんが、オスとメスの雑種犬を飼っていて。オスは怖くて近づけなかったんだけれども、メスが一緒にいつも遊んでくれて、犬飼いたいって思ったけど、母が許してくれなかったんですね。生き物死んじゃうから嫌だっていって。「大人になったら犬を飼うぞ」というのは、そのぐらいから自分では決めていて。ただ犬を飼いたいっていったって、お金かかるでしょう。だから経済的なバッググラウンドがないと飼えないっていうんで、ずっと待っていて、28、9のときにもうそろそろというのと、そのぐらいから東京でもペット可のマンションが少しずつ出始めた。それ以前はまずなかったんですけれども、犬と暮らせるマンションを見つけてそこに入って、それで、よし本格的に犬を飼おうということになって、当時、まだ僕は本業で書評をやっていたんですけれども、そのある書評の連載をやらせてもらっている雑誌で、大型犬飼いたいんだけどなぁ高いよなぁという話を書いたら、たまたま僕のその書評の愛読者が静岡県の浜松市でバーニーズ・マウンテン・ドッグのブリーダーをやっている方で、「良かったらうちの犬どうですか。格安でお譲りします」ということで。それまで、日本にほぼバーニーズマウンテンドッグなんかまだいない時代なので、どんな犬かもわからないし、今みたいに検索とかできないから、雑誌とか見ても全然出ていないので、どんな犬だろうと思って、浜松まで行って、見た瞬間にもうやられちゃった。なんだこの反則みたいに可愛い子犬はって。もう本当に2カ月ぐらいだったんですけれども、動くぬいぐるみですよね。

鈴井:そうですね。

馳:やばいです、あれは。そのまま連れて帰って来ちゃったというのは。

鈴井:それはやっぱり大型犬飼っている人は皆わかるわかるって今言っていると思います。出会いなんですよね。その出会いでもう決めて、この子ってもう。

馳:でね、よくこの子に決めたっていうでしょう。人間は。違うんですよ。向こうから選ばれているんだと僕は思います。

鈴井:はぁ~! そうですか。いいぞっていう。

馳:そう。お前だったらいいやみたいな。

鈴井:それからそのバーニーズマウンテンドッグとの生活が始まるわけですけれども、
やっぱり最初、大型犬を飼うのは初めてのことで、やっぱ苦労とかありました?

馳:ご存知だと思いますけれども、バーニーズってそんな大変な、大きさに比べると大変ではないんですけれども、初めて飼うっていうんで、ものすごい厳しくしつけましたね。本当に厳しくしつけて。やりすぎたかなっていうぐらい厳しくしつけて。例えば、3、4カ月のときに散歩していたら、例えば犬って反抗期みたいなのがあるんですけれども、僕がこっちに行こうとしたら犬が向こうへ行こうとしてこっちだって引っ張ったらウゥって言ったんです。その瞬間に地面にひっくり返して、鼻をガァーってかじって、キャンキャンいうまでずっとかじっていて。東京の代々木というところに住んでいたんですけれども、通行人が何?何?何?って見るので、「しつけの最中だから構わないでください」とか言いながら(笑)

鈴井:でも非常にわかります。やっぱりこういう表現はあれかもしれないですけれども、犬になめられちゃいけないんで。

馳:そうです、そうです。

鈴井:やっぱり、「吠えちゃ駄目よ」みたいなことじゃなくて、しっかりと駄目なことは駄目って。

馳:駄目って言わなきゃ駄目です。犬を飼うんだったら人間がボスにならなきゃ絶対駄目なので、それはやっぱり犬の幸せ、あと飼う側の幸せを考えても絶対にリーダーになってあげなきゃ駄目です。


激変した生活

鈴井:犬を飼うことによって生活環境とか色々なものが変わりましたか?

馳:変わりました。劇的に変わりました。それまでは昼過ぎに起きて、夜になると繁華街に繰り出して、明け方帰ってくるという生活だったのが、まず少しずつ改まってきました。特に最初はまだ犬のことよくわかっていなかったんで、「俺の時間に合わせりゃいいじゃん、犬も」って思っていたんですけれども、東京の夏は無理だわって。日中とかの散歩は無理なんで、やっぱりできるだけ涼しい時間帯に行ってあげなきゃとなると、少なくても夏の間だけは、早寝早起きするようになったりとか、なってきましたし、その子がやっぱりもう年とったおばあちゃんになった頃にはもう、外で酔っ払って帰ってくると、「この子と、あともうどれだけ生きてくれるかわかんないのに、この子と一緒にいる時間とどっちが大切なんだ」って考えて。そうしたら、犬といるほうが大切だっていうふうになってきて、その頃から夜遊びの頻度が減りましたよね。やっぱりね。

鈴井:非常にわかる話です。どこか夜飲みに行ったり、食事をしたりしていても、犬にご飯あげなきゃいけないんだからもう帰らなきゃいけないなとか。僕はちっちゃい犬は16年前から飼っていて、大型犬はまだ僕はビギナーで5年前から飼い始めていますけれども、犬を飼う生活で、まず、毎日笑顔からスタートできるという実感があって。朝起きて、犬たちの顔を見たら、しっぽを振って待っている姿に、「ご飯欲しいよ」って言っているだけかもしれないけれども、こちらも思わず笑みがこぼれてしまう。犬がいなかったときというのは、その日の1日を、これから今日は何の会議があって、何があって、あぁあの人に会わなきゃない、ちょっとな~…はぁってため息をつきながらコーヒーを飲む、というような朝のスタートだったのが、毎日が笑顔からスタートできるということに気がついたときに、「なんて素晴らしい日々をこの犬たちは与えてくれるんだ!」と。

馳:そうなんです。“与えてくれる”んです。本当に。朝起きて不機嫌なのは馬鹿らしいという気持ちにさせてくれるじゃないですか。ブンブンブンブンしっぽ振って。時には色んな物なぎ倒して、「やめろ、やめろ!」とか言いながら。でも、顔は笑ってますよね。

鈴井:そうですよね。本当に色んなことが価値観変わってきますよね。例えば、犬だからやっぱりそんな可愛い可愛いだけじゃなくて、やっぱりテーブルだとか、ソファーだとかそういうのも、ガチガチしてちょっと傷つけたりすることもあって、それ昔なら「これけっこうな値段したあの家具なんだからちょっと…」って思うのも、「しょうがないよな、犬を飼うことはこういうことだよな」という、諦めと。

馳:諦めますよ。犬と暮らすんだったらこんな高い家具買っちゃ駄目なんだよとかって思ってきますから。

鈴井:それに伴って、色んなものの価値観が変わっていくというか、やっぱり犬と暮らすことの豊かさというものを選択するという。

馳:そうですね。そっちのほうがプライオリティがどんどん高くなっていくんで。あれだけ憧れて実現した東京暮らしを犬のために捨てましたからね。


愛犬との別れ

馳さんの最初に飼ったマージ。10年以上連れ添った2004年、がんが見つかり余命三か月と宣告されます。
馳さんは、マージとの最後のひと夏を過ごすため、住み慣れた東京を離れ、長野県軽井沢へ移住。その経験を、小説「走ろうぜ、マージ」につづりました。

鈴井:僕も「走ろうぜ、マージ」という本を読ませていただいたんですけれども、(マージが)病気になって軽井沢のほうに行ったら、老犬なんだけれども…

馳:本当に(軽井沢では)走り回ったんですよ。もう東京ではよぼよぼと歩くだけだったのに。やっぱこんなに違うんだ、自然の中にいると、と思って。じゃあ俺も、ちょうど東京暮らしが20年ぐらいだったんだけれども、「もういいかな、散々遊んだし、なんか犬のためにこれからは生きるっていうのもいいのかな」とふと思いましたね。

鈴井:僕も同じ犬種を飼っている者としては、「走ろうぜ、マージ」は涙なくして読めない作品だったんです。犬って最期の最期までも空気を読むというか。作品の中でマージが亡くなったときも、お仕事でスペインに数日後には行かなければいけない、とか色々な状況があった中で、なんかもういいよというようなタイミングで息を引き取ったと。何か、こう察知してくれているみたいな。

馳:そう思わせてくれるものがありますよね。実際、人間だから自分の都合のいいように考えているのかもしれないけれども、例えばマージという犬は、最期はガンだったんで、最期の日、ものすごい痛がって、苦しがって、見ているのが辛くて、お医者さんに電話して、ちょっと安楽死させてやってくれって、あまりにも苦しそうだからって。でも、お医者さんが来る前に僕の腕の中で息を引き取ったんです。安楽死させたっていう罪悪感を俺に持たせないために逝ってくれたんだなと思いました、本当に。

鈴井:ただ、馳さんはその後も犬を飼い続けていらっしゃいます。よく僕の周りには、もうペットが死んじゃったら、もうそれが辛いからもう飼えないという人がたくさんいるんですけれども、そういうことっていうのは?

馳:あのね、やっぱり犬との別れは辛いですよ。本当に胸を引き裂かれるような辛さですけれども、それ以前に例えば、十何年間、すごく幸せだった十何年というのがあるんですよね。これは犬は寿命が短いんでそうかもしれないけれども、人間だって必ず死んで別れるんですよ、誰とだって。だったらその必ず来る別れを嘆き悲しむよりも、幸せな10年間を僕は取りたいんです。本当に幸せですから。必ず別れは来ます。それは覚悟しておいてね。もちろん、死ぬときは悲しいです。今でも悲しいし、涙が出ますけれども、それはやっぱりその別れは短いです。別れの悲しみっていうのは。だけどそれ以前に十何年という素晴らしい日々を与えてくれるので、僕はそっちを重要視しているんですね多分。


『少年と犬』―救いのある死

愛犬との暮らしや別れから、多くのことを学び取ってきたという馳さん。
今回の直木賞受賞作「少年と犬」には、そんな馳さんの“死生観”が込められていました。
小説の主人公は野良犬の多聞。日本各地を旅する中で、様々な悲しみ・苦しみを抱えた人々と出会い、彼らを癒やしていく物語です。

鈴井:「少年と犬」という作品のお話をお伺いしたいと思います。登場人物は、それぞれ訳ありな人物たちで、色んな物を背負っているというか、そういうようなところに犬が登場してきます。最初僕は、何篇か読んでいるうちに、「どうしてみんな、不幸な結末になっていくんだろう。これは犬と出会ったことによって、変な表現ですけれども、そういうような末路に犬が導いてしまっているのだろうか…」みたいな、ちょっと錯覚的な印象を最初抱いていたんです。でも途中から、彼らの人生は彼らの人生であって、そこに犬が来ることによって一瞬の救いを与えてくれているんだとわかりました。結局人生はそのまま悲しい結末というか、そういうところを迎える人が多いんだけれども…

馳:あれは、最初の「男と犬」だけは悲しい結末だと僕も思っているんですけれども、他は死のうが何しようが救われて死ぬんですよ。僕が書いたのは、ようするに「絶望して死ぬんじゃなくて、犬によって救われて死んでいくんだから、そういう死は祝福されてもいいんじゃないの?」って実は思っているんですね。死ぬことが全て悪いとは僕は思っていないので、皆、異様に死を恐れるけれど、僕は3頭も犬の死を見てきたので、「死ぬことってそんなに悪いことか?」と。ただ、失意のうちに死ぬとか絶望して死ぬというのは悲惨でかわいそうだなと思うんだけれども、救われて穏やかな心で天に帰れるんなら、それは皆がいうほどそんなに悪いことではないんではないか、という思いがある。「少年と犬」でも最初書いているときに、編集者に「人が死にすぎじゃないですか?」とか言われたんだけれども。

鈴井:やっぱ言われるんですか。

馳:でも、「いいんだよ、これはこれでって。」ようするに人と人の醜い争いの中で死ぬとかそういうことじゃなくて、犬と出会って、一筋の光を見つけて死んでいくんだから、これは悲惨な死ではないんだからいいんだと。そういう気持ちで書いていましたね。

2020年10月23日

後編に続く・・・

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