NHK札幌放送局

釧路が生んだ奇才・毛綱毅曠(もづなきこう)の建築を追う

0755DDチャンネル

2022年6月30日(木)午後0時00分 更新

釧路の街を歩くと、たびたび目にする特徴的な建築物。ランドマーク「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」をはじめとする建築は、釧路市出身の建築家・毛綱毅曠さんによって生み出されました。奇抜なデザインだけじゃない、“毛綱建築”の魅力に迫ります。
初回放送:2021年12月25日

白い"立方体"の正体

釧路市の住宅街にたたずむ白い“立方体”。はっと目を奪われるこの“箱”は、なんと住宅なんです。名前は「反住器(はんじゅうき)」。今から約半世紀前の1972年に建てられました。

外観のインパクトもさることながら、中へ入ると…そこには外観と同じ形の箱が。

まるでマトリョーシカのような“入れ子”の構造で、建物の内側に立っていてもまるで外にいるかのような、なんとも不思議な空間です。

奇才の建築家・毛綱毅曠

この住宅を手掛けたのは、釧路市出身の建築家・毛綱毅曠(もづな・きこう)さん(1941~2001)。東洋古来の風水思想を反映したデザインの建築を数多く手がけ、国内外で高い評価を受けました。

釧路に住む人にはおなじみの「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」や「釧路センチュリーキャッスルホテル」、「釧路市立幣舞中学校」に「釧路市湿原展望台」(写真・左上から時計回り)など、釧路を代表する建築の多くが毛綱さんによる設計です。

2021年に生誕80年・没後20年を迎え、11月には毛綱さんの建築をめぐるツアーも開催されました。
「釧路市湿原展望台」や「反住器」などをめぐった参加者からは —

今でも古さを感じず近代的
自然にマッチした壮大さや優雅さを感じた

との声。毛綱建築の魅力を再発見しました。

ツアーのガイドを務めた建築史家 駒木定正さん
毛綱さんは(釧路の)風土の中で、きちんと溶け込んで考えて(建築を)作っていたと思います。毛綱さんが設計した建築は釧路にごく普通にあるけれども、一流の建築家が自分の故郷にこんなに集中的に建物を作ったというのは、特別なことだと思います。

“毛綱建築”がくれたもの

代表作の一つ「釧路市立博物館」。

1983年竣工

鳥が卵を抱えているような、大胆な曲線を描くフォルムが特徴的です。博物館としては非常に珍しい形だそうで、建設前に設計図や模型を見た学芸員たちの反応はというと…

設計段階から携わった当時の学芸員・新庄久志さん
学芸員たちは最初模型を見たとき、まず衝撃を受けました。「これはどうしよう…」と思いましたね。

新庄さんたち学芸員が腰を抜かした理由、それは楕円の形状。デッドスペースを生み、博物館にとって重要な“効率的な収蔵”には向かない形だったからです。

しかし毛綱さんとやりとりをするうちに、学芸員たちの考え方は少しずつ変わっていったといいます。

設計段階から携わった当時の学芸員・新庄久志さん
(毛綱さんと)やりとりをしていく中で、今までの展示手法を変えようという姿勢にみんなが変わっていったんです。新しい博物館を作るんだから、今までのやり方を踏襲するのではなくて、今までとは違ったアプローチで展示を展開しようという風に変わっていきました。それはやはり毛綱さんのユニークな建築デザインがそうさせたんだと思います。のちに博物館の展示は非常に高く評価され、展示大賞も頂きました。

さらに新庄さんは、“毛綱建築”の「核心部」へと案内してくれました。
それは、はしごも階段もない、誰もたどり着くことのできない空間ー

設計段階から携わった当時の学芸員・新庄久志さん
ここは博物館の中でたった1カ所だけ、頑として毛綱さんが譲らなかったところです。収蔵スペースにしようという話もあったんですが、毛綱さんは絶対に譲らなかったですね。「いやだめだ、この空間が重要なんだ。自分のデザインでの中心はここなんだ」と。

当時の学芸員のみなさんは、その熱い説明に、毛綱さんの”心”なんだから大切にしようと残すことになりました。
新庄さんは、この空間を、神社の中心のような最も尊い大切な場所と説明してくれました。そして、"機能"が何もない空間こそが、自分たちにとって必要だったことを気づかされたと言います。

毛綱さんは「一見“無駄”に見えるものも、実は無駄じゃないんだ。“無駄”に見えるようなものがなくなっちゃったら、そこで(物事は)ぎくしゃくしてくるんだ」と言うんです。実際、“無駄”と思えるものをどう受け入れるかを探っているときに、また新たな発見が生まれたりしたんです。「“無駄”が大事なクッションになる」ということを毛綱さんが教えてくれたんでしょうね。

その形はどこから生まれてくるのか

毛綱毅曠さんは、精神性やデザイン性だけを重視していたのでしょうか? 毛綱さんと親交があった建築史家の駒木定正さんが、毛綱建築のもうひとつの側面を教えてくれました。

建築史家・駒木定正さん
(毛綱建築は)奇をてらった形だと表現されることがあるんですが、平面図や間取りをみるときちんとした考え方に基づいて作品を作っていることがわかります。部屋の広さや光の入り具合など、“考えているからこそ生まれてくる形”が毛綱さんらしさだと思います。

駒木さんは、さらに、ひとつの設計図を指し示しました。それは毛綱さんが自身の母のために作った住宅の設計図です
その設計図には人物像のイラストが描かれていました(下の画像)。駒木さんによると、お母さんの身体の寸法を表しています。お母さんが使いやすいように、身体のサイズに合わせて、図面をひいていたことが分かりました。

そして、冬の寒さが厳しい釧路だからこその設計ポイントも。

建築史家・駒木定正さん
毛綱さんが母のために手がけた住宅のまわりは建設当時、家が密集しており敷地が限られ、なかなか光が入りにくい条件の場所でした。毛綱さんはどうしたら住宅に光が入るかを考え、斜めに筋交いを入れた壁面の半分を窓にしました。上からも光が入るように工夫していて、お母さんのために暖かい家を作ろうとしたことが、形になって現れていると思います。

母のための工夫が形になった毛綱建築がこちら。冒頭にご紹介した「反住器」(はんじゅうき)です。

今回は特別に、毛綱毅曠さんの長男で、建築家の毛綱康三さんに中を案内していただきました。

まずはこちらのキッチン。棚やシンクが低めに作られており、母・はるさんの身体のサイズに合わせたスケール感であることが分かります。母のためのオーダーメイドのキッチン、思いやりを感じる空間です。

続いてはリビング。外観の箱と同じ形をしたリビングの中には、温かい光が差し込みます。はるさんはいつもこのリビングで過ごしていたそう。

毛綱毅曠さんの長男で建築家・毛綱康三さん
(祖母・はるさんは)空が見えるし、明るいし温かいし、こんなにいい家はないって言っていた記憶があります。(父・毅曠さんは)もともと木造で風が入る住居に住んでいたそうで、大人になったら温かい家を作ってあげると約束をしたそうです。(祖母はこの家を見て)もちろん最初はびっくりしただろうけど、使うほどに使いやすくもなってくるし、何よりこんな住宅を自分のために建ててくれたことが嬉しかったんじゃないかと思います。

知れば知るほどに魅了される、”毛綱建築”。釧路の街をはじめとして、全国にも様々な”毛綱建築”があります。みなさんも、ぜひ、その思いに触れてみてはいかがでしょうか。


”毛綱建築”特集ページはこちら

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