プロ野球・近鉄でホームラン王に3回輝いたラルフ・ブライアントさんが独立リーグのチーム「士別サムライブレイズ」の監督に就任。5月24日の会見で、「才能のある若い選手が次のステージでプレーできるよう、長所を伸ばすような指導をしていきたい」と意気込みを語りました。
(取材/NHK旭川・海野律人)
ブライアントさんは、ことし発足した独立リーグ「北海道フロンティアリーグ」に参加している「士別サムライブレイズ」の監督に4月、就任しました。ブライアントさんは5月24日に来日してチームの本拠地、士別市に入り、会見で「才能のある若い選手が次のステージでプレーできるよう、長所を伸ばすような指導をしていきたい」と意気込みを語りました。また、近鉄時代、8年間で3回のホームラン王に輝き、豪快なフルスイングでファンを魅了したみずからのスタイルを踏まえて、「ブライアントのような選手を育てるのではなく、その選手がなれるベストの選手になり、ブライアントを超える選手に成長してほしい」と述べ、選手たちにエールを送りました。ブライアントさんは来日前、チームの試合を動画投稿サイトで見て選手のプレーを確認していたということです。
強打で魅了! 現役時代

プロ野球・近鉄で活躍したラルフ・ブライアントさん。
1988年(昭和63年)、中日に入団したあと、その年にトレードで近鉄に移籍。よくとしには49本のホームランを打つなど、ホームラン王に3回輝きました。1989年(平成元年)10月12日、近鉄が2位で迎えた首位・西武との直接対決ではダブルヘッダーの2試合で4打数連続でホームランを打って逆転優勝に大きく貢献しました。翌・1990年(平成2年)、東京ドーム天井のスピーカーに当たった一発は、球場初の認定ホームランとなりました。
強烈なフルスイングでスタンドにライナー性のホームランをたたき込むー。日本プロ野球の8年間で259本のホームランを打ちました。三振の数も記録的(※1993年(平成5年)の204個はプロ野球のシーズン最多三振記録)でしたが、平成初期、間違いなく日本球界を代表するホームランバッターの1人でした。
アメリカの映画俳優に似ていることから“エディ”の愛称で親しまれたブライアントさん、引退後は“恩師”仰木監督が率いるオリックスで一軍の打撃コーチも務めました。日本で次に挑戦するのは北海道北部、人口1万7000人余りの士別市を拠点とする独立リーグのチーム「士別サムライブレイズ」の監督です。
会見で抱負を述べる
ブライアントさんは24日の会見で次のように抱負を述べました。

《冒頭のあいさつ》
はじめまして、ブライアントです。
皆さんご存じの通り、元近鉄バッファローズの選手として日本でプレーしていました。今回、縁がありまして、士別サムライブレイズの監督として招へいしていただき、就任いたしました。
自分のベストを尽くします。よろしくお願いします。
きょう(=24日)、来日したばかりなのですが、すごく長いフライトでした。日本に来日するのは久しぶりでして、パンデミック以来ですね。
こうしてまた日本に来ることができて大変うれしいです。
地元のファンの皆さま、サポーターの皆さまにぜひ球場にきていただいて、球場でチームを応援してほしいと思います。
選手はもちろん、一生懸命プレーしますのでその姿をぜひ球場で見ていただきたいです。
《目指すチームは》
士別サムライブレイズは発足2年目なんですが、とにかく若い選手、才能のある若い選手が多いので、その選手が次のステージに、もっとレベルの高いステージでプレーできるように、選手を育成していくことが自分の役目だと思っています。自分の指導としては選手の長所を伸ばすような指導をしていきたいと思っています。
ただ、きょう(=24日)来日したばかりなので、まず実際にチームに合流して選手に会って、どんな選手がいるか、どんな特徴の選手がいるかを見て、選手にあった指導をしていきたいと思います。
《チームと選手について》
チームの試合はユーチューブでアメリカで見ていましたし、友達から試合の動画を送られてきたりして見ていましたけど、本当に選手が一生懸命プレーしているなという印象でした。自分が選手に求めることがまさにそれで、自分のベストを尽くしてプレーするということを選手に求めています。
そうすることによって、またもっと高いレベル、次のレベルのステージに行けると思うので、とにかく選手には100%、全力を尽くしてプレーすることを期待しています。
《“サムライ”の名前》
チームにサムライという名前がついていることは知っています。サムライというと「戦士」だとか「武士」だとか、刀を持って戦うイメージがあるんですが、そういう名前のチームの監督をすることはすごくわくわくしています。
《士別市の印象》
今回、士別に来たのは初めてす。日本でプレーしていたときも士別というまちの名前は聞いたことがなかったし、来る機会もありませんでした。
きょう(=24日)、空港からこちらの士別に車で来て、車の中から風景を見ていたんですけど、到着したばかりでまちのことを知る機会もまだないので、これからもっともっと地元の方、サポーターの方と交流してまちについて知っていきたいです。
小さなまちで生活することへの不安はないです。なぜなら自分も生まれ育ったのは小さなまちでしたし、小さなまちで生活するときに、自分がアジャストするというか、慣れていけば問題ないと思います。
ただ、選手がベストなフォーマンスをする、全力を尽くしてプレーをできるようにすることが自分の役目だと思います。
《今季の目標と意気込み》
もちろんシーズンが終わるときには1位でシーズンを終えることを期待しています。シーズンはじめから最後まで1位でシーズンを戦うことはないかもしれませんし、いきなり最初から大きなゲーム差をつけて優勝することもないかもしれませんが、ただ、選手には自分のベストを尽くしてプレーして、そしてシーズンが終わるときには、1位でシーズンを終えることを期待しています。
《プロ野球時代を振り返って》
日本の野球ファンの皆さんが20年経っても自分のことを覚えていてくださるのがすごく、それがまさに、日本の野球ファンの素晴らしいところだと思います。そういうふうに覚えていただいてすごくうれしいですし、自分が現役でプレーしたときも日本のファン・サポーターの皆さんにとてもよくしていただきました。自分はスマイルと楽しむことしかできませんでした。
これからも自分の笑顔で、ここの生活を楽しめるよう期待しています。
《選手の育成について》
選手にはとにかく、選手がなり得る、なることができるベストの選手になってもらって、選手の長所を出して、選手がなれるベストの選手になることをサポートするためにここに来たつもりですので、ブライアントのような選手を育てるというよりも、選手がなれるベストの選手になっていただいて、それでブライアントよりもいい選手に成長してくれればと思います。
《日本 北海道では…》
せっかくこのようなご縁があって士別で監督をすることになりましたので、自分の休日に、地元の少年野球の選手のために、ベースボールクリニック、野球教室を開催できればというふうに思います。
それ以外の地域の皆さんとも交流をしたいと思っています。
せっかく日本に来たので、地元のファンの皆さん、サポーターの皆さんと交流していきたいと思っています。
《目指す野球のスタイル》
自分が目指している野球スタイルというのは、総合力で勝つ野球ですね。
総合力がなければ、投手力だけ、打撃力だけ、走塁だけでは勝てませんので、すべてにおいてレベルの高い野球というのを目指していますし、選手にもすべてにおいてレベルの高いプレーができる選手になることを期待しています。選手と同じように監督も、その監督それぞれのスタイルというものがありますので、もちろん、仰木監督のもとでプレーできたのはすごく光栄なことですが、自分は自分のスタイルの野球をしようと思っています。
とにかくそれは選手がベストを尽くしてプレーすることを期待しているということと、試合の状況において臨機応変に監督・指揮をしていきたいと思います。
2022年5月25日
「おはよう北海道」で放送
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