NHK札幌放送局

「北国の逆転人生」~遠軽町・斎野早織さん 化粧品製造販売~

道北チャンネル

2021年10月21日(木)午後4時46分 更新

「道北・オホーツクLOVEラジオ」放送記録2回目です。 9月19日(日)にラジオ第一で放送した55分の中で、2人のゲストに貴重なお話をいただきました。1回目の伊勢さんはいかがでしたでしょうか。 

今回は、遠軽町で化粧品を製造販売する斎野早織さんの逆転人生です。ふるさと遠軽町の素材を使った化粧品。例えば、ハチミツを使ったハンドクリーム、枝豆を使ったボディーソープ、アスパラガスを使ったヘアワックスなど、遠軽町の特産を生かして作った斎野さんの化粧品は、全国各地でファンを拡大しています。

そんな斎野さん、東京では飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍をしていましたが、北海道に帰って立ち上げた会社は、7年間の間赤字だったといいます。斎野さんの逆転人生、放送記録でもう一度ご覧ください。

斎野早織さん
MCは、山田朋生(旭川局アナウンサー)と寺前杏香(北見局キャスター)

寺前
ハンドクリームを使わせていただいたんですが、しっとりしててべたつかない。香りもすっきりしていて、使い心地も良かったです。

斎野さん
ありがとうございます。ハチミツの原料の良さの1つが、なめると甘い、いわゆるお砂糖の糖質が大部分なんですけど、その甘さが肌にとってすごくいい保湿成分になるんですよ。地元にこだわってるのは、ハチミツの甘さ。糖度が高ければ高いほど、ハチミツの中の水分量は少なくなって、より保湿成分としては優位性が高いといえるんですよ。

原料にハチミツが入った、斎野さんのせっけん

寺前
化粧品って、いろんな有名ブランドが競って商品開発や販売をしていると思うんですが、その中で個人の製造会社が売り上げを伸ばしているって、これどうしてなんでしょうか。

斎野さん
すごくシンプルに言うと、全く新しいことはしてないっていうことだと思います。自分で会社を作って一から物を作るときって、人って、まだ誰もやらないことやりたがるんですよ。今まで原料化してないものを原料にして何かをしました、とかなんですけど、大体そういうものって売っていくまでものすごく大変なんです。それはなぜかと言うと、価値の物差しが頭の中にできていないからです。つまり、それが肌にいいのかどうかっていうのを、人は主に何をもって判断するかっていうと、テレビのコマーシャル、いわゆる広報活動なんですよ。なので、全く知らないものをやるってことは、それを知らしめるためにどれだけコスト、体力をかけられて、みんなの頭の中にそれがいいってことを擦り込ませるか、っていうことなんで、それができない小さな会社がやっちゃうと、いいかどうかも多分分からないし、全然知らない会社がやってるし、となると、買う理由ってなくなるんです。ハチミツ大手メーカーさんが、ものすごい勢いでCMして下さってるんで、美容にいいってみんな知ってるんです。なので、うちはもうそこは言わなくていい。一番大切なことは、みんなすでに知っているものがほかと何が違うのか、っていうことをはっきり打ち出せるってことだと思います。
自分の町でとれる貴重なハチミツを使うってことができるっていうことが、大手さんと全然違う。で、いつどこで採ったハチミツで、気温がどんな感じだったかお話してあげられる。厳密に言うと、その採り方のこだわりや糖度の違い、そういったことを話していって、ふだんお店で売ってるハチミツの化粧品よりもうちのほうがこだわっていて、好きであれば比べてみる価値があるんじゃないかと思いますよ、ってお伝えできるっていうことですね。

ポジティブ転職でスキルアップ

遠軽で生まれ育ち、1993年に札幌の短大を卒業した斎野さん。2005年に化粧品の会社を立ち上げるまでの13年間、実に7社を巡って、そのたびに新しい会社でさまざまな知識やスキルを獲得していきました。

山田
次の会社に移るときに斎野さんが大事にされていたことって何かありますか?

斎野さん
1つの会社で働いて、求められた結果を出して次の会社に行くっていうことですよね。で、次の会社で自分の能力がどんなふうに役に立てるかを具体性を持って示していったりとか、っていうことをなるべく頑張ってやっていました。

山田
転職された中で、1か月の売り上げを400万から1億2000万円まで伸ばしたというご経験もあると。

斎野さん
これは私一人の力ではなくて、私たちがいる部署のチームとしての仕事であるんですけれど、具体的にそのノウハウって何ですかって言われると、そういうことじゃないぐらいの商品が売れていく瞬間っていうのが、ベンチャーって言われる企業にはあったんですね。
その仕事をしていくときに、努力とか経営計画とか、当たり前ですけど会社ってある程度、予定を組みながら目標値に向かって進んでいくっていうことになるんですけれど、そのすべてが効かなくなる時があるっていうことを学びました。
どんなに計画があっても、いきなり商品がボンと売れちゃうと、それってもう、その段階で計画は破綻しちゃうんですよね。
それはもちろん悪い方に触れることもあれば、この事例みたいに、予想以上の大ブレークの方に触れることもあるっていうことなんですよ。そうなっていくと、やっぱり自分の力ではどうにもならないことっていうのって往々にあって、よくも悪くもセオリーがきかない、自分がこういうふうにやっていきたいっていう望みがきかないことがあるっていうのは、一番の学びなんですよね。
成功って別にすればいいんですよ、誰も困らないし。成功すれば、変な話、ほっといたっていい。でも手をかけなきゃいけないのは、そうじゃなかった場合ですね。すべてが思いどおりにならなかった時に、自分のメンタルのコントロールも含めて、どれぐらいそれに耐えていけるか。
私は、ノミの心臓でメンタルは強くないので、だから上手に、その予想外の事象とおつきあいしていきながら道を決めていくっていう、余白というかそういうことがありうるっていうことを常に想像しておくっていう部分において、その時の経験というのはすごく役に立ってます。

寺前
斎野さんはむしろ、メンタル強いのかなって思ってました。

斎野さん
いや、弱いんですよ。人一倍メンタルが弱いから、ものすごい数の「たられば」を考えるタイプなんですよ。逆なんですよね。本当にメンタル強い人って、本当になにも考えてないんで。でも逆にああいうふうになれれば、たぶん、夜こんなに胃がきゅっとしたりしないんだろうなと思うんですけど、逆に何かもしこうだったらっていうのを延々妄想できるっていうところも強みなのかもしれないんですね。

夢の独立・起業

山田
斎野さんが起業したいという思い、いつごろからお持ちだったんですか?

斎野さん
恐らく20代の後半たぶん27歳とか28歳ぐらいだったと思います。
北海道って観光大国で、北海道自体のイメージってすごく高いんですけれども、実際に仕事の取引先としての北海道の評価っていうのは、私の会社のなかでは往々にして低かったんです。下請けっぽい感じっていうか、ニュアンスが。こっちで考えたものを北海道にふって、中央よりもコストを安く商品を納品するみたいな感じなんですよ。「北海道のほうが安くてそこそこ速いから」って言われて。例えば印刷物は、旭川の会社にお願いしてたんです。北海道に出した方が、送料をかけても安いよねって。

山田
え、そうなんですか。

斎野さん
安いんです。今はどうかわからない。今はネットとかもできてその後競争が激化してますけど、当時は、うち、全部旭川に振ってたんですよ。「だから北海道使うんだぞ」って言われて、ぐうの音も出なかったんですよね。だけど、何か面白くなかったんですよね。それだけじゃない。少なくとも北海道ってそれだけじゃないし、そういうことがビジネスの上では上位にきちゃうんだってことが悲しかったです、とっても。

赤字赤字の7年を生き抜く

そんな中、2006年に斎野さん、起業を実現されます。しかし、長い苦難が斎野さんを襲いました。独立して起業したもののこれまで成功を収めてきたはずの営業や広報が全く通用しませんでした。赤字の経営は、実に7年間続きました。

山田
よく諦めずに7年間耐えてきましたね。

斎野さん
そうですね。でもだからといって、じゃあ今会社を辞めて、どこに戻って何したいのって言われても、もうなかったんですよね。じゃあ売り上げがずっと低いままかと言うと、徐々に上がってはきているんですよ。ただ、売り上げが上がれば経費もかかっていくので、なかなか黒字に転換するタイミングは来ない。

寺前
あとちょっとで黒字に転換しないっていうこの状況が続いていくっていうのは、先ほどノミの心臓っておっしゃってましたけど、どんな気持ちでしたか。

斎野さん
20何人のホニャララって小説があるみたいに、自分の中に24人いるみたいな感じですよ。自分の頭の中に、大きな長い会議のテーブルがあって、自分が20人ぐらい座ってるんですよね。で、その状況に応じてすごいバトルしてるみたいな感じです。やっぱりしかたないじゃないっていう言い訳する自分もいれば、しかたないって言いながら嫌なこと避けてたよねっていう自分もいるんですよ。本当言うだけやった?っていう自分もいれば、いやいやいや、もうこれは今これができているからできるでしょって自分もいたりとか、弱い自分との闘いみたいな感じ、ですよね。結局、誰も励ましてくれないじゃないですか。自分でなんとかするしかないんで。で、そうなってくると、会社にいる時はやりたくなかったんですけど、弱い自分を徹底的に認めるっていうことなんですよね。

逆転のヒントは突然に。

斎野さんの苦しい赤字経営を好転させた転機は10年前に突然やってきました。北海道物産展で化粧品を販売することになり、そこで見た光景が斎野さんの人生を大きく変えました。

山田
その人生を変えた光景、どんなシーンだったんですか。

斎野さん
一番びっくりしたのは、商品を売っているお姉さまたちの接客のしかただったんですよね。今までずっと化粧品の世界にいたので、どうしても化粧品を売っていくっていう上品さだったりとか、お客様との距離感だとか、それが普通だと思ってやってきたんですよ。なんですけれど、実際に物産店の店頭に立って周りを見た時に、ほかの販売員さんは、ものすごくフランクで、距離が短くお客様にアプローチをしていくんですね。

寺前
百貨店の1階とは違うということですか?

斎野さん
全然違うんですよね。ものすごいフランクにお客様にお声かけてて、いきなり結論からいくみたいな。そのドライブ感みたいなのがすごい衝撃で、ちょっと私、根本的に違うのかもしれないって思ったんですよね。
例えばブランドのカウンターに入ると、こっちから出ていくんではなくて、お客様が来てくれる、買いに来てくれる。だから来てくれたお客様に対して売ればよかったっていう。でも物産展って違って、こっちからお客様にいかないと、お客様、うちを目的にしてきてくれてる訳じゃないっていう、まず1番の違いはそこですよね。
黙ってても人って来ないっていう。なので、来てくれるためにどうしたらいいのか。お客様がうちのブースを通り過ぎる時間って1秒か2秒しかないって言われてるので、そこでわたしたちの商品に興味を持ってもらって、いきなり知ってもらって、気に入って頂ければもうその場で買って頂くっていう、すごく時間がタイトなんですよね、物産展って。アプローチのしかたっていうところだと、これが何か、なになにでとれて、何々の何々の何々のみたいなの長さでは、もう全然お客様との時間感が違っちゃうので、そこをどうやって私たちらしく詰めていけるかっていうところが、もうそこから何かゴングが鳴ったというか、日々修練の日々みたいな感じでしたね。

山田
今ゴングが鳴ったっておっしゃいましたけどまさに試合が始まったっていうことですか。

斎野さん
始まったと思います。催事場と、そうじゃない場所の売り方って本当に違うので、催事場で物を売るっていう体制と、脳みそが切り替わった感じがします。だからといって鬼のようにぼんぼん売れはしないんですけど、ただ、お客様が足を止めてくれる率っていうのは、本当に分かりやすく変わっていきました。最終的に、物産展だけで言うと、売り上げがそこからどんどん上がっていくんですよ。で、物産展の比率ってとても高かったので、いい形で、自分たちが持っているホームページの通販サイトだったりとかに波及していったっていうのはあると思います。今思って見ると、物産展で売り方やしゃべり方をちょっと変えただけで、売り上げって上がるわけないじゃないって思うんですけど、少なくとも、社員全員の考え方をすごく変えたので、結果的にはそれが原動力となって、新しいプロモーションのしかただったりとかができるきっかけになったっていうふうに言えると思います。

斎野さんが遠軽町で営んでいる化粧品店。オリジナルの商品は20種類以上。全国中にファンを持つ。

斎野さんだからこそ語れるひと言

山田
今、コロナ禍で多くの方々が不安を抱えてらっしゃいます。例えば仕事の機会を失ったり、厳しい経営状況を強いられたりしているという経営者の方も多くいらっしゃいます。斎野さんのこれまでのご経験からどんな言葉、そういった方々にかけてあげられますか。

斎野さん
結構重いですね、これは。例えば、お話してきた北海道物産展も、コロナ禍で随分な数が中止になってしまって、わたしたちもお客様とお話できる機会は、ずいぶん失われてしまいました。なんですけれども、実際、自分自身も厳しくて、どうしますかって言われても、これはすごいシンプルなんですけど、しょうがないのかなっていうふうに思ったりもしているんですよね。
こんなふうに世界規模で、みんなが同時にこういったことになるっていうのは、少なくとも私が生まれてからの人生では初めてのことで、それに対して何ができるかっていうのは、残念ながら自分自身も、今自身、試行錯誤してる最中なんですよね。
でも、ビジネスって自分でやるって決めたからには、多分いろんなことが起こる想定をしなきゃ本来はいけないはずなので、じゃあこうなった時が初めてであったとしても、そんな中で何ができるんだろうかってことを日々考え続けていくことしかできなくて、続けていくことがいいことなのか、それとも立ち止まって少し休んだ方がいいのか、それとも逆に手放すチャンスなのか、これって人それぞれだと今回は思うんですよね。なので、不可抗力というのは自分たちのせいじゃなく不幸が降ってくるっていう、すごく不条理な感じになっちゃったんですけれども、少なくとも自分の周りのことだけは、人のせいにしたりとか何かのせいにしないで、皆、ひとしくある機会だと思って、自分自身を見つめ直していくことぐらいしか今できないのかなっていうふうに考えています。

遠軽町中心部にある斎野さんの化粧品店

山田
どうしても頑張り続けなきゃ駄目、って思っちゃいがちですよね。でも頑張らなくてもいいんだっていう選択肢もあるっていうことが分かると、だいぶ、心持ちは楽になるかもしれませんね。

斎野さん
そうですよね。もし頑張ることを少しお休みしたとしても、いつまでもこのコロナ禍が続くことはないと、みんな願っているわけで、それが過ぎたあとにもう1度チャンスがやってくるような国だったりとか世界であってほしいなというふうに考えたりもしてます。

2021年10月21日 山田朋生

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