NHK札幌放送局

札幌生まれ「スノーホッケー」 危機乗り越え見えた“可能性”

ほっとニュースweb

2023年3月15日(水)午後4時33分 更新

6年ぶりの開催で盛り上がる野球のWBC=ワールド・ベースボール・クラシック。 この冬、実は札幌でも4年ぶりに、あるスポーツの熱戦が繰り広げられていました。 その名も「スノーホッケー」。
歴史ある札幌生まれのスポーツで、ことし、競技団体の存続の危機を乗り越えて大会が復活しました。
取材を進めると、WBCに負けない競技の魅力やローカルスポーツに秘められた“可能性”が見えてきました。 (札幌放送局記者 髙山もえか) 

圧巻の迫力“雪上のアイスホッケー”

ことし2月。
札幌市の大会会場で初めて見たスノーホッケーの試合は、驚きと発見でいっぱいでした。

スノーホッケーは「雪上のアイスホッケー」とも呼ばれます。
ボコボコした雪上で跳ねているのは、パックではなくボール。
子どもたちはスティックでボールを転がして仲間とパスをつなぎ、ゴールをめざします。

足につけているのは「レッツ」と呼ばれるミニスキーです。
止まるのに工夫が必要で、こっちでも、あっちでも、すってんころりん!
選手どうしの接触も多く、その迫力は「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケーに劣りません。
新型コロナの影響で中止が続き、4年ぶりに開かれた大会。1日ですっかり心をつかまれてしまいました。もっと深く知りたくなり、その歴史を探ってみることにしました。

“冬の運動不足解消”で考案

スノーホッケーが誕生したのは昭和58年(1983年)、ことしでちょうど40周年です。積雪が多い冬場の“子どもたちの運動不足解消”のために札幌市教育委員会が考案しました。

滑りやすい雪の上でボールを操る。
自分たちで雪を踏み固めてコートを作る。
スノーホッケーには、自然と体が鍛えられる工夫が詰め込まれているようです。
小学校単位などでチームが作られ、また卒業した子どもたちが大人になってからもチームを作り、年に1回の大会を通じて地域に根づいていきました。

過去の大会パンフレット

地域の会社が支えたローカルスポーツ

そんな地域で生まれたローカルスポーツを陰で支えていたのは、地域の小さな会社だと知り、訪ねました。
札幌市内にある会社を案内してもらうと、倉庫には大量のレッツやスティックが保管されていました。

倉庫に保管された「レッツ」

この会社は、スノーホッケーの誕生当時から道具の発注や販売を担ってきました。
オートバイ部品の卸売から除排雪まで幅広い仕事を手がける「何でも屋」として知られるこの会社、中でもスノーホッケーの仕事は大事にしてきました。
専用のボールを作る会社が倒産したときは、製作の道具を引き取り、みずから継承先を探して回ったということです。

スノーホッケーの道具を手がける会社 安江眞社長
「商売のためでは絶対に続かないです。でも試合する楽しそうな子どもの笑顔を見たら、やめられないですよ。札幌発のスポーツをずっと楽しんでもらいたい。その思いだけで今も道具を販売し続けています。自分が辞めたらスノーホッケーも無くなってしまう気もしていますから、それだけは避けたいですね」

“負けず嫌い”の若者が救った危機

そんな地域で親しまれてきたスノーホッケーも、次第に困難に直面するようになります。
小学校のチームは、指導にあたる先生たちが退職や異動に伴って減少。
さらに、新型コロナの影響で大会の開催内容の変更や中止に追い込まれ、競技から離れる人も相次ぎました。
さらに去年2月、大会を運営する競技団体が高齢化のため解散しました。
そんなとき、競技の存続の危機に立ち上がったのは1人の若者でした。

上田恵史さん

上田恵史さんは現役で活躍するスノーホッケーの選手です。
前の競技団体を引き継ぐ形で、新たに「スノーホッケー実行委員会」を結成しました。
これまで小学校の校長先生が担うことが多かったという競技団体のトップに、29歳の若者が就いたのです。

スノーホッケー実行委員会 上田恵史 実行委員長
「前の競技団体が解散する方向性だと耳にしたとき『自分が親しんできたスポーツを無くしてはいけない』と、気づいたら動いていました。同じ思いのメンバーを10人ほど集めて、競技団体の総会当日に『僕が引き継ぎます』と声をあげました。発言したとき、自分の手が震えていたのを今でも覚えています。
ちょうどそのころ自分の子どもが生まれたタイミングで、大きくなったら子どもにもスノーホッケーをやらせたいと思っていたので、無くなってほしくありませんでした」

上田恵史さん

上田さんがスノーホッケーを始めたのは小学5年生のとき。小学校時代は、大会で2度の準優勝を果たし、高校には陸上ホッケー部の選手としてスポーツ推薦で入学しました。
社会人になってからも旧友に声をかけてチームを結成、2月の大会では一般の部で優勝を飾るなど、スノーホッケー歴はすでに20年近くに及びます。

そんな上田さんから話を聞いていて感じたことが…。

上田恵史さん
「小学校のとき準優勝じゃ悔しくて、次は優勝したかった」
「陸上ホッケーをしていても、小さいころから親しんできたスノーホッケーの大会は絶対に出たかった。勝ちたいじゃないですか、やっぱり」
記者
「上田さん、もしかして負けず嫌いな性格では…?」
上田恵史さん
「そうですね、大が付くほどの負けず嫌いだと思います(笑)」

初めてお話を伺ったときから、ずっと気になっていました。
29歳という若さで前例のない大役を、上田さんはどうして買って出ることができたのだろうと。その答えが、上田さんの「負けず嫌い」な性格なのだと何度かお話をする中でわかりました。

上田恵史さんとチームの仲間

競技団体の結成にあたり、仲間から「上田が委員長なら自分もメンバーをやるよ!」と声をかけられたとのこと。負けず嫌いな上田さんが、仲間からも信頼されている様子がうかがえました。

地域の絆を紡ぐスノーホッケー

上田さんは、スノーホッケーの隠されたもう1つの魅力を教えてくれました。

上田恵史さん
「1年に1度、旧友と再会できる場を作ってくれるスポーツなんです」

たしかに、今回取材した大会でも参加者から同じような声が聞かれました。

大会の参加者
「小学校や高校の同じ部活だった仲間や後輩で参加しています。みんなで集まるのも1年に何回とあるわけではないので、いつも大切にしていますし、毎年この時期になると『このシーズンが来たか!』とワクワクします」

1年に1度、冬の季節だけ仲間と集まり、スポーツで体を動かす。ローカルスポーツが持つ魅力は、試合の勝敗だけでなく、身近な人と人をつなぐ”地域の絆”を紡ぐことができるところなのだと感じました。

競技人口の少ないローカルスポーツで、道具のサイズや種類が1つしかないという不自由さもありますが、子どもたちはそれでさえ楽しみに変えているのに驚きました。
種類が1つしかないスティックも子どもたちの魔法にかかれば…。

カラーテープで自分だけのスティックに!

細かい規定がないローカルスポーツだからこそ、できること。試合の合間に「そのスティックかわいい」「服とおそろいだ」と、選手どうしでやりとりする姿が見られたのも、ほほえましく印象的でした。

ローカルスポーツが秘めた可能性

最後に、上田さんは今後のスノーホッケー発展に向けた夢を話してくれました。
ポイントは、新たな形で「地域」との関わりを増やしていくことです。

スノーホッケー実行委員会 上田恵史 実行委員長
「私を含め、実行委員会の委員みんながベテランの現役選手という強みをいかして、地域で指導する活動を充実させていきたいです。
特に、野球やサッカーなど冬に外で出来なくなる部活動を中心に、冬場のトレーニングの1つとして普及できればいいですね。スノーホッケーは、体力をかなり使うスポーツだから、筋力強化にはぴったりなんですよ。まずは1人でも多く競技人口を増やすことが、目標です」

子どものスポーツ教育をめぐっては、体力低下のほか、指導者や施設をどう確保していくのかが課題として挙げられています。
一方で、上田さんがめざす方向性を聞くと、
・冬場の運動不足解消と体力強化につながること
・競技団体のメンバーみずからが指導者として活動できること
・地域の広場やグラウンドがあれば冬の一時的な施設が確保できること
と、スノーホッケーは課題の解決につながる可能性を秘めているのではないかと感じました。
ローカルスポーツとして誕生し、再出発を遂げたスノーホッケーが、これから日本中、世界中の雪国で親しまれる日が来ることを信じて、取材を続けていきたいと思います。

髙山記者が書いた記事はこちら
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