NHK札幌放送局

2年前、中国で消えた父

ほっとニュースweb

2021年5月20日(木)午後4時51分 更新

2年間、父に会うことも、声を聞くこともできず、その詳しい理由さえも分からない。それが、札幌に住む袁成驥さん(29)の置かれた状況です。北海道教育大学で長年教員を務めてきた父の袁克勤さん(65)は、おととし5月、中国に一時帰国した後にスパイの疑いで拘束されました。無実を信じ、1日も早い釈放を願う成驥さんですが、時間の経過とともに状況は悪化の一途を辿っています。
(室蘭放送局・篁慶一)

日中交流に尽力してきたはずが

袁克勤さんは、中国・吉林省出身で、37年前に留学のため来日しました。一橋大学で博士号を取得した後、1994年から北海道教育大学で教員を務めてきました。専門は戦後の東アジアの国際政治史で、多くの論文や著作を出しています。留学生の受け入れなど、中国との国際交流の橋渡し役としても長年尽力してきたと言います。

北海道教育大学の元教授 袁克勤さん

ところが、おととし5月、母の葬儀に参列するため中国に一時帰国した後、袁さんは故郷の吉林省長春で何者かに連れ去られ、行方が分からなくなりました。消息が明らかになったのは、10か月後の去年3月。中国外務省の報道官が、スパイ犯罪に関わった疑いで中国の情報機関が袁さんを取り調べていることを明らかにしたのです。

中国外務省の定例会見 2021年4月22日

その後、情報は途絶えていましたが、今年4月に新たな事実が分かりました。中国外務省の定例記者会見で、報道官がNHKの質問に対して答えました。

NHK
「北海道教育大学の袁克勤教授が捕まってから1年以上が過ぎている。彼はどこに拘束され、どのような状態にあるのか。家族によると、弁護士も家族も袁さんに面会が出来ていないようだが、どのような状況なのか」
中国外務省報道官
「袁克勤氏は中国国民で、スパイ犯罪に関わった疑いで中国の国家安全部門により法に基づいて取り調べを受けている。本人は犯罪事実を包み隠さず供述し、証拠は確かだ。すでに起訴され、裁判所で審理が行われている。担当機関は彼の訴訟に関する権利を十分に保障している」

袁さんは、起訴されていたのです。その一方で、報道官は詳しい理由や健康状態には言及しませんでした。


どこに助けを求めれば

父の起訴を知り、長男の袁成驥さんは大きな衝撃を受けました。正義感の強い父の性格を誰よりも知っているだけに、時間がたてばスパイの疑いは晴れ、釈放されると信じていたからです。

長男の袁成驥さん
「子どもの頃から父を見てきて、本当に真面目で、まっすぐとした正直な人間だと思ってきました。今回、このような形になって本当に信じられないです。強引なやり方で突然父を拘束して、何の理由も明かさずに有罪である、起訴されたと言われても、全く受け入れることはできないです」

実は、父が拘束された時、成驥さんはオーストラリアで暮らしていました。日本で生まれ育ち、高校を卒業した後、オーストラリアに留学して修士号を取得しました。現地での就職を希望していましたが、父の釈放に向けて支援を呼びかけ、父が戻った時には生活を支えたいと考え、去年6月に日本に帰ってきたのです。現在は、札幌市内にある父の自宅で生活しています。

ただ、新型コロナウイルスの流行によって、成驥さんは街頭で支援を求める活動も行えない状況が続いています。去年8月には、父の勤務先の北海道教育大学を頼り、「話を聞いてほしい」と学長に面会を求める手紙も送りましたが、「スケジュールの都合等」を理由に断られました。さらに、ことし3月下旬にようやく行われた大学担当者との面会では、袁さんが3月いっぱいで定年退職となることを理由に、「今後の支援は難しい」と伝えられたということです。面会直後の成驥さんは、不安げな表情を浮かべてつぶやきました。

「今後、どこに助けを求めればよいのか分からなくなってしまい、とても不安です。大学にも出来ることと出来ないことがあるのは私も承知していますが、父のためにもう少し何か支援してほしかったです」

私は事実確認のため、北海道教育大学に問い合わせましたが、「事柄の性質上、コメントは差し控えたい」という回答でした。


恩師の無事願って

この2年間、困難な状況に置かれたままの成驥さんの支えになっているのは、袁さんの職場の同僚や教え子たちです。研究者で作るグループは、去年3月、中国政府に対して緊急声明を発表しました。

袁成驥さんと研究者たちが道庁で会見 2020年2月

袁さんのスパイ容疑に対する証拠を示すことや一刻も早い釈放を求めているほか、インターネット上での署名活動を行い、支援の輪を広げようとしています。

教え子の1人で、高校教員の中村大輔さん(37)も、去年、有志で記者会見を開き、袁さんの無実を訴えました。

高校教員の中村大輔さん

中村さんは、大学2年生の時に袁さんのゼミに入りました。一次資料に当たり、事実に基づいて研究・分析を行うよう3年間厳しく指導されたということです。その一方で、「ゼミ以外の場面では非常に優しく、包み込むような温かさもありました。教員としての土台を築いてくれて、とても感謝しています」と中村さんは振り返りました。互いに登山が趣味で、ゼミ合宿で一緒に北海道最高峰の旭岳に登ったことが忘れられないと言います。今は、恩師の無事を願い続けています。

「袁先生の年齢を考えると、体調のことが心配です。袁先生が無事に日本に戻り、みんなと笑顔で顔を合わせるまでは、声を出し続けないといけないと思っています」


強まる「自己検閲」

袁さんはなぜスパイ容疑で拘束されたのか。中国の人権問題に詳しい東京大学の阿古智子教授は、「推測するしかない」と断った上で、扱っていた資料が中国の国家機密にあたる疑いがかけられた可能性や、袁さんから何らかの情報を引き出すために恣意的に拘束した可能性を指摘しています。また、今後予想される袁さんの裁判については、積極的な情報の開示は行われず、非公開のまま判決が出される可能性もあるとみています。

東京大学 阿古智子教授

中国では、習近平政権発足後の2014年に「反スパイ法」が施行された後、スパイ容疑で拘束されるケースが相次いでいます。おととしには、中国を訪れた北海道大学の日本人研究者が当局に拘束され、およそ2か月後に解放されました。ことし3月に発表されたアメリカ国務省の人権報告書では、「中国当局は、政治的な反対の声を抑え込む手段として、国家機密の暴露や政権転覆などを理由に人々を拘束・逮捕した。その容疑は曖昧で、あらゆる情報が後付けで国家機密と指定されうる」として、恣意的な拘束が起きている可能性を指摘しています。

こうした状況の中、袁さんの拘束も、日中の学術交流や「学問の自由」に影響を及ぼしています。阿古教授は、日本国内で中国に関わる研究をしている人たちの間で、いわゆる「自己検閲」が起きていると語りました。

「日本の研究者も中国の研究者も、発言や人間関係に気をつけるというか、非常に慎重になっています。自分自身が中国にどう見られているかを常に気にかけながら対応する傾向が強まってきていることをひしひしと感じます」


再会願い、声上げ続ける

今年5月、中国の弁護士が初めて袁さんに接見し、無事を確認できたと言います。袁さんは、裁判で争う考えを示したということですが、詳しい起訴の内容や中国当局の今後の対応は分からないままです。

今、袁克勤さんの書斎には、研究資料が入った段ボール箱が積み上がっています。長男の成驥さんが、大学を定年退職した父の研究室から持ち帰ってきたのです。資料を整理しながら、成驥さんは、その部屋で感じる気持ちを打ち明けました。

「この部屋では、いつも父が椅子に座って仕事をしているという思い出が強く残っています。部屋を見る度に誰も座っていない椅子があり、父がいないことを感じて心苦しくなるんです」

成驥さんは、父が日本に戻ったらやってみたいことがあると教えてくれました。それは、ピアノの連弾です。父の勧めで、6歳の頃から10年間以上ピアノを習ってきました。その一方で、袁さんはピアノを弾くことは出来ませんでしたが、拘束される2年ほど前からピアノ教室に通い始めていました。ショパンの夜想曲を目標にして、熱心に練習していたと言いますが、今、部屋に置かれたピアノの蓋は閉じられたままです。成驥さんは、不安な日々を過ごしながらも、一日も早く父と再会する日が訪れることを願い、これからも声を上げ続けていこうとしています。

2021年4月27日放送


室蘭放送局・篁慶一記者のコンテンツはこちらにも

WEBニュース特集 激変する香港 北海道から思う

関連情報

「見守りカメラ」 過信にご用心

ほっとニュースweb

2022年9月13日(火)午後1時51分 更新

送迎車両に子ども置き去り“社会全体でミスなくすシステム作り…

ほっとニュースweb

2022年9月21日(水)午後7時47分 更新

札幌の「若年性認知症」の女性 新たな挑戦“誰かの勇気につな…

ほっとニュースweb

2022年10月12日(水)午後3時40分 更新

上に戻る