「人生最後の場所」を、どこにすべきか。
新型コロナウイルスの感染拡大で、選択を迫られる人が少なくありません。
治療体制の整った病院か。それとも、家族がいる家か。
その決断をした家族。そして、それを支えた医師たちの物語です。
《コロナで変わる最期の過ごし方への思い》
「お父さんが死ぬなら、私も一緒に連れて行って。
いなくなったあと、私はどう生きていったらいいの?」
札幌市の市川裕美子さん。去年8月、夫の潔さんを亡くしました。その死の数週間前に夫に投げかけた言葉です。

「それはできない。空から見てるから、ちゃんと自分のやりたいことをやりなさい」
自宅のソファに腰掛けていた潔さんは、怒りながらも、あたたかく諭してくれたと言います。
そんなやりとり、はたして潔さんが病院に入院し続けていたら、できたのだろうか。裕美子さんは振り返ります。
《心が追い詰められる闘病生活》
潔さんの病気が分かったのは、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化した去年3月。急に体調を崩して診断を受けたところ、悪性リンパ腫と判明。余命4か月と告知されました。
すぐに入院することになった潔さん。しかし感染拡大の影響で、家族も友人も簡単には病室を訪ねられない状況が続きました。明るく朗らかな人柄だったという潔さんも、いつしか、看護師にあたるようになったといいます。

「周りの看護師さんたちにあたったりしたのが医師の耳に入って、私と息子が医師に呼ばれたことがありました。息子が荒れた時も絶対我慢して、たたくようなことはしない人なんですと説明しました」
普段の潔さんではありえない。信じられなかった裕美子さんですが、このとき潔さんは家族にも友人にも会えない状況で、精神的に追い詰められているのではないかと感じるようになりました。
「私も毎日病院には着替えなどの届け物をしてるんだけど、会うことはできない。夫も会いたいのに会えない、もどかしい気持ちを誰にも言うことができずに、つらかったのではないかな。そういう姿を見ると、家に連れて帰りたいと思うようになりました」。
《初めて知った“在宅医療”という選択肢》
そんなとき、転機が訪れます。
きっかけは、「抗がん剤治療をこれ以上続けても体が持たない」と医師から告げられたことでした。
死の現実味がいっそう強まった夫と、簡単に会えない状況を変えたい。その思いでソーシャルワーカーに相談したところ、在宅医療を紹介されたのです。
「ICUに入って治療を受けなければならない時があるほど病状が悪化していたので、そんな道もあるのかと、紹介を受けるまで知りませんでした」
家族で話し合い、在宅医療を選択した潔さんと裕美子さん。家に戻ってからは、まるで病気だったことが嘘のように感じられるほど、穏やかだったといいます。
「食欲も出て、家の中を手すりをつかいながらも歩き回れるようになりました。人とのふれあいも、心を支える1つになっていたと思います。在宅医療に切り替えてから1か月、夫の友人たちも途切れることなく自宅を訪ねてくれました」
《日々の会話が今も心の支えに》
「お父さんが死ぬなら、私も一緒に連れて行って」
「それはできない。空から見てるから、ちゃんと自分のやりたいことをやりなさい」
冒頭で紹介した、潔さんとのやりとり。2人でいたときに裕美子さんが、ぼそっとつぶやいた言葉がきっかけだったといいます。
「隣の奥さんにも、『私が死んだら妻と息子を頼みます』と話していて。あのまま病院にいたら、話も何もできないまま、お別れするしかなかった。例えば、病院から突然『亡くなりましたよ』って電話で呼ばれていたら、私も、心の準備ができていなかったのではないかと思います」
これまでのように一緒にいて、これまでのように交わせる会話。それが、潔さんの死を受け入れる準備になっていったと、裕美子さんは振り返ります。

「『明日何食べる?』とか、昔の思い出とか、色々話すことができました。ささいなことばかりだけど、心の準備という面では、それが良かったんだと思います。そういう貴重な時間を過ごせたから、亡くなった後も、ちゃんとしなきゃいけないかなって思えてるんです」。
《医師も感じる在宅医療の可能性》
人生最後の場所を、自宅で。
新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、そんな選択をする人がいま、増えています。
潔さんの在宅医療を担った、医師の飯田智哉さん。
週2日、潔さんの自宅を訪問し、痛みを和らげるための投薬などを行いました。それ以外の日は看護師が尿道カテーテルなどの管理を実施。休日も対応できる態勢を整えました。
飯田さんが所属する在宅医療クリニックでは、去年4月以降の半年間で患者はおととしの同じ時期の3倍に増えているといいます。

飯田さんは去年4月、病院勤務からこのクリニックに移り、在宅医療を専門にしてきました。潔さんとのやりとりを振り返った上で、コロナ禍だからこそ、在宅医療の可能性をよりはっきりと実感できるようになっているといいます。
「ご自宅に戻った初日に潔さんが、『自分は病院で死ぬかもしれないと思っていたけど、在宅医療というものを知って、家に帰ってくることがまずできた。それだけでも僕は十分幸せなんだ』と言ってくれたんです。それを聞いたときに、私も泣きそうになって。やっぱり家というのは、見慣れた空間で、慣れた生活音がして、きっと自分の好きな匂いがして、やっぱり元気になるんだなと、患者さんを診ていて、すごく思います」
飯田さんが所属するクリニックの吉崎秀夫院長です。

病気を治すことを重視した「病院医療」と同様に、QOL=生活の質を重視した「在宅医療」も充実させて、患者が「人生最後の場所」を自由に選択できるような医療の提供体制を整えることが、いま、求められているのではないかと指摘します。
「どこで死ぬのかと考えると、その人にとっての最善の医療はみんな違ってくる。だからこそ、病院医療と在宅医療のそれぞれがいいところを出しあって、患者さんに選択してもらえるような状況になったらいい。そのためには患者さんだけでなく、医療従事者にも意識を変えてもらう必要がある。病院で勤務することが多い医師にこそ、在宅医療で何ができるのかをしっかり知ってもらう必要がある」
《どこを人生最後の場所にするか》
亡くなった潔さんが残した手記には、生前、裕美子さんにも話していなかった本音が記されていました。

「面会できなくなりLINEでの交信。コロナがにくい」
「きょう医者の回診でステージ4の話がありました。
ちょっとショックですが寿命まで苦しくても何とかやるしかない」
「精神的ダメージが重い。少しがんばってみるけどたえられないかも」
病気だと分かってから、4か月での別れ。
裕美子さんは、その日から1年もたたないうちに、唐突に失った夫について、記者に語ってくれました。
ところがその表情からは、つらさよりも、最期の日々を懐かしむ穏やかさを感じずにはいられませんでした。それは、たった1か月とはいえ、夫と長年暮らしてきた自宅で、かけがえのない時間を過ごせたからなのかもしれません。
人生最後の場所、あなたはどこにしたいですか?
2021年4月21日

札幌局記者 飯嶋千尋