NHK札幌放送局

「帰るのは怖いけれど」ウクライナから避難の女性 帰国の途に

ほっとニュースweb

2022年7月29日(金)午後7時22分 更新

4月、ウクライナから札幌市に住む娘を頼って避難してきた女性がいた。 日本での平穏な暮らしを享受しているかのように思えたが、3か月の避難生活の末、彼女は帰国することを選んだ。
なぜ安全な日本にたどり着いたのにもかかわらず、今戦禍のウクライナに帰国するのか。
その胸の内を聞いた。(札幌局 佐藤優芽) 

ウクライナから逃れて

ナタリア・クラコワさん、ベロニカ・クラコワさん母娘

4月10日、ナタリア・クラコワさんは札幌市に住む娘のベロニカさんを頼ってウクライナ南東部・ザポリージャから避難。娘のベロニカさんが航空券を手配し、出発からおよそ2週間をかけて新千歳空港に到着した。

来日から1か月が経とうとしていた5月、私はナタリアさんに直接会えることになった。それまでTV電話の画面越しでしか会えなかったが、初めて顔を見て話すことができた。
ナタリアさんはウクライナにいたころと比べるとずいぶんと顔色がよくなっていた。娘のベロニカさんも明るい表情をしていた。ベロニカさんは私と同い年で今年で27歳、母親のナタリアさんは53歳で私の母とそう変わらない年齢だ。
ナタリアさんは日本での生活を「平和で、サイレンのならない夜に安心します。毎日よく眠れる」と話してくれた。

ザポリージャ

ナタリアさんとベロニカさんの故郷ザポリージャは、ウクライナの南東部にあり、国内屈指の工業都市だ。同じ州内にはヨーロッパ最大のザポリージャ原子力発電所がある。現在もロシア軍による攻撃が激化している地域に隣接しており、予断を許さない状態が続いている。

ナタリアさんはそこで15年以上にわたって地元の警察の職員として勤務していた。
2月24日、軍事侵攻が始まった日、ナタリアさんはいままでの生活が一変したと話す。

TV通話で見せてくれた3月のザポリージャ市内 人影はない

ナタリアさん「仕事に向かう途中、外には誰もいなかった。普段の生活とずいぶん違って、怖かった。私は警察の仕事をしていて、その時の同僚たちはみんな普段とは違った服装で、ヘルメットをかぶったり銃を持っていたりと武装していて怖かったです。」

警察職員としての通常業務は中止し、膝に不調を抱えるナタリアさんはパトロールに向かう同僚をサポートしながら炊き出しなどを行った。町では毎日何回もサイレンが鳴っていたという。そのたびに近くの学校にあるシェルターに避難していた。3月のウクライナは真冬のように寒い。シェルターには暖房もなくインターネットも届かなかったという。

避難していたシェルターの内部

シェルターで仕上げた塗り絵

当時を思い起こさせる品がウクライナから持ってきた荷物の中にあるという。シェルターに避難する際、娘の部屋から持ち出した塗り絵の本だ。大人用のもので、気を紛らわすのにちょうどよく、明るい色づかいで仕上げたという。ナタリアさんは「地下のシェルターの壁のような灰色の暗い絵を描くなんでできなかった。平穏な人生を送りたい」と願いながらただひたすらに耐えていたという。

民族衣装ヴィシュヴァンカ

荷物の中には夫とおそろいの民族衣装「ヴィシュヴァンカ」も入っていた。ウクライナでは祝日などおめでたい日に、普段着るシャツなどの代わりに着るもので、これを着て仕事に行ったこともあるのだという。

ナタリアさん「家から離れたくない。新しくしたキッチンや大切な思い出の品が壊されてしまうかもしれないと思うと怖かった。でも娘に会いたいし、危なくて怖くて逃げたい気持ちもあった。
逃げるとき、家の中にあるものはすべて自分の人生の中で大切なもので、その中から一番大切なものを選ばなければならなかった。」

夫とヴィシュヴァンカを着るナタリアさん

断腸の思いで故郷を離れたナタリアさん。
ウクライナから持ってきた荷物はスーツケース1つ分だけ。
仕事も、友人も、家も、自分のかけがえのない日常すべてを置き去りにして、娘の待つ札幌までやってきたのだ。

ようやく訪れたつかの間の平穏。
しかし、齢五十を超える母親にとって異国での新たな生活は容易ではなかった。

平和な国、日本

部屋の様子
ナタリアさんはよく動画配信サイトでウクライナのテレビ番組を見ているのだという

日本での新生活、私はナタリアさんの元をたびたび訪れた。

ナタリアさんは娘のベロニカさんの家に近い民間企業が無償提供するアパートを借りていた。娘のベロニカさんは在留資格の所得や日々の買い物まで、海外に不慣れな母親を全面的に支えた。

普段1人で過ごすときは趣味の編み物をしたり、日本語や英語の勉強をしたりして過ごしていた。週末は娘のベロニカさんと出かけ、時折札幌駅前で行われている抗議集会にも参加した。
しかし、長期化する軍事侵攻の中次第に母娘は日本での生活に複雑な思いを抱いていった。

ベロニカさん「おいしいものを食べたりどこか旅行したり。ほかのウクライナにいる人たちはすごく大変な生活をしています。戦ったり死んだり怪我したり。私、ここでお母さんに楽な生活をさせてあげていることが、普通の生活をしていることが、すごく悪いことをしている気持になります。」

ナタリアさんは来日当初、オンラインで日本語の授業を受けていたが次第についていけずに断念。それでも一人でひらがなの書き取りや発音の練習をしていた。

ナタリアさんのノート 言語体系の違う日本語に苦労しているという

ウクライナで生まれ育ち、英語も流ちょうには話せない。
ナタリアさんはぽつりと本音をつぶやいた。

母ナタリアさん「一日中家にいるのはつまらないよ。」
娘ベロニカさん「仕事をすればいいけれど、あなたは日本語ができないからね。」
母ナタリアさん「そうね。きちんとわからないね。」
娘ベロニカさん「『きちんと』というまでもないでしょ。」
母ナタリアさん「じゃあどうすればいいのよ。」
娘ベロニカさん「ちゃんと勉強してほしかった。」
母ナタリアさん「勉強してるけど…」

娘と二人で日本語を勉強する様子

6月24日、軍事侵攻が始まってからちょうど4か月が経った。そして、ナタリアさんが来日して3か月が経とうとしていた。娘のベロニカさんは母親の90日間だった在留資格を1年間に変更したという。日本で働くこともできるようになっていた。
一方で、ナタリアさんには、元いた職場から「仕事に戻ってこられないか」という打診が頻繁に来るようになっていた。さらに、6月下旬にはウクライナの法律が変わり、長期間休むと仕事を失うおそれがあるという情報も届いていた。
ナタリアさんの今の年齢で仕事を失えば、再び安定した仕事を見つけるのは困難。
ウクライナに帰国するという選択肢が現実味を帯びていった。

ナタリアさん「仕事を失いたくないから早く帰りたいけれど、とても怖いわ。道中で何が起こるかわからないし、帰るのは怖い。」

苦悩するナタリアさん

故郷に残る夫

家族写真

さらにナタリアさんを不安な気持ちに駆り立てているのは、ウクライナで兵士として戦っている夫の存在だ。夫は前線に物資を送るための補給部隊でドライバーをしている。戦闘が行われている地域と都市部を往復しているそうだ。

ミサイル着弾跡に立つ夫

兵士とはいえ休暇もあり、その間は家にも帰ることができるそうだ。
ナタリアさんは夫のために手料理をふるまうのが大好きだという。今、夫が家に帰っても自分が迎えられないことがなによりつらいと話していた。

ナタリアさんは夫と毎日電話でやりとりをしている。
ウクライナでは日に日に日差しが強くなり、戦場にいる夫にちゃんと日焼け止めを塗るように言っていた。たわいもない夫婦の会話だ。
しかし、ひとたび連絡が途絶えるとナタリアさんは眠ることができなくなるという。

ナタリアさん「(ウクライナでは)夜が明けたから、今電話があった。
お父さんは生きているわ。生きているかどうか心配だからまた夕方に電話をかけなきゃ。
電話がないと寝られないわ。
本当に早く帰りたい。早く戦争が終わってほしい。
そしてお父さんに早く会いたい。」

電話するナタリアさん 涙を浮かべている

平和が戻った後の生活のためにも仕事を失いたくない、
そして夫に会って家族として支えたい。
悩んだ末にナタリアさんはザポリージャへ帰ることを決めた。

帰国へ

日本での仲間と別れを惜しむナタリアさん

7月11日、出発前日。ナタリアさんは市民団体の講演会に参加して、今日まで支援してもらったことに対して涙ながらに感謝の言葉を口にした。そして、帰国の決断をしたことに複雑な心境を抱える胸の内を明かしてくれた。

ナタリアさん「これからウクライナに帰らなければなりませんが、正直日本からどこも行きたくないし娘に心配させたくないです。日本はとても安心できて、なんでもあります。ウクライナに帰るのは怖いです。でも仕事のために帰らなくてはなりません」。

娘はただ、母の決断を受け入れることしかできなかった。

ベロニカさん「ここ(日本)には私しかいないです。自分の仕事もないし、家もないし、友達や知り合い、大切なものも思い出もありません。お母さんはここで何か仕事を見つけて、私も支えてお母さんの生活が困らないようにできると思います。それを伝えましたが、それでもお母さんは帰りたいといいました。
娘としてはもちろん心配ですが、お母さん、自分で決めたので。私はお母さんが決めたことを尊重して理解するしかないです。
でも明日、お母さんがウクライナに帰るとまた私は泣いてしまうと思います。」

成田空港へ向かう母娘

7月12日、ナタリアさんは娘のベロニカさんの付き添いを受けて成田空港へ向かった。
その日の夜に成田からポーランドのワルシャワに向けて、一人旅立っていった。日本出発から2週間後には仕事に復帰しているという。

ナタリアさんが日本で暮らしたのは3か月。
戦闘が長期化する中、家族が再会できる日が1日も早く訪れることを願う。

成田空港にて

いまだにミサイル攻撃が続き、ロシアウクライナ両軍の激しい戦闘が続いている。
もし自分の母が、安全をとるより故郷での生活を守るために先の見えない道を選ぶとしたら、それを止めることができるのだろうか。

ナタリアさんの避難前の様子はこちらから
「ザポリージャに帰れない」 ウクライナ人女性が語る | NHK北海道
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ウクライナ情勢 ロシアによる軍事侵攻 最新情報・解説 - NHK特設サイト

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