NHK札幌放送局

古代の風土に思いをはせて“縄文太鼓”の調べ

おはよう北海道

2021年4月15日(木)午後6時07分 更新

人はいつから音楽を聞いていたのでしょうか?
 歴史学や考古学は、「ホモ・サピエンス」と呼ばれる私たち人間の営みを、 時には何万年もの時間をさかのぼり、明らかにしてきましたが、 「音」は、“その時”“その瞬間”にこだましたきり、形となって歴史には残りません。
けれどもし、あちこちにのこる、古代の遺跡や遺物、海や森といった自然が、はるか古代の音楽の、かすかな名残りを伝えている…としたら?
 およそ1万年前、豊かな自然に恵まれ、狩りや採集で暮らした、縄文文化。 古代の風土に思いをはせると、懐かしいリズムが聞こえてきそうでは、ありませんか? 
(取材・文 NHK札幌 趙顯豎ディレクター)

縄文の”音”を奏でる

北海道伊達市の北黄金貝塚。今年、世界文化遺産への登録を目指す、北海道・北東北の17の縄文遺跡群のうちの一つです。およそ6000年前から、海を見下ろす小高い丘だったこの場所で、人々は海辺でカキやハマグリを採ったり、クジラやオットセイなどの猟をしながら、暮らしていました。

丘の上から、風にのって聞こえてきた音色。

太鼓奏者の茂呂剛伸(もろ・ごうしん)さん(42)。
演奏しているのは、土器を太鼓に見立て、独自に考案した“縄文太鼓”です。

胴体の土器の部分は、甕のような形をしていますが、底は空洞になっていて、内側で音が大きく響くようになっています。素材に用いられているのは、北海道江別市の粘土。フチの部分にはエゾジカの皮が張られていて、ロープで格子状に何重にも結ばれています。
音色は、優しい高音から、轟くような低音まで、実に多彩。茂呂さんは、この縄文太鼓を携え、日本各地を周り、「縄文の音」を奏でてきました。土地土地によって異なる、古代の風土や生活。そこから着想を得、即興で感じたことをリズムにするのがスタイルです。その独創的な表現は、近年、国内外で評価されています。

茂呂さん
「ここに一面、貝を敷き詰めて貝塚を復元しているんですけど、縄文時代もこういう風景が広がっていたのかなと想像しながら叩いています。縄文時代の記憶を音楽で現代によみがえらせることができればと思いながら、縄文時代に思いをはせて演奏する、そういうスタイルですね」
【復元された貝塚】

「風土に根ざした音楽」を求めて

普段は札幌市を活動の拠点にしている茂呂さん。日々、縄文と向き合う場所があるといって案内されたのは、街の中心部に建つ一見なんの変哲もないビルでした。暗い地下の階段を降り、ドアを開けると…

そこに広がっていたのは、見たところ10畳ほどの、薄暗い部屋。右手の壁には、土器や土偶にエゾシカの面といった「縄文」にちなむものがずらっと並べられていて、まるで博物館のよう。反対側の壁際には、いくつもの収納ケースが無造作に置かれていて、中からは透明の袋でわけられた、茶色いかたまりがのぞいています。
ここは、茂呂さんの縄文太鼓を制作するアトリエです(茂呂さんいわく、「現代の竪穴式住居」)。茂呂さんは、日々この部屋で、ひとり黙々と粘土をこね、縄文土器をつくっているそうで、その数は、200はくだらないとか。
しかし、ちまたに音楽ジャンルは数あれど、茂呂さんは、一体なぜ「縄文」をテーマにしたのでしょうか?そこには、「風土に根ざした音楽」への、強い思いがあったといいます。

1978年、江別市に生まれた茂呂さん。7歳で地域の和太鼓クラブにはいり、太鼓を始めました。そこで親しんだのが「和のリズム」でした。ドン・ドン・ドン・ドンと、4拍子の規則的な心地よいリズムが代表的です。お祭りや盆踊りなどで聞こえてくる、あの懐かしい響きも、和のリズムの一種です。茂呂さんは、和太鼓を通じて、音楽の魅力に引き付けられていきました。

その後、プロの太鼓奏者を目指していた茂呂さんは、20歳のとき、打楽器の盛んな西アフリカのガーナに太鼓の「武者修行」に出ます。ガ族という民族のもとで、住み込みの生活を送りながら、伝統楽器「ジャンベ」を教わりました。アフリカには、民族ごとに、連綿と受けつがれる伝統的なリズムがあるといいます。日本の「和のリズム」になれた耳で聞くと、非常に変則的に聞こえるのですが、いくつものリズムを、まるでオーケストラのように重ねあわせることで、うねるような、ダイナミックな響きが生まれるといいます。
茂呂さんは、昼も夜もなく、ジャンベをたたき続け、こうしたアフリカのリズムをひとつひとつ身体で覚えていきました。

アフリカで茂呂さんが驚いたのは、ガ族の人々の太鼓の技術もさることながら、彼らにとって、音楽がいかに「風土に根ざした」ものであるか、ということでした。ジャンベが奏でるリズムは、ガ族の人々にとって、自分たちの生活のすべての営みに関わるもの。実際、いわゆる“冠婚葬祭”のような場では、必ずといっていいほどジャンベが演奏され、人々の喜びや悲しみが、そこで共有されるのだといいます。

アフリカから帰国後、茂呂さんはジャンベ奏者として演奏活動を続けていました。
しかし、心には、迷いがありました。
「自分の演奏には、アフリカで聞いたあの音のような、力がこもっているだろうか?」
「アフリカに根ざしたジャンベのように、北海道の大地に根ざした音楽ができないだろうか…?」

「縄文」の発見 

転機は突然訪れました。30歳の頃です。ある日のジャンベの演奏会のあと、茂呂さんの楽屋にひとりの人が訪れました。
「あなたの太鼓の音色は縄文の音がする。」
茂呂さんに伝えたのは、北海道の詩人・原子 修さんでした。

原子さんは、縄文文化に深く精通し、これまで、縄文をテーマとした詩や劇を数多く発表してきた人です。アフリカ帰りの茂呂さんのジャンベの音に、縄文に通じる、原始の響きを感じたといいます。
「縄文の音」―。予想もしない感想に、最初、茂呂さんは驚いたものの、原子さんの言葉に、自分の表現を切り開くヒントがあるように感じました。
それから、原子さんから数度にわたって、縄文文化に関するレクチャーを受けた茂呂さん。そこで、北海道と縄文文化の密接なかかわりを学んでいきました。
縄文時代には、海や山や森といった自然の恵みに助けられ、安定した暮らしが、1万年以上にもわたって続いたこと。そこには現代のような上下関係がほとんどなく、大きな争いのあともみられないこと。そして、のちに列島のほとんどの地域で、米作りが広まり、富を蓄え、クニづくりの道が歩み出される一方(弥生文化)で、北海道では、自然と密接につながった縄文文化の特徴が、その後も長く・色濃く残ったこと…。
さらに、茂呂さんが驚いたのが、その縄文時代に、太鼓があったかもしれないということでした。

原子さんが教えてくれたのが、有効鍔付(ゆうこうつばつき)土器という、フチの部分に孔のあいた土器の存在。孔にひもを通して皮を張り、太鼓にしていたのではないか、という学説もあるというのです。原子さんは、縄文文化をモチーフにした音楽の可能性を茂呂さんに熱く訴えたといいます。

茂呂さん
「何か風土から発信したいなと思っていたところに、原子先生から『あなたが縄文太鼓を作って世界中に発信しなさい』と言われて、なんかもう衝撃で。『自分にしかできないことってなに?』ってたぶん探してたんだと思うんですね。音も楽器も。そこから一気に縄文太鼓を自分が作って発信するんだって火がつきましたね」

「縄文」「北海道」「音楽」-。この三つが、茂呂さんの頭の中にうずまいていたところ、原子さんの教えによって、それが「縄文太鼓」というひとつの形を得たのです。

土器づくりと縄文人の“美学”

縄文太鼓を作り、北海道から「縄文の音」を発信すると決心した茂呂さん。
まず向かったのは、地元・江別市の郷土資料館でした。江別市は、北海道でも有数の「土器の町」として知られ、縄文時代からの貴重な価値を持つ土器が、数々見つかっています。茂呂さんは、資料館のスタッフに、「縄文太鼓」の構想を伝え、出土した土器の素材や形、当時の製法などを一から学んでいきました。
土器作りを始めた茂呂さんの胸中にあったのは、縄文時代の人々の“感性”に触れたい、という思いでした。自分の手で土をこね、形をつくりあげる作業を経験することで、見えてきたのは、縄文土器にこめられた様々な“美意識”だったといいます。

【金雲母】

例えば、粘土に含ませたこの金色の粉。金雲母という鉱物で、実際に出土した縄文土器からも見つかっています。茂呂さんは、身近な道具を美しく飾りたいという、縄文時代の人々の心を感じたといいます。

茂呂さん
「(金雲母は)とても貴重なものだったので、特別なものとして入れていたと思いますね。『美しい』と思うものを追求するというのも、縄文と触れ合って、より深く感じるようになりました」

さらに、「縄文」という名前の由来にもなった縄目の紋様からも、新たな気づきがありました。茂呂さんは、各遺跡を周り、それぞれの土地や時代の紋様のつきかたを研究しました。そこで、縄文時代の人々が、いかに自由な発想をもって土器を作っていたかに、驚かされたといいます。

茂呂さん
「縄にも色んな種類が太さがあって、それによって全然紋様のつき方が違うんですよね。規則性の上に不規則性を乗せたりとか、規則的にきれいにやったものを一回消して、一部分だけ消して不規則にしたりとか、そういうことをやっているんですよね、縄文人たちは」

枠にとらわれず自由に、規則的になりすぎないよう、時にはあえて、“いびさ”や、“不揃いさ”を取り入れた縄文の紋様。茂呂さんは、自身の音楽での表現方法でも、ここから大きなインスピレーションを得たといいます。「縄文らしいリズム」とは?茂呂さんは、和太鼓の4拍子ではなく、太鼓の世界では「不規則」「変則的」とされる5拍子に注目し、どこか割り切れない、不思議な響きのリズムを、縄文太鼓の基調にしていきました。

茂呂さん
「自由でいいんだなと思って。だってその時に五線譜だってなかったし、音階というものだってなかったし、でも『美』というものがあったことが土器や土偶から分かるじゃないですか。じゃあ『音としての美って何だ?』と言ったときに、現代の物差しじゃなくていいんだなと思って」

「縄文」に触れてほしい

3月末―。茂呂さんは、山梨県の八ヶ岳山麓にいました。
この地域からは、縄文時代の大きな集落が数多く見つかっていて、人とモノが集まる「縄文の銀座」だったとも言われています。そんな八ヶ岳に建つ、とある現代美術館に茂呂さんは、縄文太鼓の演奏に来ていました。

中村キース・へリング美術館は、世界的に著名なアメリカの現代アーティスト、キース・へリングの作品を集めた美術館です。「山梨」×「縄文」×「現代アート」。この絶妙な取り合わせを考えついた、美術館の館長・中村和男さんが、「北海道」×「縄文」×「音楽」をかけ合わせた茂呂さんにほれ込み、美術館でのライブを依頼したのです。

中村 和男 館長
「『縄文の銀座』と呼ばれる山梨で、茂呂さんの縄文太鼓のプリミティブな響きが、キース・へリングのプリミティブな感性の作品と出会う。そのことが非常に面白いと思い、演奏を依頼しました」
All Keith Haring Artworks ©The Keith Haring Foundation Courtesy of Nakamura Keith Haring Collection

陽光がいっぱいに差し込む、美術館の明るい中庭で、縄文太鼓を演奏する茂呂さん。この美術館では、順路にそって作品を見たあと、この中庭に導かれるようになっています。突如、不思議な太鼓の演奏を目の当たりにした観客たちは、数分間、茂呂さんの演奏を食い入るように見つめていました。演奏後、茂呂さんは、聞いてくれた人たちに近づき、縄文太鼓について話し始めました。

縄文太鼓の着想の由来や、自身の生まれた北海道のこと、縄文時代の人々の自然に対する考え方や、山梨でみた素晴らしい縄文遺跡のこと…。
茂呂さんは、縄文を顧みることは、ノスタルジックな過去にひたることではない、と語ります。文書や写真や楽譜に残らなかった、古代の歴史に思いをはせ、そこにあったかもしれない、自然や人のありかたを感じようとすること。それは、自分たちの未来について考えることにつながる、というのです。

茂呂さん
「縄文自体は希望だなって思っているんですよね。例えば100年先の未来ですら人類って描いていけてないと思っているんです。そんな中で、私たちには、1万年以上前からこういう風に文化的な生活をして、心の豊かな時代が私たち日本人にはあるっていうところを、たくさんの人に知ってもらって、伝えていきたい。そういう風に思っていますね」 
今年、世界文化遺産への登録を目指している「北海道・北東北縄文遺跡群」は、北海道・青森県・岩手県・秋田県に点在する17の遺跡から構成されています。狩猟や採集、漁を基盤に人々が定住して集落が発展し、およそ1万年という世界的に見ても長期間継続した「縄文時代」の生活や祭祀、儀礼の様子を現代に伝えるもので、普遍的な価値があるとされています。NHKでは、札幌・室蘭・函館・青森・盛岡・秋田の6局が総力を挙げてこの縄文の魅力を掘り起こし、今後さまざまな形で発信していきます。

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