ことし8月、札幌放送局に1通の手紙が届きました。
「亡くなった夫が撮った写真を、ぜひ見てほしい」と手紙を綴ったのは、写真家だった夫を亡くした妻でした。手紙では、夫の写真家生活を「日本の自然の素晴らしさ、野生動物の生命の輝きを追い続けた」と表現しています。亡き夫は、どんな作品を撮ってきたのでしょうか。私たちの取材が始まりました。(札幌放送局・飯嶋千尋)
手紙の主は…?

手紙を書いたのは、道東・中標津町の久保俊枝さんです。夫の敬親(けいしん)さんは、野生の動物を50年間、撮り続けたプロの写真家でした。

俊枝さんが敬親さんと出会ったのは、20代のころ。日本、なかでも北海道の美しい自然と、その中で暮らす野生の動物を捉えることにこだわっていた敬親さん。そのいちずな姿勢に惹かれたといいます。
俊枝さん
「彼が写真を撮りに来ていた山の山小屋で出会ったんです。そのときはそんなに細かく写真を見ていたわけではないんですけどね、性格というか、人間性というか、いちずにひたすら自分の世界を構築するというところに、興味を持ちましたね。ミュージシャンの皆さんやアスリートの皆さんなどもそうだと思いますが、好きなことに打ち込むからこそ、自分だけの物が作れるというその世界は、自分には出来なかったことなので、すごく憧れもあるし、尊敬もしましたね」
写真家・久保敬親の魅力
敬親さんの写真です。





それぞれを見ていくと、敬親さんの写真は、主人公であるはずの野生動物を、それほど大きく捉えられていないことに気づきます。まわりの自然も捉えているからか、野生動物がどこでどのような暮らしをしているのかが、鮮明に伝わってくる写真ばかりです。
その敬親さんの写真を高く評価する専門家がいます。日本カメラ社で写真雑誌などの編集に長年、携わってきた、牛島博能さんです。

牛島博能さん
「動物写真家の多くは野生動物を手なずける方法で写真に収めているが、彼は自然に同化するまでじっと待ち続けて、動物たちに無視されるまで粘って撮影していた。それを繰り返すうちに、まるで動物たちの世界に見た人を引き込むような写真が撮れる。それが彼の写真の最大限の魅力。写真は2次元の表現なので、奥行きや周りの景色を感じさせることはなかなか難しいことだが、彼の作品は動物たちが息づいている自然のありのままの姿が伝わってくる」
自由奔放な夫にあきれる、それでも…

俊枝さんは、敬親さんと26歳と結婚。しかし、思いも寄らない苦労の連続でした。撮影に出かけると、半年以上、連絡が取れなかったり、車ごと海に落ちたという連絡が来たりしたこともありました。さらには、俊枝さんが友人に借金をして敬親さんの取材費用を捻出したのに、その敬親さんの飲み代に消えたこともありました。
俊枝さん
「とにかく破天荒。出たらもう出っぱなしっていう、若い頃はね。だから、分かりやすい言葉で言えば“写真家の寅さん”、“フーテンの寅さん”そんな感じでしたね」
『被写体こそ我が師なり』

そんな敬親さんの「こだわり」を象徴する1枚があります。母ギツネが授乳する写真です。大雪山系で8年間、同じキツネを追い続けて捉えた、力作でした。
俊枝さん
「通い始めて8年目、追い続けてきたキツネが、子ギツネをつれてカメラを構えている前で止まったんです。すると子ギツネはおっぱいを吸い始めて、まるで『ほら、撮ってくださいよ』といっているかのように立っていたんですって。そこまで聞いて私は『ええ、偶然でしょ』と言ったんですけど、子ギツネを連れて何度も来たそうなんです。思わず涙が出たと話していました。そのキツネに会いに8~9年間通って得たのが、とにかく『被写体こそわが師なり』っていうことだそうです。いわゆる“敬親語録”の1つでしょうか。自然から学ぶ、動物から学ぶ、だからこそ自然を大事にしなくちゃいけない。決して人間が動物より上とか、自然を管理するとかってそういうことじゃなくて、尊敬したい、畏敬の念を持ちたい、という気持ちが年々、強くなっていきましたね」
夫の写真に思いをのせて

2019年1月26日。敬親さんは、肺がんで亡くなります。
しばらくは何も考えられなかったという、俊枝さん。するとある日、敬親さんの仕事部屋に、発表されていない写真が多くあることに気がつきました。
夫の写真を、1人でも多くの人に見てもらいたい。俊枝さんはその思いを胸に、新たな写真集をまとめることにしました。そして、これまで敬親さんの作品を世に送り出してきた出版社に掛け合って、刊行にこぎつけたのです。
敬親さんがいちずに追い続けた、動物たちの姿。見た人に、自然を大切に思う気持ちを持ってもらえたらと、俊枝さんは願っています。
俊枝さん
「今になってやっと、私も主人と同じような気持ちになっているんですが、これが日本のすばらしさ、北海道のすばらしさだとつくづく思うんですね。でもやはり人間ですから、日頃の生活をしているとそれに追われてついつい見逃しがちになってしまう、もちろんそれも当然です。ただ、人間以外に一緒に生きてる生き物がいるっていうことを、ちょっと身近に感じてもらい、子どもや若い人にも、どんどん北海道の豊かさを味わってもらえたらいいなと思います」
夫を支え続けた妻の思い
写真家・久保敬親の集大成。写真集は、夫を支え続けてきた妻の人生の証でもありました。
俊枝さん
「今回写真集をまとめてみて、私も、改めて若い人に伝えたいなと思うメッセージが見つかったんです。それは、夫のように『好きなことに好きなだけ打ち込んでみてほしい』ということです。もちろん大変なこともたくさんあると思います。ただ、続けていれば何者かになれるかもしれませんし、やってみたら実は違うことがやりたかったんだと別のことに興味が広がることもあるかもしれませんし。ぜひ、自分の可能性を信じて、進む道を決めていってほしいです」

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