NHK札幌放送局

みんなの"藤丸"の思い出(2月2日更新)

ほっとニュースぐるっと道東!

2023年2月2日(木)午後6時30分 更新

2023年1月末に閉店する、帯広のランドマーク"藤丸"。ほっとニュースぐるっと道東(総合・平日午後6:40~放送)に寄せられた、みなさんの思い出を紹介します。
※名前はニックネームのみ公開(敬称略)

女性・釧路市
今から五九年前の一二月の事になりますが、私は妊娠中で悪阻がひどく、どうしても西瓜が食べたく夫にお願いして頂き、藤丸デパートさんから缶詰の物を買って頂き其の時の美味しさが忘れる事が出来ず、すいかは大好きです。其の時の娘も元気で五九才。閉館と聞て淋しい思いをして居ります。
マサトボーイ・51歳・男性・十勝地方
娘が産まれた年にひな人形を買いにいったり、7階のホールに展示してもらった子供の絵や習字を見に行ったり、子どもの成長と共に藤丸さんにはお世話になりました。いよいよ今日で最後かと思うと何だか寂しいですね。
クマノミ・40代・女性・釧路地方
いま午後3時30分だから後、3時間半。午後7時にて、藤丸のシャッターは閉められて、二度と開くことはありません(ノД`)・゜・。働いていた人たちはじめ、いろんな思いを寄せて買い物をしていました。藤丸さんがあるから、ちょこっと贅沢なものが手短に手に入るという思いがいつもあったのに。そのよりどころが遂に今日でシャッターを下ろすことに成ってしまいます。沢山の人の思いの丈をかみしめて、今日という日を無事に終えることを願います。ありがとうを言い尽くせないほど、素敵な品々の提供を心からありがとうございました。又、会えますよね??藤丸さん。昭和と平成、令和それよりずっと昔からありがとう。
とっとこ・60代・女性・十勝地方
藤丸の一坪ショップに数回出店させて頂きました。職員さん達に親切にして頂きました。また、息子が1歳の時に藤丸で1周年記念だったのか、1歳の記念写真を無料で撮って頂きました。親の代から藤丸は良い物を買う店としてお世話になりました。2年前に他界した父はかまえいのかまぼこが大好きでした。母は地下にあった金時食堂の金時麺が大好きでした。私は高校生から6階で数年大学生まで夏冬休みにアルバイトしました。黄色い福袋に詰め込みバイトにも行きました。思い出がいっぱいです。ありがとうございました。
蒼・47歳・女性・静岡県
母が十勝出身です。藤丸は私は一度も行ったことがありませんが、一昨年亡くなった伯母が、藤丸で買い物をするのが好きだったそうです。ひとりで清水に住んでおり、バスで帯広に出て藤丸に行っていたそうですが、コロナ禍で外出がままならなくなり体調を崩してしまったと聞きました。姪の私のことをかわいがってくれて、色々なものを藤丸から送ってくれました。大きなでんすけスイカが届いたときは、子供たちが大喜びしていました。行ったことはない百貨店ではありますが名前はよく耳にしていたため、TwitterのNKK広報さんの呟きで閉店の事を知り、寂しいような、なんとも言えない気持ちになっています。伯母との思い出を作ってくれて有難うございました。
みい・55歳・女性・十勝地方
旧店舗の屋上の遊園地、人気でなかなか乗れず、待っているときの写真が白黒でアルバムに残っています。レストランでの食事も想い出深いです。母に連れられて行った婦人服売場で待たされたこと、そのあとにはサンリオへ、連れていってくれたことは今でも覚えています。現在の店舗になってからは、西武の優勝セールの時の人の多さには驚きました。行事や贈り物は藤丸で買い物。息子が生まれたら、ベビー服や布団も揃えました。高校の制服、成人式のスーツ、家族の物はほとんど揃えました。母から私、そして息子と3代でお世話になりました。なくなってしまうのはすごく残念でなりません。やはり商品を見て、店員さんとのやり取りがあっての藤丸、また復活してくれることを願ってます。藤丸の皆さん、本当にお疲れさまでした。そしてとても感謝しています。ありがとうございました。
みなと・50代・女性・帯広市出身
家族・一族みな十勝出身ながら父が転勤族だったため、私たち一家にとっての帯広は長い休暇を過ごす祖父母の家がある街でありました。帰省のたび、まだ若かった両親に連れられワクワクしながら行った藤丸。たくさんの人の賑わいに思わず「今日はお祭り?」と聞いたデパートデビューの物心ついたばかりの私。高校生の頃、勤め始めたばかりの従姉妹が、新しい藤丸の2階のカフェレストランでよくご馳走してくれたっけ。優しかった両親もすでに帯広の地で眠りについており私には帰る実家はありませんが、思い出に残っている場所を訪れるだけでも「帰ってきたなぁ」という気持ちに。そのひとつの藤丸が閉店とはさみしい限りです。楽しく長い間忘れることのない大切な思い出をくれた藤丸さんに感謝しています。ありがとうございました。
ろじゃ・40代・男性・東京
先日久しぶりに藤丸に訪れることができ、懐かしい「亜麻色の髪の乙女」の時報を聞くことができました。
東山南瓜・56歳・男性・十勝地方
私が生まれ育ったのは他の町ですが、母に連れられて行ったデパートの思い出に共感できる世代ですから、30数年前に帯広に住むようになってからも、やはり各フロアの雰囲気にどこか懐かしさを覚えて、年に数回、買い物を楽しみました。婚約指輪も、親戚の結婚祝いも藤丸さんで。仕事納めの日には、文房具売場でお目当ての文具を買うのがいつの頃からかささやかな楽しみになりました。帯広神社にも社長寄進の証があったりして、十勝、帯広の町120年の象徴といってよい存在だったのでしょうね。街にも私の心にもぽっかり穴が開いてしまいますが、藤丸さんの思い出は永遠です。今までありがとうございました。
サラダ・30代・女性・札幌市
いよいよ閉店の日を迎えてしまいました。幼い頃、週末のお出掛けと言えば「藤丸でショッピング」が我が家のお決まり。キラキラした店内は幼い私にとって特別な空間でした。中でもエレベーターガールはワタシの憧れ。家に帰ると「◯階婦人服売り場です。」と台詞を真似をしていたのを覚えています。大人になってからは祖母、母、私でいつも一緒に洋服を買いに行き、レストランでランチを食べるのがお決まりでした。結婚し、十勝を離れましたが息子が生まれてからも帰省する度に藤丸に行きショッピングを楽しんでいました。今では息子もすっかり藤丸ファンです。親子4世代、藤丸が大好きでした!次回の帰省時、藤丸にシャッターがおりていると思うと寂しくてたまりません。藤丸!大好きだよー!!沢山の思い出を作ってくれて本当にありがとうう!!新しく生まれ変わる日を心待ちにしています。
ころひ・76歳・女性・十勝地方
今は亡き母ですが、藤丸さんが出来た当時、エスビーカレー(エスカレーター)に乗ってきたと嬉しそうに話していたことを思い出します。おにぎりを1つ持って行ってきたと言って居りました。それを聞いていた私たち姉妹は、大笑いをした事を懐かしく思い出します。藤丸さんありがとう
ちゃあ・20代・女性・十勝地方
私にとって藤丸は高校から付き合ってる彼氏と初めてのデートで行ったデパートでした。6階の景色見えるところに2人で座り彼氏が私の好きなイチゴを食品売り場で買ってきて一緒に食べたのを行くたびに思い出します。今でも外から6階の座った場所を見上げます。たくさんの思い出をありがとう!
ホウキ・39歳・男性・十勝地方
私は幼いときは街で買い物に行くとなれば藤丸でした小学生の時は頻繁に藤丸に行きました、私が幼いときには6階にレトロなゲームも沢山ありました中学生以降になると藤丸に行く機会は徐々になくなりましたがイベントがあるときは行っておりました
タイムトンネル・60代・男性・清水町
藤丸のお店のお話しでは ありませんがバブル時代 藤丸のスタッフさん達 仕事終わりに よく皆さんでディスコに踊りに来てましたよ エレベーターガールさんもいましたね 皆さん仕事疲れの中 楽しく踊っていたのが 頭の中に浮かびます来客相手で疲れて 踊ってストレス発散 良い時代でしたね
ゆうや・60代・男性・清水町
平原祭り よく浴衣姿で沢山の藤丸社員の皆さまが踊っていたのが印象的ですその姿も もう観れませんね 藤丸店内は勿論 店員さんの姿も見れなくなります 本当に 残念でたまりません
ヨッシー・12歳・男性・十勝地方
僕の、忘れられない藤丸の思い出は、2つあります。一つ目は、幼稚園の頃に藤丸でクリスマスコンサートで2回、ハンドベルを演奏しました。その時にたくさんもらった拍手がいまだに忘れられないです。二つ目は、自分がけがして入院しているとき、お父さんが藤丸のサンリオで買ったドラえもんの時計を持ってきてくれたことです。ですが、その持ってきてくれた時計を落として、中の部分が少し壊れてしまいました。そして、そのつぎの日に、お母さんが藤丸のサンリオに行って、新しいドラえもんの時計を買ってきてくれました。それが本当に嬉しかったです。
このような沢山の思い出があるので、藤丸が閉店するのは本当に悲しいです。ですが、藤丸が閉店した後も建物は残っていて欲しいです。沢山の思い出をつくってくれてありかとうこざいました。藤丸さんの事は一生忘れません。今までほんとうにありがとうございました。
みもざ・女性・60代
帯広生まれです。子どもの頃の藤丸の思い出は、階段にあった噴水のようなオレンジジュースの自動販売機や大食堂。文具売り場で坊屋三郎さんに遭遇し、サインをもらったことがありました。大学生の時は、高いコートやオーバーを買ってもらって嬉しく、今でも値段を覚えています。それから帯広に戻って社会人となり、仕事帰りに藤丸に寄るのがとても楽しみでした。今の店舗の思い出は、まず西武優勝セールの賑やかだったこと。そして結婚が決まって、新生活に必要な物をあれこれ買いそろえました。結婚40年になりますが、お鍋、お玉、食器など今でも現役で使い続けている物があります。帯広を離れてからは、実家に帰る度に藤丸に行っていましたが、ついに閉店ですね。最後にもう一度、母と藤丸に行って別れを惜しみたいと思います。今まで、ありがとうございました。
カナパー・60代・男性・清水町
今日も 藤丸に来ましたよ 来店したら 必ず6階の窓越しから広小路のアーケードを眺めてます 昭和57年移転時 私は自衛官で外出も土日しか出来ませんでした当時 藤丸の社員とお付き合いをしていて4時の休憩時間に 6階トイレ横の休憩場で待ち合わせ 二人で窓越しから眺めてたのが 凄く思い出深く 今日も青春時代を思い出させてくれます 今日で本当に この景色は見納めです 買い物して帰ります藤丸さん 私の青春時代 思い出の場所 ありがとう‼️
さお・30代・女性・十勝地方
初めて藤丸のデパコスを買ったのが藤丸です!服や本屋さん、サンリオにもしょっちゅう行き、催事があると必ず行っていました!藤丸がなくなってしまったらどこで買い物をしたらいいのかわかりません。
すっかり道東人・40代・女性・根室地方
以前、北見に住んでいた時、東急百貨店が閉店しました。デパートがなくなって淋しく思っていた所、北見から藤丸さんまでお買い物バスツアーが開催され、初回は大型バス2~3台連なって行ったのを思い出します。それから数回参加し、すっかり藤丸ファンになりました。数年前、根室地方に引っ越しましたが、今でも帯広に行った際は、藤丸さんに寄っています。特に十勝の物産展が好きでした。淋しくなります。
うさ子・10代・女性・十勝地方
小学生の頃お母さんとサンリオのお店に行ったことが思い出です。店員さんがとても優しく、おまけしてくれて当時はすごく喜びました!閉店すると聞いて沢山思い出がつまった場所なので悲しいですが、一生忘れません本当に藤丸大好きです!!
チョロ・50歳・女性
帯広生まれ育ち私が赤ちゃんの時から藤丸うちの親と一緒に連れてもらいお正月福袋買いに親たちは子供の福袋目当てに朝の6時から並んで買ったと聞かされたこともありお昼ランチは必ずサンフラワーさんでお世話になりました。お昼時間はいつもお客様沢山いて待たされた記憶あります。サンリオでは小さい時からずっと通っていてサンリオ店員さんには凄く可愛がっていただいた記憶あります。本当に閉店は残念ですが今後は新たな開発と家族連れや1人でも入れるレストランが是非とも7階で出来たらと思います。色々長年買い物楽しませてくれて有り難うございました。
ヒデ・60代・男性・清水町
今の藤丸に移転時 高卒女性社員が60名ほど入社した記憶があります 19歳の時、土日は必ず藤丸に行ってました 何かの縁で各階の社員さんと仲良くなり、 挨拶するのが楽しみでした 。六階のトイレ入口の横の休憩椅子から窓越しに外を必ず見てました。女子寮もありました。 懐かしい私の思い出が沢山集まった藤丸が閉店なんて寂しくてたまりません。
みず・9歳・十勝地方
「一鱗」の開店の時にまぐろのかい体ショーがあり、見に行きました。その時新聞社の人が来ていて、新聞の記事の写真にぼくがのっていたことがうれしかったです。
60代・男性・新得町
私の藤丸の思い出は旧館の思い出です。まだ幼少期の頃でしたが、父母に連れられて行きました。藤丸はまさに大都会を象徴する建物であり空間でした。階段の踊り場には噴水型のオレンジジュースが売っていました。屋上には遊園地があり、楽しく遊んだ記憶は今も忘れません。藤丸へは1年に1回程度しか行けなかったのですが、藤丸は懐かしい思い出の場でもあります。
いっち・57歳・十勝地方
バンドブームの高校時代 今はドリカムの吉田美和さん藤丸前で歌っているの何度も見ました ドリカム原点だったのかなぁと今になって思います。今の吉田美和さんに藤丸前で歌ってもらえたら?なんて夢をみます 藤丸青春そのものでした。
恵・38歳・女性・十勝地方
子供の頃から母から「藤丸行くよ‼」って言われると嬉しくてたまらず、喜んで付いて行き、レストランでご飯食べたり、子供向けのイベントなどがあると母にせがんで遊んだ思い出があります。
くまのみ・40代・女性・釧路地方
 私は地元出身ではありませんが、道東で唯一の百貨店の閉店は地元のような親近感があり、とても残念です。特にブランドモノが好きではない私ですが、自分へのご褒美にと思うと、何故か、週末、車を走らせよく藤丸さんを訪れては、百貨店ならではのきらびやかな商品を購入しておりました。そんな楽しみが無くなると思うと、とても辛く、悲しいです。今まで、沢山素敵な品々を提供して頂き、ありがとうございました。
44歳・女性・十勝地方
本別中学校時代の美術部の先生が、毎年かちまいサロンで作品展を行っていて、美術部の親友と観に行くのを楽しみにしていました。中学を卒業してから、この作品展が先生に会える貴重な機会で、会う度に中学生の頃に戻ったような気持ちになりました。父と母で見に行ったり、結婚後は夫と行ったり、子どもが産まれてから子どもを連れて行ったこともあります。賛助作品として、私の絵も飾って頂いたこともありました。懐かしい思い出です。そんな先生も一昨年の12月に亡くなりました。藤丸といったら、恩師との思い出でいっぱいです。
50歳・男性・十勝地方
交通事故で大怪我をして入院していた病院から藤丸が見えて「動けるようになったら先ずはあそこまで行こう」と思ってリハビリをしていました。やっと車椅子に乗れるようになり最初は院内を移動するだけでも息が上がってしまいましたが体力も回復してきて外に出てみるとアスファルトの抵抗は思った以上に大変でしたが外出許可も出ていよいよ藤丸へ行ける事になり張り切って車椅子を漕いで向かいました。歩いていた時には気にした事も無かった道路の傾斜や段差につまずきながらも無事到着して地下の食品売り場からレストランのある7階までエレベーターで移動して病院へ戻りました。最初は往復だけで腕がパンパンになるくらい疲れましたが夜は心地よく寝られました。
エマウリ・30代・女性・十勝地方
藤丸の思い出についてです。小学生の頃、藤丸向かいのビルに英会話の塾があって、塾の日は藤丸でアクセサリーやハンカチなどを母が選んでよく買ってくれました。少しずつ大人になる年頃だったので、ゆっくり準備してくれていたのだと思います。おしゃれして出かける服が無いと言えば若者向けの服を探して購入し、塾が終わると地下の食品売り場で安売りになったおかずをよく買いました。帯広グランドホテルのおかずが美味しかった!蓮根のはさみ揚げやエビチリをよく買いました。高校に入学する時、制服を購入したのも藤丸です。手袋、靴下もいつも藤丸で買いました。母と二人で買い物をした思い出がたくさんあって、歩くたびに思い出されます。母は去年急死して、そのあと初めて一人で行きましたが、母の声や姿があちこちで思い出されて涙が出ました。良い品物というものをたくさん学ばせて下さってありがとうございました。そして、たくさんの思い出をありがとう。大好きです。
藤丸に感謝・60代・女性・十勝地方
夫が転勤族で、道内各地で生活をし、行く先々のデパートを利用するのが楽しみにしていた主婦です。十勝には20年以上前に引っ越してきましたが、当時の藤丸さんは活気があったように記憶しています。特に印象的なのが、地下食品街にあったお魚屋さん。はじめの頃は女性が元気よく売り場が立っていて、接客も大変気持ちの良いものでした。お魚も美味しく、足を運んでいるうちに、男性が売り場に立つようになっていました。聞くと女性の夫だと言い、病気で亡くなったんですと涙ながらに。その後、月日が立ってご夫妻の息子さんが売り場に立つようになりましたが、元気良かった女性の面影が忘れられません。藤丸さん、ここまで本当に頑張ったと思います。感謝しています!
帯広市生まれ・63歳・女性・十勝地方
幼児の時代、現藤丸の前の建物の時に屋上で予防接種をした記憶があります。屋上には、ちょっとした遊園地がありました。お正月初売りの日は、家族でバスに乗り藤丸に行き5階?にあったおもちゃ売り場で弟と共同で遊べるサッカーゲームや野球ゲームを買ってもらいました。買い物の後は、食堂で食事もしました。子供心にとても楽しく嬉しい時間を過ごしました。地下の食品売り場には、飴やチョコなどが沢山入った丸い台?が回転していてキラキラしていた記憶もあります☺️
ありがとう藤丸・13歳・男性・十勝地方
百貨店が大好きな僕にとっては居るだけで幸せな場所でした。コロナがはやる前は月1ペースで行ってました。今までありがとうございました。閉店してしまうのは辛い。でも、藤丸は僕の心の中でずっと生き続ける・・・
みわちゃん・80代・女性・十勝地方
20数年前、名古屋から帯広に来た時、藤丸でお土産を買いました。その時、名古屋から来たことを店員さんに話すと、品物を渡す時『お気を付けてお帰りください』と言われました。今まで他のデパートでこんな言葉をかけられたことがなかったので、嬉しく感動しました。その数年後、夫と帯広へ移住したのです。今も忘れられない思い出です。
星・40代・男性・札幌市
初就職の地が帯広でした。今から20数年前のことでした。ひとりバスで険しい日勝峠を越えてこれからどうなるんだろうという不安の中で社会人生活がスタートしました。十勝の方々の温かい気質に助けられ、現在は札幌で暮らしています。初めていただいたボーナスで冬用のコートを藤丸さんで買いました。売り場の方はとても親切で、良いものを勧めてくださり、今でも愛用しています。一人寂しくつらいときは地下でワインをボトル買いして気持ちを慰めていました。妻(当時彼女)への最初のプレゼントも藤丸でした。時代の流れとはいえ、今後は食を中心として復活を検討されているとのこと。応援しています。
75歳・女性・音更町
56年間、お世話になりました。習い事の帰り食事をし、婦人服売場でブラウスを手に取り、あまりの高さであきらめ一晩寝れず、次の日、もう一度見に行き、マネキンが着ていて売れていなくてよかった…と思い、買いました。その時は、とてもうれしく、大事に着ようと思い5、6年間ず~っとタンスの中に…若い時は丁度よかったんですが年を取ると小さくなり、お友達に手直し…リフォームでベストに作りなおし今だに着ております。なんでも”藤丸”ばかりで買い物し、「夢」、「希望」をいただき、”私の藤丸”お疲れ様でした。又、生まれて来て下さいネ。
カズヒロ・59歳・男性・帯広市
二回目の投稿になります。閉店が発表される以前から、藤丸には月一度は訪れていましたが、閉店が決まってからは来店する頻度がさらに増して、特にカウントダウンが始まった昨年12月からは週一のペースで通うようになりました。
クルマを地下駐車場に入れ、エレベーターに乗って階上に上がり、各階の売り場を回って、気に入ったものや食べたいものを購入したり食べたりしています。店内では閉店を惜しむ大勢のお客さんで混雑しており、昔の賑わっていた頃の時代に戻ったようで嬉しくなるのですが、この光景が見られるのもあと僅かと思うと、寂しさで涙が出そうになります。私にとって幼少期から青年期、そして大人になった今日に至るまで、たくさんの思い出が詰まった藤丸の思い出は一生忘れることはないでしょう。
昨年末から年始に掛けて開催された「藤丸122年のあゆみ展」は本当に圧巻の展示内容で、博物館や資料館の企画展を凌駕する充実ぶりに大いに感銘を受けました。これほどの歴史を刻んだ百貨店がなくなってしまうのは本当に惜しい事ですし、帯広十勝にとって多大な損失だと思います。
今月末での閉店は本当に寂しい限りですが、私たち夫婦も残された日々を出来る限り来店し、最後まで応援したいと思っております。
ヤッホー・50代・女性・関東在住
「藤丸さん行くよー」家族の日常会話に合言葉のようなフレーズ。幼少時に旧社屋の近所にに住んでいたため、祖母と毎日のように通い、好きなものを買ってもらい、迷子になっても店員さんがすぐ祖母を見つけてくれたものでした。就職して帯広を離れてからも帰省の度に「藤丸さん行ってくる」と実家のように安心できる場所でした。本当に寂しいですが閉店されても思い出はずっと忘れません。「藤丸さん」ありがとうございました。
ななし・50代・女性・十勝地方
藤丸さんの近くだったので、幼少期は親が仕事休みの日曜日に動物園か藤丸さんに連れていってもらっていました。おもちゃ売り場に行ってからレストランに行き一人前は多く残すのがわかっているのに結局いつもオムライスでした。亡くなった父は毎回一階のネクタイ売り場を見てました。帯広にいていろんなところの特産品が買えたのがもう出来ないのかと残念です。贈答品も藤丸さんの包装紙だと子供たちでさえ高級でいい品だと思っていたようです!閉店の日を考えると涙が出そうで堪えるのが苦しいです。再開する日心待ちにしています❗
ランチ・65歳・女性・十勝地方
 皆さんの書き込みを拝見して懐かしさに浸っています。コンサートチケットを買いに行ったこと、席が選べて嬉しかったです。催事場で時々開いてくださった「全国うまいもの大会」沖縄や九州、四国や東京や横浜、東北と十勝に居ながらたくさん食べさせていただきました。本場、韓国のキムチやキムパも美味しかったです。「一坪ショップ」もいろんな作品があって楽しかったです。これも藤丸さんが主催してくださったおかげです。ありがとうございました。すっごく寂しくなりますが、従業員の方々が新しい道でお元気に活躍されることを祈っています。
ぽんぽこ・50代・女性・十勝地方
20年ほど前に道北から十勝に引っ越してきました。その頃出来たお友達が帯広市街へ誘ってくれて、娘と約束の藤丸に向かうと現れたお友達とお嬢さんは素敵なワンピースやコートを身に纏っていて、その美しい装いにとても驚きました。お友達は引っ越してきたばかりの私達親子に藤丸や六花亭本店を案内してくれて、デパートでのクリスマスの買い物や、キャンドルの灯りでのお茶の時間を一緒に過ごしてくれました。
以来、藤丸に行く時は精一杯のお洒落をして行くことにして買い物やお茶の時間を楽しんでいたので、閉店はとても寂しいです。
無くなってしまっても、藤丸はこれからも私の記憶にずっと残る思い出の場所です。
61歳・男性・十勝地方
55年ほど前です。ゲーム場でチューハンターとドライブゲームをし、隣の階段付近にあったオレンジ色の噴水型自販機でジュースを買ってもらうのが本当に楽しみでした。地下のお菓子量り売りも懐かしいです。あと、屋上には、幼児が遊ぶ乗り物があったような記憶がありますが・・。全て一つ前のビルのことです。残念に思っていましたが新たな形で存続してくれるようでうれしいですね。
匿名
まだまにあいますか? 小学生の頃、へき地に住んでいたので、よくバスに乗って母と藤丸デパートで買物に行くのが楽しみでした。何といっても各階に置いてある、オレンヂジュースが、噴水のようにでていて、しかも無料?で飲めるのがうれしくて。どこにもそんなジュースの機械みたことがありません。あとは、地下にハート形のクリームドーナツを買ってもらい、ハート形の包装紙につつんでもらうのがお気に入りでした。その後高校生になり、地下のラーメン屋さんで初めてのアルバイトをしました。そこは、昔私が食べたドーナツ屋さんのとなり。でももうそこにはドーナツは販売されていませんでしたが…。今は父も母も亡くなり、姉とよくきていましたが、心から藤丸さんに御礼を言いたいです。なくなっても心の中に永遠に思い出として残ります。社長さん、有難うございました!
77歳・女性・帯広市
私の「藤丸」との出会いは、70年前ほどにさかのぼります。それは、昭和28年ごろ、現在地にあった4階建ての建物が、藤丸デパートでした。当時の建物といえば、せいぜい2階建てだったのですが、4階建ての「藤丸」は、その中で圧倒的な高さを誇っていました。まだ小学生だった私は、初めて、デパートというものに接し、子ども心に経験する未知の世界にワクワクしていたのを覚えています。 中でも、初めてエレベータという乗り物に遭遇したときのあの体験は忘れることが出来ません。鉄格子のようなドアが開き、自動で上下する乗り物に心が弾んだものです。そして、昭和30年代後半期には、現在地から南の駅寄りに移転新築した「藤丸」で、エスカレーターというものに出会いました。当時としては、画期的な動く階段に驚き、時代の進歩を感じました。同時に市内にビルが立ち並び、街全体が活気に溢れていました。私が過ごした昭和の「藤丸」は、絶えず街の中心にあり、時代の先端を行っていました。私たちに豊かさの一端を感じさせてくれました。その、藤丸デパートが、今年1月123年の歴史に幕を下ろすことになるという…。本当に残念の一言ですが、若かったあの時代と共に重なり、忘れることはありません…。
66歳・男性・芽室町
約30年前に藤丸の屋上で花火大会を家族で見に行った記憶があります。そういうイベントは長くは続かなかったと思いますが美しい花火が間近に見られて印象に残っています。
藤丸長年お疲れ様でした・40代・女性十勝地方
藤丸の思い出は、今は亡き祖母と30年以上前に藤丸に遊びに行く事が多く、お昼はお蕎麦が大半だったようで、他にクリームソーダかフルーツポンチ、地下のアイス屋さんでブルーハワイを食べていました。藤丸に行く度に「蕎麦食べた!」とか話していたらしいですが、肝心の私は「ばあちゃんと藤丸行った」くらいの記憶しか思い出せずちょっぴり悲しいです。
モッチ・66歳・女性・十勝地方
高校を卒業して藤丸に入社しました。出産を控え退職しましたが、35歳の時にテナントの社員になりました。藤丸には36年間お世話になり感謝しかありません。ありがとうございました。涙涙涙
かず・67歳・男性・十勝地方
小学生の頃、帯広に汽車に乗って友人と珠算検定に行った際、必ず食堂街に行きラーメンを食べたものです。田舎から都会に来た感じであり緊張してラーメンの味は覚えてませんが閉店は残念でなりません!
47歳・男性・帯広市
長い間ありがとうございました。とてもかなしいです。
58歳・女性・帯広市
藤丸といえば“エレベーターガール”美人で声の素敵なお姉さんが「上にまいりま~す!」と言っていました。子供の頃、あこがれました。また、普だんの買物はヨーカドー、イオンでよいのに、お中元、お歳暮、プレゼントはなぜか藤丸の包み紙じゃないとダメみたいなところがあり、必ず買いに行きました…。昔の藤丸の地下のソフトクリームと、クルクル回るアメの入った(種類いっぱい)のも、たのしい思い出です!※閉店は残念です!なんとか残してほしいです。)
48歳・女性・幕別町
25年以上前、帯広大谷短期大学の学生だった時に、ミルク&チーズフェアで、チラシ配りのアルバイトをやったことがあります。帯広畜産大学の学生さんもいて、牛の着ぐるみの頭をかぶせてもらったり、社員食堂で一緒にご飯を食べながら、将来の夢などを話して盛り上がったのがとてもいい思い出です。短期の学生バイトなのに、なにかと良くしてくださって、本当にありがたかったです。
91歳・女性・帯広市
古い外国映画に出ていそうな「エレベーター」でした。フェンスのような扉でエレベーターガールの女の人がその度開け閉めでした71歳の私はお婆ちゃん(音更)に行く時帯広では藤丸とかじのビルに必ず立ち寄っていました親子、3代でお世話になりました復活するのを待ち続けます。藤丸バンザイありがとう!!
思い出いっぱいの一市民・80代・女性
藤丸さんは高級のデパート!そこに行く日はおめかしでした。文化と憧れを持つ場所でした
76歳・女性・帯広市
60年前!高校生の夏休み藤丸の大食堂でアルバイトをしました。楽しく働き、バイト賃をもらった始めての経験嬉しかった。当時は折りたたみ傘が流行し友達が皆持っており、7人の子供がいる我家では買ってもらえず自分で働いて買った赤い花柄の傘長い事大切に大切に使っていた傘いまでも忘れることができず成長した孫にも語り昔を懐かしんでおります。ありがとう!藤丸。藤丸での思い出は、私の宝物です。
52歳・男性・清水町
ぼくはともにえん時代にイベントでおこなわれた思い出します。今後はふじまるデパート帯広店本社にほぞんして下さい。
Uターンしました・50代・女性・十勝地方
私の藤丸の思い出。高校受験の合格発表を藤丸に同級生と見に行って藤丸前の電話ボックスから母に電話しました。合格できて、すごくうれしかったことと安心したことを覚えています。高校入学に向けて母と制服の採寸に藤丸の7階に行ったことも覚えています。高校の放課後、街でバスを降りて藤丸を見たり、家までのバスを待ったりさせてもらいました。その後は無事に成人式を迎える為の振袖も作ってもらいました。あの頃の街中の賑わいは懐かしいです。藤丸が閉店してしまうのは本当に寂しく思います。家族でたくさんお世話になりました。感謝の気持ちで一杯です。
みち・57歳・男性・十勝地方
現藤丸ビルがオープンしたその年(1982年)に西武ライオンズが優勝して、藤丸職員がレオの帽子をかぶって優勝セールを始めたのに腰を抜かしました。西武と藤丸の関係がどうだったのかは知りませんが、そういえば屋上の大看板が青と緑の西武カラーなのに気づいたのはその時でした。野球の優勝セールとは無縁だった帯広なのでちょっとうれしく楽しかった記憶があります。
しらかば・60代・女性・十勝地方
今から30年も前の話ですが、帯広へ出かけた帰り藤丸さんへ寄り、ゲームコーナーへ寄った時、ピンクの可愛いぬいぐるみがあり 今 背中に背負っている娘に欲しいとやったこともないクレーンゲームに挑戦しましたが簡単にすくえる筈もなく、何度か挑戦していたら店員さんが来て鍵を開けピンクのぬいぐるみをくださいました。手にすると音もするぬいぐるみで子供が遊ぶたび店員さんのご厚意に感謝していました。30年たった今も思い出しては目頭が熱くなると共にあの時の店員さんがお元気でいることを願っています。
65歳・女性・帯広市
①私が6~7才の頃?古い階段しかなかった藤丸店の階段の踊場に有ったドームの中でオレンジジュースがシャワーの様に(噴水?)の様に廻っていて毎回私は飲みたくて母にだだをこねていました。今なら分かるのですが貧しかったので母もなだめるのに苦労したでしょう。それでも一回だけそのオレンジジュースを飲ませてもらったあの味と母が私を笑顔で見守っていた記憶は忘れられない思い出です。②現店舗での思い出は、最愛の夫と最後にランチをしたのが階上のレストランでした。藤丸さんは、私の心の中にずっとずっとあり続けます。ありがとう。
67歳・女性・帯広市
今から50数年前、田舎の高校生だった私には藤丸はステータスであり、社会人になったら自分で好きな物を買うということが憧れでもありました。また、かつての藤丸には屋上があり怖いながらもフェンスから観る市内の景色にはまだ見ぬ未来に期待を膨らませるのには、充分な場所でした。そんな田舎の高校性も67才となり、永いい歴史の藤丸を思い出しそして現在の藤丸の建物もしっかり色濃く記憶に残しておきたいと思います。帯広のシンボルとして永い年月をありがとうございました。
75歳・女性・帯広市
友人が脳出血で歩けなくなり行きたい所を聞いた所、藤丸でした。タクシーで藤丸にきて、車椅子を追して婦人服売場を見て歩きました。目が輝いていました。忘れられない笑顔でした。買物はしませんでしたが…。昼食にラーメンを食べましたが、右手が不自由だったので大変でしたが、ニコニコしながら2人で食べたのが、2人の外食が初めてで最後でした。あこがれの藤丸。彼女は知りません。3年前に亡くなりました。生きていたら、とてもがっかりしたと思います。
79歳・女性・帯広市
残念です。唯一のデパートでしたしね。4年前に札幌より移住。デパートめぐりが、好きな私にとって大変さびしいです。やはり田舎なのかな?ごめんなさい!!都会に育ったものとしてデパートがなくなりました。残念!!(デパ地下)食料品。特に藤丸にしか販売していない品があったので
76歳・女性・清水町
16年前、田舎育ちの私は60歳になった記念に、念願の藤丸初売に行くことが出来ました。近所にも内緒で夢は叶うものだと思い心ウキウキとして行ってきました。その日の夕方十勝毎日新聞に「初売り好調」の見出しと共に私の写真が大きく掲載されビックリしましたが最高の思い出です。藤丸さんありがとう!
58歳・女性・帯広市
帯広に行ったら必ず藤丸に寄ってあいかけかきそばを食べていました。帯広から車で30分程の地方に住んでいた私達家族でした。大事な時の服は必ず藤丸で買っていました。「藤丸のものは良い品物だから」と母はいつも、品質表示と、メーカーを確認し鏡の前で合わせていました。幼少の私も何枚ものワンピースを合わせられ、すっかり嫌気がさした頃母はバッグから袋いっぱいの10円玉を出して遊具のりばで、全部使わせてくれたものでした。そんな子を連れての買いものはさぞかし大変だった事と思います。この応募はがきを見て、遠い昔(古い藤丸)を懐かしく回想しています。
70代・男性・十勝地方
私は、今から約60~70年前、小学生のころ時々藤丸の鉄の扉のエレベーターに乗り、3階の「おもちゃ」売り場に行き、買える事は出来ませんでしたが、何により見るのが楽しみでした。その後社会人に成って、会社員として約46年間(約半世紀)に渡り「縁」があって、藤丸にお世話に成りました。私の其の物の人生が藤丸と共に歩んだ人生だと思います。本当に長い間、大変お世話に成りました。寂しい、悲しい気持でいっぱいですが、早く新しい藤丸が出来るのを期待をしております。長い間、ありがとうご座いました。感謝…感謝……‼
60代・女性・帯広市
一番の思い出は、お正月の福袋です!オープンと同時に階段をかけ上がり3Fへ!!お目当ての福袋を手に入れた時の喜びは忘れません。楽しかったー!!!
63歳・女性・帯広市
昭和40年頃私が5才幕別町郊外から当時「道東バス」に乗り母と兄の3人で藤丸に行った時の事です。屋上に遊園地があり楽しんでいたのですが迷子になってしまいました!!母、兄を捜し乍ら室上から階段で1階迄降りた所、入口前で「社会鍋」がありました。身体の不自由な方々が演奏しているのを一番前で泣き乍ら見ていた記憶があります。その後無事に発見されました。藤丸というと兄妹の楽しみでもあり確か最上階(?)のレストラン(食堂)で食事・アイスを食べたのが良い思い出です。永い間「藤丸さん」ありがとうございました。出来れば何らかの形で継続出来たら倖いです。
たもきのこ・50代・女性・根室地方
関西に住んでいた時の私は、デパートは庭のようなものでしょっちゅう買い物に行ってましたが、道東の農家に嫁いでからは全然デパートに行くこともありませんでした。そんな時、地域の集まりで帯広方面に旅行に行く事がありお土産を買う為に藤丸に寄りました。私にしてみたらデパートなんて10年ぶり。関西の大きなデパートにはかないませんがそれでもデパート独特の雰囲気と匂いにとても懐かしい気分になったのを覚えています。
りな・40代・女性・十勝地方
就職で帯広に来て藤丸に行きました。30年近く前のことです。そこで初めての化粧を教えてもらいました。それから、今日まで通い続けています。閉店を聞いた時はとてもショックでした。残り少ない期間ですが、閉店するまで通い続けようと思います。
ちえみ・62歳・女性・音更町
高校卒業して藤丸に就職した私はエレベーターガールとして採用されました。当時のエレベーターは手動式で運転はかなり難しく良く失敗してました。朝の開店時の正面入り口での会釈挨拶、エスカレーター乗り口での会釈懐かしい思い出です。そして何より新しい藤丸に移転したオープン当日にエレベーターに乗って迎えた事です。何丁先前からの歩道いっぱいの人。話題となった透明エレベーター。乗りたさに集まる人の多さ。ギューギュー満員のエレベーターを往復し続けたあの時の事は今でも鮮明に覚えております。
ともヒムレン・30代・女性・十勝地方
ちょっと背伸びして、お買い物しに行った藤丸一階の売り場。当時高校生だった私は、友人との間で流行っていた香水や、ブランドものの化粧品を買いに藤丸へ行っていました。緊張しながらも販売員さんに相談しお買い物できた時の喜び。自分が学生時代過ごした時間の中に「藤丸」という百貨店があった経験は今の私に大きく影響をあたえているとおもいます。またそんな同世代の方々も多いのではないかな?と感じています。そんな経験、大切な気持ちをくれた「藤丸」の存在、ありがとう!と言いたいです。
かつら子・60代・女性・十勝地方
藤丸さんへ娘の初節句にとお雛様を買いに父母私と娘で行った事です 沢山並んでいたお雛様ですが、狭い部屋で置けるのはガラスケースのお雛様、40年経った今でも毎年お節句に登場しています。そして後にも先にも父母と藤丸へ行った記憶はこの時のみでした 懐かしい思い出です。
みちよ・50代・女性・帯広市
まだ9丁目に藤丸がある時、父親はデパートとか行く人ではなかったので母親とよくバスに乗って行ってました。私の12歳の誕生日に母親が20cmくらいの大きさの"モンチッチ"と言うお猿さんのぬいぐるみと"モンチッチ"を座らせる椅子を買ってくれました。45年前ですが結婚した今でも私の枕元には椅子に座ったモンチッチがあります。当時6,000円ほどだったと記憶してます。母親にしたら高額な買い物だったと思います。買い物のあとは広い食堂でお昼を食べ、地下でゆっくり回る円形の品台に様々なお菓子が回っていて好きなお菓子を袋に入れて量り売りしてたのも懐かしく思います。贈り物を買うなら藤丸。自分にご褒美の物も藤丸。行くだけでも心豊かになります。
84歳・女性・帯広市
長男(59歳)が4歳くらいの頃、藤丸の「エスカレーター」で3階に上がるときに上に登ろうとしていた方が振り返り、「エッ」と思うと、長男がエスカレーターの停止ボタンを押して止まっていて、すごく恥ずかしい思いをし、「すみません」と頭を下げたことや後日行った時には、地震が起きたのに、長男は4階に行きはじめ本当に大変な思い出があります。とても落ち着きのない子でした。今は埼玉で2人の親です。無くなるのは淋しいです。
75歳・男性・釧路地方
50年、街大好きな私のドライブ先が藤丸でした。家族のハレの時間、食堂や地下のラーメンを並んで食べて各階のショッピングを楽しんだ思いでや買い得感のある良い物を得た嬉しさは忘れません。面識は無いが晩年の店内を回る藤丸社長の心が何となく判る私には他人事とは思えず手持ちの遊具(エコポニー9台)の貸出を申し出たこともあった。もう十勝晴れの下、平原通りをかっ歩する人は無くなるのでしょうか?単に、介護や医療を街に呼び込んでも活性化は図れないと思います。街は楽しくてなんぼの世界です。そこで提案です。国内で唯一の『デパートミュージアム藤丸』という形で残す事で地域に限らず国中の人を藤丸に呼び込むよう提案いたします。
92歳・男性・釧路市
私は警察予備隊員でした。昭和26年2月、厳寒の帯広駐屯地に転属してきました。休日になると街へ出るのが楽しみでした。ミマス館で洋画を観て、藤丸に行って店内を歩く。そして2階に上がる板張りの大きな階段を上るのです。その階段の踊り場の正面に大きな鏡があり、その鏡にわが姿を映すのです。すると自分の姿が細くスマートに映るのです(気がするだけ?)そんなことが楽しい時代でした。
その後JOAK地域で暮らしましたが、私にとってのデパートとは帯広の藤丸であり、私たち夫婦の原点なのです。帯広のシンボル藤丸の灯が消えないことを…
70歳・女性・帯広市
転勤で釧路管内から十勝に来てから早30数年たちます。その後地方へと転々とし、夫の退職とともに帯広市民となりました。何か事あるごとに、藤丸さんに出向きました。何か人にお祝いをあげる時には、必ず記念の品を選びに行きました。数回でしたが、福袋を買いに行くのにひと苦労した思い出もあります。店内も都会的で、行く度、心ときめいた場所でもあります。長き間、たくさんの思い出をいただき、ありがとうございました。“ときめいた 心に残る 藤丸よ”
丸・30代・女性・釧路地方
あれは新卒の冬のこと、両親が冬靴をプレゼントしてくれるとのことで藤丸へ。向かったのは、おじいさんがやっている靴屋さん。今はもうありません。私はファーがついた黒のハーフブーツに一目惚れ。店主のおじいさんが『この靴はカモシカのようにきれいに見えるいい靴だよ』と。靴もピッタリでそれに決めました。今でも修理しながらその靴を大事に履いています。
こたつ猫・50代・女性・十勝地方
子どもの頃の私にとって藤丸は夢の国でした。藤丸に行くと屋上にあった遊園地で遊べる事がとても楽しみでした。父母に『藤丸に連れて行ってあげるよ』と言われると、よく言うことを聞き、いい子にしていた記憶があります。今、歳をとって思うように外出できなくなった母は『藤丸に行きたい』と言っています。閉店前になんとか連れて行ってあげたいと思います。
フリージア★らぶ・59歳・女性・十勝地方
ちょうど40年前の3月、大学受験のために初めて帯広へ来ました。試験が終わってから、藤丸へ出かけたところ、ものすごい賑わいでした。新装オープンしたばかりだったようです。帯広は都会だなあ?と感じたものです
ひろはやぶさ・30代・男性・十勝地方
僕が初めて藤丸のエレベーターに乗ったとき、エレベーターガールがいたことを思い出します。僕が中高生の頃、エレベーターガールのいるエレベーターに乗りたくて乗りたくてたまらなかった時期もありました!ただ、エレベーターガールが廃止になったときは、ショックを受けてしまいました…本当に時代の流れを感じてしまいました…
千鶴・30代・女性・十勝地方
小学生の頃、通っていたピアノ教室の発表会が藤丸の近くでありました。当時、藤丸にはあまり行ったことが無かったのですが、発表会の後、母と2人、藤丸でホットケーキを食べたことは今でも覚えています。思い出の場所です。
T・N・46歳・男性・十勝地方
自分としての藤丸での思い出は、最上階にある帯広市市民活動交流センターでやっていた「十勝精神障害児(者)作品展示即売会」です。
そこで、ある施設(作業所)の製品・菓子の販売スタッフとして 参加したことがあり、来客数が多い中、製品の主な使い方を説明してお買い求め下さり、感謝されたことを覚えています。
ジェム・63歳・男性・十勝地方
私は63ですが、50年以上前のことが想い出されます。当時は今ある藤丸よりも帯広駅寄りにあるビルでした。小学生の私は母親と一緒に「帯広に行くよ」=「藤丸に行くよ」が合言葉だったことが想い出されます。当時の藤丸に階段で上っていると途中の踊り場にドーム型のジュースの自販機があって、私はよくジュースを飲んでいたのを覚えています。絶対に「藤丸」はなくさないでほしいです。
すみれ・60代・女性・十勝地方
今のビルのオープンイベントで赤ちゃんの無料撮影サービスがありました。
私は6ヶ月の娘を背負い、ママコートと赤い長靴姿ではるばる出かけました。眩しく豪華な店内・光り輝く床に、自分には場違いな気がして、入店するのが気恥ずかしかった思い出があります。
67歳・女性・十勝地方
7階で行われるイベント、いろいろ楽しませてもらいました。中でも1番の思い出は、イベントで松本零士さんに会ったことです。その時に書いてもらった、キャプテンハーロックの色紙私の宝物です。藤丸さんありがとう。
しげちゃん・50代・女性・十勝地方
昭和40年代は西2条9丁目にあった藤丸。デパ地下という呼び名はまだありませんでしたが、総菜の揚げ物売り場で青のりがまぶしてあるポテトチップスが売られていました。当時スナック菓子のポテトチップスはまだ販売前の事で子ども心にとても珍しく、どんな味だろうかと親におねだりしたかった事を思い出します。地下の回転するあめを売る機械や階段の踊り場のジュースの噴水、屋上の遊園地、高校生の時の初めてのアルバイトも藤丸の地下でした。お正月の初売りは3日からで、振り袖の店員さんがたる酒のふるまいを升で配っていました。華やかな思い出です。
はくちょう・37歳・女性・根室地方
小さい時夏休みや冬休みになると必ず祖父、祖母の居る帯広へ行ってました。宿題を終わったら祖母とバス停まで手をつないで歩きバスに乗って藤丸へ行き買い物したり、ご飯食べたりと楽しく過ごした思い出があります。その時、初めて乗ったガラス張りのエレベーターに感動したのを覚えてます。祖母とのたくさんの思い出が詰まった藤丸です。ありがとう…
68歳・男性・帯広市
子どもの頃 ゴールデンウィークに藤丸の屋上遊園地で早野凡平(はやの ぼんぺい)さんのショーを見ました。テレビに出ている芸能人を初めて目の前で見ることができました。
女性・幕別町
田舎暮らし汽車通の高校生。西二条、平原通り、大型「藤丸店」が御贈品はかならず、藤丸店品包装紙輝く。時々店内の催し、見て・買って…食堂おいしく舌鼓等!
障害者に。数年。藤丸店と縁遠く、閉店?信じられず。変わり行く年代・薄れゆく脳裏七十年。過去・思い出盛りだくさん…
91歳・帯広市
「なわくずと大入り袋」
鉄道を退職した叔父が藤丸の最上階にある荷物の発着所で働いていました。荷物はこん包されて来るので、叔父は常に体を動かしながら小さな「なわくず」まで拾っていました。叔父の家の神棚には私が初めて見る「大入りの赤い袋」が所せましと貼ってありました。
えりか・女性・十勝地方
外食をめったにしないわが家でしたが、子どものころ、時々行く7階のレストラン、サンフラワーでの外食が1番の思い出です。メニューはいつも決まっていて、私はカレーを、お姉ちゃんはピラフを注文。席は広小路の屋根が見える窓側がお気に入りでした。閉店前にもう一度行きたいです!
女性・帯広市
藤丸の向かいで床屋をやっていたので、デパートの定休日以外、毎日地下で食料を買いました。そんな私にお客さんは「藤丸が冷蔵庫代わりかい」と冗談を言います。子どもの成長につれ、折節に気合いの入った上質の洋服はすべて藤丸でそろえたものです。カシミヤのセーターを買ったうれしさも忘れられません。閉店の報に接し、わが床屋の先々代から95年間は藤丸と共にあった年月でした。胸にこみあげてくるものがあります。私にとって藤丸は永遠です。
かとちやん・58歳・女性・根室地方
学生時代は、盆踊りの時期に正面玄関で夜店のアルバイトをしました!人がいっぱいでした!大人になり再び学生になった冬休みに、食品売場でアルバイトをしました。皆さんに大変お世話になりました!楽しかったです。
32歳・男性・帯広市
藤丸デパートでは彼女と初めてのデートをした時に、地下で缶ビールを買い、椅子に座りお酒を飲みながら1時間ぐらい会話をした思い出があります。すごく楽しい思い出をありがとうございました。感謝しています。
すみれ・69歳女性・十勝地方
今の藤丸ビルのオープンイベントで、赤ちゃんの無料撮影会がありました。私は6ヶ月の娘を背負いママコートに赤い長靴を履いて1階フロアに足を踏み入れましたが、白いピカピカの床と素敵な売り場が眩しく、場違いな気後れするような思いがしました。忘れられない思い出です。
めぐにゃん・61歳・女性・十勝地方
4歳頃池田にすんでいました。父のお給料日が過ぎた日曜日になると家族でおめかしをして藤丸の食堂に行って[ラーメンとソフトクリーム]を食べるのが唯一の贅沢でした。
藤丸大好きな母さん
だいぶ昔のことですが春の大売り出しには大勢の人だかりができてワゴンセールをやっていました。衣類を取って引き寄せると反対側から手が伸びて同じ服をひっぱっていました。それほど多くの人がいて山のような衣類が積んであったということです。
ファイターズ大好きひーちゃん・50代・男性・帯広市
平成16年の夏と平成17年の夏の甲子園決勝戦でのパブリックビューイングテレビ観戦で盛り上がったこと。当時は今の藤丸1階エレベーター前で、試合終了まで買い物客などで試合見てました。当時は駒大苫小牧が夏の甲子園2連覇した事で、買い物客も喜びも爆発し、私も大興奮し泣いた事を思い出します。ちなみに決勝戦は、平成16年に愛媛の済美高校と。平成17年に京都外大西高校と対戦でした。
教官Sam・55歳男性・釧路地方
藤丸が現在地に移転したのは、私が高校に入ったS57年。旧店舗からは大きく様変わり、おしゃれで綺麗で、物凄く憧れていました。私は浦幌出身、池田高校に通っていましたが、部活の関係でなかなか帯広、藤丸には行けませんでした。が、ある日気付きました。なんと高校前から藤丸が見えるのです!高校前の道路の延長、帯広方向に、藤丸屋上の緑色の看板が見えました。夜、池田駅に向う途中、それを遠くに眺め『遊びに行きたい』と思っていたものです。今は看板も白くなり、明かりも点灯していないようなので、見つけづらいかもしれませんが、昼間なら見えるかも、です。青春時代のひとコマですね。その後、就職してからは、何度も行きました。転勤族なので今は釧路市居住ですが、閉店は残念、とても寂しいです。あの時代が懐かしい!
59歳・男性・十勝地方
藤丸の思い出は本当にたくさんあるのですが、やはり幼少期から青年期にかけての情景は今も忘れることができません。1960年代後半の藤丸旧館は6階に玩具売り場と大食堂があり、小学生の頃は両親とともに大食堂で食事をするのが本当にうれしくて、まさに天にも昇る気分でした。初めてチョコレートパフェなるものを食べたのも藤丸の大食堂でした。
 また、屋上には遊園地があって、幼少期は遊具などで遊んだものでしたが、夏休みになるとお化け屋敷が開催され、中学時代は友人とともに何度も行きました。本当に楽しい思い出ばかりが思い出されます。タイムマシンがあればあの時代に戻り、藤丸や賑わっていた頃の西2条通りを歩いてみたいと思うことがあります。
 私は足寄町の出身で妻は帯広生まれの帯広育ちで、藤丸への思いはとても大きく、普段から月に数回は藤丸を利用していました。毎回僅かな買い物ですが少しでも応援できればと頑張ってきたので、今回の閉店は本当に残念でなりません。最終日はお別れの瞬間に立ち会いたいと思っております。
52歳・男性・十勝地方
 現在の店舗がオープンした昭和57年は、プロ野球の“西武”ライオンズが初めてリーグ優勝、日本一になった年で、藤丸でも優勝記念セールが大々的に行われたことです(翌年以降も)。
 正面入口前に置かれた大きなスピーカーからは優勝(日本一)が決まったときの実況と、松崎しげるさんが歌う球団歌が大音量で繰り返し流され、店内にはレオマークの入った青い紙の帽子や法被を身につけた店員さんたちがいて、普段よりも大勢のお客さんでごった返していたことが忘れられません。
11歳・男性・十勝地方
私は、藤丸のエレベーターを乗ったとき、憧れたんです、そのずっと前衝撃を受けて、号泣しました。
めぐみ・38歳・女性・十勝地方
藤丸さんの思い出は、亡くなった母があたしが産まれる前に勤めて居た場所でもあり、小さい頃「藤丸行くよ??」って言われると、凄く嬉しかった思い出もあります。

NHK帯広局では藤丸について全力取材!!
どうなる“藤丸” 特設サイト

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